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第96話 蒲田にて(22)

「……オレは、そのばあちゃんのとこに、しばらくいた。そのうち、ご飯を作るのを手伝ったり、食べる物を買いに出かけたりできるようになって。ばあちゃんは色んな人の服を直したりして暮らしてたんだ。すごくお世話になった。  それで、ばあちゃんと話してるうちに、あったかいご飯をみんなに出せる場所を作ろうと思って、ちょっとずつ食堂を始めた。料理はまだ勉強中なんだけど。今も時々、ばあちゃんとこに行って、おかずを習ってくる」  ぽつぽつとした(れん)の話を、木島は黙って聞いていた。目の前の水は相変わらず暗い。ひたひたという音と潮の香りが2人を包んでいる。 「オレは……自分には薫さんみたいな人と一緒にいる価値なんかないと思った。それが高遠の罠だった。……実際に薫さんを撃ってしまって、オレはもうそこから二度と抜け出せなくなった。オレは自分が信じるべき人が誰なのかもわからないような奴だ。いっつも考える。好きな人を撃つ間抜けが、オレ以外どこにいるんだって」  ぼんやりとペットボトルを胸元から取り出し、怜はキャップを開けると一口飲んだ。緑茶だった。最近、ばあちゃんの顔を見ていない。ちゃんとご飯食べられてるかな。怜はそんなことを思った。薫さんを撃ってから知り合った人たちは、自分がいなくなったら何か思ってくれるだろうか。  木島はベンチの上で身じろぎをすると、怜の体を引き寄せた。 「高遠は……お前の父親は、悪魔のようにお前の意志を操った。乗せられたお前は確かに罪を背負っているが、父親は罪の意識などない。お前は……それについてどう思っている?」 「あいつのことはどうでもいい。近づくだけで毒が回る奴だ。薫さんの代わりにあいつを殺せたら、とは思ったけど、ひとりで、しかもこんなふうに自分が生きてること自体に自信がない状態じゃ……」 「そうか」  短く答えると、木島はなだめるように怜の肩を叩いた。 「寒くなってきたな。帰るか」 「うん」  立ち上がった木島が、怜に手を差し伸べる。素直にその手を取ると、怜は立ち上がった。罪はなくならないし、赦してくれる相手もいない。それでも、木島は怜の罪を黙って聞いてくれた。  もう、いいだろう?  怜は木島の後を歩きながら思う。この世にひとりでも、怜の告白を聞いてくれた人がいるなら、これ以上思い残すことはない。  ゆっくり眠ろう。明日は夜明けの中で死ねるだろう。  そんなことを考えながら、怜は木島のメルセデスに乗り込んだ。

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