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第1話
「ただいま」
「あ、おかえりなさい!」
「疲れた……」
取引先のミスによって残業続きの一週間を乗り切った彰良。帰ってくるなりカバンを適当に床に落とし、ジャケットも脱いだ流れでソファの背もたれにかけてしまう。ネクタイも雑に引き抜いてジャケットの上に放り投げた。
いつもなら絶対にしない行動だ。それだけ疲れているんだろう。俺は苦笑しながら、水が入ったコップを差し出した。
「お疲れ様。休日出勤は回避?」
「ああ。そのために残業して終わらせたんだからな」
「俺は寂しかったんだけど」
「悪かった。けど、お前とゆっくり過ごしたかったから」
「分かってるよ」
「でもやっぱり寂しかった」って言えば、伸びてきた腕が腰に周って引き寄せられ、隣に座らされる。今度は肩に周った腕が、彰良の身体に俺の身体を密着させた。
彰良の首筋から香る微かな匂い。朝、彰良に頼まれて俺がつけてあげた香水。それが彰良自身の匂いと混ざって、彰良に合う香りに変わっている。スパイシーで爽やか。でもどこか甘い……。俺が一番安心する彰良の匂い。
「明日と明後日で埋め合わせする。ゆっくり二人で過ごすのはどうだ? 録画してた映画あっただろ。あれとか見ながらさ。食事もデリバリーにしてちょっとしたホテル気分で」
「いいね。じゃあ今夜は彰良のお疲れ様会にしようか」
「嬉しいけど別にいい。今夜は湊を堪能したい」
すりすりと頭に頬をすりつけられる。その仕草にドキリと心臓が高鳴った。あまり甘えてくることがない年上の恋人の、滅多にない様子に頬が熱くなる。
でも、この一週間は本当に働きすぎだ。腰周りを怪しく動く手を掴んで止める。
「ダメだよ。寝不足だし疲れも溜まってるでしょ。今日は早く寝て」
「嫌だ」
「明日ずっとくっついてあげるから。ね、お願い。彰良先輩」
「……それはズルいだろ」
奥の手を使ってなんとか諦めさせることに成功した。
大学時代、まだ恋人になる前と同じ「彰良先輩」って呼び方でお願いされると、なんだかいたたまれなくなるからって彰良は苦手らしい。だからどうしても言う事聞かせたいときにだけ使う、俺の奥の手。これで今日は大人しく寝てくれるはずだ。
「風呂入ってくる」
「あ、うん。ちゃんと湯舟に浸かってね。シャワーだけはダメだよ」
「俺、溺れるかも」
「えー? 寝ないでよ」
「はいはい」と言ってめんどくさそうにしながらも、ソファの背もたれからジャケットとネクタイをちゃんと回収して自分の部屋に持っていくのは偉いと思う。スーツは明日クリーニングに出す予定。俺ならどうせクリーニングに出すなら、ってそのまま放っておく。こういう「ちゃんとしてる」ってのが好きなとこなんだよねぇ。
「っと、俺も今の内にデータ片付けよ」
彰良が絶対週末は休むマンになるって分かってたから、俺もできるだけ仕事を週末に持ち越さないように頑張った。俺と彰良は違う会社だから、持って帰れる仕事だけを彰良に見つからないようにこっそり片付けるくらいしかできなかったけどね。
「……よし」
あとちょっとだったデータ整理をささっと終わらせてパソコンを閉じると、丁度彰良が風呂場から出てきた。
「湊、お前風呂まだだったのか。先に入ったかと思ったから一人で入ったのに」
「絶対そうするだろうなって思ったから、先に入らなかったの!」
「恋人同士、一緒に風呂に入ることの何が悪いんだ」
「一緒に入ったら、彰良えっちなことするじゃん」
「当たり前だろ」
彰良は不貞腐れたように、しっとりとまだ水気を含んでいる髪を、タオルでガシガシといささか乱暴に拭いている。わざわざ部屋着に着替えてカモフラージュしてまで、俺が彰良と一緒に風呂に入りたがらなかったことが気に入らないようだ。疲れているからか、ストレスの元だった後始末から解放されたからか、今日の彰良は素直に感情をさらけ出している。年上の彼氏として余裕を感じるいつもとのギャップに、俺はさっきからキュンが止まらない。
「今日は寝るだけってさっき約束したじゃん。彰良がズルしないようにっていう俺なりの予防策だったの! どうしても納得できないなら、明日は一緒に入ってあげるから」
「……わかった」
んんんっ‼ 可愛い‼ 少し目線逸らして渋々納得するの、めちゃくちゃ可愛い‼
なんか、ちょっと反抗期の弟みたい……彰良の方が年上だけどね。
はぁ~……ちょっと年下っぽい年上ってなんでこんな可愛いだろ。いつも大人の余裕があると、より愛しさが増す~。しゅき~。
「じゃあ俺、風呂入って来るね。あ、お酒買っておいたよ。帰ってすぐ冷蔵庫に入れたから冷えてると思う。待てなかったら先に飲みながらご飯食べててもいいよ」
「飯もまだだったのか。お前こそ、俺を待たずに食べててよかったのに」
「俺は夜ご飯より先に風呂派だから」
「嘘だろ。ならさっさと入ってこい。俺も待ってるから」
「はーい」
俺の彼氏様、性格まで完璧。
俺は上機嫌で風呂場に向かった。だから、いつもの嫌な予感を察知できなかったのかもしれない。本当に我慢させられるのは、俺の方だったんだ……。
☆☆☆☆☆
「はい、湊」
「いや、だからッんぐ」
「はい、これも」
「まっへ! まぁ、はいっへるはら!」
これはいったいどういうことだ? なんで俺は彰良の膝の上に座らされているのか。なんで彰良から雛に餌をやる親鳥のように、俺が作ったおかずを口に詰め込まれているのか。あ、このじゃがバター美味い。
「んぐ……ってそうじゃない! ちょっと彰良! いい加減に放してよ!」
「あ? 水か?」
「ちっがう‼」
「がう?」
「うっ……可愛い」
「がう?」と言いながら首を傾げるイケメンの可愛さ半端ないぜ……。誰もが認める平凡の俺がやってみな? 変態の烙印を押されるわ。
そもそも、どうしてこうなったのかと言うと、俺が風呂から出てきた時に遡る。リビングに戻ってきた俺を待っていたのは、この短時間で開けたとは思えない数のチューハイやビールの空き缶。普通の肝臓の持ち主なら急性アルコール中毒になりそうな飲み方をした張本人は、新しい缶を開けながらおかずをレンチンしていた。
そんな状況にあっけにとられる俺を抱きあげて自分の膝の上に乗せた彰良は、満足気に頷くと餌付け込みの食事を開始したのだった。
うん、よく分からない。分かっていることは、彰良は酔っぱらっているということだけだ。それも、悪酔いという最悪な酔い方で。
「湊、このジャガバター美味いぞ」
「ありがと。俺の自信作だよ」
「でももっと味濃くてもいい」
「上げてから落とすの止めて⁉ 晩酌用に作ってないから、それくらいの味付けでいいの!」
「湊。はい、水」
「話通じね~」
「水」
「いや、俺水いらないから……んんッ⁉」
急にキスされたと思ったら、合わさった唇の間から冷たい液体が流れ込んで来た。水か?
……いやちょっと待て。彰良、水じゃなくてお酒飲んでたよな⁉
「ングッ⁉ んっ? んん⁉ ンンンンンン‼」
離れない唇にどうしようもなくなって、ゴクリとその液体を飲み込んだ。舌先に残る少しの苦み。飲み込んだ瞬間の喉を焼くような感覚。やっぱこれお酒じゃん‼
「んん、ちょ、あ、きらっ! まっ、んぅ!」
文句を言おうにも彰良は口を離そうとしない。むしろ、俺の手を押さえてまで差し込んだ舌で、俺の舌を弄ぶ始末だ。これだけ酔っててもキスが上手いとか、腹が立ってくるな。
だけど問題はそこじゃない。一番の問題は――快楽に正直は俺の愚息だ。
「ンぁッ‼」
「は、ぁ……よし、勃ったな」
急に与えられた大きな快感に、悲鳴のような嬌声を出してしまった。それのお陰でやっとおれの唇は解放されたわけだが、今度は別のところが彰良のおもちゃにされようとしている。
「アッ、ダメだって、ぁんッ、彰良!」
「何がダメなんだ? ほら、ここはもうこんなに濡れて喜んでるぞ」
「ひゃぅ、ッ、そ、んな触り方、する、ッあ、なぁ!」
緩めの短パンをパンツごとずり下げられて、お尻は半ケツ状態、前は丸出しという恥ずかしい恰好にされただけでも憤死物なのに、くちゅくちゅと卑猥な音をわざと出すように前を弄られては堪らない。溢れ出る先走りを塗り込めるように揉まれる亀頭は、赤くなって卑猥だ。
「もっ、ほんとにッ、ダメだって、ばぁ‼ きょ、はっ、アッ、寝るだけだってッ、言ったぁ‼」
「俺は言ってない」
「嘘つきぃ‼」
確かに! 確かに彰良は言ってない! けど、このままなし崩しにされるのだけは、負けた気がして嫌だ!
「あぁ、湊が眠いのか?」
「んぁっ、そ、じゃないってぇ、ああっ」
「ベッド行くぞ」
話を聞かない酔っ払いは、力が入らない俺を立て抱きにして寝室に連れ込んだ。そしてそのままベッドに放り投げやがった。情緒の欠片もない。
「ぐぇ」
「んー……湊、あったかいなぁ、お前」
「お、重い……」
ベッドに横たわる半ケツで前丸出しの俺に覆いかぶさってきた彰良に、俺は敗北を覚悟した。……というのに、現在彰良は俺をギュッと抱きしめている。俺の上に乗っかりながら。
「彰良……重い」
「俺の湊への愛はこれどころじゃないからな」
「意味が違うぅ」
ちゅっちゅっと顔や首筋やらにキスされるが、そういった雰囲気ではなくなったためか、大型犬に懐かれてる感じしかしない。
「も~! 俺、夜ご飯まだ食べてないんだよ⁉ お腹空いたの!」
彰良が食べていた分の片づけもできていないんだから、何もしないならリビングに戻りた……待て。俺は今、何を考えた?
何もしないなら、なんて……めちゃくちゃ期待してたみたいじゃん!
違うぞ! 今日はしないんだ! いくら彰良が甘えてきたとしても突き放さなきゃ!
「彰良はこのまま寝ていいから、どいてよ」
「嫌だ。まだ湊とこうしてたい」
「じゃあせめて下の方だけでもどうにかさせてくれない? べたべたして気持ち悪いんだけど」
リビングで弄られたままの状態で連れてこられたから、下はべちゃべちゃで悲惨だ。ちょっとひんやりしてるのも嫌。もう萎えてるけど、出してすっきり終了したわけじゃないからモヤモヤとした気分だし……とにかく凄く不快。密着してる彰良も分かってるはずなのになぁ。
「……分かった」
「んひっ⁉ ちょっ、何してッ⁉ ひ、ゃあ、あ、んんッ‼」
のそのそと動いた彰良に、ようやく解放されると安堵したのも束の間。ひやっとしていたソコが熱いものに包まれた。びっくりして上半身を起こして覗き込むと、彰良の形のいい頭がそこで上下に動いていた。
「もっ、やめてって、ばぁっ‼」
「ん……何で? べたべたするって言うから、綺麗にしてやってるんじゃないか」
「アッ、舐めちゃ、ダメぇ、ぁ、あ、ああ、ん……!」
片手で包まれて扱かれながら、敏感な亀頭部分を、アイスクリームを舐めとるように舌先で苛められる。片手は、責められ慣れていない双球をクニクニと揉み込むようにして弄ばれる。
俺は自身に与えられる快感に弱い。今では後ろで快楽を拾う方にハマってしまったため、前を触ることはほとんどなくなった。その影響もあってか、ソコは更に敏感になってしまい、彰良が前戯でフェラしようとしても止めるくらいだ。なのに、油断したっ!
「も、でちゃうっ! でちゃうからぁ!」
「放して」とお願いしても、放すどころか咥えられてしまった。舌が唾液を絡めるように舐めてくる。あまりの快楽に、ソコが蕩けそうだ。
「あっ、あぁ、ん、く、あぁあああ――‼」
力の入らない手で彰良の頭を押そうとしても、その髪をくしゃくしゃと乱れさせることしかできない。結果的には手は彰良の頭に添えるだけになり、俺は抵抗空しく限界を迎え、その熱い口の中に出してしまった。
「ん。濃いな」
「は……はぁ……ばかぁ」
射精後の気怠さで持ち上がりにくい腕を何とか上げて、抗議の意味でその頭を軽く叩いた。
「そんなの飲まないでよぉ」
「お前はいつも俺の飲んでるだろ。そんなのズルいじゃないか」
「意味わかんない……」
ほんと、酔っ払いはやることも言うことも意味が分からない。これ以上酷くなる前に逃げよう。
この一週間、彰良が耐えられないからって触れ合いすらもしてなかった身体は正直なところ、期待に疼き始めている。
「おい、どこ行くんだ」
「ぐぇ」
パンツとズボンを引きずり上げてベッドから降りようとしたら、背後から両腕が腰にまわってきた。一歩遅かった……。
内臓が出そうなほど、ギュッと絞められてそのままふかふかベッドに逆戻り。背中に当たる男らしく筋肉がついた硬めの胸板に、俺は諦めを決意した。
もうダメだ。何をしても、抵抗するだけ無駄だ。やーめた。
「湊、お前はもっと食べた方がいい」
「そうだね。そう思うなら夜ご飯食べに行かせてくれない?」
「筋肉もつけた方が……いや、湊はこのままでいい。杉浦みたいにマッチョになられても困る」
「いや、どんなに頑張っても俺は杉浦さんみたいにはならないから」
杉浦さんは彰良の友人で、大学時代の俺の先輩でもある。就活が終わって暇を持て余した杉浦さんは、ジムに通い出したことで筋トレにハマり、元々の体格の良さも相まって今では立派なゴリマッチョだ。
「杉浦さんかぁ。俺もジム通おうかな……」
「ダメだ。ジムに行ったらお前なんかライオンの巣に放り込まれた兎。あっという間に襲われるぞ」
「そんな大袈裟な……んぁ!」
「大袈裟なものか。シャツにこの可愛い乳首が浮き出れば視姦され放題だ」
よく分からないことを言いながら、乳首を弄るのはやめてほしい。なんで酔っぱらっているのに性技だけは上手なままなのか。
「ぁん、や、あっ、ひ、はぁッ……」
「この細い腰も、形の良い尻も、スポーツウェアだと丸わかりだ。他の男どもに視姦されに行くのを俺が許すわけがないだろ」
「あ、も、やめっ、ぁん、ひゃあっ⁉」
乳首に与えられる刺激に耐えていたら、不意打ちでお尻を掴まれた。ごろっと転がされてうつ伏せにさせられる。無防備になったお尻を、彰良は両手で揉み始めた。
「マッサージとか言って触られたら……俺は触った奴を殺すかもしれない」
「い、今揉んでるのは、彰良だろっ!」
「だがお前の尻は敏感だから、触るだけでも感じるんだろ?」
「そ、れはっ、んッ、彰良が、変な風に触るから、ぁ、だろっ」
マッサージはそんな風に触らない! 詳しくは知らないけど、絶対にそんな、穴を広げるような揉み方はしないだろ!
「もっ、無理ぃ! 彰良ぁ、入れて……!」
実は彰良が我慢できなかった時のためにと、お風呂の時に後ろは準備していた。一応中を綺麗にしただけだから、できるだけしなくてもいいようにとは思ってたけど、こうなったらもう自棄だ。俺も煽られてしまっているし、彰良に変に弄られてしまったからもう疼きが収まらないところまで来ている。俺の完敗だ。
「湊、お前の尻、柔らかいな……ずっと揉んでたくなる」
「も、いい加減にッ⁉」
俺が負けを認めているというのに、彰良は聞いてすらいなかった。猫のように、もみもみと俺のお尻を揉んでいたかと思ったら、ぽすっという衝撃と共にお尻に重みを感じた。
「へ……? あ、彰良?」
「…………」
「う、うそ……」
ね、寝てる! 俺のお尻を枕にして寝てる! 嘘でしょ⁉
「彰良! 彰良ぁ‼」
「う、ん……」
必至に呼びかけても返事はなく、少し唸ったかと思ったら、俺の腰に腕をまわして固定して自分の頭の位置を調整しただけだった。
「っ……人の尻を枕にするなぁ‼」
☆☆☆☆☆
翌日、怒りと羞恥で真っ赤になった俺に土下座する彰良の姿があった。
「悪かった」
「誠意が感じられない」
「すいませんでした」
「まだ」
「……ごめんなさい」
「……本当は今日、彰良の好きにさせてあげようかと思ってたんだ」
「っ湊……!」
顔を上げた彰良の目に宿る、俺に許されたという安堵と、俺を好きにできることへの情欲。
「でも、それはお預けする。彰良は今日一日、俺が良いって言うまでそういう意味で触っちゃダメ」
「そ、そんな……」
「分かった?」
ギロッと俺に睨みつけられた彰良は、いつものかっこいい姿とはかけ離れた、怒られた犬のような情けない顔で小さく返事をした。
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