7 / 9

番外編 降り積もるは 前編

雪が降っている。 夜の帳と暖色の照明が漏れる窓を背景に、ふわふわと羽毛に似た白い塊が天から降りてくる。 窓の外を眺めているのは神経質そうな顔つきの男性だ。肩まである黒髪をハーフアップに纏め、眼鏡の奥には紫色の切れ長の目がある。その目の下には薄く隈が出来ていた。研究室に籠るとすぐ寝食がおざなりになる。 普段着にも頓着がなく、シャツとベスト、スラックスだけの姿だが、天井についたファンのような魔具により、暖炉で温められた空気が家中に満ちていた。 魔術師オーベリウス・ラインハルトには造作もないことである。 オーベリウスはカーテンを閉めて 「やはり来ないか」 とバリトンで独りごちた後、灯りを消そうとランプに手を伸ばす。 しかし、表でドタバタと物音がして、オーベリウスは手を引っ込め玄関に向かった。 鍵を開け、扉を開くと 「わあ、あったかい!」 と寒さに顔を真っ赤にした少年がぱっと笑顔になった。マフラーやイヤーマフ、毛織物のダッフルコートには雪が薄く積もっている。 「先生こんばんは!遅くなってすみません、えっと、これお土産です。それから」 「先に入りなさい」 オーベリウスは扉を閉めかけ、少年に中に入るよう促す。少年は慌てて中に飛び込み、そのままオーベリウスに抱きついた。オーベリウスは別段驚くこともなく、あやすように背中をポンポンと叩きながら扉を閉めて施錠する。 1年前より背が伸び、オーベリウスの肩まで上背がある。黒髪と紫色の目は宮廷魔術師によく見られる特徴だ。しかし丸みの残る輪郭とくりくりした両の目に幼さが残る。 史上最年少の宮廷魔術師、マーカス・デュノワは、今日16歳の誕生日を迎えたばかりだった。オーベリウスは弟子に尋ねる。 「本当に来てよかったのか?家族の元には帰ったのかい」 「はい!沢山ご馳走してもらったから、先生にもお裾分けを持ってきました。リーフェルトにもお祝いしてもらいましたよ!」 リーフェルト王子にはループタイを賜ったらしく、留め具の青い石を見るやオーベリウスは舌打ちしそうになった。簡単ではあるが、護りのまじないがかけてある。オーベリウスならもっと強力なものを作れるし、マーカスなら尚のことだ。 しかしマーカスのことだから、親友からの贈り物を素直に喜び受け取ったのだろうと予想する。 また、青い石はリーフェルト王子の瞳の色だ。この国では自分の目の色と同じ石を贈るのは"私はあなたを見つめている"という意味を持つ。"あなたを見守っている"というニュアンスで親しい人間や我が子に贈ることが多いが、恋人同士の愛の告白でも用いられる。 どうもあの王子はマーカスを独占したがる節があり、オーベリウスも彼から向けられる言動の端々にそれを感じていた。 しかしオーベリウスが不機嫌になる理由は別にあった。 オーベリウスは、マーカスへの贈り物を用意していなかったのである。 もちろん本人に何か欲しいものはないか聞いたが 「先生が選んでくれたら何でも嬉しいです!」 と返ってくるばかりで頭を抱えた。家族と呼べる人間はいまやいないし、友人や恋人もいた試しがない。贈り物をする相手もその相談相手もいなかった。あれやこれや考えるほど何を贈ったらいいのかわからなくなり、マーカスに誕生日は城や家族の元で過ごすから会えるかわからないと言われた時はむしろ安堵したほどである。 だがなんとなしに、マーカスがこうしてやって来る気もしていた。そうでなければ地下の研究室かベッドに潜り込んでいたところである。 マーカスはコートを脱ぎ、暑いくらいだとカーディガンも脱いでシャツだけになる。 そして茶を淹れて、オーベリウスとテーブルについた。フルーツをたっぷり入れて焼き、アイシングをかけたケーキを切り分ける。これも家族が作ってくれたとニコニコしながら言う。料理屋をやっているだけあって美味だった。茶もオーベリウスが好むもので、マーカスの誕生日なのにと思うと居た堪れなくなり、遂に切り出した。 「すまない、贈り物を用意できなかったんだ」 オーベリウスが言うと、マーカスはキョトンとして 「えっ、気にしないでください。お忙しいのでしょう?」 寒くなると、研究費を稼ぐためリウマチの鎮静剤だの風邪薬だのの処方で忙しくなる。ストックは寒くなる前に作っているものの、すぐ切れてしまうのでそのたび作らなければならない。 「忙しいのは王子や君のご家族も同じだ。私は・・・君の恋人なのに」 マーカスは頬を染める。 「じゃあ・・・"おめでとう"って・・・それだけでいいです」 オーベリウスはその一言も言ってなかったことに気づき、迂闊さに頭を掻きむしりたくなった。 しかし、深くため息を吐くだけにとどめ、マーカスの手を取る。 「誕生日おめでとう、マーカス」 マーカスの目を真っ直ぐ見て微笑みを浮かべる。マーカスはますます顔を赤らめ目を潤ませた。乙女のように両手で顔を覆う。 「うわぁー・・・かっこよすぎて・・・うわぁ・・・先生・・・好き・・・」 オーベリウスの頬が緩む。正直に感情を現すところがマーカスの美徳だ。 「ところで、帰るなら送って行くよ。雪は」 「あ、泊まって・・・いきます」 マーカスはそろりと手を挙げる。 「駄目ですか?」 「いや、構わないよ。着替えを」 「持ってきました」 「ご家族には」 「連絡してあります。それに、僕はもう成人しているんですよ」 食い気味に返答するマーカスに、最初なら泊まっていくつもりだったんだなとオーベリウスは苦笑する。この国では16歳から成人とみなされるが、背伸びするあたりはまだ子どもだなとオーベリウスは微笑ましく思う。 「わかったよ、片付けるから着替えてきなさい」 「あ、僕も」 「いいよ。誕生日なんだから。ゆっくりしていなさい」 マーカスの頭を撫でれば、はい、としおらしくなり寝室に入っていった。 オーベリウスが水を張った洗い桶に食器を入れ、寝室に入ると、マーカスは寝台に腰掛けていた。オーベリウスを見るとビクリと肩を跳ね上げる。 「どうしたんだい」 オーベリウスはマーカスの横に座る。マーカスはうつむいて、口を開きかけてはつむることを繰り返し、オーベリウスの方を向くと口に唇を押しつけてきた。突然のキスにオーベリウスは目を丸くする。 マーカスは泣きそうになりながらオーベリウスを見つめる。 「先生・・・僕、もっと先生と」 今度はオーベリウスがマーカスの唇を塞ぐ番だった。マーカスの肩を抱き唇を柔く食む。 「これでいいのかな?」 マーカスは「え」とか「あ」とか言葉にならない声を口の中で転がしながら、頷いた。オーベリウスのシャツを握り、もっととねだれば抱擁と口付けが返ってきた。 唇を重ねるたびにそこは湿り気を帯び、水音を響かせるようになってきた。舌を重ねお互いの味を確かめ合う。心臓の鼓動が大きくなって下半身が重くなるが、頭の中はふわふわとした心地だ。銀の糸を引きながら口を離す。 「マーカス、止めるなら」 「嫌です。どうなってもいいから」 マーカスはオーベリウスにしがみつく。 「・・・知らないぞ」 唸るように呟くオーベリウスに、マーカスは押し倒された。眼鏡を外したオーベリウスの切れ長の目は鋭くなりいたいけな少年を射抜いた。いつも冷静なオーベリウスが覗かせた雄の顔に、マーカスはゾクリとする。初めての行為の恐れからではない。 いつもオーベリウスの関心は魔術の勉強や研究に向いていた。智に隷属していると言っても過言ではないオーベリウスの視線も意識も、そして情欲も全部自分に向けられている。 マーカスは満ち足りた気持ちになって陶然とした笑みを浮かべる。そしてオーベリウスの背に腕を回すのであった。

ともだちにシェアしよう!