1 / 19
インサイド・ツリー #1
最悪、最悪、最悪。クリスマスなんて最悪だ。
無駄にざわつく人混み。街中に垂れ流される呑気なクリスマスソング。イルミネーションだのデートだの、どこもかしこも浮かれきったこの空気。
仏教と神道の日本で、この盛況ぶり一体はなんなのか。
クリスマスそのものに悪態づく久遠雪雄 は、商業デパートの中庭に煌めきながら鎮座するクリスマスツリーの足元で、忌々しくその腕を払った。
「離せよ!」
実際は払おうとした――のだが、雪雄を捉える男の手はくっついたように離れない。
なんなんだこいつは。
周囲の視線を痛いほど肌で感じながら、、頭ひとつ高い男の顔を睨みつけた。
こちらを見下ろす男前は、こんな状況でなければ視線を奪われるほど好みにジャストミートだ。
少し粗野な印象を受けるファーフード付きモッズコートに覆われた体は程よくガッチリしていて、無駄を削ぎ落した黒い狼を思わせた。
揉み合いで僅かに乱れた前髪は精悍な男にセクシーさを上乗せしている。
しかし生憎だが、今はこの男前に構っている場合ではない。
遠くから聞こえてくる聖歌隊のクリスマスキャロルに、雪雄は舌打ちした。
雪雄には時間がない。
突然別れを告げてきた恋人にヨリを戻して貰いに行く最中なのだから。
年上の恋人は雪雄を温かく包み込んでくれるような男だった。
それが今日。会社から帰宅したと同時に自宅で待ってもらっていた彼から告げられたのは
「ごめん。冷めてしまったんだ」
という別れの言葉だった。
余りのショックで雪雄は固まった。流れるように進む別れ話についていけず、気づけば恋人の背中を見送ってしまっていた。
急な展開で頭が追いつかず、小一時間は茫然としていただろうか。しかし時間が経つにつれ、じわじわと実感が湧いてきて――そこでようやく家を飛び出したのだった。
どうして。いつから。何が悪かった。
問い詰めたいことで一杯なのに、まだ何も聞けていない。
恋人好みの綺麗めなチェスターコートを引っかけ、ひたすら駅へと走った。日の落ちた街はクリスマスムード一色だ。陽気な空気が漂う中、雪雄は足を動かし続けた。
彼のマンションに行くには電車の線を一本、乗り換える必要がある。
駅直結デパートの前を通れば最短ルートで私鉄の入口に着くのだが、デパートの玄関付近の人混みに思わず唇を噛んだ。
今日に限ってクリスマスの野外コンサートが催されているようだ。壇上に立ち並ぶ聖歌隊とそれを見る観客でごった返している。一応、導線は確保されているものの澄み渡るクリスマスキャロルに途中で足を止める客が多く、常に人が停滞している。これでは容易に駅に入れない。
道を遮る人混みに舌打ちし、雪雄はデパートの中に足を向けた。
予定していた入口に回り込んでいくこともできるが、それでは時間がかかりすぎる。
一階の宝石売り場を冷やかす客の波に揉まれつつ、中庭を抜けた先にあるデパート直結の入口を目指した。
中庭の中央には、目玉のクリスマスツリーが夜空に向かって高く聳えていた。
頂きに座るのはお馴染みの星ではなく、天に祈りを捧げる天使の像であることが変わり種のツリーだ。
このデパートでは毎年の冬のシンボルとなっているが、外に出なければ近くで見られないので寒さを厭う客には避けられがちだ。多少の遠回りでも人込みを避けた方が早く着くだろう。
加えてこのデパートでは十年以上同じツリーが飾られているため常連の客には目新しさがなく、この中庭は常に人がまばらだ。
小洒落たタイルを踏むと、外気の冷たさが頬が刺した。
息を乱しながら植え込みの間を通り抜ける。無数の蛍を纏わせるようなイルミネーションの光で煌々と輝くツリーの前をよぎり――その途中で、誰かと肩がぶつかった。
「おい」
直後に二の腕を取られて振り向く。
その先にいたのが、この男前だったという訳だ。
「糞ッ。悪かったって言ってんだろうが!」
「……その言い方はちょっとないんじゃないか?」
振りほどこうと藻掻いても中々離れない男の手に、苛々が募る。
言葉に反して冷静な男前の顔を見ても、今は急く思いに駆られていて優しい言葉が出てこない。
「いい加減、離せよ!」
腹立ちまぎれに、がら空きになっていた男の脛を軽く蹴る。流石に驚いたのか、目を見開いた男の手が緩んだ。
よし! と思った矢先。自らの蹴りと急に外れた手によって、雪雄の体勢が崩れた。
後ろに倒れていく視界の中、周りの光景がやけにスローモーションに見える。
そのさなか、咄嗟に出た手が、何かを掴んだ。皮膚に伝わる、ちくりとした触感。
やばいと思ったが後の祭りだった。
昔ながらの古いクリスマスツリーは雪雄の体重によって簡単に引っ張られてしまう。
中庭に出ていた他の客からだろう、ひきつった悲鳴が上がった。
揺れる視界の中、焦った表情の男が周りの出来事にも眼中にない様子で、こちらに手を伸ばす。イルミネーションの光で美しい頬のラインが浮き彫りになった、男前。
こんな時なのに、やっぱこいつの顔好みだわ、と呑気に思った。
クリスマスキャロルのリズムに合わせて、ツリーの頂点が傾いていく。
――かに思えたが。
シャン! と鈴の鳴り響く音と同時に、傾きが止まった。
「あれ」
その声にハッとする。
気づけば周りの景色が、がらりと変わっていた。
ともだちにシェアしよう!