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ヒイラギの世界 #10
「僕らで天使様を起こせるくらい最高のパフォーマンスを披露すればいいんじゃないかい!?」
「ニック! 私それ、すっごく素敵なアイディアだと思うわ!」
「ちょちょちょちょちょちょっと待ってくれ! パフォーマンスってそれアンタたちの仕事じゃ」
「遠慮はなしさ! 折角このパーティに来てくれたんだ! 僕らも力になるよ!」
「大丈夫! 初めてでも私たちが全力でサポートするわ!」
そういうことを言ってるんじゃない。
「とっておきの魔法をかけてあげようじゃないか!」
「レッツ・ショータイム!」
ちくしょう、全く話を聞いてくれない。
ニックとリジィが同時に指を鳴らすと、軽快なクリスマスソングが駆けだした。周囲からワッと歓声が上がる。ああ、俺もあっち側になりたい。
興奮で満ちた氷の湖上に、トランペットとサックスが嘶き合う。ギラつくミラーボールから溢れるレーザービームが夜空を裂いた。
ぼうっと突っ立ったままの雪雄と一星の前を、機敏な足捌きでジャイブを決めるニックとリジィが氷上を滑っていく。
「さあ!」
「一緒に踊りましょう!」
いやいやいや。無理無理無理無理。
「二人とも!」
「シャイにならないで!」
すれ違いざま、リジィが投げキッスを寄越すと同時に、雪雄の手足が勝手に動き出した。ギョッとする間もなく、視界が驚異的なスピードで移動していく。
慌てて視線を落とせば、いつの間にか雪雄の足には真っ赤なスケート靴が履かされていた。
驚く暇もなく、同じように体を動かされたらしい一星に腰と手を取られる。一星の方は緑のスケート靴のようだ。
「ユキ。こういう時は諦めも肝心だと思う」
「アンタの度胸、一割でいいから分けて欲しいよ!」
「でも今まで俺が見てきたユキなら、こんな風に強制されなくても最終的には自分なりに頑張って踊ってたと思うぞ」
「どういう買いかぶり方されてんだよ俺は……」
この会話の間も体は勝手に動き回り、腰を補助されるだけのバク転を生まれて初めて決めた。それもスケート靴で。
終わった途端へたり込まないか心配ではあるが、人生初の感覚に少し――いやかなり感動してしまった。大人になってから、こんなに体を動かすことがあっただろうか。
内側から温まっていく雪雄の全身を、冷たい空気が切っていく。森林の爽やかな空気と僅かに紛れる甘いココアの香りが鼻腔を通り抜けた。
巨大な雪の結晶のマークに光り輝く銀盤の上をスケート靴の刃が削っていく。その音がたまらなく心地いい。自然と唇の口角が上がってしまう。
視線を上げれば、涼しげな黒い瞳を星明りの夜空のように煌めかせた一星がいて、胸が跳ねた。寒い中運動をしているせいか、その顔はほんのりと赤く色づいている。
「まあ、たまにはこういうのもいいか」
だから、ついそう零してしまったのも仕方がないと思う。
「違いない」
雪雄と同じように口許を緩めた一星がそう答えると同時に、底抜けに明るい音楽がクライマックスに向けて駆け上がっていく。
視界が回り、頭上で吊るされたイルミネーションの光も一緒に回った。
「イッツ・クリスマスタイム!」
ニックとリジィの貫くような掛け声とともに、音楽が最高潮を迎えた。
星屑で満ちた夜空に眩い光の華が咲いていく。派手に舞い散る紙吹雪の中、盛り上がる観客。
クライマックスと同時にキュッとスピンを終えた雪雄は完全に息切れ寸前だったが、不思議な心地好さに包まれていた。
「二人とも最高だったよ!」
「ええ! とってもハッピーでワンダフルだったわ! 笑顔もなんて完璧なの……ってオゥマイ! あそこを見て!」
雪雄たちを褒め湛えていたニックとリジィだったが、言葉の途中でリジィが何かに指を差す。
一番近くにいる小人のサンタ帽の上に、手を叩いて喜ぶ天使の姿があった。
眠そうにウトウトしているが、それでも雪雄たちの姿を深緑の瞳に焼きつけるように見つめている。
雪雄と一星が恐る恐る近くまで滑り寄っても逃げる様子はない。雪雄の両手が、ゆっくりと天使に向かう。
遂にこれで終わるのか。少しだけ名残惜しさを感じながら天使に触れる――寸前で、天使が少し悲しげに笑った。びくりと指が震える。
『ごめんね』
シャン!と 鈴の鳴る音と同時に、世界が暗転する。
瞬きすれば、またあのスノードームが目の前にあった。
天使を逃したことを惜しむ間もなく、雪雄と一星はスノードームが映し出す映像に絶句する。
――うわあああっ! なんで、お父さん、お父さん……!
――イヤだ、こんなのイヤだよう。
――ごめんなさい、ごめんなさい。俺のせいだ、ごめんなさい!
小学生の雪雄が雪の上で倒れ伏す男に縋りついていた。降り積もった雪には少なくない量の深紅が滲んでいる。
今年もデパートのクリスマスツリーが見たいと騒いだ雪雄のために出掛けた結果がこれだ。ブラックアイスバーンで突っ込んできた乗用車は確実に父の命を奪っていった。
父によって咄嗟に突き飛ばされた雪雄はかすり傷ひとつなく無事だったが、もし自分があの時わがままを言わなければ父を失わずに済んだかもしれないという可能性は、小さな子供の胸を蝕んでいく。
酸鼻極まる光景の中、半壊した車のラジオからは澄みきったクリスマスキャロルが鳴り響いていた。
クリスマスなんて、最悪だ。
「ユキ」
呼ばれて、ヒイラギのオーナメントの前に戻って来ていることに気づく。
尖った葉に包まれた実の赤さが、やけに目についた。
「……俺はこんな時に何を言ったらいいのか分からないが、その」
「じゃあ何も言うな」
断ち切るように言い放って、後悔する。
視界の端で目を見開いたまま息を呑む一星の姿が映っていた。
「悪い。ちょっと一人にしてくれ」
「ユキ」
雪雄の腕を掴もうと伸びた手を、触れられる寸前で払いのける。
ツリーの下でこの男と出会った時これが出来ていれば、こんな無様な気持ちにはならなかっただろうに。
「今、余裕ないんだわ。後で合流すっから」
そう言い残し一人、先を進む。一星が追いかけてくる気配は無かった。
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