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第28話 縁結と祀竜 其の一

 やがて。  (りょう)が甘味を食べ終わり、淹れて貰った香茶をゆっくりと何杯か飲み終えた頃。  紫雨(むらさめ)もまた簡単な肴をつまみに、亡き妻によく似た姿の桜香(おうか)()いで貰いながら、神澪酒(しんれいしゅ)を堪能し、三人でたわいもない話をしていた頃。  桜香の身体がほのかに光りはじめて、存在(ある)べきそのものが薄くなる。  彼女の頬に流れるのは、一筋の。  涙。 「……よかった」  本当によかった、と桜香は幸せそうに療と紫雨に向かって微笑むのだ。    真竜が姿を保つ最期の瞬間を、療はいつも愛しく思った。  これまで幾多の真竜を『中』へ返してきたが、彼らはどんなに憎しみや悲しみ、後悔、もしくは愛しさに溢れながら最期を迎えても、療の元へ還る瞬間だけは、何処かへ帰りたかった故郷にやっと辿り着いたような、とても穏やかな表情を浮かべるのだ。  それに寄り添い、最期の思いをちゃんと聞いて、療は還す。  また生まれておいでと、彼らを『中』で浄化させ、真竜の輪廻の中へと送り出すのだ。 「私、必ず(かえ)ります。いつか必ずここに。だって……竜紅人(りゅこうと)様ばかり、香彩(かさい)様に愛されるのは狡いですもの」  桜香はそう言うと、何故か紫雨の方をじっと見つめる。  その視線の持つ雰囲気に療は心当りがあった。そして紫雨も思い当たることがあったのだろう。一瞬息を詰めていたが、すぐに小さく嘆息する様子が分かった。  そうその視線は。  よく香彩が、いたずらがばれた時にする視線だったのだ。 「ですから還りましたら、よろしくお願い致します」  お祖父様。 「……おじい……」 「さま……?」  彼女の言葉にふたりは、何のことだとばかりに顔を見合わせる。  桜香の身体はやがて光に包まれて、手の平程の大きさの光の玉へと変化した。  療は両方の掌でそっと包みながら、抱くように護るように自身の胸に納めると、やがて静かに消えて行ったのだ。  その刹那。  光の玉を納めた場所から、ふわりと雨混じりの六花(りっか)が溢れ出した。  雨の()雪の()の漂う、濃厚な神気が部屋の中を支配する。 (……どうして……)  療は紫雨を見る。  紫雨もまた何故だとばかりに療を見る。  おそらく桜香の光の玉を、媒体にしたのだろうか。 「(えにし)、よの。雪の」 「その前に療様の御前だ。挨拶が先であろう、水の」 「お前に言われんでも分かっとりゃ! 雪の」 「さぁ、どうだかな。水の」  ふたりは言い合いを始めながらも、療に向かって一礼をする。 「……どうして、お前達が……?」  本来であれば彼らは国の祀り事で召喚されなければ、姿を顕すことのない存在、二体の真竜だったのだ。    雪の、とは漆黒の髪に瞳、黒づくめの着衣を着た、雪神(ゆきがみ)と呼ばれる者。  水の、とは雪神と対のような銀の髪に瞳、白づくめの着衣を着た、水神(みずかみ)と呼ばれる者。水神は雨を齎す真竜の為、別名、雨神(あまがみ)とも呼ばれている。  どちらも雄竜であり、今は青年の人形(ひとがた)を執っていた。    その正体は、春の訪れと生命を司る、雪竜(せつりゅう)水竜(すいりゅう)だ。  雨神(うじん)の儀と呼ばれる祀りがある。  早春の六花(りっか)が風花となって地に消え、ひとたびの颶風(ぐふう)春霖(しゅんりん)の雲を呼び寄せると、まどろみのような気候とは裏腹に、肌寒く時折六花の混ざった長雨となる。  雪神(ゆきがみ)雨神(あまがみ)の交替の時期であり、雪神(ゆきがみ)が眠りに落ちている雨神(あまがみ)を、起こしに行くのだとされている。  そして目覚めたばかりの雨神(あまがみ)を迎えて讃え、今年の雨を約束させるのだ。  次の国行事の祀りが、まさに雨神(うじん)の儀であり、時期を言えばもう少し先のはずだった。  準備期間に入ってしまえば、休みが取れなくなるからと香彩が今、まとめて休みを取っていることを療は思い出す。  準備期間を終える頃に、兆しの長雨が降り、雨神(うじん)の儀の吉日が知らされ、召喚を経て初めて、雪神(ゆきがみ)雨神(あまがみ)は姿を見せるのだ。  本来であれば。 「……(えにし)がの、繋がったのじゃ」 「(えにし)が繋がる?」  療は反復して、そう聞いた。 「我々は喚ばれてしまったのです。同じ水の()を持つ蒼竜の分身に」 「……喚ばれたって、まさか……!」  療の言葉に雪神は無言でこくりと頷く。そしてゆっくりと片手を掲げれば、そこには先程、療の『中』に還ったはずの、桜香(おうか)の光の玉があったのだ。 「……我々は春の訪れを告げる真竜なれど、もうひとつ、役目があることは療様もご存じえ?」 「──……ああ」  信じられない気持ちを抱えたまま、療は固い口調で応えを返す。 「だけど……早すぎる!」  桜香は先程還ったばかりだ。  それは竜紅人と香彩のふたりが、通じ合ったばかりだということを意味している。  だから有り得ないのだ。  『縁』が繋がり、雪神(ゆきがみ)雨神(あまがみ)がこんなにも早く喚ばれたことが。 (……それほどまでに強い想いだった、としか言い様がないけど……)    室内に沈黙が降りる。   「──……何が早すぎるんだ? もしも香彩に関することなら、聞く権利はある。説明願おうか」    長く重い沈黙を破ったのは、真竜達の様子をずっと見ていた紫雨だった。     

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