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 鵺歩く夜に月は微笑う

《プロローグ》 榊一族の業 (さかき) 周防(すおう)(40)・・榊一族の現当主 (さかき) 伊織(いおり)(30)・・周防の息子 (さかき) 塔矢(とうや)(17)・・伊織の息子 (さかき) 詩音(しおん)(5)・・塔矢の息子  榊一族はその身の内に「荒ぶる神」を棲まわせる。  その昔、都を恐怖に陥れた(あやかし)がいた。人を(さら)い喰らい、世に(やく)を撒き散らし、(わざわい)を振りかける。人々はその妖を恐れ、法師に助けを求めた。法師の言う通りに、アラガミとして祭り(あが)めていた。  が、時は流れて人々から忘れ去られていたアラガミは悠久の時を経て蘇り、穏やかな世を謳歌(おうか)していた人々を再び恐怖に陥れようとしていた。(蘇らせた人物がいる)  そこに、ある呪術に長けた男が現れる。その男は、風の様な男で世の中がどんな風になろうがかまわぬといった体でおった。  ところが、ある晩、男は何処からともなく現れた白拍子(しらびょうし)と賭けをする事になってしまった。 その賭けとは、アラガミを殺すことが出来るかどうか。  白拍子が今正にアラガミを殺そうとした瞬間、男はアラガミを己が身内に封じ込めた。人の中に封じ込められたアラガミは何とか外に出ようとする。身の内側が焼けるような激痛に襲われ、何度も何度も気を失いかける。  数日間の静かな、だが激しい戦いの末に男はアラガミを大人しくさせる事が出来た。が、アラガミを身の内に飼う男の身体は変わりつつあった。  その肌は透けるように美しく、髪も艶やかな黒髪になったが、男の皮膚も吐息も体液も全てが、人に害を成す毒となったのだ。 (白拍子はいつの間にか消えていた)  アラガミはその内側から男を殺そうとしていた。さすれば、再び自由を得られると。  察した男は、早々に子を作り、アラガミの一部を子に移した。そうしてアラガミは、一族が代々背負っていかねばならぬ(のろ)いとなった。  榊一族の(ごう)である。  榊一族は料亭を持っていた。本日も、夕暮れからその見世(みせ)は開く。 《第一話》 宮永(みやなが) 彩人(あやと)(17)・・東北にある寺の三男坊           呪いの力は兄弟一           護符に雷神を抱える 宮永(みやなが) 咲夜(さくや)(23)・・彩人の兄、京都にて修行中                        宮永(みやなが) 雅樹(まさき)(20)・・彩人の兄、大学生 宮永(みやなが) 澪子(みおこ)(14)・・彩人の妹、中学生 宮永(みやなが) 哲雄(てつお)(43)・・「安永寺」住職 宮永(みやなが) 真子(まこ)(享年32)・・哲雄の妻 末廣(すえひろ) (まなぶ)(24)咲耶の同級生                          東北のある寺では、今日も住職の哲雄が朝のお勤めをしていた。その(かたわ)らには、息子二人がいる。 この寺の次男と三男である。長男は京都の寺で修行中で、大学生の次男はただ今、夏休みで帰省中であった。  二人仲良く並んで座っていると思われが・・。  次男が、何かに気づき真言(しんごん)を唱え、空を切る。と、隣に座っていたと思われる三男の姿が紙に変わった。  その頃、部屋で二度寝三度寝と惰眠(だみん)(むさぼ)っていた三男は、自身の式神が破られた事に気がついた。 「ん?」  瞬間、部屋のドアがバタンと開いた。  いや、次男が蹴破ったのだ。 「彩人っ。朝のお勤めを式神に身代わりさせてんじゃねぇ」  彩人は眠そうに目覚まし時計を一瞥した。 ニヤリと(わら)う。 「今まで、気付かなかったじゃねーか。今更、ガタガタ言うなよ」 「彩人。家の中では(まじな)いは禁止だろ」 「本堂(ほんどう)って、厳密には家じゃねぇだろ」 「ったく。お前はああ言えばこう言う」  ケンカになる二人だったが・・。  そこへ、哲雄がやって来た。 「朝飯だ」  怒りもせずに淡々と言う父親に 「ったく。親父は彩人に甘いんだよ」  雅樹は文句を言うが、 「馬鹿ぬかすな。俺は全員に甘いだろうが。昔から、お前らが兄弟喧嘩で壊した家の修理代、請求した事あるか?ないだろ。面倒を起こす天才は彩人だが、物壊しの天才は雅樹だろ。確かに呪いは禁止だが、人に対して使うのが禁止だ。自分のために使う場合は因果応報がある。自分で責任を取れ。だろ?」  したり顔で言い放った。  これには二人も納得の様子で 「まぁ、うちの教育ってそうか」 「だな」 「それで、死にかけた事あるけどな」 「結局、死なずに済んだしな」 「だな」  それぞれ手に持っていた札を仕舞った。 食卓にて雅樹はそう言えばといった体で切り出した。 「彩人。合宿はいつからだ?」 「あ、今日。これから」  彩人は進学校に通っていて、今日から二週間の予定で、近くの山寺で勉強合宿があるのだ。  二週間後。  合宿先の山寺から彩人は榊塔矢に連絡を入れていた。 「すげーよ。この時代にスマホの電波ないんだぜ」 「ああ。それで公衆電話からかけてんのか」 「ここ来るまで、公衆電話の使い方知らなかった」 「それもまぁ、勉強か」 「ところで、合宿の日程が伸びたんだ。先生がやる気出しすぎて、後一週間、ここに(こも)る事になって・・、そっちは大丈夫か?」  彩人は言いにくそうに切り出した。 「・・仕方ないだろ。多分、とは思う」  塔矢の表情は見えないが声は硬かった。 「じゃあ、終わったらソッコーで向かうから」 「ああ」  電話を切った塔矢の表情は暗かった。ふと、周防のいる部屋を見やる。  それから、一週間後に彩人はようやく解放された。  寺のお手伝いさんに再びテレホンカードなるものを借りて、連絡を入れた。 「あ、塔矢、俺だけ・・ど・・」  瞬間、周りの風景がぐにゃりと(ゆが)んだ。  軽く目眩(めまい)を覚えた彩人の目の前に、女の童(めのわらわ)が現れた。彩人はギュッと目を(つむ)り、軽く頭を振った。結界に入ったのだ。何度体験しても、この感覚には慣れない。女の童に手を引かれてしばらく歩いていたが、ふと、女の童が立ち止まる。と、また視界が揺れた。 「うっっ」  気がつくと周防の家の庭に立っていた。  彩人は、手慣れた様子で家の中に入り、周防の部屋の前まで来た。  いつもなら、勝手に扉が開いたりと不思議な事が起こる家なのだが、今日は勝手が違っていた。なんだか空気が淀んで重たい。  その原因を知っている彩人は、部屋の前で軽く呼吸を整えると(ふすま)を引いた。  部屋の主の周防は、肘掛けに右側の体を預けるようにして、座っていた。 (うつむ)き加減なので、表情が読み取れない。ひょっとしたら眠っているのかも知れないと思った。 「うわっ。周防、黒いなー」  能天気な彩人の声に、周防はゆっくりと顔を上げて苦笑いを返す。  彩人は、周防が動いた事に安堵(あんど)した。まだ、大丈夫だ。 「周防、俺、合宿が伸びてさー、今すっげ疲れてんの。なのに、式神寄越(よこ)したろ。俺が結界に入るの嫌なの知ってんのに。それでもって腹減りまくり。なんか食べるのない?」 「・・そうか・・。後で、何でも食わせてやる。・・が、今、俺は動けないんだ」  彩人の好きな周防の整った顔が今日は何だか怖く見える。 「・・うん」 「だから、彩人が側に来てくれ」 「うん・・」  言い、彩人はゆっくりと近づき側に座る。いつもなら、たわいもない話だったり、葡萄やら苺やら何かしら食べさせてくれながら、髪を梳いたり首を撫でたりと枕があるのだが、今日は無い。 「周防・・、大丈夫か?」  周防はゆっくりと瞬きをすると、 「彩人、お前が触ってくれ」  甘く囁いたその声は、通常の人間ならば聴覚に異常をきたす毒の声なのだが、彩人には理性を失わせる媚薬にしかならない。  首の後ろ、背筋から細かい粒子が肌の上を転がる様な感覚に陥る。彩人はその感覚がもっと欲しくなり、そっと周防の頬に触れた。  瞬間。  凄まじい勢いで、畳の上に組み敷かれる。そのまま、首元に噛み付かれ、気を吸われると身体が宙に浮く様な感覚に襲われた。 「ふぅっわぁ・・」  普段は特別意識した事はないが、本当に人間の身体は細胞の塊なんだと認識させられる。  手足の先、毛筋の先まで痺れる感覚は、実際にはそんな事は無いのだろうが、体中の細胞が細かく振動しているかの様だ。 「んっっ。周防・・もっ・・と、ゆっくり・」  彩人は自身の胸元に顔を埋めて、皮膚を舐めるというよりは噛み付いているに近い周防の髪に指を絡めて引き離そうとする。その手をうざったいと言うように掴み、強引に引き剥がすとそのまま彩人の指を口に含んだ。 「いっったぁ。噛ま・・なぃで・・」 (飢えが酷くて・・手加減・・出来ない)  直接頭の中に流れ込んできた周防の意識に気づいた彩人はうっすら目を開け、周防を見やる。直接言葉にのせるためには口を動かさなければならない。(うち)()まわすアラガミを抑える事に全神経を注いでいる周防は、表情筋を動かす事さえ億劫(おっくう)なのだろう。  一見無表情の様に見えるが、その瞳には深い愛情とともに、葛藤や苦悩の色が浮かんでいた。 「いい・・よ。好きに・・して・・」  彩人は、その全てを飲み込みたいと思っていた。自分を抱く時に、アラガミの(にえ)として食事をしているという意識がある周防は、いや榊の男たちは何処か切なげな表情を浮かべている。  胸の突起を強く吸われると自然と背中が仰反る。その隙間に手を差し入れて周防は彩人の体を浮かせると、もう片方の手で膝を割り開いた。切ない涙を浮かべている昂りを弄びながら、彩人の快楽を推し量る。さらに、その奥へと手を伸ばし、硬い蕾に触れ、優しく解きほぐす様に撫でると、フッと柔らかなった。一度離れ、香油を二本の指に(すく)い再び蕾に触れると、今度はゆっくりと押し込んで行く。久しぶりの感触に最初は拒む様に閉じていた肉襞も、優しく、時には円を描きながらの抽送に次第に解れていった。  周防の屹立を飲み込んだ彩人は背筋から全身へと広がる快楽の波に飲み込まれてゆく。優しく、時には激しく揺さぶられるとその淫楽は高まり、果てる事しか考えられない。 「す・・おう。うっんっっ。あっっもう・・イキたい・・」 「()いよ」  一際奥を刺激してやると軽い痙攣を持って白濁を吐き出した。  その時、部屋の障子がスッと開いた。 「周防。俺も一緒にいい?もう限界」 「ああ。おいで」  虚な瞳で空を見つめている彩人は続く悦楽の中にいた。焦点が定まっていないのが自分でもわかる。  塔矢の声が遠くから響いた気がした。 「彩人・・・いいか?」 「・・・んー〜〜・・・」 「いい。そこにいろ。俺が行く」  言うと、塔矢は彩人の肌に手を伸ばす。指が触れた瞬間、空腹だった其処に一気に流れてくる彩人の気。それは甘美で芳潤。舌先で、その強過ぎる愉悦故に瞳に浮かんだ涙を掬い取ると、正に甘露。堪らず自身の昂りを、彩人の湿った柔肉を押し広げながらその中に沈めると、思考を持っていかれるのは塔矢の方だった。抽送を繰り返しながら、快楽の世界に浮遊している彩人の声を聞くと、またぞろ自身の中にある欲求が満たされて行く。  塔矢が離した指の代わりに、また周防がその肌に触れた。  周防と塔矢が一頻(ひとしき)り食事を終えてその余韻に浸っていると、障子が開き伊織が顔を出した。 「風呂の準備が出来た。彩人を連れて行くぞ」  周防と塔矢は目だけで頷く。  伊織が恍惚とした表情を浮かべている彩人を優しく抱き上げた。 「・・んっっ・・・」  切なげな声を漏らす彩人。  湯船に入れてやり、手のひらで掬った湯を肩から優しく流してやると、少し感覚が戻ってきたのか、身じろぎをする。 「んん」 「彩人?わかるか?」  彩人は伊織の問いかけにゆっくりと声のする方へむいた。その瞳に伊織の姿を捉える。 「い・・おり・・?」 「ああ。良いか?」 「う・・・んっ」  返事を待たずにその蒸気した肌に手を伸ばした。どうせ返事は決まっている。  彩人の艶かしい声がこだました。   「腹減った。おかわり」  次の日、ケロッとご飯を食べている彩人を見て、三人は思う。やはり、真の化け物はこの子だと。アラガミの毒をその身に受けて何も影響がないのだから。  と、ポロンと見世の呼び鈴が鳴った。  京都  山寺にてある文献を読んでいる咲耶。  古来よりアラガミの様な存在は其処彼処(そこかしこ)に存在していた様だ。何故、榊の一族だけがその身に受けているのか。引き剥がす方法は無いのか。 「咲耶。もうすぐ夜になる。山の夜は早いから、気ぃ付けよし」 「ん?あぁ」 「しかし、咲耶も物好きや。ウチは山の中腹にあって檀家(だんか)の数も少ない貧乏寺や。何でウチで修行しよう思たんや」  学は手に持った一枚物の着物をそっと咲耶の肩に掛けた。 「家がデカイ寺だからだ。葬儀が立て込んでいる時は、親父は飯食う暇もないからな。そんな忙しいのは、俺の精神衛生に良くないし、生活スタイルも合わない。暇な寺が丁度いい」  学は、真顔で聞いていたが、一気に破顔した。 「あっはははは。お前の、くくっ、其のっ、歯に絹着せぬ物言いが、昔から、ははは、俺は好きなんや。あー、笑った。笑った」  学は一頻り笑い転げた後、咲耶の首に手を回し、自身の方へ引き寄せた。読み物に夢中になっている咲耶はされるがままである。  学はフッと微笑うとその首元に吸い付いた。 「ん。学。読みづらい」  咲耶は、うざったいという様に身を(よじ)る。 「お前の感想はそれか?」 「あと、俺に男趣味はない」 「俺にもその手の趣味はない」 「じゃあ、ヤメロ」 「イヤや。したい」 「矛盾に気がついてるか?」 「矛盾はしてへん。お前にしたいだけや」 「俺はしたくない」 「んー。そうか。なら、これで終いにしておこか」  そう言うと学は、こめかみにそっと口付けてから離れた。 「所で、お前はこの間から何を調べているんや?」 「あー。‥‥学。『アラガミ』って知ってるか?」 東北 宮永家 「じゃ、俺、寮に戻るから」  雅樹は身支度を整えると、居間で朝食を取っている家族へ挨拶を済ませ、玄関へ向かう。と、妹の澪子が追いかけて来た。 「雅樹。もうちょっとゆっくりしていったら良いのに」 「忙しいの」 「もう。彩人が帰って来ないからでしょ」 「別にそう言う訳じゃねえよ。親父も元気そうだし、澪子の顔も見れた。あとは、咲耶の顔も見に行こうと思ってるだけだよ」 「さくちゃんは、京都のお寺にいるんだっけ?」 「ああ。あいつは家に帰って来ないからな。コッチから出向くしかねぇ」 「じゃあ、さくちゃんにヨロシク言ってね。あんまり帰って来ないと顔忘れちゃうって」 「自分でメールしろよ」 「さくちゃんのいる所、電波がないのよ」  玄関の壁に寄りかかり、視線を下に向けて拗ねた様に口を尖らせた澪子の頭を、雅樹はくしゃっと撫でた。 「そうか。わかった。伝えとく。じゃな」 「ん?荒ぶる神々がどうかしたんか?」  学は何でもない事の様に言う。 「知っているのか?」 「何で知りたいんや?」 「アラガミは、人を喰らうのか?」 「誰か居のぉなったんか?」 「・・・」  (しば)し無言のまま見つめ合う。普段なら、こんな風になると、おちゃらけた雰囲気を出す学が珍しく、真意を探る様に咲耶の瞳をジッと見つめている。まるで、瞳の奥を覗こうとしている様だ。  一見、噛み合わない会話は、お互いが何かを含んでいる事の証である。  と、突然。空気が揺れた。玄関の戸が開いて、風が通ったのである。それは客人を意味していた。  現れたのは雅樹である。 「便りもなく訪問してすまん。無礼は承知だ」  雅樹は殆ど、棒読みで学に向かい言い放った。 「本当に、お前の家の教育は面白いな。その明から様な棒読みはせんでええ」 「礼儀としての挨拶はしろと教育されているんでな。人の兄貴に言いよる人間にでも」 「出たな、ブラコン。恋愛は自由やろ。それに、その礼儀の中に、目上の人間には敬語を使えというのは無いんか?」 「人柄による。敬って欲しければ、それらしい態度を見せてもらおう。あと、性格の悪い人間に家族を預けれるほど、俺は薄情じゃないんでな」 「素直やなあ。一見、良い人そうに見える人間の方が悪い奴が多いんやで」  言うと、学は雅樹の頬に触れた。  雅樹は瞬時にその手を振り払う。 「だーから、そういうトコロだよ。俺にまで手を出すんじゃねえ」 「出してへん。咲耶の弟やから可愛がろうと思っとるだけや」 「触んじゃねえ」 「ん?生娘の様やな」 「き、・・・黙れ」  二人のやり取りを黙って聞いていた咲耶だったが、あまりの五月蠅(うるさ)さにギロリと一睨(ひとみら)みした。 「おっと。わしの姫さんがご機嫌斜めになったわ」 「んー。咲耶が姫なのか」 「気に入らんか?」 「まあ、わからなくもないが・・・」  一睨みした咲耶だったが、まだ話が続きそうな気配に面倒臭そうに口を開いた。 「お前たちは固まると五月蝿いな。離れろ」  咲耶の言葉に、学は満足した様にニヤリと嗤う。 「何や。焼きもちか?」  咲耶はうんざりと言った表情をする。 「その手の話からも離れろ」 「あ、あのー。すみませーん。だ、誰か居ませんかー」  学に用意してもらった水菓子を食べていると、玄関から弱々しい声が聞こえてきた。何事かと、出てみると、高校生くらいの少年であった。名前は篠崎純也(しのざきじゅんや)と言い、家は檀家という事で相談に来たと言うのだが、何やら酷く怯えている様子であった。部屋に通し、オレンジジュースを飲ませて落ち着かせる。  話を聞いてみると、ちょうど夏休みで従兄弟の颯太(そうた)が遊びに来ており、夏と言う事で怪談話になったというのだ。そうすると当然、肝試しに行こうという話になり、友達の安代勇気(あじろゆうき)も加わり三人で、出ると噂をされている廃墟に遊びに行ってしまった。そこは高度経済成長期に商業施設だったらしいが、今は廃墟になっているビルであった。  そのビルの屋上にお社があり、商売の神様か何かだろうと、面白半分に祠を開けてしまった。その時、中に入ってる龍神の置物の目が光った気がして驚く一同だったが、きっと月の光の加減か何かだろうと、そのまま暫くその場に留まる事にした。特に何も怪現象が起こらない事で、拍子抜けをしてしまったのだ。が、突然、颯太が叫び出した。 「うわーーーーー」暴れ出し、二人で取り押さえるのも難しく、溜まった泥水の中に入り、その水を飲み出した。 「従兄弟は今は病院へ入院してて、友達も怯えて家を出れないんです。何とか助けて下さい」 「あの青い屋根の家なんですけど、あれ?誰かいる」  家の前に立っていたのは、彩人と塔矢であった。 「彩人。ここで何してる?合宿が伸びたんじゃなかったか?」  雅樹と咲耶は(いぶか)しむ。 「それは昨日終わって、すお」うのトコにと続けようとしたが、皆まで言わせず、話を遮った。 「そうか。勉強は(はかど)ったか?学生の本文は勉学だからな」  咲耶は彩人の頭を撫でながら言った。話の前半は彩人に聞いたものだが、後半は暗に自分達の弟を贄にしている塔矢に聞かせるためのものであった。それには勿論、塔矢も気がついている。が、無言で一瞥を返しただけで、直ぐに純也へ向き直った。 「君が篠崎純也君だね」  純也はこくりと頷いた。 「実は・・」    見世先に立っていたのは、一人の女性であった。  話を聞くと、息子の様子がおかしい。先日、友達と遊びに行ってきてから様子がおかしい。助けてくれないか。と言うものだった。 「それで、君の事を聞いてね。事情を詳しく教えてくれないか?」  話を聞いた塔矢は廃ビルへ向かう。後ろから着いてくる咲耶達を振り返り一言。 「俺たちに任せて頂いても構いませんが」 「いや、頼まれたのはこっちも一緒だから」  と雅樹。 「あの人は関わりになりたくない様ですが」  塔矢が指差したのは、何処か遠くを見つめている学であった。 「帰って良いぞ」  咲耶が言ったが、 「お前が残るんやったら、ワシも残る。それが男気やろ」  返した。  ビルの中に入ると、そこは異様な空気に包まれていた。全員口にはしないが、そこかしこに色々と溜まっているのが見えている。 「良くこれで、何も怪現象が起こらなかったな」 「さぁな。屋上に行かせたかったのかも知れない」  屋上に到着した彼らは、祠を開けた。確かに龍の置物があったが、そこには既に神はいない。  ただ、置物の中に(あし)き霊が入り、拝まれて神格化しつつあった。 「また、面倒な事に」  塔矢は呟くと精神を集中させた。その身体に刺青のような紋様が浮き上がる。  アラガミの印。である。  と、屋上に女の子が現れ、泣きながら迷子になったと言う。  咲耶達はため息を吐いた。 「俺らに通用すると思ったのか」  すると女の子は歪み始めた。辺りに黒い影が集まりその中に溶けると、影は襲いかかってきた。  それをかわす。  咲耶は札と文言(もんごん)を使って。  雅樹も札と文言を使って。  学は数珠と文言を使って。  その状況を見ている彩人に向かい、雅樹が怒鳴る。 「彩人っ。見てないで手伝え」 「えー。これくらいなら兄貴達だけで大丈夫だろ」  と、次から次へと影は現れ始めた。 「塔矢ー。集まって来たぞ」 「彩人。結界にぶち込め」 「りょーかい」  口角を上げニヤリと嗤う。  真新しい紙の上、真新しい筆を走らせる。文言を唱えながら空に放つと、札が止まると同時に全員の姿が消えた。  (かす)かに揺れと目眩を感じた。体制を崩した咲耶を学が支える。 「大丈夫だ」  冷たく言い放つ咲耶に、学は苦笑いをする。 「彩人。一言言え。お前は」  雅樹が文句を言う。 「対応出来るだろ。雅樹」  彩人は窓に近寄り、外を確認する。  誰もいない静寂の世界。 「塔矢。暴れて良いぜ」  彩人が言い終わる前に、塔矢と神格化した悪き霊は屋上の床をぶち破り、下に降りていった。 「今日も元気だな。アラガミは」  暗い穴を覗き込み、呑気(のんき)に呟く彩人であった。  文言を唱えながら、数珠で霊体を切る。と、最後の霊は消えた。学は振り帰り、咲耶を見る。雅樹に解放されていた。近寄り声をかける。 「大丈夫か?」 「大丈夫だと言ったろ」 「ん。そうか」  仕方がないと言う様に苦笑いで答える学に雅樹は若干の苛立ちを覚える。咲耶の事が大事なら言いなりになってばかりいないで時にはガツンと言って欲しい。そんな思いから、 「咲耶。無理すんな。お前は霊媒体質なんだから。好かれやすいし、入られやすいだろ」 「対策はしている」 「だとしても結界の中で動き過ぎると、貧血起こすぜ」 「分かってる。無茶はしない」 「そう言って、無茶す」  その時、雅樹に解放されている咲耶に気が付いた彩人が二人の元に駆け寄って来た。 「咲兄。大丈夫?ごめん、オレ・・」  彩人が申し訳なさそうに聞くと、咲耶は破顔した。 「ああ。大丈夫だ。彩人の結界は完璧だからな」  咲耶の言葉に彩人はホットしたように「うん」と頷いた。 「俺は心配いらないよ。結界に入るのが苦手なのは家の家系だろ?」 「あー、確かに。オレも人の結界に入るの好きじゃない。軽く目眩するもん」 「だろ?一緒だよ」  微笑みながら、彩人の髪を梳く咲耶。  その様子を見ていた雅樹と学は、何やら納得がいかない表情だ。 「この違いは何だろうな」 「まぁ、いつの世も、長男と三男は仲良いもんや」 「学って兄弟いたっけ?」 「いや。一人っ子や」 「このっ・・」  と、ドーンと言う音が遠くから聞こえた。  窓の外を見ると、遠くの街が一つ吹き飛んでいた。三兄弟は思う。 「アレを結界の外の世界でされたらたまったもんじゃないな」 「ああ。確実に死人が出るレベルだ」 「塔矢なら大丈夫だよ」  黒い影と影が(せめ)ぎ合っている。 『ワタシハ・・神ニ・・ナッタ・・・ジャマヲ・・スルナ』 『元ハ只ノ悪霊風情ガ神域ニ触レルナ』 『神々ノ・・・オキテ・・』 『神々ノ縄張リハ不可侵ノ掟カ』 『ソウ・・ダ・・』 『時ニコノ世カタイネバナラヌ』 『ナラバ・・イネ』 『ヌシガ失セロ』  塔矢の手が黒い影を捉える。と、影は暴れ始めた。 『グググ・・・ワタシハ・・神ニーーー神ニ・・ナッッアアアアアーーー』  消えゆく断末魔。 「それより彩人は怪我はないか?」  咲耶は彩人が可愛くて仕方がないという様に首を撫でた。 「うん。俺は大丈夫」 「結界は結界者が自ら解かない限りは、その世界が現実の世界に影響してしまうからな」 「ああ。分かってる。だか」 「だから、彩人には指一本触れさせませんよ」  塔矢が戻ってきた。  先程までの甘い雰囲気が一瞬で消えた咲耶は氷の眼差しで塔矢を見る。 「君は無事か?」 「はい。ご心配には及びません」 「君の心配をしているわけじゃない。弟の心配をしてるだけだ」 「そうでしたか。彩人の心配より先にご自分の心配をされては如何(いかが)ですか?」  塔矢の言葉にカチンときたのは雅樹。 「言われなくても、兄弟の心ぱ」 「いい、雅樹。相手にするな」  睨み合う雅樹と塔矢。  静寂を破ったのは学の陽気な声。 「まあ、そろそろ戻るとするか。なあ、彩人君」 「あ、ああ。うん」 「なあんで仲良く出来ないかな」  彩人が雅樹に文句を言うと、雅樹は当たり前だろうと言う表情をした。 「当然だろ。クソ生意気で憎たらしいが、まあ、一応可愛くないわけでもない弟、贄にされて喜んでる兄弟がいたら阿呆だろ」 「別にそこ俺は気にしてないのに。親父だって気にしてないぜ」 「俺らは気になるの。ったく。親父も親父だよな。榊の一族とどんな関わりがあるんだか知らねーけど、息子を贄に出すなよな。それも末っ子を。いや、別に長兄だったら良いってわけじゃな」 「あ、雅樹。素直に可愛い弟って言えよ」 「口から砂吐くぜ」  現実世界に戻ってきた一行。  彩人が札を回収すると、暗闇から一人、現れたのは・・・。  高校生らしき男の子が近づいてくる。 「勇気君かな?」  塔矢が問う。 「龍神はもう居なくなったの?」 「君達が龍神だと思っていたモノは龍神では無かったんだよ」 「じゃぁ、ここに居たのは何?」  言うと辺りを見回す。それを受けて、 「悪き霊の類さ」 「龍神はどこに行ったの?」 「もう、別の世界に行ったんだよ」 「へー。祀られるだけ祀られて、肝心な時に助けもしないで、祀ってくれる人がいなくなったら直ぐにいなくなるわけか。一体、どんな神様だよっっ」  話していて段々と感情が昂って来たのか、最後の方は吐き捨てる様に叫んだ。  束の間の静寂。聞こえるのは勇気の荒い息遣い。 「お母さんが心配していたよ」  彩人が言うと、顔色が変わった。 「母さんに会ったのか?何処にいた?」  彩人に掴みかからんばかりの勢いで近寄ると、 「ここにはいないよ」 「じゃ、どこに・・」 「ウチの見世に来たんだよ」  塔矢が優しく告げると、瞬間、落胆した。 「成程。ウチの見世の事は知っている様だ」 「俺の母さんは死んだ。数年前の火事でね。父さんと離婚してたから一緒には暮らしてなかったけど、ここに会いに来てたんだ」 「母さんが言ってた。ここは龍神に護られているから大丈夫だって。でも、そんな事なかった」 「君のお母さんは働いてたんか?」  学が聞く。 「ああ。そうだ」 「そうか。ほな、逃げ遅れたんやな。従業員は先にお客さん逃がさなあかんからなあ」 「そうだ。だが、母さんはここの龍神にいつも手を合わせているから大丈夫だって笑ってたんだ。なのに、なのに・・・だから・・・。ううっ・・ううっ・・」  場の空気が揺らぎ始めたのを察して雅樹が勇気に声をかけた。 「勇気君、落ち着いて。君がそんな状態になれば、また悪いものが集まって来てしまう。ここは溜まりやすい場になっているんだ。君もどうやら呼びやすい体質の様だし」 「そんなの・・、知った事じゃない。俺の母さんは、母さんは・・・」  辺りの空気が変わり始めた。またぞろ黒い影が出来始めている。  咲耶は彩人に向かい言った。 「場を鎮めろ。俺があの子のお母さんを呼ぶ」 「え?咲兄、でも」 「いいからっ」 「分かった」  彩人が簡易的な結界を張ると、咲耶は瞬時に母親を降ろした。 「『勇気は小さい頃は体が弱くて、病院にばっかり連れて行ってた。幼稚園の時にスイミングに通わせたんも、丈夫になるからってお医者のセンセに言われたからや。途中からは一緒に暮らせんようなったけど、いっつも心配してたんよ。そやけど、何かあったら心配してくれるええ友達が出来て良かったわ。友達は宝や。大事にして欲しい』」  咲耶を振り向く勇気。 「かあ・・さん?」 「『ホンマにこの子は、どうしょうもない子や』」 「かあさん。だって・・・俺は・・」 「『あんたには見えへんかもしれへんけど、いっつも見守ってるし、時々は側にいるんえ?』」 「時々かよ」 「『当たり前や。生きてる時からそうやったないの。もう高校生や。親にべったりの歳でもないやろ』」 「そっか・・そう、だったね」 「『ほな、もうここには来おへんな?』」 「ああ、わかったよ」 「『家に帰り?』」 「うん」 「『友達の従兄弟の子の見舞いにも行くんよ』」 「わかった」  その足で、学は病院へ行き颯太に取り付いている霊を除霊した。場から離れ弱っているかと思ったが、場所が病院なだけに他の霊達に影響を与えかねないと判断し、早めに対処する事にしたのだ。  除霊が終わると颯太の顔色は良くなり、意識を取り戻した。あとは適切な看護があれば時期に体力は回復するだろうと思われる。  咲耶は学と共に寺に戻り、雅樹と彩人はその足で東北の実家に戻る事になった。塔矢は引き留めたがったが、雅樹の有無を言わせぬ圧力に彩人が折れた。 「彩人。一度家に帰るぞ。澪子と親父にも顔を見せろ。家族なんだから」 「わかった」  塔矢は仕方なしと彩人を見送り、帰路に着く。  家に着くと今年5歳になる息子の詩音が出迎えてくれた。 「とうやー。あやとは?」 「彩人は家に帰ったよ」 「えー。おれも会いたかったのに」 「そうか?また、直ぐ来るよ」 「ほんと?良かった。だって、あやと、良い匂いがするんだもん」 「ああ。だな。美味そうな匂いだ。所で、沙織(さおり)は?今日は様子はどうだ?」  塔矢は詩音を抱き上げた。 「ママは今日はすこうし、げんき。会う?」 「ああ。今日はママと詩音と一緒に過ごすよ」 「うん」  詩音は満面の笑みで頷いた。  相坂沙織(あいさかさおり)。俺が12歳の時14歳の沙織を(めと)った。相坂家から榊に娶った嫁は沙織で二人目であった。  一人目は、周防の嫁の塔子。宮永真子の妹である。  と、ポロンと見世の呼び鈴が鳴った。  見世先に立っていたのは、勇気の母親であった。深々と頭を下げている体は、もう、半分以上透けている。 『本当にお世話になりました。ありがとうございました。  けぇど、ここは本当に不思議なお家やなぁ。前に、生きてる時に主人に誘われて予約をしようと思って電話をかけても一向に繋がらへんし、それじゃあ、直接来よう思っても全然入り口が見つからへんかったんよ。そやのに、今回は気がついたら玄関に立ってたわ。ホンマに不思議なお見世やなぁ・・・』  スゥと消えた。  彩人と雅樹は居間のテーブルに突っ伏した。 「はー。疲れたぜ」 「夏休みが半分潰れた」 「大人って馬鹿ね」  澪子は二人の為に冷たいお茶をテーブルに置いた。 「ん?」  澪子が「だって・・」と続ける。 「何かしらの(いわ)れがあって、やってはいけない事とか行ってはいけない場所があるの。それを守らないから怖い目に遭うのよ。何でそれを子供達に教えないのかしら」  彩人と雅樹は見合わせ笑みを浮かべた。  山寺にて。  帰ってきてから咲耶は布団も敷かず、畳の上に身体を投げ出していた。身体が重くて、指一本動かすのさえ億劫だ。  と、襖が開く。 「咲耶。風呂の用意が出来たで。入れるか?」  学の呼びかけは聞こえてはいたが、返事をするのもダルい。と、そんな咲耶の気配を察してか、学はヒョイと咲耶を抱き上げた。 「疲労困憊やろ。風呂に入れたる。大人しぃしとき」  (ひのき)の湯船の中、咲耶は学に身体を預けている。学は湯を掬い咲耶の肩にかけ流した。 「ホンマに、いつもこない大人しゅうしとってくれたらワシも世話が楽なんになぁ」 「はぁ。くそっ。あのガキ、自分の心配をしろと抜かしやがった。やっぱりもう少し体力が必要だな。雅樹にも面倒をかけるし」  学の事など眼中に無いといった風体なのは相変わらずで、ある意味でいつもの咲耶でホッとする学ではあったのだが。 「雅樹はタッパがあるやろ。咲耶は華奢や。体力もそうかもせぇへんけど、体質もあるんとちがうか?」 「じゃあ修行するしかないな。もっと力をつける為には」 「咲耶。あの榊のトコの(ぼん)はバケモンや。対抗せん方がえぇ」 「俺は長男なんだよ。弟は全力で守る」 「・・言いたないが、咲耶んトコの三番目の坊は、呪い師(まじないし)としてなら・・」 「わかってる。あいつは呪いの力は兄弟一だ。だがな、学。それとこれとは別なんだよ、兄弟ってのは。お前にはわからんかも知れんが」 「そうやなぁ。俺は一人っ子やからなぁ。けぇど、大切なモンを護りたいゆぅ気持ちはわかるぇ、咲耶」  学は咲耶の首筋にくちづけた。 「んっ」  咲耶は身じろぎはしたが、抵抗はしなかった。 「なんや。良いんか?」  学は咲耶の表情から言い過ぎた事にバツが悪い思いをしているのを察して、続けた。 「ほんなら、すこうしな。身体に負担かかる事はせぇへんから。気持ちようしたるだけや」  その肌に指を這わせた。  

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