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巡り巡って。
駅のプラットホームがオレンジ色に染まる時間帯。俺と月城 が使う電車のルートで、一駅だけ滅多に人が降りない駅があった。特急電車も止まらない、寂れた駅。
その日の帰り道、俺は月城に急にトイレ行きたくなった、と訴えてその駅で途中下車した。
オレンジ色のプラットホーム。俺たちの声だけしか聞こえないその場所で、俺は人生最大の勇気を絞り出した。
「――俺、月城のこと好きなんだ。友達じゃなくて、恋人に……なって欲しい」
全身の血が激しく駆け巡るのを感じた。俺より頭一つ分背の高い月城の白い顔がこちらを向く。左耳に付けた校則違反のアメジストのピアスがかちゃ、と音を立てるのが大きく聞こえた。
「マジ、今でも衝撃止まんねえなあ、月城、お前予想できてたか?」
冷房が程よく効いている車内と余裕で空いている座席ににんまりしながら、俺は一足先に席へ腰掛けた月城にそう尋ねる。
「予想も何も、あんな女の恋愛ジジョーとかそもそも興味ねえよ」
「あんな女って、ウチのサークルのマドンナだぜ、遥華ちゃんは。巨乳でロリ顔、性格はノリが良くて盛り上げ上手な遥華ちゃんだぞ? その彼女ができちゃったからとはいえ、結婚するって大分衝撃的だろ。実際、俺とお前以外は彼女のこと狙ってたもんだから、今頃大失恋パーティー開いてるんじゃね?」
「……楽しそうだな、朝比奈 。人の不幸ににやつくとか、性格わりー」
「不幸じゃなくて、幸せだろ。どういう経緯にしろ、遥華ちゃんすっごく嬉しそうに報告してたし。サークルの連中、お祝いパーティー開こうぜって彼女の前では言ってたけど、内心はズタボロでそんな元気なさそうだし、ここは無傷の俺たちが幹事やろうぜ!」
「何さり気なく俺まで巻き込んでんだ。俺は別にあの女を祝ってやりてーなんて思ってねえし、むしろデキ婚とか無計画すぎて引いたし」
「いいじゃんか、ここは素直に祝っとけよ。ほら、遥華ちゃん、サークル入った頃は月城にぞっこんでアプローチしまくってただろ? 今でもお前のことは気に入ってるみたいだし、ここはお前が祝ってやったら喜ぶと思うぞ」
「クソうぜぇ」
仏頂面になってそっぽを向く月城。高校生の時から付けているアメジストのピアス。それが揺れるのを間近でみることが、俺の何よりの幸福なのだと、多分月城は知らない。言うつもりも、ないけれど。
「そんなこと言うなよ、ほら、就活だって始まっちまうし、今の時期にサークルの仲間で楽しめること、したいんだって」
「拒絶してもどうせお前に協力させられるだろうしな」
「あ、やっぱり分かっちゃう?」
「何年一緒にいると思ってるんだ」
「んー、まあ、何だかんだで五年くらいは経つよな」
考え込む素振りをして視線を足下へ落とす。月城の黒のスニーカーよりやや小さい俺のオレンジのスニーカーの爪先は、忙しなく上下に揺れている。
「恋人、になってからは、まだ二年くらい……だっけ」
ぶっちゃけ胸の奥がドキドキしている。二年経っても、この話題に触れるのは俺にとって崖から飛び降りるくらいの勇気が必要だった。
ちらり、と月城の方を向いてみるが、緊張しすぎて、あいつの胸元しか見られない。俺が左耳に嵌めている金色のリング。それと同じデザインのものを月城はずっと胸元に飾っている。家族にも友達にも、もちろんサークル仲間にも言っていない、俺たちだけの関係を示す証だ。
「もう忘れた」
けど、月城から帰って来たのは、俺のドキドキを一気に止める冷ややかな現実。
そっか、そうだよな。恋人になったって言っても、それは俺の独りよがりに月城が付き合ってくれているだけ。そんなの、告白をすぐに受け入れてくれた時から分かっていたことだ。
『……別に、いいけど』
俺も好きだ、という夢物語みたいなセリフは元より期待していなかったし、「気持ち悪い」って一刀両断されることばかり考えていたから、正直オッケーされた時は拍子抜けした。
けど、時間が経てば経つ程分かる。月城は俺に友達以上の感情を持っていないことを。デートと称することはしてみたけど、友達関係だった頃と何ら変わりはないし、キスもそれ以上のことも何もない。もちろん、好きだという言葉さえ聞いたこともない。だから俺も、キスしたい、それ以上のことがしたいと思っても胸の奥に沈めてきたし、好きだという言葉も、あの告白以来一度も口にしてなくて。
ただ月城はぶっきらぼうな物言いだけど、何だかんだで優しいから付き合ってくれているだけなんだ。だから、いつかこの関係は終わる。自然消滅か、月城に本当に好きな人ができて振られるか、その結末は分からないし、予想もしたくないけれど。
「……朝比奈?」
月城の声に一気に現実に引き戻された俺は、慌てて顔を上げて頬を掻いた。
「あ、いやー、大学生活が濃すぎて高校時代のことが結構曖昧になってるなーって思ってただけ! 俺もあんま覚えてねーや、あはは」
「……ふーん」
そう相づちを打った月城は、俺の告白を受けた時と同じく眉一つ動かさない無表情。
仕方ない、と俺は懸命に笑みを作るしかできなかった。
『次は○○ー……特急電車をご利用の方はその次に停車します△△にてお乗り換え下さい』
しばらくして流れて来たそのアナウンスに、いきなり月城が立ち上がった。
「おい、まだ△△じゃねえぞ」
「トイレ」
「は?」
「間に合わなそうだから、次で降りる。来い」
「はあ?! あと一駅だろ、我慢しろよ」
「無理なもんは無理だ。付き合え」
唐突に左手首を掴まれ、強引に引っ張られる。冷たい月城の肌に触れたことによるドキドキが邪魔して何も言えないでいたら、そのまま到着した駅で月城と共に降りてしまった。しかも、俺たち以外の乗客が降りる気配もなく、電車はさっさと次の目的地へ走り出して行く。
「マジで降りるとか、お前、どんだけ膀胱ヤバいんだよ」
じと、と月城に冷ややかな視線を向けながらそう告げたが、月城は線路に目を向けたままぴくり、とも動かない。
「月城?」
「……」
「トイレ、行かないのかよ。もう我慢できないんだろ」
何も言わない。つーか、まるで俺の声なんて一切聞こえてないみたいに固まっている。
ただ、俺の左手首を掴んだままの月城の手がじわじわと熱を発していることに気づいた。
「っおい、月城、いい加減なんか言えよっ!」
苛立ちのままに手を振り払うと、あっさりと解放された。それと同時に、線路に向けられていた月城の藍色の瞳が俺を捉えた。
ふと、気付く。
俺たち以外、誰もいないオレンジ色のホーム。
並んで次の電車を待つ中で、俺が告白したあの日が色鮮やかに蘇る。
「……大事な話がある」
そう切り出したのはあの時は俺だったけど、今は月城で。
俺の脳裏に即座に浮かんだのは、「別れ」の二文字だった。
いつか、こんな日が来るとは思っていた。名ばかりの恋人ごっこを、月城の方から終わりにしようと告げてくる日を。
時期も、まあ、適切だろう。これから就活が始まる時だ。社会人になるにあたって、色んなことを清算しようと考えるのは不自然じゃない。
だから、俺は受け止めなくちゃいけない。笑って、「うん分かった、今日から友達復活だな」って言ってやらないと。よりにもよって、場所が始まりと同じ場所だなんてな。意図があるのかないのか……あまり考えたくはない。
「朝比奈」
「……聞く、からさ。顔はそっち向かなくてもいいか?」
一生懸命明るい声を出したつもりが、既に鼻声になっちまった。ヤバい、と思ったのと、俺の左手首が掴まれる感触がしたのは同時だった。
「こっち、ちゃんと向いて、朝比奈」
耳に囁かれたのは、月城の僅かに上擦ったような声。思わず振り向いた俺の視界で、月城がふっと唇を緩めた。
「不細工になってんぞ、顔」
「っち、ちげーよ、これは」
慌てて手を振り払おうとしたが、今度はできなかった。ぐ、とより強い力で握られ、痛みから思わず「いて」と声が漏れる。
「……悪い。けど、こうでもしないとお前、勘違いしたまんま、俺の話、まともに聞いてくれそうにねえから」
「何、だよ、それ……」
「真剣な話だ。俺から目を離さず、聞け」
ぐい、と掴まれた左手首が月城の顔に近づけられる。少し指先を動かしたら、月城の薄い唇に当たってしまいそうで、更に心臓が痛い程高鳴る。
「な、な、に……して」
俺の言葉は、俺の左手薬指に当てられた月城の唇の感触に消えた。
何、これ。夢? でも、感触がする。一度も触れたことのない、冷たいあいつの唇の。
続いて、更にひんやりした感触が俺を襲い、思わずびくりと体が震えた。
「そんなに怯えるな。地味に傷つくだろうが」
苦笑を含んだ月城の声音に、俺ははっと気がつく。月城の唇が当たっていた左手薬指には、いつの間にか見たことのない銀色のリングが嵌められていた。
「……何、これ」
「結婚指輪、のつもり」
「け、結婚?」
「そう、結婚だ。俺は、お前と結婚したい」
降って来たその言葉に、一瞬、息をするのを忘れた。
「嘘」
「嘘じゃない。ずっと、考えてたんだ。お前とこの先、どうなりたいのか」
左手首を拘束していた月城の手の力が緩められ、その指先が俺の薬指を撫でる。
「お前に最初、ここで告白された時、正直お前と同じ気持ちは持っていなかった。大事なダチではあったが、そこまでの感情はなかった。情けねえ話だが、お前のこと、傷つけたくなくてオッケーしたんだ」
「……っ」
「けど、『恋人』になった途端、俺の中のお前への見方が変わって行った。今までと何ら変わりの無い、ダチの延長線のような関係なのに、同性のお前が女より可愛くて仕方なくて……お前が別のダチと楽しそうに話をしてる時に苛立つ自分がいるのにも、すぐに気がついた。『恋人』っていう経験のない関係に興奮してるだけかと思ってた。けど、一年、二年と時間が経てば経つ程、お前への思いは重みを増して行って……正直、お前に触れたくて仕方なくて、会う度にいつも我慢していた」
「お前が、俺に?」
「ああ。お前しかいねーよ、エロい目で見ちまう奴なんて」
微かに頬を赤らめる月城がびっくりするくらい可愛くて、ドキドキと胸の奥が忙しなくなる。
「けど、お前が何を考えているかも、俺は分かっちまった。お前、ずっと俺がお前の独りよがりに付き合ってるだけだと思ってただろ」
「……っだ、だって、お前、告白した時、全然」
「そうだな、気持ちがなかった。だからお前は俺の気持ちの変化に気付かず、ずっと我慢していた。好きって言っちゃいけない、友達以上のことをしちゃいけないって、ずっと俺の傍で気張ってた」
「……気付いて、たのか」
「だが、俺はずっと言えなかった。俺の気持ちが変わったことを、お前に信じてもらえる自信もなかったんだよ。だから……単なる告白で終わるんじゃなく、お前と未来を見据えた関係になりたいと、そう思った。この先もずっと、今度は『ごっこ』にならない関係になっていこうと。それで、思いついたのが、結婚だったんだ」
月城の手が俺の左手を握りしめ、じっと俺を見据えて告げる。
「朝比奈。俺はお前が好きだ。お前以外の奴と一緒にいる未来なんて、考えられない。だから、俺とずっと一緒にいて欲しい」
「……マジで、言ってんのか」
「ああ。結婚、しよう。親や周囲の奴らを説得したり、世間一般でするような結婚式はできないかもしれないがな。それでも、俺の気持ちは変わらない。歪まないことを、ここで誓う。始まりの、この場所で」
ぼろ、と冷たい感触が頬を伝う。
今まで俺をせき止めていた思いが流れ落ちて、止まらない。笑いたいのに、全然笑えない。
「……っば、ばあーか……お前、っそ、んなキャラじゃねえ、っく、癖に、かっこつけてんじゃねーよ……っ」
ダメだ、いつもの調子で明るく言いたいのに、鼻声だし涙は止まらねえ。
すると、月城は俺の左手を引っ張った。近づいた俺の顔をじっと見つめたまま、その唇が俺のそれに触れる。
しょっぱい。冷たい。でも、あったかい。
「……ほら、朝比奈が泣くから初めてのキスがしょっぺえじゃん」
「し、仕方ない、だろっ、い、今まで、お、俺がどれだけ我慢してたか」
「知ってる。ごめん」
「……っばか」
「ああ。俺は馬鹿だ。だから馬鹿なりに、これからずっとお前に俺の思いを伝える」
「ず、っと……?」
「ああ。死ぬまで、ずっと、な。そのための誓いだろ、結婚ってのはよ」
涙で歪んだ視界の中、月城が柔らかく微笑んだ。
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