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第6話

 少し経った火曜日のことだ。  ベッドでよく眠っていたトウマは、パタンという物音で目を覚ました。ん、と寝返りを打つと、カチャカチャ音がする。それで覚醒した。今のは玄関の扉が閉まり、鍵をかける音だ。飛び起きるとユンユンの姿が無い。慌ててベッドから飛び出して、服を着替えた。時計を見ると時間は23時だ。こんな時間に何処へ、と考えて、まさかと青くなった。  仕事。それも夜の仕事、なのか。頭がその単語でいっぱいになって、トウマは大急ぎでユンユンの後を追った。  白と黒にはっきりと分かれた髪。夜にも関わらず、色付きのサングラス。黒いジャケットに、この寒いのに妙に短いパンツ。そして2mを越える男なのに、ハイヒールブーツをコツコツ鳴らして歩いている。  それが、走り回ってようやく見つけたユンユンの姿である。 (いや、見るからに怪しい~!)  トウマは心の中で叫んだ。外見で人を判断するのはよくないことだが、それにしたって、一目でカタギでは無さそうだと思うに決まっている。まずとにかくデカい。縦に長い。平均的な自販機の高さが183cm。ヒールを込みにして余裕で越えている大男な時点でめちゃくちゃ目立つのに、白黒の髪にサングラス。服装のセンスまで普通じゃない。あんなのを着るのはランウェイを歩くモデルぐらいだろうと、あまりファッション事情を知らないトウマは思った。  よく職質されないな、と近くに有る交番を見たけれど、どうしたことかユンユンのことに気付きもしなかった。あんなにコツコツ言わせているのにだ。もしかしたら猫又の妖力とかそういうのが関係しているのかもしれない、とトウマは思いながら、物陰に隠れつつユンユンを追跡した。トウマのほうがよほど職質されそうだ。  入ったことの無い路地を抜け、行ったことの無い橋を渡り。そうこうする内に帰る道もわからなくなった頃、ユンユンはとある通りへと入って行った。ネオンの輝く、夜尚眠らない街。ウブなトウマにだってそこがなんなのかぐらいわかる。歓楽街というやつだ。 「ゆ、ユンユン~! まさかまだそういう商売を続けて……?」  しかしトウマにはその街に関する知識があまりない。きっと良からぬ、そう、淫らな街なのだろうと恐る恐るその通りを覗き込んだ。夜なのにやけに明るいその通りには、まだ肌寒いにも関わらず露出の高い女性の姿や、スーツ姿の男性たちの姿が有る。立ち並ぶビルの入口には顔写真がたくさん貼られていて、どうしてそんなことをしているのだか、と想像してもトウマは良からぬことばかり考えてしまった。もし、そのうちの一人がユンユンだったら……。そう考えて、ブンブンと首を振る。  そんな生活は止めさせなければいけない、欲しい物が有るなら買ってやれると思うし、いや流石にマンションや車は無理だけれど、『にゅ~る』ぐらいなら好きなだけ買ってあげられるのに。混乱してわけがわからなくなりつつ、トウマは通りをキョロキョロ見渡した。ユンユンの姿が無い。  この店の何処かに消えたか、と考え途方に暮れる。何か手がかりが有るだろうか? いや、白黒のどでかい人がいないかと聞けばすぐわかるような気もする。トウマは意を決してその通りへと脚を踏み入れた。  いやしかし、トウマはとても肩身が狭かった。そこにいる人たちはみな大声で話して笑ったり、体をくっつけたりしているし、それなりにいい服も着ているようだ。トウマはと言えば、その辺に有ったくたくたのセーターと古びたジーンズを身に着け、年季の入ったスニーカーを履いているわけで、場違いにもほどがある。もしかしたらモテない童貞男が勇気を振り絞ってこの街に来たと思われていないだろうか、とオドオドしてしまった。  逆にオドオドさえしていなければ、トウマはそれなりにいかつい顔立ちだったし、話しかけにくい空気も生まれただろう。そうした気弱そうな一面を的確に見抜いて、スーツ姿の男が2人近付き話しかけてきた。 「お兄さん、お店を探してるの?」  チャラそうな男に声をかけられ、トウマは頭が真っ白になってしまった。お店を探すってなんだろう、そういうお店なのか……⁉ 純粋なトウマにはよくわからない。「いい子がいるよ。探してるお店があるなら案内するし」と笑顔を見せてくれるのは少し親切な人のような気もして、トウマは「ああああの」とどもりながら尋ねた。 「白黒の、おかっぱの、すごい大きい男、見なかったですか」  その言葉に男達は顔を見合わせて、それから笑顔で大きく頷いた。 「それならうちにいるから、入ってよ。紹介してあげる」 「ほ、ホントですか、助かります……!」 「ウンウン、お兄さんこういうお店初めて? 大丈夫、リラックスして、うちは初めての人にもサービスするから」  トウマは気付いていなかったけれど、両脇を固められる勢いで二人の男に囲まれ、さあさあとビルの中へと促される。煌びやかな看板と、そこに並ぶ顔写真、そしてその奥の、エレベーターに続く妙に暗い通路。なにかそれが、地獄の入口のような雰囲気がして、トウマは思わず立ち止まろうとする。それをまた男達が進ませようとした。 「アナタたち」  その時、トウマは背後からむんずとセーターの首根っこを掴まれた。そのまま引っ張られて、うわわと声をあげ姿勢を崩すと、ボスンと誰かに背中からぶつかる。慌てて見上げると、ユンユンがそこにいた。 「で、でけえ……」  思わず3人共が口を揃えて呟いた。推定全長207センチメートル。どうして高身長で、更にヒールを履くのかわからない。どうして今までその姿に気付かなかったのだろうか、と思う程の存在感だ。トウマとの推定身長差は40センチ前後。親子、あるいは男女のような差だった。 「謝謝、案内してくれて助かったアル。この子はワタクシの連れネ。他の子を勧誘するヨロシ」 「あ、ちょ、ユンユン、あの、」  ユンユンは問答無用でトウマを腕で抱き、そのままビルから踵を返した。抱かれながら引っ張られるように歩かされているものだから、足がもつれてしかたない。アワアワしながらユンユンに従っていると、彼は顔を寄せて囁いてきた。 「あのお店、ぼったくりアル」 「エッ」 「口裏合わせて店に入れ、お水一杯5千円マイドアリネ。払えなかったらあんなことやこんなこと……」 「えええ……」  そんな悪い人には見えなかったけど……。トウマが困惑していると、ユンユンは彼を路地裏に連れ込んで、その壁に押し付けた。ヒッと見上げていると、彼は身をかがめて、顔を覗き込む。 「こんなトコで何してるネ? ご主人サマ」  そっと壁に手を置かれ、問われる。サングラス越しに青い瞳が射抜いてきた。これはアレだ、壁ドンというやつだ。トウマは縮こまっていたけれど、呑気に感動もしていた。壁ドンされた時ってこんな気持ちなんだ、創作の参考になる――。 「コトと次第によっては、タダじゃすまさないアルヨ?」 「ひぇっ、な、いや別にやましいことではなく!」 「ワタクシ以外の『ネコ』ちゃんと遊ぼうとしたわけではないアルカ?」 「えっ、猫? ここ、猫カフェとか有るのか?」  そんな感じには見えないけど……。トウマが見当違いのことを考えているのがわかったらしい。ユンユンは「はあーー」と呆れたように深い溜息を吐いて、姿勢を戻した。 「よく考えたら、ご主人サマはそういう感じのニンゲンじゃなかったネ……。もしかして、ワタクシを追ってきたアルカ?」 「あ、ああ、そう、そうだ! もしいかがわしい仕事をしてるんだったら、止めなきゃと思って……」  ユンユンはその言葉に一瞬きょとんとした顔をして、それからにっこりと微笑んだ。 「ユンユンの心配してくれたアルカ? 優しいご主人サマ」 「そ、そりゃ、だって。できたらそんなこと、してほしくないし……」 「ワタクシが淫売のように思えるから?」  淫売という言葉にトウマは眉を寄せた。そんな風に思っているわけではない、と思う。ただ、ただ。 「な、なんていうか……人間の倫理観で言うと、その……いや、そうだな。俺が個人的に……ユンユンにできれば、いかがわしい仕事は、してほしくないから……」 「フフ。大丈夫アルヨ。今はそういう仕事はしてないアル。ワタクシはこう見えて、一途な猫又ヨ?」 「じゃ、じゃあ、どうしてこんなところに?」 「ああ……これも何かの縁ネ、折角だから一緒に行くアルカ?」 「ど、どこに……」  ユンユンはサングラスの下で、それはそれは妖艶に微笑んだ。 「ご主人サマと遊ぶ『オモチャ』を買いに、アルヨ」

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