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2-2 初めて、嘘を吐いた。

 教室に着くと、扉の前で立ち止まり一呼吸を入れた。ガラス張り部分からそっと中の様子を窺う。……タカは既に来てる。けど、九重( アイツ)はまだ来てない。何だかホッとして、張り詰めていた緊張を解いた。――その瞬間。 「邪魔だ」  背後から刺々(トゲトゲ)しい声が掛かった。あまりに驚いて文字通り跳び上がる。振り返ると、そこに居たのは須崎とその取り巻き達だった。ニヤニヤ笑いを浮かべる取り巻き達とは裏腹に、大将は本日も機嫌が悪そうに顔を顰めてこちらを睨んでいる。けど、オレは安堵の息を吐いていた。 「なんだ、須崎か」 「なんだって何だよ。ボーッと突っ立ってねーで、とっとと教室入れよ」  言いながら、須崎の手がこちらに伸びてくる。オレは反射的に身構えてしまったが、なんてことはない。須崎はただ、オレ越しに扉に手を掛けただけだった。……やべ、オレ変に意識し過ぎじゃね? 九重( アイツ)のせいだ。  須崎もオレの様子を奇異に思ったらしい、眉根を寄せてジト目を向けてきた。 「何ビクついてんだよ。まさか、昨日のアレっぽっちでビビってんのか?」 「なっ、何でそれを!?」 「マジかよ。ちょっと掴み上げただけだろうが。どんだけ坊ちゃんなんだよ」  取り巻き達が一斉にせせら笑う。……あ、なんだ、そっちか。焦った……階段下倉庫でのアレを須崎にも目撃されてたのかと思った。な訳ねーよな。  須崎達には勘違いされたが、今更違うって言い出すのも、じゃあ何だって話になるし。内心ぐぬぬ、と(ほぞ)を噛んでいると、不意に扉が内側から開かれた。 「わっ!?」  軽く体重を掛けてたもんだから後ろ向きに倒れ込みそうになり、慌てて宙に手を伸ばした。一瞬、ハッとした須崎が掴んでくれようとした気配があったが、その前にトンと背中側から大きな腕に受け止められる。振り仰ぐと、すぐ近くに険しいタカの顔があった。 「タカ!」  タカはオレを庇うように腕に収め、須崎の方を睨め付ける。 「何してる」 「何もしてねーよ。てめえんとこの坊ちゃんが勝手に俺にビビって震えてただけだ」  震えてはいないぞ、おい!! 「……トキ」  タカが心配そうにオレを見てくる。オレは何だか泣きつきたいような気分になりつつ、その衝動を抑えて平静を装った。 「タカ、大丈夫だ。別に何もされてない」  ――須崎達( コイツら)には。  オレの弁明を受け、タカが少し表情を緩める。それでも、念押しのように問うた。 「本当か? 何だか目が赤いぞ」 「ねっ、寝不足で……昨日ちょっと、面白い動画見てて夜更かししちまって!」  タカの指がオレの目元に触れようとしたが、オレはまた条件反射で竦んでしまい、タカが驚いたように手を止めた。 「トキ?」  もの問いたげなタカの声。――ヤバい。タカの手だってのに、何でオレ。  助け船は意外にも須崎から出された。最も、当人にその気は無いだろうけど。 「けっ、相変わらずきめえなお前ら。勝手にやってろよ」  そう言って、横をズカズカと通り過ぎる。すれ違いざま肩がぶつかりそうになって(たぶんわざとだ)タカに引き寄せられる。  タカは遠ざかる須崎達を最後にもう一睨みしてから、改めてオレの方に向き直った。 「トキ、動画もいいが、夜更かしは程々にしとけよ」 「おう。……はよ、タカ」  遅まきながらの挨拶に、タカも応じてくれた。先程のオレの態度に関してはそれでお流れになった雰囲気で、内心ホッとしていると、タカはふと何かに気が付いたように目を細めた。 「トキ、それ」  タカの視線の先――オレの両手首。そこには、赤いリストバンドがそれぞれに嵌められている。 「あ、ああコレ? ブレスレットだと鬼松に没収されちまうから、これならどうかなーって! たまにはこういうスポカジなのも有りだろ?」  我ながら上手いこと縄痕も隠せてベストな選択だと思うんだが。何故かタカは納得の行かない様子でリストバンドをじっと見据えている。  ……な、なんだ。どうした、タカ。  内心の動揺を必死に押し隠すオレに、タカは言う。 「昨日、須崎に掴まれたところ……後から腫れたりしたのか?」  成程、タカの心配事はそれか。オレはホッとすべきか慌てるべきか判断に迷い、曖昧な引き攣り笑いを浮かべて両手をぶんぶん左右に振った。 「ない、ない。昨日、タカもちゃんと確認しただろ? オレの手首。何ともなかったじゃん? これはただのオシャレだって!」  タカはそれでも暫くオレを窺うように覗き込んでたけど、しまいには一つ息を吐いて、頷いてみせた。 「何ともないなら、いい」 「おう! 元気元気!」  なんて、オレは大して無い力こぶを見せつけてやったりした。……逆にわざとらしいか? コレ。  でも、タカは微笑ってくれた。ふわりと目元を和らげて穏やかに見つめてくるその眼差しに、オレは心が痛んだ。  ごめん、タカ。オレ、嘘を吐いた。生まれてこの方、お前にだけは一度も嘘を吐いたことがなかったのに。今さっきだけでも、沢山嘘を吐いた。――そして、これからも。沢山、タカに言えないことが増えていくんだろう。  でも、タカにだけは変わらず笑っていて欲しい。……そう思った。 「――おはよう、花鏡」  不意に、耳元で低く甘い声が囁いた。ぞわりと背骨を一直線に駆け抜けていく、戦慄と衝動。 「ッぎゃぁああああっ!?」  完全なる不意打ちに、オレは無様な叫びを上げて思い切り飛び退いてしまった。今朝方見た夢の記憶が揺り起こされ、現実とリンクする。  開かれたままの扉からやって来たのは、妖しい笑みを湛えた九重――全ての元凶だった。

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