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第44話

ガタンッ! 「いて!!」 在らぬ衝撃と痛みでハッと目を開けると、眠気眼ながら驚いた顔の心が静を上から見下ろしていた。 状況が把握できずに放心状態の静は心の上から落ちたことに気が付き、ガバッと起き上がった。 「寝相わる」 笑いながら起き上がる心の向かいにまだ眠る身体を動かして何とか座り、時計を見れば六時を回る頃。 がっつり朝まで寝てたのかと半ば呆れながら、心を睨み付けた。 「お前がちゃんと抱いてないからだろっ!」 「…やらし」 心は煙草を銜え首を回す。首だけではなく、あちこちの関節の鳴る音が聞こえる。 さすがに一晩中、静の下敷きはきつかったのだろう。静はざまーみろと舌を出した。 「静、今日、雨宮と病院行ってこい」 唇を尖らして見せる静に笑い、心が唐突に言った。それに静は首を傾げた。 「は?病院?誰の?」 「成田の」 「成田さんの!?」 思ってもいない言葉に思わず立ち上がる。 あれから容態こそは良くなったと聞いたものの、一時期は危なかったというのをチラッと聞いた。 その成田の見舞いに行けると、知らずに静の顔は綻んだ。 「もう来週には退院やから、元気有り余っとる。雨宮と相手してこい」 「いいの?」 「…何が?」 いいと聞かれる意味が分からないと、心が首を傾げた。 「その、出歩いて。なんか、お前ヤバイんだろ?目つけられて。俺、もうみんなに迷惑かけたくない」 成田の見舞いに行けるのは率直に嬉しい話だ。だが成田が入院する羽目になった原因を考えると、どうしても尻込みしてしまう。 目の前で叩きのめされた成田。血塗れの男達と、血に汚れた刀を持つ心。 自分のせいでどれだけの人間が動き、どれだけの犠牲が出たのか。そう思うと易々と動き回るのさえ憚られる。 「裏鬼塚は聞いたか?」 「え?」 「裏鬼塚」 心の言葉に静は小さく頷いた。 「雨宮さんが居る…部署?」 「部署ね。まあ、裏鬼塚は裏言うだけあって、組には属してへん。極道やない連中ってことや。それこそ俺や相馬しか知らん奴も属してる。極道はみんな脛に傷のある人間やけど、裏鬼塚は更に深い傷ある奴等の集まりや。で、忠誠を誓うなんて綺麗事のない奴ら。そのええ例が雨宮や。アイツは俺の命狙っとる」 「…どうして」 雨宮は確かに心の命を狙っているとは言った。 だが静の見る限り、感じる限り、そんな”殺意”を雨宮からは一切感じとれない。 護衛で、心の命を守る側近だと言われた方が納得するものだ。 「極道の、しかも仁流会会長補佐の俺の(たま)を狙うんは同じ穴の狢や。今回は眞澄が血迷っただけで、お前に危害加えることになったけどな。まぁ、今後、狙われるとしたら俺や。彪鷹が言ってた奴が相手ならなおのこと、俺しか眼中にあらへん」 それはどう取っていいのか。自分は狙われないし危険なことはないけど、心は危険ということだ。 いや、極道なのだからそれも仕方がないことなのだろうが、それはそれでいいのかと静は難しい表情を見せた。それに心は小さく笑った。 「裏鬼塚の人間は、みんなアホみたいに腕が立つ。雨宮もこないだは下手こいたけど、あれも使える。それに、鬼塚組は同じ過ちは犯さん」 「…うん」 力強い心の言葉に、静はただ頷いた。 「ま、とりあえず俺は当分忙しいから、お前は好きにしろ。やけど、どこ行くにも雨宮を同伴させろ」 「そっか。じゃあ…とりあえず、成田さんとこ行って…」 あれこれ予定を考えているとフッと目の前に影が出来る。何だ?と顔を上げると、吸い上げるように静の唇に心のそれが重なった。 「栄養補給」 心はそう言うと、ニヤリ、いたずらっ子の様な笑顔を見せて笑った。 それから一時間もしないうちに相馬が心を迎えに来て、二人して慌ただしく部屋を出ていき、その後すぐに雨宮も顔を見せた。 「成田さんの見舞いね」 心に言われたことを伝えると、雨宮は大したアクションも見せず頷いた。 「あ、えっと、行きたくない?」 「は?」 「なんとなく」 「いや、俺も成田さんには色々面倒みてもらってるから、行きたいとは思ってたけど、俺は表には出れねぇから行けてなかったからな」 「そうなの?…あ、でも」 「あ?」 「崎山さんに…」 「崎山さん?え、お前、崎山さんと成田さんの関係…」 ”知っているのか?”言いかけて口を噤む。成田と崎山の関係は、組内でも周知されていないことだ。というか知る者は居ないと考えたほうが利口だ。相手は崎山だ。 まさかあの崎山が自ら関係を暴露するとは考えにくいし、成田もああ見えて筋を通す男だ。崎山がそうである以上、他言するとは考えにくい。 なぜ雨宮がここまで断言するのかと言うと、雨宮も本人から聞いた訳ではないからだ。 そうであるとしか言いようがない場面に、一度だけ出会しただけ。抱きしめてキスをする成田と、それを受け入れる崎山。不本意ながら出歯亀で、慌てて隠れた。 だがそのことが、反対に雨宮をスッキリさせたのも事実。崎山はともかくとして、成田の崎山への態度は首を捻りたくなるものが多かったのだ。 「雨宮さん?」 思考が他所に言っていた雨宮は、何事もないような顔で静を見ながら煙草を銜えた。 「崎山さんと成田さんがなんだ?」 「その、崎山さんが、前に…成田さんの御見舞いに行きたいって前言ったら、怒った」 まぁ、そりゃな…。思いながら、へー、なんて相槌をうつ。 見るからに落ち込む静を横目に見ながら、あの冷血無情な崎山がなんと言ったのか想像がついて苦笑いをした。 どれだけの修羅場を潜り抜けてきた百戦錬磨の組員でも、崎山の言葉という拳に殺される者は多い。 それを考えれば、静なんて赤子の手を捻る様なものだろう。 「俺、崎山さんに嫌われてる…っぽい」 「ハハッ。あの人が誰かを好むことなんかないね」 静の言葉に雨宮は笑いながら言った。静はそれに蛾眉を顰めた。 「組長の次に扱い難いのは、崎山さんだからな。相馬さんみたいにスマートに対応する要領はあるくせに、機嫌が悪いと全く受け入れなくなる。あんな顔して残酷非道で、組長と相馬さんを足して2で割ったみたいな奴って噂されるくらいだからな。だから、誰かを特別に買うとかはしないんだよ。俺だって、ようやく使いもんになるようになったって言われてたのにあの様だ。今回、彪鷹さんの件で失敗して戻って言われた第一声が“死ね、糞”だからな」 「さ、崎山さんが?」 あの顔で使うんですか?あまりに立て板に水の如く、崎山のことを言う雨宮に静が圧倒される。 なんだ、恨みでもあるのか?と聞きたくなるほどだ。 「まあ、だから崎山さんのことは気にすんな。で、お前は心は決まったのか?ここに大人しく居るってことは、少しでも話、したんだよな?」 雨宮に言われ、うっとなる。 まさか、心を下敷きに朝まで爆睡してましたなんて…言えない。 彪鷹にも考えろと言われ、雨宮にも言われ…。言われながら考えるどころか朝まで爆睡だ。 「…俺」 俯く静を見て、何もかも察したのか雨宮が息を吐いた。 「俺は、今でも鬼塚心の首狙ってる」 「え…」 雨宮の放った言葉に、静がハッとする。 「隙あらば、(たま)を取ってやる。でも、まだ敵わねぇ」 「あ…」 「だから、守る」 「え?」 「俺が、(たま)取るまでは生きててもらわねぇと…。何があっても、守る」 重い、信念の籠った言葉だった。 一意専心と言っても過言ではない。だが、それは”守る”でも”殺す”という全く正反対の行い。 雨宮と心の間に何があったのか知らないが、その全てを物語るほどに重い言葉だった。 「尊敬と怨望を腹に溜め込んでるけど、俺はオマエの味方だ」 雨宮はそう言って、静の頭を撫でた。 「ほんま!すんませんでしたぁぁあああ!!」 雨宮と訪れた病院の一室。白いベッドの上で成田は土下座していた。その前で静は手に持ったケーキを抱えたまま、思わず固まる。 頭に包帯を巻き、あちこちに痛々しい傷はあるものの、見る限り元気そうだ。 「あの、成田さん」 「俺が不甲斐ないばっかりに、静さんにえらい辛い思いさしてもうて!いや、ほんまに指でも腕でも首でも、好きなん持って行ってください!」 ちょっと待って、俺、どんだけなの。そもそも、俺、極道じゃないよ。 「成田さん、吉良、引いてるわ」 雨宮はベッドの傍らの椅子に腰掛け、呆れたように言った。 「喧しい!雨宮!聞いたで!お前も下手打ったらしいやんけ!あほ!」 「あんたほどじゃねぇよ」 「何やと!!…あいたたた…」 「だ、大丈夫?」 腹を押さえてベッドの上で踞る成田に、駆け寄り背中を擦る。 その成田の様に、雨宮はククッと笑った。 「いや、内臓もイッてるとこあって。情けないわぁ、ほんま」 言いながら、成田はベッドにゴロンと横になった。 「彪鷹さんが帰ってきたって?」 成田が尋ねると、雨宮は近くにあった折り畳みの椅子を広げ、静の前に押しやった。 座れってことかと静が座ると、自分は先に座っていた椅子にトンッと腰を下ろした。 「帰ってきたってか、あれじゃあミイラ取りがミイラ。あれ?顔見知り?組長の親父って嘘か本当かのネタなんすけどね」 「知らんわ。組長の出生も生い立ちも謎だらけやのに。崎山に聞いてん」 「あー、崎山さん」 「なにあれ?どないしてあれ?機嫌悪いにも限度よな?」 「彪鷹さんが帰ってきてご機嫌なんは、何故か相馬さんだけ。崎山さんに…何か言われたんすか?」 雨宮の問いかけに、成田はバッと起き上がり拳を握りしめた。 「…意識取り戻して…関西から帰ってきた崎山に”チッ、死ななかったのか、死に損ないが…”って言われたんやけど。あれ、労りの言葉やんな?よかったなのニュアンス含んでるよな?ちょっと心配したよってことやんな?」 いや、ないない。オブラートに包まずに、ストレートの言葉だから。 同じ思いの静と雨宮は、同時に嘆息した。 「成田さん。でも、本当によかった」 まだ痛々しさはあるものの、最悪の事態を免れたのは良かった。 あの状況でこの短期間でここまで回復しているのだから、元々、身体が頑丈に出来ているのかもしれない。 「俺、身体だけは丈夫やから気にせんといてください!いい勉強なったし…。もっと強なって、もっとちゃんとせな」 成田はどこか、晴れ晴れとした様な顔を見せた。 「…俺、崎山さんに解雇されたんすよねぇ」 言いながら雨宮が静の抱えてたケーキの箱を奪うと、中から雨宮が厳選したケーキを掴み出す。 病院に来る前に、静でも知っている有名ケーキ店で雨宮がショーケースの前で長時間悩み抜いた品だ。 雨宮が掴み出したのは、キラキラと宝石の様な真っ赤な木苺が載ったケーキ。 ココアスポンジと柔らかなムース。その上にジュレで仕上げられた木苺が飾られている。 顔に似合わず、とんでもない乙女の様なケーキを選ぶなと思ったほどのケーキ。そして、満足げにそれを食べる雨宮。 「…え」 お見舞いの品だよ?どうしていち早く、あんたが食べてるの?と思いながら、自分が食べるために長時間悩み抜いたのかと呆れる。 選んでいる時は、えらく成田に気を使っているんだなと思ったのに。 「解雇なぁ」 成田はそんな雨宮を見ながら、一つ呟いた。 「あれ?知ってるんすか?あ、美味い。成田さんのこれ」 雨宮は箱からケーキを取り出すと、成田に手渡す。 ガナッシュチョコレートとココアスポンジの3層構造の見事なまでの、チョコレートケーキ。 見舞いに来て、見舞う人間よりも先に見舞いの品を食べ、見舞う人間に選択の余地なく品物を突きつける。 しかも、裸。皿とかフォークとかいちいち気にしない静でさえも、躊躇する雨宮の行動。 タルトとかならばまだしも、チョコレートケーキを手掴かみで食べろとは。 男らしいとかそういう前に、野生?? これ、お見舞いだよね?

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