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第47話

それから数日。やはり心は忙しいようで、帰ってきた気配だけを感じる日々。 大変だなと感じながら、学生の本分に集中できる静は必死に目の前の課題を片付けていた。 今日も帰ってから課題しないとなぁと、息を吐いた。 「ちょっと、かなりイケてない?」 「学部どこだろ」 「見たことある?」 「ヤバイよねー、声掛けた?」 なんだ?えらく落ち着きがないな。 講義が終わり廊下に出たところで、やたらと落ち着きがない学生を横目に静は欠伸をした。 すれ違う女の子達が、やたらとソワソワしている。 大学生。お洒落にコスメ、最近人気の芸能人。話題の店に、話題の雑誌。 誰が一番に最先端の流行情報を掴むか。てんで学業とは無縁と思われるものに、やたらと熱心な彼女達が次は何に関心を持ったのか。 学部内で深い付き合いを持つ者が居ない静には、到底、見当がつかない。 チラリ、廊下の壁に目を移す。なぜそこにあるのか不思議な小さな壁時計。雨宮が来るまで時間があるなと思いながら、待ち合わせの場所で待てばいいかと思う。 今日の講義は一時まで。昼からはどれも選択してない講義と、教授都合の休講。 帰ってから、とりあえず卒業に向けてのスケジュールを立てよう。 出席の単位はなんとかなった。あとは卒論。間に合うのか正直自信がない。 テーマさえも決めていないのが、どうにもならないなと息を吐いた。 だがそれは途中で、まるで蓋をしたように止まった。ある場所に目をやった、その瞬間に。 建物から出てすぐにある、何個か並んだベンチ。周りの人間が遠巻きにそこに集中していて、何気に静も視線をそこに移した。 「は…?」 思わず声が出た。そこにあるはずの居るはずのない人間。 間抜けヅラ丸出しで、口が開いたまま閉じなかった。 「アホヅラ」 そこに居た男。心はそんな静を笑うと、手に持ったコーヒーを口に運んだ。 「な、なにしてんの」 静の声は驚きからか、ひどく小さかった。それに心は再び笑い、自分の横を指で叩いた。 一瞬、迷いを見せたものの静は言われるまま、隣に腰かけた。 長身の身体にエンジニアブーツは良く似合い、細身だがしっかりと鍛え上げられた身体のラインを際立たすニットカットソーは、見事に着こなされている。 静は女の子たちの噂の的はこの男だと確信した。罷り間違えても極道だなんて、想像もしないだろう。 ただ何人たりとも人を寄せ付けないオーラを醸し出した百獣の王。その気迫だけは痛いほど感じる。 羨望の眼差しで見られているのを知ってか知らずか、心は行き交う学生を楽しそうに眺めていた。 「仕事は?」 「片付いた。おもろいな、コイツら」 「え?」 「俺、学校とかまともに通ってないからな。大学とか、初めて」 「…お前、何しに来たの?」 まさか学校見学?入学するの?と静が顔を顰めると、心はフンッと鼻で笑った。 「お迎え」 「…え?」 なんだって?と聞こうと耳を傾けた瞬間、心が立ち上がり、近くの屑籠にコーヒーのカップを投げ入れた。 「行くぞ」 「え?マジで?」 護衛は?ってか許可は得てるわけ? いつものごとく飄々とする心とは反対に、静が慌てて心の硬い腕を掴んだ。 「…あ?」 「抜け出してきたとかじゃねーだろーな」 「違うわ、あほ」 「なに、なんで?なんで?車どこ?」 「電車」 「マジかよ!」 似合わないよ、ちょっと!電車に乗ることなんて普通のこと。子供だって、ある程度の年齢になれば電車でどこにでも行ける。 だがこの男が電車に乗るなんて、まさに天変地異。非常識な状態。 静は蛾眉を顰めて、高い位置にある心の顔を見上げた。 「…電車で来たの?」 嘘でしょ?ねぇ?なんていう顔。それに心はククッと笑った。 「雨宮に車でな。帰りは電車」 「ああ、雨宮さんに送って…って、電車?電車で帰るのか?」 なーんだと一息ついたのも束の間。やっぱり電車なのか?と呆然。 「…大丈夫なの?」 電車の中で銃撃戦とかない? ふと、三流映画のワンシーン、いやいや、それはないからという情景が頭に浮かび、顔を青くした。 ここで逢ったが百年目と宣って、独りの流浪人を取り囲む武士達。 そんな時代錯誤なシチュエーションまではいかないだろうけど、心は極道だ。しかも、その極道の玉座に一番近い男。 命を狙う輩が居たって不思議ではない。そもそも組内部にさえ心の命を取るという雨宮が居るほどだ。 「俺、顔売ってへんから」 静が色々と考え込んでいるのが分かったのか、心は愉快そうな顔をして言った。 「え?」 「極道界の都市伝説。鬼塚心は架空の生き物ってな」 「なにそれ」 「彪鷹が戻った今、彪鷹を組長やて勘違いする奴等も倍増するやろな」 「…え?まさか、」 それが狙いで、彪鷹を組に無理矢理戻したのか? 猜疑心いっぱいの静の顔に、心はニヤッと笑うと大学構内から出るべく歩を進めた。 駅までの道のりを二人で歩く。 時折感じる他人からの視線。目立つ男と歩くのは、何だか居心地の悪さを感じる。 駅までは店舗が立ち並ぶ賑やかな街中を通り抜ける。カフェテリアに本屋。雑貨店に服屋。ターゲットは静たち学生。 近くに何校か大学があるだけあって、行き交う人間は同年代くらいが多かった。 この中に混じっていれば、心も普通の若者と見紛う。 心の年を考えれば、極道者というのを差し引けば、これが当たり前の風景なのだろう。 でも何だろう、この異空間に来た感じ。 「なあ、本当に電車?」 前を行く心のシャツを引っ張れば、何を今更と言わんばかりの顔で見られる。 似合わないよ?ってか、変じゃね?みたいな感じがどうしても拭えず、静は微妙な表情で心を見た。 「だって、電車だぜ?電車」 「やなぁ…。もう何年も乗ったあらへんからな」 「お前は芸能人か」 そういう意味じゃなくてと呆れて頭を抱える静に、心はククッと笑うだけだった。 「…へぇ」 心は感慨深げに声をあげた。 券売機の前で、長身でやたら目立つ男は路線の書かれたマップを見上げる。それがやはり滑稽でアンバランス。 何か変だと感じているのは静だけかもしれないが、でも、変なのだ。 「…なんや、ワケわからん」 関西弁で助かったかもしれない。田舎者丸出しで、だが田舎者とは異なるオーラを醸し出すちぐはぐな心。 善くも悪くも注目を浴びる男は、関西から来たんだ…と周りの傍観者から妙な納得をされている風だ。 「切符。大人二人」 みどりの窓口じゃねぇぞと思いながら、心を睨む。 事務所は何駅だろうかと、頭に地図を浮かべると心が一万円札を静に突き出した。 「あの駅」 指差す駅を見て、首を傾げる。事務所とは正反対の地域だ。 「あそこ?」 「そうや」 ボキャブラリーの少ない男だ。まぁ、それも今に始まったことじゃない。 どうしてあそこ?事務所とは別の場所だろ?なんて聞くだけ無駄なのだ。きっと、聞いたところで答えは分かっている。 切符、大人二人。色々と説明するのが面倒というのと、黙って買ってくれば良いという暴君的思考。 静は仕方がないとばかりに、言われるままの駅までの切符を買った。 「電車乗るの、いつぶり?」 あまりのおのぼりさん状態の心に、電車を待つホームで静は問いかけた。 よほど長い間、電車の駅やホームという場所に縁がないのか、何もかもが物珍しい!と言わんばかり。 改札ゲートを潜るのだって、どこかぎこちなかった。 「電車なぁ…。関西で乗ったな。こっちではほとんどあらへん」 「マジか!」 何だ芸能人か!?いや、今時の芸能人でも電車に乗るぞ。 「お前、ことごとく無茶苦茶な奴だな」 「なんで?あっちでも学校も電車使わんとこやったし、最近じゃあ乗る暇あらへんかったし」 なんなの?社会見学なの?大学にいきなり来たり、護衛も付けずに電車に乗ると言い出したり。挙句、どういう目的で行くのか分からない場所の切符。 一体、そこに何があるのか、どういう用事があるのか分からず静は手に握られた切符を眺めた。 全く縁もゆかりもない駅だ。高級住宅街と呼ばれる地域。昔からその地に居る者が多く、旧家が並ぶ土地。 そんなところに何の用があるんだと聞いてもいいが、どうせ返事は期待出来ない。 とりあえず行くしかないのだと思っていると、けたたましい金属音と共に電車が滑り込んできた。 ゆっくり停まった電車は、ドアを開くと同時に乗客を吐き出す。どっと流れ出る乗客は、皆が皆、面白いくらいに心を見る。 心はそんなことも気にも留めずに、静の手を掴むと電車に乗り込んだ。 「あんま変わらんな」 いつと比べてるの?というか、そんな劇的な変化をするほどのものじゃないだろう、電車なんて。 入口付近に身体を凭れさせて外の景色を眺める心は、腹立たしいほどに絵になる。 その姿に車内の女の子達の熱い視線が集まり、ひそひそと噂する声がする。見た目だけは文句なしだもんなと思いながら、この人、極道ですよー!なんて言ったらどうなるのだろう?と、そんなくだらない事にほくそ笑んだ。 「何やねん」 一人で笑う静が不気味だったのか、笑われたと感じ取ったのか、心は少し不機嫌な顔を見せた。 「お前、本当に変な奴。あ、そうだ、映画館とか行ったことある?」 「…あらへん」 マジですか!?何か勝った気分になる自分がバカみたいだなと思いながら、静はフフッと笑った。 「さっきから何やねん」 あ、不貞腐れた。 「いや、なんか、ほら…。地位も権力もあるのに、なんでそこはそうなの?って思って」 好き放題やりたい放題。唯我独尊な男は、年相応の楽しみを知らない世間知らず。 今どき映画館に行ったこともなく、電車に乗るにも切符の買い方を知らない。 それが幸か不幸かは心にしか分からない感情だとしても、何だか勿体無い。 「今度、映画行こう」 言ってからハッとなる。まさか、自分から心をどこかに誘うだなんて…。 何も言わない心を見上げれば、見たこともない笑顔で「行く」と言った。 それが妙に嬉しくて照れ臭くて、静は俯いて心のエンジニアブーツをいつまでも眺めていた。

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