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第53話

キョトンとした静を他所に、心がベッドから起き上がる。 ナイトテーブルに置いた煙草を銜え、首をコキッと鳴らした。 その一つ一つの動作全てが背中の筋肉を動かす。綺麗なラインだ。だが今はそんなものはどうでもいい。 「ひ、引っ越しってなに?え?何、ここが家って、もう?速攻なの??今日って、本当に今日!?」 「あ?車運んで、荷物搬入。雨宮は彪鷹を拉致りに行ったし。相馬は早々に隣に荷物運び済み。崎山達が本格的な引っ越しやなぁ。俺の荷物もあるし」 「ちょ…お前」 「あ?」 「今日、そんなのがあるのに…」 昨日、あんなこと…っ!!抗議一杯。言いたいこと山積み。身体が動かないような中、引っ越しだと!? 口をぱくぱくさせる静を見下ろし、心はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。 「据え膳は頂く主義や」 しれっと言い放つ心の言葉に、ブチッとキレた。 「黙れ!!この大バカ野郎!!おたんこなす!」 「小学生か。おたんこなすって久々に聞いたわ」 心は煙草に火を点けて、呆れた顔を見せた。だが、静はそれどころではない。 騙された!犯された!とまでは言わないが、物事には報連相が重要なはず。 今日は引っ越しするからねとか、ちょっと一言言うとか。 いや、確かに今日から家だとは言われたけど、そんな、何の前触れもなく大学から連れてこられて、今日からここが家。言われて、あ、そっかーと納得する人間がどこに居る!! 普通は、じゃあ帰って荷造りして…って考えるよね!!荷造りも何もかもやってくれる人間が居る生活とか、普通じゃ考えられないよね!! 「何なのー、オマエー」 どっと疲労感。普段から、コミュニケーション能力に欠けているというのは分かっているが…。 これは業務連絡のレベルでしょう?報連相のレベルでしょう。 まぁ、そんなこと、人として当たり前の事が欠落している男に言うのも馬鹿馬鹿しいが…。 「もしも、昨日、静が極道が嫌や言うたら、静だけ引っ越し先は別やしな」 「何だよ、どっちにしても引っ越しかよ」 「あそこは色々不便やねん」 「ああ…。そう」 一等地だよ?あそこ…。思いながら、違う意味で不便なんだなと感じた。 ここは、一等地とかのレベルじゃないけど。 「なんだよ、チクショウ」 こんな状態、何をしたか一目瞭然じゃないか。 ヤってました。初めてなので、動けなくなりました。 そんな看板を立て掛けて鎮座してる感じ。 「ムリムリ」 負けず嫌いは人一倍。動けないとかないだろうと、ベッドに突っ伏した身体を持ち上げる。 途端、ズキンっと腰に激痛が走り、まるで一時停止されたかのように動きが止まった。 「なに遊んでんねん?」 「はあ!?遊んでるように見えるか!バカ野郎!」 精一杯威嚇、精一杯凄むが身体は一時停止。残念ながら遊んでるようにしか見えない。 「静…俺の言う通りに寝とけ」 「ああ?」 「やないと、相馬達が来る前にもう一度ヤる」 な…な、なに言ってんの?この人。呆然とする静に、心が口角を上げて獣のような顔を見せる。 「知ってると思うけどな。俺はヤる言うたらヤるからな」 有言実行。結果がどうなろうが、ヤると決めたらヤる。それが鬼塚心。 静は諦めたように、ベッドに潜り込んだ。 それからしばらくして、静寂に包まれていた屋敷が騒々しくなり始めた。 静の居る部屋は奥。屋敷でも一番奥ばった場所だ。身体の違和感や、あらぬ場所の痛みもだいぶと和らいだ。 心は部屋を出たきり戻ってこないし、だいぶと退屈になってきた。静は起き上がると、腰を回しベッドから這い出た。 「あれ?…おいおい」 服はどこだ。ベッドに腰掛けて部屋を見渡すが、広い部屋には心が剥いた静の服はどこにもなかった。 とりあえず、何時なんどき誰が入ってくるのか分からないので、シーツを腰に巻き付けて風呂場へ向かう。 カラカラ格子を開けて足を踏み入れ、煩わしいシーツを外し織部焼の洗面台の蛇口を捻る。 ふと、目の前の鏡に目をやり、ん?と目を細める。 身体のあちこちにある赤い鬱血の痕。万歳をして身体を捻れば腰から背中から、なんだ?新種の病気か?というほどにそれは散りばめられていた。 「おいおい…」 鎖骨の当たりは、歯形でも取る気かと言わんばかりの歯形。いつ噛まれたのかさえ、覚えていない。 乙女のように顔が赤くなるなんてことはなく、ただ呆れた。 とりあえず、顔を洗い歯を磨きながら戸棚を物色する。 いつまでも全裸はちょっとな…と思っていると、ようやく着替えを見つけ安堵した。 さて、で、どうしようかな?ベッドの上でぼんやり考える。 そうしてると、襖の向こうから声が聞こえた。気のせいかと首を傾げたが、やはり聞こえる。 静は徐に立ち上がり、襖を開く。だが、広い和室には人の気配はない。 「…あれ?」 静は更に和室の襖を開け、少し延びた廊下を歩いた。 「吉良?」 廊下の先の千本格子がゆるりと開く。顔を覗かせたのは雨宮だった。 「雨宮さん」 「良かった。まっぱだったらどうしようかと思った」 「何で、まっぱなんだよ」 「いや、別に」 何か含みを持たせた言い方に、ムッとなる。 まさか、あいつ、昨日のこと言ったんじゃ!?思わず口をついて出そうになり、グッと耐えた。 何か聞いたの?と言って、何を…?なんていう会話になれば不利になるのは静だ。 「引っ越し、お前の荷物も運びたいんだけど」 「え?」 「組長の荷物も」 「……」 「お前、庭にでも出とけ。邪魔」 言うに事欠いて邪魔!?と思いながら、実際問題、身体がツラい。静は渋々、頷いた。 「…迷子になるんじゃね?」 畏怖するくらいに広い庭。牡丹に椿に金木犀。四季折々の顔が楽しめそうな庭。ここだけでも、相当な価値があるだろう。 鹿威しのある家なんか初めて見たと、思わず笑う。 本家の奥、心が離れと呼んだ場所を覗く。離れと呼ぶには大き過ぎる建物が、三つほど見える。 彪鷹達が入るのはあそこなのか。 本家の広さもさることながら、敷地の規模が凄まじい。今まで誰が管理していたのだろうと、素朴な疑問が過る。 ふっと見た高い塀。外はとても閑静なところだったが、今も車の音一つ聞こえてこない。 そのせいもあって、まるでここだけが別世界のようだ。 「…あいたたた」 長く立っていると、さすがに腰が痛い。見た目と違って身体は丈夫だが、鋼のように頑丈なわけではない。 しかも、今までしたことの体勢や運動だ。筋が痛むのも当然だろう。 静は腰を擦りながら、屋敷を振り返る。見れば、静達の部屋の窓が解放されている。 丁度いいと静は縁側に腰かけた。 そこは庭を見渡すには絶好の場所だった。芸術そのものの情景を見ながら、静は上体を右に倒した。 ひんやり、板の間の冷たさが頬に当たる。風が頬を撫で、日向がふわり静を包む。 「…ヤバ…い」 口に出す頃には、くてっと眠りについていた。 「…おい、おい」 ゆさゆさ揺さぶられ、ハッと目を覚ます。 鳥が追いかけっこをするくらいに陽が燦々だった情景は夕闇に包まれ、庭はオレンジの絵の具が散りばめられたようなコントラストに変貌していた。 「…うわっ」 寝過ぎだ。バッと顔を上げると、呆れた顔の雨宮が居た。 「風邪引いたらどうすんだ。組長が呼んでる。着替えてからこい。服とか、お前のも部屋にあるから」 「…ああ、うん」 静は目を擦りながら、返事をした。縁側から部屋に戻り顔を洗う。 服があるってどこにあるんだ?部屋が広すぎるのは難点だなと思いながら、ぐるり部屋を見渡し、ここしかないよなと襖を開けていく。 「あ、」 始めに開けた襖は、押し入れだと思ったら書庫だった。あのビルの心の書斎にあった蔵書より、数が増えている気がする。思わず立ち入りそうになり、あっとなった。 「服だ服」 こんな事をしている場合ではない。静は次々と襖を開き、ようやく目的のものを見つけた。 適当に着替えて部屋を出ると、廊下に雨宮が立っていた。まさか居るとは思わず、ぎょっとした。 「え?待ってたの?」 「どこ行くのか、わかんのか」 「…分かりません」 ほらな、と言わんばかりの顔で見られ、思わず口を尖らす。 雨宮は部屋を抜け長い廊下を進むと、ちょうど屋敷の中央あたりにある和室の襖を開いた。 一礼して入る雨宮の背中に、へばりつくようにして中に入る。 なんだ改まってと思って覗くと、心と相馬が居た。 「あ、相馬さん」 雨宮に促され、奥に進む。 まるで殿様のように座る心の横に、側近の相馬がまるで正座の見本スタイルのように凛とした姿勢で座る。 あまりの仰々しさにどうしていいのか分からずに、直立不動のまま固まった。 「ビビんな」 ククッと心が笑って、自分の前の座蒲団を指差した。 「ビビってなんかねぇよ。何なの?改まって」 「今後のお話ですよ」 フフッと相馬が笑って、やはり座るように促される。静は何なんだと言わんばかりの顔を見せて、そこに腰を下ろした。 その静の斜め後ろに、側近のように雨宮が座った。 なんだ、この居た堪れない感じ。思わず目が泳ぐ。 どこかの旅館の宴会場のような広さのある和室。心の後ろの床の間に飾られた鎧兜は、大層立派だ。今にも動き出しそうな雰囲気が、少し不気味だった。 座卓もない何もない中で人間だけが居る。何が始まるのか、思わず身体に力が入った。 「そんなに改まらなくても、大丈夫ですよ。取って食いやしませんから」 固い表情の静に相馬がやんわり言うが、どこか仰々しい雰囲気に畏まらずにはいられない。 変に鼓動は速いし、手に汗も掻いてきた。 心は普通の人間とは違う。何を言い出すのか、検討もつかないところがある。 こちらが唖然とするような行動や言動を、当たり前のようにするので油断ならない。 「何、マジで」 「…ま、先の話や」 「え?」 先ってなに?静が首を傾げる。 「大学卒業してからですよ」 相馬が言葉少なな心の変わりに言って、笑った。それに、ああ、そういう先の話かと納得した。 「別に家でのんびりでもええ。なんか資格でも取りたいなら、学校に行けばええ」 「え、好きにしていいってこと?」 思わず目を丸くする。まさか…、の提案だった。 「大学は、このまま行けば卒業でしょう?院に上がるのもいいんですよ?」 相馬がそう言って微笑んだ。

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