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「なら見たら分かるだろ?前に言ったこと忘れたのか?邪魔すんなって、邪魔したらどうなるか分かってるよな?何時もの真面目にお兄ちゃんの言うこと聞ける大樹くんならできるだろ?大人しく戻ろうか?」 まるで幼児相手の口調で見くびったような態度を取ってくる。完全に笑っていないその視線と握り潰す勢いで肩へと込められる力。 威圧と痛みで他人を脅しにかかってくる宏明は昔と何一つ変わらない。 藤咲を見捨てた時と同じだ……。以前の幼い自分なら兄の威圧に負けてそのまま逃げ出していたかもしれない。しかし、多少の恐怖は拭えないにしても、今は後ろで苦しそうにしている藤咲を見捨てて逃げるような薄情なことはできなかった。 あの日守れなかったから……せめてもの自分を犠牲にしてでも守りたい。藤咲の背負っている傷に比べたらこれくらい、かすり傷のような気がした。 「別に構わないです。兄さんがそれで気が済んで、藤咲を解放してくれるなら、腕でも何でも折ればいい」 自分が脅せば云うことを聞いてくれると思っていた弟に、宏明は予想をしていなかったのか瞳孔を開かせると、面白くなかったのか肩を強く押して離してきた。 離されたことに安堵したのはつかの間、大樹には興味がないと言うように藤咲の方へと戻っていくと床にラックごと散らかったパイプ椅子を気怠げに拾う。 「いつから大樹は聞き分けのない弟になった?」 その瞬間椅子の足を持ちながら頭上に掲げた。直ぐ真下には藤咲がいる。 宏明が近寄った来たことで、藤咲の中での恐怖心が増したのか全身を震わせ頭を抱えながら「……たすけてっ」と掠れた声で叫んでいた。 「言っても聞かないようだから。お前、尚弥くんのこと関わるなとか言って大事そうにしてたよな」 瞳孔を開いて口元を歪ませる宏明が狂気的で怖い。しかし、このままそれを振り落とされたら藤咲が、いくら伏せていたとしても何処かしらの外傷を与えることは誰がみたって判り切ったことだった。それが手や指だったら尚更一大事。 自分の思い通りにいかないと、力づくで捩じ伏せようとする宏明。未来を担うピアニスト、あくまで過去に教えていた生徒に良くもこんな無情なことができるものだと、憤りを感じた。 怯え震える藤咲をみて、兄のことを怖いだとか保身の為の感情を抱いている場合ではなかった。 振りかざされる気配を感じた椅子に大樹は咄嗟に藤咲の元へ駆け出し、庇うように振りかざされるパイプ椅子を右腕で受け止める。かなりの力を込められていたのか腕に鈍痛がはしったが、怯んでいる暇などなく、もう一度椅子が振りかざされる前に宏明に突進した。 大樹の突進の反動でよろけた宏明は尻餅をつき、椅子がガタンと床に投げ落とされる。 「俺はもう弱かった子供じゃない。あんたみたいな奴の言いなりにはならない」 大樹はそう吐き捨て、呆気に取られた宏明の隙をついて藤咲の元へ駆け寄ると「立てるか?」と声をかけた。背中を支えながら起立を促し、左腕で肩を抱くと背中を摩りながらも足早に会場を後にした。

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