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「ここが何処だと思う、エルマー。」
くすくすと楽しそうに笑ったダラスが、椅子に縛り付けたエルマーに問いかける。ここはジクボルトの馬車の中、そう答えるのはこの場合は不正解であった。
エルマーは毒を無害化する為に、下手くそながら、治癒術の派生である解毒術をじわじわと体内に浸透させながら、睨みつけるようにしてダラスを見上げる。
「話しかけんなブス、俺ァ今集中してんだ。」
「ぶはっ、囚われているものの態度ではないなエルマー!!」
耐えかねるといった具合にジクボルトが吹き出すと、ダラスはその長い睫毛に囲まれた目を細める。
ダラスの容姿はルキーノのものだ。弟を馬鹿にされたような気がして、ダラスは苛立ったらしい。
「クソガキが。」
「んだあ?短気は損気だぜえクソジジイ。」
口端に痣を作ったエルマーが、煽るように笑う。ダラスはがしりとその顎を鷲掴かむと、顔を近づけて言った。
「悪いが、俺にはその龍眼が必要だ。先見の龍の力で、シュマギナールを作り直す。国家統一だ。戦争なんて、国を隔てるからそんな面倒事が起こるのだからな。」
ダラスの瞳は冷え切っていた。まるで蒙昧な不届き者を見るような目でエルマーを睨む。
ジクボルトは楽しそうにすると、そっとエルマーを鷲掴かむダラスの手を下げさせる。
「エルマー。ここはジルガスタントの教会内部、笑えることにここの国民は自身の国に聖遺物がないと思いこんでいる。」
「あ?んなわけねえだろ。ならなんでシュマギナールが進行してきてると思ってやがる。」
「ふふ、忘れ物を取りに。」
楽しそうに笑うと、ダラスが覗き込むようにしてエルマーを見つめて嫣然と微笑む。
まるで幼子に諭すかのように囁く姿は、見た目だけで言えばきちんとした祭司に見える。その実中身は弟の皮を被った悪魔だというから笑えない。
「忘れ物…?」
「最初の進行で、俺は始まりの大地で死んだ龍の土を持って帰った。」
成程、ダラスは運びきれなかったらしいその土を、土嚢代わりにし、兵を使って運び出したらしい。
屈強な男たちは向かう最中に土を運び出したとしても、土嚢ならば戦でも使う。何も疑いはしなかったのだろう。
「成程、進行のついでにか。」
「だから今回も、ジルガスタントの聖遺物を奪うつもりでいた。しかしそう何度も進行しているのにも理由が居るだろう。だから俺は最初から王を唆した。シュマギナールの大地を取り戻そうと。」
「オー、覚えてるぜ。俺は途中からそれに参加してたしなあ。まさかてめえの謀の手伝いしてたとは笑い話だぁな。」
「ジルガスタントはわかっていたさ」
「あ?」
ジクボルトがエルマーの痛めつけた腕に治癒をかけながら、とても愉快だという具合に声色を高らかにして叫んだ。
「だって!最初からジルガスタントは、あの土地はシュマギナールのものだと知っていたからねえ!土地を取り返すも何も、なぜ戦争をふっかけられたのかはわからなかったのさ!」
「は…!?」
ありえない、エルマーはそんな常識がまかり通るのかとさえ思った。シュマギナールは領土奪還の為に、そしてジルガスタントは国防の為に戦った。訳のわからない状況で、なぜシュマギナールが戦火をふりかけてきたのかはわからない。憶測で、おそらく植民地にするつもりで戦を仕掛けたのだろうと思っていたのだ。
ダラスは、最初から、といった。もしその最初が、シュマギナール建国時のものだったら。
「成程、最初の王に与えた常識から捻じ曲げてやがったのか化け物め。」
「より平和な国を作るための下準備なら、手間は惜しまない。それが常識になるように、何度俺が君臨し続けたと思っている。」
「魔王じゃねえか、くそ。」
見た目を変えず、少しずつ認識をずれさせる。繊細な魔力操作はそれを可能にした。ダラスが国の歌として国民に広めたのは、ダラスがずっとその容姿を変えないことの違和感を消すための詠唱だ。大掛かりな認識阻害を組み込んだ国の歌は、シュマギナール国民なら皆口にする。アロンダートでさえも、幼き頃から容姿を変えぬダラスを違和感なく扱っていたのだ。
「ここに来て俺が他国出身でよかったわ。まったく、下準備良すぎるだろう。」
「おや、その話はもっと聞きたかったかな。でも残念だ。もうすぐあの子供がここに来る。」
ぴくりとエルマーの目端が痙攣した。ナナシがここにくる。どうせならこんなところを見られたくはなかった。
「てめえ、何をするつもりだ。」
「残りの土と、ジルガスタントの聖遺物でルキーノを蘇らせる。そして聖石を取り込んだあのガキは、龍の復活につかう。」
「ざけんな!」
ブチンと後ろ手に縛られていた縄を引きちぎる。エルマーの体内の解毒は、どうやら会話をしている間に終えたらしい。ダラスの首目掛けて、勢いよく短剣を振り抜いた。
ジクボルトが目を見開いた瞬間、大きな音を立てて馬車の扉が破壊される。
狭い扉を押し広げるようにして侵入をしたのは、本性をみせたジルバ出会った。
「エルマー、仕留めろ!」
「るせぇ!!てめえもな!!」
首を短剣で捌かれたダラスは、傷口を抑えながら慌てて馬車から飛び出した。すかさずエルマーがその後を追うと、ジクボルトが邪魔をしようと呼気を毒に変えようとした。
「う、ぎ…!?」
「俺と遊んでくれ。ジクボルト。ちなみにこの俺に毒はきかぬぞ」
「くそ、半魔の魔女…!!」
ジクボルトの体は、蜘蛛の糸によって縛り上げられた。それも影で出来たものだ。毒など通用するわけがない。ジルバはジクボルトが、何なのかをわかっていた。
その体を押さえつけながら、ぐっと身をかがめて囁く。ジルバの目が怪しく光った。
「哀れな魔女の子ジクボルト。お前がやったことはきちんと理解しておるよ。無論、お前がダラスとともに居る理由もな。」
「何が言いたいのかなあ、君は。」
「ママの仇はもう済んだだろう。ふふ、あの御者を殺したのはお前なのだから。」
「…!」
ジクボルトは目を見開いた。なんでそんなことを知っているという顔だ。
ジルバの言う御者。それは龍眼をカストールに運ぶはずだった祭司が乗った馬車の御者だ。
あいつが、欲に目が眩んだ馬鹿な男が、わざとジクボルトと共にいた母に向かってきたのだ。
当然、母は魔術でジクボルトを守る為に馬車を弾いた。そして転倒した馬車の中に、あの祭司がいたのだ。
ジクボルトは引き攣れた声で歪に笑う。すでにジルバの術中に囚われたとも知らずに。
「クソ野郎だったよ。何もしていない僕達に、あいつは突っ込んできた。巻き込み事故だ。正当防衛だろう、運悪く祭司は死んだが、そもそもあいつの目的は最初から龍眼だった。むしろ、死んでくれて都合が良かったろうよ!!」
「そうして、お前の母が吊るし上げられたか。」
「そうだ!!子供の声なんて、届きはしない!僕は何度もいったさ、あれは違うと!!そして、僕を馬車から守った母は魔女の名を剥奪され、尽くした国に捨てられた。」
ジクボルトの狂気はそこから始まった。美しかった母を奪われ、死んだあとも母の遺体から片時も離れなかった。しかし、朽ちるのだ。だから手を出した。ずっと美しいままでいてもらうために、ジクボルトはエンバーミングを習得した。
「あいつに呪いをかけたのは僕さ、死にたくなければ龍眼を届けに来いといった。あいつが持ち去ったことは知っていたからね。あいつが治癒術師をしていたのは知っていた。いくら人を救おうとしても、行った罪は消えないというのに。」
「成程、だからあいつは無事に運ぶためにエルマーを使ったのか。」
「頭のいい男だ。義眼として嵌め込めるやつがいたからだろうけど、クラバットはただの合図さ。」
「その合図は知っている。龍眼は戻った。ジルガスタントへの進行の合図だな。」
「そう、おまえ、あたまがいいな。ともだちになりたかった」
口端から泡を弾けさせながら語っていたジクボルトは、微睡みのような感覚に陥った。こんなに昔語りをしたのは久しぶりだ。ジルバの瞳を真っ直ぐに見つめていたその瞳が、徐々に曇って行く。
「何度もいうが、お前はもう仇を取っている。きちんとお前の手で殺したのだろう。あの御者を。」
「ころした…ずっと監視してた…エルマーが立ったその日に、俺はあいつの喉笛を掻っ切ってやった…呪いで魔力をつかうのがばかばか、し、くて…」
「聡明なジクボルト、俺たちはお前の母のようなものを守るために設立された。今の魔女協会の魔女の鍋蓋はこの俺だ。」
「ああ、…あれ、そう、かあ?あ、おわ、た…あ?」
ジクボルトの口からは意味のない音が漏れる。だらだらと口端から唾液を垂らしながら、虚ろな目でジルバを見つめる。冥府を司る夜の女王の配下である魔女は、優しく微笑むと小さく呟いた。
「マダム·ヘレナ、夜を抱く貴婦人よ。」
ジルバの影が一気に教会を飲み込んでいく。その恐ろしいまでの漆黒は、その場にいるものの動きを止める。まるでベールのようなものがジルバの背後に揺蕩うと、黒のローブ・ア・ラ・フランセーズのドレスをまとった白磁の肌の貴婦人がふわりと姿を表した。顔をエナン帽で隠したその神は、嫋やかな手に美しい黒羽の扇子を持ちながら優雅な仕草でジルバに手を伸ばす。
「愛とし子、その者を迎えてやりなさい。」
「御意。」
ジルバの黒の左手に、余命を記す冥府の台帳が現れる。黒の羽根ペンでジクボルトの名を刻むと、その身から魂だけがふわりと浮かび上がる。
夜の女王はその青い魂をそっと手で掬い上げると、金色の魂がふわりとすがたを現した。
「それは?」
「この者の母の魂です。どうやら案じてそばにいたようですね。」
「…そうですか。」
ふわりと青色の魂を導くかのようにして、その金色の魂が昇っていく。ヘレナによって開かれた冥府への道筋を、そっと辿るように。
「まだ終わりではありませんね、ジルバ。」
「ええ、まだ終わりではない。」
ジルバがモノクルに触れる。その黒の左腕を差し出すと、ヘレナがそっとエスコートを望むように手を添えた。
ヘレナはベールの下でゆっくりと瞬きをすると、この黒に囚われたままの教会の一部を解放した。
縛っていた時を戻したのである。
時を止めていたすべてが一気に動き出す。まるで誘い込むようにしてダラスが教会の中央まで駆け上がると、それに続くようにエルマー、そしてギンイロに跨ったナナシが駆け上がる。
「える!」
「来んじゃねえ、馬鹿!!」
駆け上がってきたナナシの姿に目を見開いたエルマーが、何もない空間からミュクシルを出現させた。漆黒の体に金眼の幽鬼が立ちはだかるかのようにしてナナシの前に現れると、突然のことに驚いたギンイロが慌てて止まった。
「ひぅ、っ!」
「コイツ、エルマーノマリョクノニオイスル!」
両手を広げたまま、決して通さないというようにナナシの前に立ちはだかったミュクシルに敵意はない。ただ無言で立ち尽くす歪な幽鬼に、ギンイロもナナシもひどく戸惑ったように後ずさりをした。
「わるいこ…?」
「チガウ、トオシタクナイダケ。エルマー、シエキシタ」
「えぇ…」
ナナシは慌てて階段を駆け上がるエルマーを見上げると、懐の鞄からルキーノが声を張り上げる。
ー行って!!!行ってください!!どうか、兄の元へ…!!
「ナナシ、無事か!」
「レイガン…!!」
教会の扉からレイガンが駆け込んでくる。恐らく本性を出していると思っていたのだろう、蛇の面をつけたレイガンが、ミュクシルに敵意を表した。
「何故ここに幽鬼が…!!」
「だめえ!これ、えるのやつ!」
「は…!?」
ナナシの言葉にぎょっとした。どうやら来るなと言われているのはナナシのみらしく、ミュクシルはレイガンを視界に入れても特に反応はしなかった。成程、やはり欲に忠実なエルマーらしい性格だ。何が何でも番だけは守るつもりで居るらしい。
ルキーノは、悲鳴を上げるようにしてレイガンに向かって叫んだ。
ー僕を連れてって!!
「は、仕方ない。ナナシ、よこせ。」
「うん…!」
慌ててナナシが魂の結晶を取り出す。
それをレイガンに手渡すと、エルマーの後を追うように階段を駆け上がる。
あとから来たサジたちがぎょっとした顔でジルバとマダム·ヘレナを見つめると、事切れたジクボルトを見て察したらしく、小さく息を詰めた。
「ジクボルト…」
「サジ、こいつが暗躍していた。マダムの御前での敵への同情は許さない。」
「…くそ、なぜサジが先に見つけられなかったのかと思っていただけだ。」
「ふん、そもそもそんな情はなかったと。腐っても魔女だなあ、お前は。」
唾棄すべき相手を見るようにジルバを睨む。この性格のネジ曲がった魔女には痛くも痒くも無いだろう。
「不思議な気配がしますね、私をあの元に連れていきなさい。」
「御意。」
マダム·ヘレナの指先が、すっと伸ばされる。ナナシの方を指をさすと、ジルバがふわりと夜の女王を抱き上げた。
「サジよ。おまえの神にも準備をせよと申しておきなさい。私だけに仕事をさせる程、貴方は偉いのかと。」
「は、畏まりました。」
サジが綺麗なボウ·アンド·スクレープで返す。アロンダートはその背後で膝を付き、敬意を払った。
「さあ、長い呪縛は終局です。心して迎えなさい。」
マダム·ヘレナの冷たくも美しい声が、そっとその場の空気を震わせた。
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