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ナナシの運転の話(結婚編)エルマー×ナナシ
魔導。それは大気中の魔素を取り込みエネルギーに変換して稼働する機械のことである。この史上の発明品を世に広めたのが、エルマーの仲間であるアロンダートであるから驚きだ。
あれから長い年月をかけて、世の中の移動手段のメインは魔導式自動二輪、及び四輪車である。
値段は恐ろしく高いが、今は軽量化されたのもあり、市井のものたちにも少しずつ広まってきた。今は街と街を繋ぐ乗合馬車がわりの魔導式四輪車などが街道を定期的に巡回しており、昔のようにわざわざ徒歩で向かわなくて済むようになった分、人の流れが大きく変わり、国の発展へとつながったりもした。
そう、長い年月が経ったのである。相変わらずエルマーもナナシもエルフという振りをして暮らしているが、最近まで下の子であったウィルがカストールで医師として働くことが決まった数年前に、そっちににも別宅を購入した。海沿いの一軒家は、エルマーたちが使わない間はウィルが恋人と共に過ごすための愛の巣として使っているらしい。
「結婚すんのかなあ。」
そんなこんなで、最近のエルマーはなんだか少しセンチメンタルらしい。可愛いウィルが医師免許を獲得し、そしてカストールで一人暮らしをすると言った日の晩は、ナナシが呆れるほど枕を濡らした。結局大人気なく駄々をこねまくり、半年後の休暇は実家に帰ってくることを条件に送り出したのだが、当のウィルは、親の手を離れた息子よりも、生まれたばかりの妹に手を尽くしてやれとど正論を言われてから大人しくなった。
「エルマー、ウィルだってもうお年頃。いつまでも可愛いマシュマロちゃんではないですよ。」
「だよなあ…」
「シリル、パパはあなたがお嫁さんになる日も泣いちゃうかもですね。」
「やめろ早すぎる、んな未来は想像したくねえ…。」
生まれたばかりの三人目は、ナナシのよく似た可愛らしい妹であった。これにはエルマーもサディンもウィルも、大いに驚いた。だって、女の子なんて、大人の女の子しか知らないのである。幼い幼児ではあるが、ナナシが沐浴をするのも見ていいのだろうかとドギマギをし、オムツを変えるときも、変な汗をかきながらおむつ替えをした。
三人が三人、下の子のシリルにメロメロで、ナナシは特にエルマーに対しては、父親なのだから変な意識をするの、よくないですねと語っていた。
「シリルに会いたがってた。ウィルのところ遊び行くのもいいかもね。」
「…そういやサディンが有給溜まってるって言ってたなあ。」
「ナナシも、ウィルの恋人に挨拶するしたい、どう?」
「…車出すか。」
どうやらエルマーもいい加減愛息子に会いに行きたいらしい。もちろんサディンも愛しているが、やはりなかなか会えなくなってしまったウィルが恋しいらしく、気恥ずかしそうにしながら呟くエルマーに、ナナシは親バカだなあと面白そうに小さく笑った。
それから三日後の話である。サディンもまとまった休みが取れ、というよりは職権濫用でエルマーが無理くり申請を通し、ウィルにもこの日に行くからなと事前連絡きちんと済まして了承を得た当日。サディンもエルマーも何故か青い顔をしたままナナシを見つめていた。
「マジで、マジでやるのか?本気で?」
「片道の時間だって長いし、ほら、授乳だってあるでしょ。あんま無理しないほうがいいんじゃ。」
「苦手克服、えるがよく言ってる。ナナシもそう思う。シリルはえるが見てて。今日はナナシが頑張る日。」
ふんすとやる気を見せている姿は大変に可愛らしくていいのだが、何せナナシは不器用ここに極まれりなのだ。エルマーもサディンも、一応酔い止めは飲んでおくかと体の準備は万端にしたのだが、普段から運転が下手くそなナナシがハンドルを握るとなると、エルマーは気が気ではない。サディンも同じくである。
「なら市街地でて、カストールまで向かう大通りでてから交代しねえ?そこなら道も広いし運転しやすいだろう。お前はそのあいだシリルに授乳しとけ、な?」
「ううん…確かに。」
エルマーの提案に、ナナシが悩む素振りを見せた。シュマギナールを抜けるまでは道が入り組んでいるのだ。変なとこにぶつけられるよりは、広い道で慣れさせてやる方が余程いい。サディンは見事な折衷案を提示したエルマーを感心したように見つめた。
「父さん頭いい。」
「何年結婚生活してると思ってんだ。」
これくらいのことができなきゃ旦那やってられねえぜとドヤ顔をする。しかしエルマーは忘れていた。カストールに向かう大きな通りは二種類あるということを。
ヴン…、という魔導が魔素を充填している可動音が響いた。あれからエルマーの安全運転で市街地を抜けた後、約束通りカストールに向かうための大通りの手前のパーキングエリアでナナシと運転をかわった。シリルをしっかり胸に抱きしめ、シートベルトを締める。サディンは胸に十時を切ると、しっかりと前の席の持ち手を掴んで衝撃に備える。
「行きますよう」
「バッチコイ」
はぁい、といういつものマイペースな可愛らしいお返事の後、ナナシのハンドルを握る手に力が入る。
ナナシの魔力をハンドルから流したのだ。こうすることで魔導式自動四輪車の場合はスピードを出すのも止まるのも、全部ハンドルを握るものの采配となる。そう、采配となるのだ。
「みぎ、いない。ひだり、いない。まえ、うん、まえもへーき。」
ふんふん、と嬉しそうにご機嫌気味に鼻歌が交じる。微笑ましい、微笑ましいが、走りやすく危険ではないはずなのに、なんだか恐ろしい気がしてしまう。
「よいしょ!」
「うおっ、」
ぎゅっと握りしめたハンドルに流す魔力が濃くなった。ブォンという荒々しいエンジン音がしたかと思うと、エルマーとサディンの尻が一瞬浮いたのだ。
「ナッ、」
「える、今集中してるから、あとでね」
「ーーーーー!」
早すぎるだろう!?という声は届かなかった。ナナシが初めてハンドルを握ったときからなのだが、これに乗ると今までにないような真剣な顔付きになるのだ。魔力操作が非常に長けている分、ある意味安心ではある。安心ではあるのだが、なぜだが並走はゆるさないらしい。後ろから、この大地の名物となっているウルフハウンドの群れが追いかけてくる。
奴らは走るものを群れで追う習性があるので、あれが出てくると一度止まって、その群れを先に行かせるというのが一般的なのだ。
しかしナナシは止まらない。前述した通り、特に魔物が並走してくるのは絶対に許さないのである。
「な、ナナシ。アイツら先に行かせてやれ。」
「やだ!」
「か、頑な…」
むん!とむすくれたまま、サイドミラーで群れのリーダーが飛びかかってくるのが見えたのだろう、ナナシは軽やかにハンドルを切ると、スタントマンも驚きのドラテクで前輪を軸に一気に車体を回転させた。
「もー!こっちこないでえ!」
「いたいっ!!」
「うわあ!!」
遠心力によって、エルマーがサディンにぶつかる。シリルはどうやら構ってもらっていると思ったらしい。嬉しそうにキャッキャと笑っていた。
ギャンッという魔物の悲鳴が聞こえた。仲間同士でぶつかったらしい。ナナシは群れのリーダーである一頭が怒りながら飛びかかってくるのを認めると、窓から片手を出して結界を展開する。片手運転でそんな操作をできるのは、どこを探してもナナシしかいない。有り余る魔力とその類まれなる魔力操作は他の追随をも許さないのだ。
「か、母さんめっちゃかっこいい…」
「運転はともかく、あれみると惚れ直すよなあ、っとおおおおおお!」
ぼこん、と地面が盛り上がった。どうやら余程レベルを積んでいたらしい群れの一頭によるが土魔法を放ったらしい。
「俺が仕留めてくる、ナナシは運転してな。」
「そんなこと言ってミュクシルに騎乗して追いかけてくるつもりでしょ!父さんはシリル抱いてるんだから俺が行く!」
「ばっかやろ可愛い息子にんなことさせるわけねえだろう!ここはお父さんに任せなさい!シリルはお前が抱いてろ!」
「もー!うるさい!二人して喧嘩するならナナシがやるよう!」
親子喧嘩ともとれる言い合いに痺れを切らしたらしい。ナナシが一気に走り出すと、バキバキと地面は車体を追いかけるようにして亀裂が入っていく。
どうせ魔力切れを起こすと見越したらしい。ナナシは一気にスピードをあげるものだから、エルマーはシリルを抱き締めたままサディンの胸に飛び込む形になった。
「うおあああああ!!!」
「ぎゃああああ!!!」
前!!前!!と二人して真っ青な顔で叫ぶ。盛り上がるようにして繰り出された大きな土壁を、ナナシがびしりと手を突き出して魔力を込めた。
「瓦解!」
パァン!という破裂音とともに、ビシリと土壁に亀裂が入ったかと思うと、まるで内側から土壁が膨らむように破裂した。
ナナシ唯一の攻撃魔法であるそれは、内側から聖属性を宿し膨らまして破裂させるという離れ業であるが、これを魔物にやるとえらいことになるので、習得してからは無機物にしか行わない。
エルマーもサディンも、窓の外を滑るように飛んでいくいくつもの瓦礫が後の群れに直撃し、己の繰り出した魔法でやられたウルフハウンドの一隊を可哀想なものを見る目で見送った。
絡んだ相手が悪かった。おっとりマイペースのナナシが、ハンドルを握ると容赦がないことを知っているのは、エルマーとサジ達くらいしかいないが。
「群れはもういねえから安全に運転してくれえ!」
「はぁい、」
「いや母さん車に結界張るとかそういうんじゃなくって!!!」
キンッと澄んだ音とともに張られた結界ごと車を走らせる。そういや雨の日も結界張って雨よけにしていたこともあったなともおもったが、ナナシは何かを思いついたらしい。ふと最短距離に使う森を見つめると、エルマーは嫌な予感がした。
「おい、だめだ。それはだめだやめてくれ」
「カストールはやくいきたい、だからナナシはこの道にします」
「え、母さんまってそっち道じゃね、」
「うわあああ!」
結界を張ったから大丈夫ですよう。とかのんきに言いながら、ナナシはそのまま最短距離の森に突っ込んだ。そして草むらやら木っ端は結界が弾いてくれるから思ったよりもスムーズに進んでいくのだが、やはり森に住む魔物だっている訳だ。
途中縄張りに入られたと勘違いしたオークの群れやら、トレントの触手攻撃をハンドルさばきでよけながら、車体はがたがたと道なき道を進んでいく。
酔止めを飲んでいてよかった。エルマーは胃と三半規管に強化魔法をかけていたが、サディンはエルマーの横で袋に顔を突っ込んでいた。
「き、バイコーンの騎馬訓練より辛い…ぉええ…」
「あっちよりこっちのが暴れ馬だからな…おーおー、大丈夫かサディン。」
「むり…おえっ」
車を止めたナナシが、心配そうに後ろを振り向く。
どうやら時間的に授乳もあるらしい、サディンはハッした。無論、エルマーもである。
これはハンドルを奪い返すチャンスではないか。そう親子は視線だけで意思を通わすと、サディンは具合の悪そうな顔をしてナナシを見上げた。
「ナナシ、わりいけどサディン具合悪いからみてやって、俺が変わりに運転すっから」
「はあい、サディン平気?お膝で寝ていいよ」
「修行が足りなくて、ごめん…」
シリルを胸に抱くと、サディンの頭を優しく撫でる。ぐったりとしたサディンの原因が己のドラテクだとはついぞ思わないナナシは、後ろに乗ってたからかなぁと心配そうに言っていた。
むしろ前だったら余計にえらいことになっていただろう。エルマーは何も言えないあたり嫁の尻に敷かれているのだが、この家族の中でのカースト一位はナナシであるからして、父と息子は無言で微笑みだけに留めると、まあシリルが楽しそうだったからいいかと思うことにした。
「え、だからそんなに疲れてたの?だめだよ母さんにハンドル握らせたら。」
「ええ、ナナシだってできるよ?あれは道がいくなかっただけだもん。」
カストールについてから、エルマーのマシュマロちゃん、もといウィルが二人の疲弊っぷりと元気なナナシとシリルをみて状況を把握したらしい。唯一母を毅然とした態度で嗜めることのできるウィルは、苦笑いをしたあとにナナシにそう宣った。
「だってハンドル握るナナシはかっこかわいいだろう。」
「父さんは母さんに甘すぎるなあ。」
「お前にも甘いぜ?なんだ妬いてんのかウィル。」
「ちょ、もう父さんのマシュマロちゃんは卒業してるからあんまくっつかないで」
「なんでえ!?」
がしりと肩を抱いてきたエルマーに、ナナシに似て美しく成長をしたウィルはむすくれたままエルマーを押しやるものだから、エルマーは余程ショックを受けたらしい。よろよろとナナシに抱きつきに行って慰められる様子を見ていたサディンが、相変わらずウィルはツンデレだなあと思った。
「そういえばサナは?」
「今日は教会だよ、墓参りの後に医院に来ることになってる。」
サナとはユミルとレイガンの血筋の子であり、現在はニアを使役しているカストールの近衛を務めるものだった。現在はウィルと交際しており、それはエルマーも知ることなのだが、先祖返りかしらないがレイガンによく似ているのだ。
なのでウィルとサナがともにいるのを見るとエルマーは嫉妬する。それをウィルにうざがられている原因とも知らずに。
「そういやプロポーズは答えたのか?」
「ばかっ、」
「プロポーズ!?!?!?なんだそれ俺は聞いてねえぞ!!」
「サディン、言うなって言ったのに。」
「悪い…」
むすくれた顔でウィルが睨みつける。サディンはたじろいだが、顔を色々な色に染め上げているエルマーの横で、ナナシは頬を染めながら顔を輝かせる。
「ウィル!お嫁さんになるの!おめでとう!」
「まて俺はまだ許してな」
「父さんは黙ってて」
「える、かっこよくないよ」
「なんでだあ!」
へなへなと落ち込んだエルマーが、今度はサディンの方に来る。別に構わないのだが、ウィルでこれならシリルのときは死ぬんじゃないかと少しだけ心配になった。
「ちなみにシュマギナール戻ったら子供も作る予定、だからお父さんはおじいちゃんになります。」
「ーーーーー!!」
「ウィル、お前それトドメ…」
ナナシもエルマーも、ウィルによっておじいちゃんにさせられる。サディンもまだ恋人がいることを言っていないのだが、まさか弟に先を越されるとは。
サディンの身体にもたれかかりながらショックで絶句しているエルマーの髪を、シリルはおもちゃにして遊んでいる。
ナナシは嬉しそうにぱたぱたと尾を振りながら、早く孫の顔が見たいねえる、と落ち込むエルマーの頭をよしよしと撫でた。
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