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「ありがとうございます、1300円です」  桐谷(きりや)は立ち上がり、同人誌の代金を客から受け取った。  先程から慣れた手付きで桐谷は真顔のまま金銭授受を繰り返す。客たちが買って行くのは表紙に成人向け・18禁と書いてある、二次元特有の重力無視された巨乳女子たちが卑猥な姿で描かれた漫画の数々である。  このエロ漫画の作者は桐谷ではない──。  桐谷はあくまでも売り子と呼ばれる店番であり、雇われだ。本来の作者は別にいて、訳あって直接参加できないため桐谷はここにいる──。  彼自身、こういったサブカルチャーな世界には全くもって興味もなければ知識もない。なので客とのやり取り以外は基本スマホを眺めて時間を潰していた。 「(ねみ)ぃな……早くおわんねーかな……」  本が売り切れるのが先が、イベントが終わるのが先か──。  桐谷はお世辞にも態度が良いとは言えない、大きな身体をのけ反らせ、退屈そうにパイプ椅子にもたれかかった。  イベントが終わるより先に本が無事完売し、それ以外の荷物は作者宛に宅配便で送る段取りをして、桐谷は手ぶらで会場を後にした。  本が完売したことを作者本人に業務連絡し、売上から約束のバイト代である三万円を抜き、昼飯を少し奮発するかと桐谷は駅へ向かって歩く。  都心から遠く離れた辺鄙な場所にある会場から電車を乗り継ぎ都心部まで出ると、日曜の駅前は相変わらず人で賑わっていた。  だが、普段の日曜とは比べ物にならない異様な人の溢れ具合に桐谷は怪訝な顔であたりを見渡す。人混みは若年層を中心としたほとんどが男性で、彼らはある一定の方向を見ながらこれから起こるであろう何かを今か今かと待っているようだった。 「ゲリラライブだって!」と、桐谷の隣をスマホを片手に若者たちが追い越してゆく。 「──ゲリラライブ?」  桐谷はしまったと思ったが、時すでに遅し。騒ぎが騒ぎを呼び、桐谷の周りはすでに人だかりの塊と化していた。抜け出そうにも大勢が前に進もうとしてる中、桐谷一人だけが逆流するにはかなりの無理があった。  桐谷の背後で突然大音量の音楽が流れだし、周りは一気に歓声に包まれる。 「うるせっ……」桐谷は片耳を手で抑え、肩をすくめながら必死に人混みから抜けようと進み続ける。 「皆さーんっ、こんにちはー!! LOVE(ラブ)6(sicks)でーす!」  大型のステージトラックの扉が開き、中から6人組の女性アイドルたちがマイク越しに声を上げた。人々の歓声はさらに膨れ上がり、一気にその場の温度すら上がったように感じた。  それは芸能界に疎い桐谷がとある理由から唯一知っていたアイドルグループで、国民的アイドルと呼ぶにはまだまだではあるものの、グループ名はそれなりに世間に浸透しており、最近ではCMやドラマなどにもよく起用されている。  桐谷は少しずつではあったが、人混みから次第に抜け出すことができ、勢いをつけて最後に残った肩を前に出したその瞬間、人の身体が桐谷の前に突然遮断機のように降りてきた。 「うわっ!」と桐谷は驚きながらも反射的に両腕を出し、その身体をどうにかキャッチすることが出来たが、ほとんど意識がないのか思った以上に相手の体重が重く腕にのし掛かり、桐谷はそのまま膝を崩し、ギリギリ尻もちはつかない一歩手前でどうにか踏みとどまった。  腕の中に落ちてきたのは、空から降ってきた来た可愛いおさげの女の子でもなんでもなく、ただの地味な男だった──。内心ガッカリした桐谷ではあったが、腕の中で青い顔をした男を見捨てるわけにいかなくて、肩に担ぎ直し、引き摺りながらようやく人混みから脱出することが出来た。  歩道にあるガードパイプに意識朦朧な男をもたれさせ、何度か肩を揺らしながら声をかけると男はうっすらと目を開けた。  そこで桐谷は相手の正体にようやく気付く。 「──(みね)?」  峯と呼ばれた男は桐谷と同じ大学の学部に通う同級生だった。同じグループでも何でもないが、講義が幾つかかぶっていて、辛うじてその苗字だけは知っていた。 「……きり、や……」  どうやらそれは向こうも同じだったようで、今日初めて口をきいた二人ではあったが、お互い名前だけは知っていたようだ。  峯は一切染めていないであろう真っ黒い癖毛をさらに際立たせるような、日光に当たったら死ぬんじゃないかというくらいに青白い肌をしていた。  その肌の色に殆ど桐谷の偏見ではあったが、普段の休日の過ごし方が伺えた。大学で見かける服装とほぼ変わらない、まさに特徴のない大手衣料量販店で揃うようなごく平凡な普段着姿に峯の関心の比率が見える。 「お前大丈夫か? どっか病気?」 「──うぅん……ちょっと、人酔い、して……」 ──嗚呼、やっぱり。と桐谷は己の偏見に納得する。 「水買ってこようか?」 「大丈夫……カバンに、入ってる……」と峯はよろよろしながらバックパックの中からペットボトルの水を出した。その時うちわらしきものが中に見え、「うちわ? 丁度いいじゃん、扇いでやるよ」と手を伸ばした桐谷に峯は明らかに動揺したが、意識がぼんやりしていたせいで、反応があまりにも遅すぎて、そのうちわは既に桐谷の手によってバッグから出された後だった。 「──"ゆりあ推し"……」 「あああっ、それはっそのっ……」  黒地のうちわにピンクの蛍光カラーで貼り付けられたその言葉を桐谷は素直に口にして読んだ。峯は動揺のあまり水を落としそうになっている。 「お前もLOVE6(あのアイドル)見に来てたうちの一人だったのか」 「……うん」  もう逃れることのない事実を前に、峯は何とも言えない渋い表情で素直に自白した。 「ゆりあ……って、白野(しろの)柚莉愛(ゆりあ)?」 「えっ、桐谷、柚莉愛ちゃんがわかるんだ?」  顔色が悪い癖に峯は少し表情を明るくして、妙に嬉しそうに反応してみせた。 「──まぁ、あの真ん中の巨乳だろ?」 「きょっ……、そ、そうだけど……でもっ、それだけじゃなくて、柚莉愛ちゃんは歌もダンスも上手いし、それに何よりすごく可愛い!」 「……お前女の見る目ねぇな」  その言葉に峯は明らかに傷付き、腹を立てた様子だったが、自分が好きで心から応援しているアイドルを否定されれば当然の反応だろう。  余計なことを言ってしまったと、桐谷はやや後悔したが、すでに口から出たものを今更取り消すことはできない。居た堪れない空気から脱するべく、ここは早々に立ち去るしかないと桐谷は腰を上げた。 「──悪い。人の趣味に口出すことじゃなかったな。ここからでも歌は聴こえるし、ギリ見えんだろ。そんな身体で無理してまた中に戻ったりするなよ、じゃあな」 「桐谷!」  さっさといなくなろうとする桐谷を峯が呼び止め、少しだけ間を開けて桐谷は振り返った。 「ありがとう。助けてくれて」 「──いや。お大事にな」  こんな無礼な男相手に、それでも素直に礼が言える峯に感心しながら桐谷は再び歩き出した。  夕方になり、ネットカフェで漫画を読んでいた桐谷の携帯がテーブルの上で振動し、画面を確認した桐谷はシラけた表情で短くため息をつくとゆっくり腰を上げた。  タクシーを拾ってセキュリティが完備されたコンシェルジュ付きオートロックマンションに到着する。  自分を呼び出した相手の部屋番号を押すと、返事する声もないままエントランスのロックが解除された。  部屋のインターフォンを鳴らすと返事もないまま部屋のドアが中から開き、顔を合わせた瞬間向こうが「お疲れ〜」と声をかけてきた。 「──それやめろよ」と桐谷は露骨に嫌そうな顔をした。  桐谷を迎え入れてくれた相手は女性で、年齢は桐谷と同じ18歳だった。  艶やかな黒髪ロングストレートの清純な髪に似合うナチュラルな眉にハッキリした二重の丸い瞳。どうやらすっぴんらしく、膨らんだ涙袋効果なのか余計に年齢よりも幼く見えた。  それに反して過剰に成長した胸が窮屈そうにバスローブに仕舞われていた。  相変わらず顔と身体が合っていなくて、桐谷は金で出来た偽物なのではないかと、廊下の前を歩く揺れている尻をおもむろに撫でてみると「気安く触んな」と舌打ちされた。  彼女は桐谷を三万で売り子として雇っている相手であり、つまりはエロ漫画の作者である──。 「今日はありがとねー、いやマジ感謝! 次もまたよろしくねーっ」 「予定が空いてればな」 「どうせいつもぼっちなんだから、予定なんて幾らでも空いてんだろ」 「お前な」  彼女は身体だけでなく、口も顔と反比例していてすこぶる悪かった──。  3LDK──。  18歳の女子一人が住むには無駄に広くて、無駄に高いマンションだ。だが、彼女はこの家賃を自分の給料で払えるくらいには稼ぎがあった。 ──なぜなら彼女は、LOVE6という人気アイドルグループの一員だからだ──。  しかし、このマンションは全て事務所負担であり、行き過ぎたファンやストーカー防止対策のため、セキュリティの強い良い物件に彼女を住まわせているのだ。  特に彼女はグループの中でも一番人気を誇っており、今日のゲリラライブのほとんどが彼女目当ての客だったことはわざわざ調べなくともそれはすでに周知の事実で、最低でも確実に一人は彼女目当てであったことを桐谷は同級生のうちわで確認している。 「柚莉愛(ゆりあ)がこんな口の悪い性格ブスで、その上エロ同人作家だなんて知ったらファンが泣くな」 「うるせぇよ。でもまあ、同人作家ってのはまた別の新規のオタクがつくと思うんだよねぇ〜」  柚莉愛のいうオタクとは俗世間でいうところのアイドルファンの別称だ。桐谷はその呼び方が基本的に好きではないので使わない。 「CMの仕事は減るだろ。清純派アイドルにエロはイメージやべぇって」 「エロが嫌いな人間なんかこの世にいるの? 聖人ぶってんなよって話。この世からエロが消えたら必然として人類皆滅びるからね」 「夢くらい見せろよ、仕事なんだから」 「ねぇ、もう説教ウザいからさっさと風呂入ってきてくんない?」  柚莉愛は桐谷の話にうんざりした様子で一人でソファに座るとテレビをつけて待ちの姿勢に入った。最早それは18歳の風格ではない──。 「マジでファン泣くぞ」と桐谷は呆れながらも大人しく風呂場へと向かった。  桐谷と柚莉愛の出逢いは一年前だ──。  その頃柚莉愛はまだ事務所の研究生で、デビューすらしていなかった。  だが、事務所には所属していたのでテレビや雑誌にはほんの少しではあるが呼ばれることがあり、その時に雑誌モデルであった桐谷と知り合ったのが二人のはじまりだ。  桐谷は当時、柚莉愛と同じく高校三年生。出版会社にいる親戚に頼まれて、割の良いアルバイト代に釣られ、モデルの仕事を手伝っているだけにすぎなかった。桐谷は金で動いただけの、この業界に一切何の興味もない男だった──。  柚莉愛はとにかくその点が気に入ったのだ──。  全く自分のことも知らなければ興味も持たない。  一緒に撮影している間、野暮な質問をしてくるような頭と下半身が軽そうなこの世界でよく遭遇しがちな男とは違い、このつまらない撮影時間が早く終わりますようにと常に心の顔に書いてあるような、どこまでも低温な男だったのだ──。  柚莉愛は18歳になったら今までこっそり家で描き溜めていた漫画の構想を同人誌で形にすることをずっと夢に見ていた。  本当なら自分が即売会に赴き、活動するつもりだったが、当然ながら事務所に猛反対され、ネットでこっそりやるべきかどうするかをずっと考えあぐねていた。  そんな時、桐谷は現れたのだ──。  金に釣られて頼まれた仕事を淡々とこなす桐谷は、柚莉愛にとって最高の鴨だった。  同人誌の即売会で売り子をやってほしいという素人には受け入れ難いマニアックな頼みに、当然桐谷は露骨に嫌な顔をして「そういうのは面倒だ」と即断った。  だが、柚莉愛はそこへプラス条件をつけたのだ──。  自分と金でセフレにならないか、と。  柚莉愛にとって桐谷との行為は全て漫画の資料に過ぎなかったのだ。  本当に欲しいのは行為でなく、桐谷の引き締まった肉体であり、それは骨格からはじまり、筋肉のつき方、そして普段はまじまじと観察することが不可能である男性器であったり──。  体位の資料のために完全空気無視でいきなり写真を撮り出す柚莉愛にさすがの桐谷も最初は呆れ返っていたものの、一年もすればすっかり慣れてしまい。柚莉愛が写真を撮るのに忙しい時は桐谷自身も裸のままスマホをいじっているような始末だ──。 「いてぇな! お前何してんだっ」 「尿道プレイってしたことある?」 「ねぇわ、つかこの歳でやってるやつまずいねぇだろ」  柚莉愛はスタイル抜群な自身の身体を何ひとつ隠すことなく、撮影用タブレット片手に桐谷の男性器を乱暴にもう片方の手で弄っている。相変わらずの滑稽な絵面だ。 「お前、俺のが使いもんにならなくなったら賠償金請求するからな、もう少し大切に扱えよ」 「ダメになったらまだアナルがあるじゃん! 気持良いらしいよ。あっ、今度なんかヤる? 録画していい?」 「マジでお前……女としてっていうより、もう人として終わってるからな」  もちろん二人のこの謎な関係は事務所の人間どころか他の誰も知らない──。  これは謎の価値観と利害関係が一致した二人だけの秘密であり、桐谷にすれば相手がアイドルである柚莉愛なことは大した問題ではない。 「でもさぁ、仮に3P(さんピー)するとしてもアンタみたいに融通のきく、口の硬い男いないよねぇ〜」 「お前のいう3Pって俺が掘られるやつのか、流石に死ぬわ」 「他に何があんのよ」 「てか普通はその他が主流なんだわ」  目の前のアイドルが自分を危険に晒そうとしている恐ろしい妄想発言をしてる中、ふと桐谷は昼間に会った同級生を思い出した──。 「口から泡吹いて倒れるやつなら知ってるな……」 「は? 何そのとんだ純情ボーイ」

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