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15 再会編 レイ先生1

 ヴィオは一番年上だったから、先生たちはヴィオには余計に時間をかけて丁寧に色々なことを教えてくれた。今まである意味ただ里の中に放っておかれて、食べて寝て畑を耕してと繰り返される毎日を過ごしていたヴィオには、打ち込む物などなにもなかった。  しかし学校という居場所を得てからは水を得た魚のように、熱心に勉強に打ち込んでいったのだ。学ぶことが楽しくて、生き生きとした姿は里の大人たちや姉のリアにも影響を与えた。リアは自分も学校に通えばよかったと少しだけ後悔をしているようだった。  結果、一年半後には教科によっては同じ年の中央の若者と遜色のない学力を身に着けていた。  字も大分上手になって自信が生まれたので、それはもうせっせと手紙を書いてはセラフィンに送っていた。ヴィオには先生からの手紙は直接手紙が届いたが、ヴィオから手紙を出すときは切手代も馬鹿ならなかったので、勉強の一環ということで学校長がこっそり中央に出す手紙の中に忍ばせてくれたので、『ジブリール様』伝いに先生に届いているらしかった。  セラフィンは多忙なためか2.3枚に一回返事が来る程度だった。毎日それを待っては家にいる時は郵便配達員が通りがかかりそうな時間には里の前の道にまで出て行ってしまう。  先生が手紙にしたためてある内容は中央での暮らしで、あまり変わり映えしない内容だったから大人というのは手紙に書くこともあまりないような無味乾燥な日々を送っているのかもしれないとヴィオは思った。  そんな生活の中、先生は今幸せなのか? ヴィオにはそれがすごく気がかりだった。自分は毎日やりたいことが沢山あって今幸せだから、大好きな先生にも幸せになって欲しかったのだ。  そんな感じの内容の手紙でも、セラフィンの少し神経質そうな右肩上がりの字で返信が来たときは毎回、天にも昇る気持ちだった。  高等学校と同じ学力を試す試験を学校で受けさせてもらい、卒業資格を得るために、中央高等学校の講義録も取り寄せてもらって読んでは内容の理解具合を見られるレポートを書いて送り、単位をもらうというのも日頃の勉強と並行して行っていた。レイ先生、アン先生も科目毎に交代しながら熱心に教えてくれた。  学校長や用務の男性は、勉強は勿論だが本当は母親が家庭で教えてくれるようなことも、授業の一貫として学ばせてくれた。  青年に向かうヴィオが独り立ちしても生きていけるように、簡単な料理、列車の時刻表の読み方、食事の礼儀作法などそれは多岐にわたった。  名家出身のアン先生は若いのに礼儀作法にとてもうるさくてへき癖したが、後にヴィオが何所に行っても困ることがないようにとの信念がありとても厳しかった。  老若男女バランスの取れた大人たちはそれぞれに持ち味があり、どの人も素敵な大人だったが、とりわけ黒縁眼鏡をかけたほっそりし華奢な男性で、おだやかで物静かなレイ先生がヴィオは大好きだった。彼の教えてくれる地理や科学、数学の授業は難しいが躓くたびに放課後まで熱心に教えてくれたのだ。  しかしヴィオが先生の身長を追い越した辺りから、先生はヴィオと二人きりになることを避けるようになってきた。  ヴィオは先生に嫌われてしまったのかと、それが悲しくて……。アン先生はそんなヴィオを心配して二人の間に仲立ちしてくれるため皆でお茶会を開くことになった。  とある放課後、教員宿舎の暖かな食堂で皆で中央から学校長が持ち込んだ香り高いお茶を嗜んでいた時、レイ先生はヴィオにある秘密を打ち明けてくれた。それはヴィオが成長して行く過程で避けては通れない話だった。 「ヴィオ、この世界には男女の性別の他に2番目の性別というのが存在している。アルファ、ベータ、オメガの三つ。このことは前にも話したことがあったよね?」 「はい。先生。僕の父がアルファ。母はオメガだったとは知っています。里の皆がそういってたから。アルファもオメガもあまりいなくて珍しくて、あとは記憶はないけど兄弟にもう一人と…… 従兄弟のお兄ちゃんがアルファです。後はわからないけど…… オメガはあったことはありません」  そもそも学校に通えるようになるまで里からほとんどでなかったヴィオの経験値ではそんな程度のことしかわからない。  大人たちは勿論そんなことはわかっていて、ヴィオに理解できるよう易しく話を進めていこうと顔を見合わせていたが、レイが今日こそ彼の秘密を打ち明けようとしているとみると日頃のおしゃべりを封印して黙っていた。 「オメガはね。発情期になるとフェロモンを出してアルファやベータ相手に、時としてどうしようもなく興奮を覚えさせてしまう……つまり悪い影響を与えてしまうんだ。そしてアルファがオメガの項っていう、ここ。首のこの辺を噛むと番という離れては生きられないほど強い絆ができ上る」  先生は男性にしてはほっそりした滑らかな首元を襟の詰まった服を緩めて出しながら指さした。そこにはなんの噛み痕もない。 「ふーん。そうなのですね」  あまりピンと来てないのか少し生返事のヴィオに、大人たちは少し苦笑した。 「ヴィオはもうすぐ思春期に入る。そうしたら僕のフェロモンの影響を受けるかもしれない。だから話しておくね。僕はオメガなんだ。中央では教師の道を閉ざされていたのを、ジブリール様がここへ誘ってくれた」 「先生が、オメガ!?」 「抑制剤を飲んで仕事をしてきたのだけれど…… 最近効き目が悪くなってしまって。小さな子供には影響はないけれど、それでも発情期に急に入ってしまったりしたりとか、万が一に備えて、思春期に近づいたヴィオと二人きりにならないようにしてきた。けしてヴィオのことを嫌いになったわけじゃないよ。君は僕の初めての生徒で、一番頑張り屋の素敵な男の子だよ」  先生の微笑みが優しく、しかし少しだけ寂しそうでもあった。ヴィオは先生に嫌われたわけではなかったとホッとしながらも、その切なげな笑みに胸を締め付けられた。そして不思議とその寂し気な表情から中央にいるセラフィンを思い起こしていた。  実際のところ先生がオメガであることがどうしてヴィオに関係があるのかまだまだ性的なことに疎いヴィオにはまるでわからなかったのだ。  だが間もなくある時事件が起きたのだ。  その日もいつも通りの放課後だった。  レイ先生は体調が優れないということで、早めに授業を終えて宿舎で休んでいた。用務さんは街へ学校長と用事があって少しだけ留守にするといわれ、ヴィオはアン先生とともに授業を終えた子供たちがバスに乗り込むのを見守っていたのだ。  レイ先生は数カ月に一度こうして熱を出して寝込む。それが発情期であるとは今一歩理解の及ばぬヴィオは心配になって飲み物を持って教員宿舎を訪ねていった。  宿舎の玄関先には箱に入った沢山の野菜や瓶詰などの食材が置き去りになっていて、ドアも開いたままだった。裏道に繋がるところにレストランのお兄さんがいつも乗っている三輪の車が止まっていたから、きっと彼がこれを置いていったのだろう。  二階の先生の部屋に行こうと階段を上がっていくと、何やら甘い香りとともに男たちの、言い争うような声が聞こえてきたのだ。  背筋をゾクゾクと悪寒とも怯えともつかない何かがはい登り、ヴィオは足が震え出すのを抑えきれない。しかしなんとか先生の部屋の前までたどり着いたのだ。  扉が少し開いていた。中には寝台の前に立ち、もみ合う二人の姿がヴィオの目に飛び込んできた。腰を抜かすほど驚いて、水差しを落としかけて我に返ると、持ち前の反射神経でもってぎゅっと握りしめる。  扉の隙間からどんどんとバニラクッキーのような甘い香りが立ち昇ってドキドキしてきた。  アッシュブロンドの髪の大男が、ほっそりした先生の肩を逃がすまいと掴み上げているようかのように見える。  その大きな後ろ姿からもわかる。子どもたちにも優しくて親切な、レストランの料理長、カレブさんだった。先生が彼から逃れるように身をよじり、ダークブラウンの柔らかな髪を振り乱して首を振る。  逃げようとしているのか、相手を誘うようにしなだれかかっているのか。 判じがたいほど日頃の先生とはまるで別人のようなその姿。長い裾の白い寝巻から伸びた初めて見る先生の足は真っ白で女性のそれに近いほどしなやかだ。  男の背から時折覗くその顔はいつもの学者然とした先生ではなく、頬が赤く染まり眼鏡のない砂糖を溶かしたカラメルのような甘い目元からは大粒の涙が零れ落ち、唇も赤く染まって半ば開かれ。その蠱惑的な色気にヴィオは衝撃を覚えた。 (これが、オメガ?)  ついにカレブの腕の中に捕まった先生は、逞しい抱きすくめられたまま情熱的に愛を囁かれていた。 「レイ、愛してる。俺にはお前だけなんだ。一生大切にする。お前を無理やり従わせて、番にしようとしたやつのことなんか忘れて、俺の番になってくれ」

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