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24 再会編 フェロモン

「もう、私も沢山行きたいところがあるんだからね。でもね、今回はゆっくり観光をしている時間はあまりないんですって。ついたらその日に病院にかかって、次に日に少し街を見物してからすぐにカイ兄さんと一緒にこっちに帰ってくるのよ」 「病院……」  その単語を口の中で転がすように呟きながら反射的に眉をひそめたヴィオがカイの腕を離して一歩引き下がる。ヴィオが不安に思ったと考えたのかカイは少し屈んで年長者らしく優しく笑った。 「リアが病気とかそういうわけじゃないからそんな顔をするな。お前たちもう成人したのに一度もバース検査を受けてないだろうから、一度受けたほうがいいとアガ伯父さんと相談したんだ。本当だったら少し長めにこちらにいられる予定だったのが、急な用事が入ってしまって一度向こうに戻るから、そのついでにお前たちを中央に連れて行こうと思ったんだ」  ヴィオは一瞬自分は行きたくないといって拒むこともできるのではと思ったが、今まで中央に行きたがっていたことを周りも知っているため妙に勘繰られると後々動きにくくなる。 (姉さんは番や結婚のことを知っているのか……。でもバース検査をするってことはきっと結婚にもつながっているって薄々思ってるんだろうな。機嫌いいのがその証拠だよな)  ヴィオが黙った後も日頃していない薄化粧をしたリアはカイの腕にくっついたまま一生懸命、病院の後に回りたい店の話をしている。カイが帰ってくると聞いた日から、叔母たちとあってはカイの話ばかりしていたから、久しぶりに会えて本当にうれしそうだ。カイは辛抱強くその話を聞いていて、このまま二人が結婚してくれたら手放しで祝福して喜ぶのにと苦しく思う。  なのになぜかカイはヴィオの背にさりげなく回した腕をけして外さないのだ。その太く頑強な腕の囲いの中ではヴィオは幼いころのようにちっぽけなままだった。  そしてヴィオの細い背中を伝うように甘さとその奥に樹木のように落ち着いた香りが這い上ってきた。  ヴィオの心と体を絡めとろうとするような、魅惑的な香り。  ヴィオは背筋を駆ける甘い痺れを感じながらも、あえてそれに気づかぬふりをした。  翌日、中央行きの準備ができるのは一日だけだというのに、カイがやたらとヴィオに構ってくるから内心うんざりしてしまった。あんなに大好きな従兄だったのに、疎ましく思う瞬間があるのがまた哀しい。 朝早くから学校に行くと言ったら、そういえばヴィオの学校に行ったことがなかったからとついてきたし、そのせいで先生たちとゆっくり話をする暇がない。  今こそレイ先生の力を借りたいのに、そのレイ先生とカイは中央の話で盛り上がり、妙に話が会うのか二人きりにさせてくれなかった。 そのうち子どもたちも登校してきてしまってヴィオはいつも通り自分も小さな子供たちの世話をしながら先生たちの手伝いをはじめた。 「ヴィオが学校の手伝いをしているとは思わなかったな」  何が楽しいのか嬉しそうに子どもたちの授業の様子を後ろに陣取ってみていたカイは、のんびり屋で落ちこぼれていく子の面倒を見て丁寧に教えて回るヴィオに感心した様子だ。 「家にいても……。朝、叔母さんたちの手伝いをしたらやることないから。それなら学校で手伝いをしないかって誘われたんだ。本当ならもう少し時間がかかると思ってたんだけど、僕はもうこの学校で学べることの単位を取り終わったから。今まで先生にいろんなことを教えてもらったし、僕も恩返ししたいしね」  大きく窓を開け放たれた校舎は周囲の林から涼しい風が吹き込み、明るい光にあふれた居心地よい場所だ。最初は少ししかなかった机も生徒とともに増えてきたし、空き部屋だった教室も今では使わないと間に合わないほどだ。 「ここはいい学校だな。俺も子どもの頃からここがあったら、人生変わってたかもしれないな。子どもたちもヴィオによく懐いている。お前は面倒見がいいんだな。ヴィオ、子どもは好きか?」  授業の合間のこの時間、教室は元気な子供たちの歓声で溢れている。彼らは先生よりさらに身近で甘えられる存在としてヴィオの腰や背に張り付いてくる。みな学校ができた時から一番年上だったヴィオのことをヴィオお兄ちゃんと呼んで慕ってくれている。ついでに男の子たちは大きなカイに興味津々な様子で、それをいなすカイは子どもの頃ヴィオとリアと遊んでくれた時と変わらぬ暖かな笑顔を向けている。飛び掛かってはぐるぐる回されたり、担ぎ上げられたりして大いに盛り上がった。 「みんな可愛いよ。僕はずっと里でも年下の方だったからさ、頼られるの嬉しい」 「みんなヴィオお兄ちゃんが大好きだよね~」  おしゃまな女の子たちはヴィオの髪の毛を編んだり結んだり好き勝手にいじりながらもニコニコと綺麗なヴィオの顔を眺めている。たまにカイの顔もうっとり眺めたりするから女の子は小さくてもいっぱしの女性だ。 「ヴィオお兄ちゃん綺麗でカッコいいし頭もいいもの」 「じゃあ、ヴィオお兄ちゃんが遠くにいったら、寂しいかな?」  そんな風に不意にカイが意味深な台詞を言ってヴィオに揺さぶりをかけてくる。カイの真意が分からず、ヴィオは咄嗟にそしらぬ顔を作れずきゅっと口をつぐんでしまった。成人したてのヴィオとずっと年上のカイとではまだ大人と子供ぐらい違うのだ。この言葉にたいした意味がないのか、それとも何かの謎かけをしてヴィオの出方をまっているのか。まるで分らない。 「寂しいにきまってるじゃない! ずーっとこの学校にいてね。いてくれるよね?」 「そう……、そうだよ。ここにいる」  嘘のつけない性格が仇となり、たどたどしい返事をしてしまい、それをまたカイになにか勘繰られるのではと青くなる。 「実は俺がカイ兄ちゃんを攫いに来たって言ったらどうする?」 「そんなの困る~」 「かっこいいから、王子様みたい~」  女の子たちがきゃあきゃあと騒ぎだしたが、ヴィオはその騒ぎを宥めることも笑い飛ばすこともできずにただおろおろと翻弄されてしまった。 「ねえ、さっきからなんなの!? カイ兄さん、なんか変だよ」  謎かけに耐えかねたヴィオが苛立ちを抑えきれずにいると、ちょうど用務さんがリンゴンと大きくベルを鳴らした。子どもたちはみな我先にと、今度は人気のボール遊びをするために、小さな中庭の向こうにある運動場の方へ飛び出していった。  小さな教室にはヴィオと向かい合うカイが残される。明るいクリーム色で塗られた教室の中、子どもたちが走り去る窓の外に目を向けた端正な横顔のカイは、中央風の若者のようにジャケットを着ていてどこか見知らぬ男性のようだ。  いつも通り、ラフな生成りのシャツに青い踝が見えるズボン姿のヴィオとは住む世界すら違う人のように見える。  不意にまた、視線を合わせられる。  囚われる、と無意識にそんな単語が頭をよぎった。  カイが一歩ヴィオの傍によれば、ヴィオは一歩身を引く。 「どうした? 俺が恐ろしいのか?」  男らしい朗々とした、低音の声がヴィオを揶揄う。  怖い。確かに怖い。何かわからぬ畏怖が伝わる。  怯えを見透かされて、日を浴びて鮮やかに輝くエメラルドグリーンの瞳をヴィオは潤んだ大きな瞳で見据えた。 「別に……。そんなわけないよ。子どもの頃から知ってる、カイ兄さんでしょ?」 「そうだな。子どもの頃から一緒だった。ずっと傍についていてやりたかったができなかった。でもこれからは……」  また一歩、間を詰められた。今度は避けずに留まる。カイのことを何とも思っていないとアピールしたいが、カイから迸る甘く重厚で、セクシーな香りに思わず瞼がとろんと落ちかける。  カイは余裕ありげに微笑んで、そんなヴィオのほっそりした身体を逞しく厚い胸の中に包み込むように抱き込んだ。そしてヴィオの張りのある首筋に鼻先を近づけ、スンっと吸い込む。熱い吐息が首筋に降りかかり、甘美な疼きが腹の辺りに渦巻く。初めての感覚に戸惑いながら、ヴィオが恐れからぎゅっとカイに縋り付くと、カイは愛し気にヴィオの柔らかく滑らかな首筋に口づけてきた。その唇の思いがけぬ柔らかさに、腰が砕けそうになる。  身体を離したいのに、力が入らなくて、逞しいカイの身体に逆に縋ってしまう。カイは嬉し気に吐息で笑い、さらに強くヴィオを抱きしめた。 香りの渦に巻き込まれるようで、ヴィオは眩暈がした。 「ヴィオ、お前は感じない?」 「……なにを?」 「俺の、香り」

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