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44 再会編 写真館1
再び握られた手。少しだけ離れていた分だけ先生の手がひやっと感じる。それをヴィオは力強く握り返した。そして思い切って繋いだ腕を少し伸ばして、セラフィンの身体を引っ張るようにした。
「少し百貨店の中を歩いてみたい、です」
どきどきしながらそう口に出す。
正直、ヴィオはこんな立派な百貨店に一人暮らしを始めた後、来られるとは思えなかった。セラフィンがいる今がチャンスで、ガイドブックにのっていた黒く不鮮明な写真から想像していた、この街のシンボルのような場所なのだ。
(……いつ、中央を去ることになっても思い残すことがない様に先生と一緒に色々見ておきたい。あとになってもずっと思い出したい)
中央で生活をはじめて数日だが、ヴィオも職場の仲間たちに教えてもらった中央の市井の人々の暮らしぶりや自分がいまどれだけ恵まれているかを想うにあたり、周りの状況が少しずつ分かってきていた。運よく学生になったとして、一人で暮らしていくことの金銭的な問題や、自分がオメガであるということ等沢山の問題は付きまとう。
正直人の手を借りないでは生きていくことは困難を極めると思った。奨学金を受けるなど先生たちが教えてくれた道に繋げられるかは現状わからないし、だからといって勿論諦めることはしたくない。
しかしこの街でできることを少しでも増やし自信をつけたら、一度里に戻って父やカイ、里の親族を説得しなければならないと思っていた。家族を裏切るようにして飛び出したままで良いはずもない。離れてみたらみたでやはり里のこと、家族のことが思い出されるし、世話になった人々のことも気にかかるのだ。
(……説得に失敗したら、先生ともお別れになるんだ。だから今のこの気持ちを大事にしたい。一生の思い出になるかもしれないんだ)
「わかった。ヴィオの行きたいところにいってごらん」
セラフィンが我が子を見守る親のように優し気な声を出してそう促してくれる。ヴィオはどの階に何があるのかは把握しておらず、4階建ての建物の3階から階下に降りると、そこは女性ばかりのフロアで化粧品や香水を扱っていた。セラフィンは散策するヴィオに任せて後ろから見守るようにゆっくりついてきている。
ヴィオの足が止まったのは、多くの写真が壁に飾られた一角だった。
さっきマダムが言っていた写真館が気になったのだ。
ロマンティックな蔦や花を模した金属のフレームに収められた写真には沢山の家族の肖像が映し出されていた。みな一様に固くなって厳めしく映っているかと思えばそうではない。自然な表情でともすれば笑顔のものもあってとても雰囲気が良かった。割と写真が多すぎてセラフィンの兄がどれであるのかはわからなかった。写真館という意外な場所に吸い寄せられたヴィオの傍によって、セラフィンは取り立てて興味はなかったが彼のとなりで飾られた写真をなんとなく眺める。
「ここ、写真を撮ることができるんですか?」
「そうだな。この中にスタジオがある。そこで撮れる」
するとヴィオはほうっと吐息をついた。
「僕写真とったことほとんどなくて……。母さんと父さんのも若い頃の1枚きりです。それみて僕、母さん似なんだって思いました。最後に撮ったのはいつだったかな……。カイ兄さんがカメラを借りてきてくれて、僕らの写真が撮りたいって言ってくれたから取ってもらったけど、結局兄さんってば自分でそのカメラ持って帰っちゃったから、僕どんなふうに映っていたかわからないままなんです」
(家族と映っている写真。いいなあ。もしも僕も先生と一緒に写れたら……。ずっとずっと宝物にしたい)
しげしげと壁の写真を物珍しそうに眺めるヴィオの目の輝きに、セラフィンはまたも心を動かされる。
沢山の家族が映った写真たちを羨ましそうにみるヴィオの肩にセラフィンは手を載せて、自分の側に抱き寄せた。
「撮ってみるか?」
「えっ、今急にそんなことできるんですか?」
「空いているのか聞いてみよう」
「セラフィン、セラフィン・モルス!」
そういってすぐさま受付の方に向かおうとしたセラフィン目掛けて、わりと大きな声がかけられる。覚えのある声ではなかったが、ここまではっきりフルネームを呼ばれたら流石に無視はできなかった。
ヴィオと共に振り返ると、そこにいたのは高等教育学校を去って以来、あったことがなかった同級生の驚きに満ちた顔だった。
「覚えてる? ブラント・ラズラエルだ」
そういって手を差し伸べられたので、ヴィオの手前紳士的に手を差し出し返す。握手をしながら目の前にいる男の顔を学生時代の記憶から素早く紐解くと、割とすんなり思い出すことができた。
そう、かつては仇敵のように彼のことを忌み嫌っていたから印象深いということもあるが、そんな様子はおくびにも出さない。二人を驚いた顔をして二人を見上げるヴィオがいるからだ。
「覚えている。明星生だった。兄と仲が良かったよな」
「驚いたよ。まさかここで会えるとは。こんな偶然ってあるんだな」
ブラントは深い青い瞳を見開くと、意外そうな顔をした。学生時代のエキセントリックですらあったセラフィンを知っている身として、彼があまりにも素直に受け応えしてきたことが意外だったのかもしれない。しかしそれが逆に良い印象を与えたらしく、彼は微笑みながらヴィオの方に向き直った。
「初めまして。私はブラント・ラズラエル。セラフィンの学生時代の友人です」
「は、初めまして。僕はヴィオ・ドリです」
「ドリ?」
察しの良いブラントはすぐさまその名に心当たりがあったようだ。すぐに何か言いたげな顔をしてセラフィンを見つめ返してくる。セラフィンは昔の彼を彷彿させるようないっそ怖い目つきで軽くにらむと押し黙った。
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