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55 再会編 駆け引きと誘惑1
「……貴方が俺に近づいたのは、モルス家がこの国で一番、軍に太いパイプを持つからだ」
偶然を装った出会いであり、結果的には危機を救ってもらったわけだが、そもそものきっかけはセラフィンの背景に興味を持たれてお得意の諜報活動で調べあげられた結果だった。ベラはテグニ国で名家と言われる貴族の一門に、末席ではあれ名を連ねているし、兄のイオルの貿易会社の取引先や妻である番の一族との繋がりもある。
彼らに嫌々連れていかれた会食の席で直接的ではないがベラから興味を持たれていたと、後々イオルよりそう教えられていた。
「流石に知っていたのね? そうよ。まあ途中からはそんなことどうでもいいと思うぐらいには貴方のことが好きだったわ」
それは紛れもなく真実の愛の告白で、僅かに動いたセラフィンの身体で彼もかつて同じように彼女を想っていたのだとヴィオはぼんやりとしながら思った。
(『戦時中、精神に異常をきたのち錯乱し、周囲を傷つけてしまい自死したフェル族の一兵士』 そんな風に片づけられた人物がベラの今をも忘れられない相手だとは知っている。でも今なぜこのタイミングで?)
疑わしく聞いてしまうのは先ほどまでの仕打ちを考えれば致し方ないことだ。しかしこの期に及んで嘘をつくこともまた意味ともわかっている。
「貴方の本にもあったでしょ? 戦争の中期、戦闘においてフェル族への獣性を高める興奮剤の投薬がなされたけれど、薬の影響で体温が一時的に異常に上がることが度重なり、それが原因の不妊が疑われる例が多々あったようだって。取材相手を紹介してくれるだけでもいいわ。力を制御することすらできずにベンと同じように精神状態が不安定になったことのある者を探し出して証言を得たい。そのために貴方持っている資料が欲しいの」
「先生?」
応えないセラフィンに純粋に疑問に思ったのかヴィオが小さく戸惑いの声を上げたが、セラフィンには即答できない理由があった。
軍に縁者が多いということは、投薬が軍の命令による行為である以上自分の親族がどんな不利益を被ることになるか把握しきれないからだ。直接命令を下している立場にいたわけではないだろうが、叔父を含めた親族も今務める軍の病院にいるかもしれぬ関係者にも類が及ぶだろう。
実際、本を出した影響で一度父方の叔父等、軍で権力をふるう者から苦言を呈されていた。興奮剤の投薬はあくまで『任意』だったという見解がなされていたからだ。それはそうだろう。最強を誇るフェル族であれど、興奮剤を使って感受性を高めればそれだけ生存率は上がる。副作用など説明されなければ我先にと飛びついて服用しただろう。資料はただ邪魔だからという理由だけでなく、警備が堅固な実家に移してあり、それは同時に兄や父の管理下にあるというわけだ。
「俺がこの国に帰って来てからも、機会はあったはずだ。どうして今頃……」
「……彼のご両親を漸く探し出せたのは昨年のことよ。年老いたご両親に息子の死の真実をお話したい。彼が傷つけてしまったのは彼の親友だった一族の青年だったわ。大けがをしてしまったけれど命は無事だったし、今では里に戻って元気に暮らしている。それでもご両親は一族の里を出てひっそりと暮らさざるを得なかったわ」
話をする二人の間に分け入るようにジルは寝台の真横、ベラの隣に立ち、彼女の言葉を遮るように彼らの間に警棒を持った腕をスッと伸ばした。
「セラ、もう聞くな、関わるな。この女が手下にやらせてお前の鞄をひったくって資料を盗みだそうとしたのかもしれない。下に車を待たせてある。署で話を聞かせてもらうぞ」
「私を署に連れて行っても無駄なだけよ。貴方に裁くことはできないわ」
「……少し、考えさせてください」
ベラはその言葉を引き出しただけでも満足げに頷き、セラフィンの腕の中のヴィオに向かって、迫力のある眼光を僅かに細めて優しく見える貌で微笑んだ。
「ヴィーオ、こっちにいらっしゃい。セラフィンの暗示の解き方教えてあげるわ」
「暗示の解き方?」
餌につられてヴィオは身体が辛いことなど頭から吹き飛び、ふわふわと良い香りをさせながら彼女の誘いに飛びつこうとしたがセラフィンが慌てて細い腰に腕を回してその身体を押しとどめた。
「先生! 僕、知りたい。もう先生にあんなふうになって欲しくない」
いやいやをしてセラフィンから離れようとするヴィオを後ろから引き寄せ、落ち着けさせようと膝裏に腕を回して胡坐に座りなおした膝上に抱き上げた。そして目と目を合わせると、穏やかな口調で説き伏せる。
「いいんだヴィオ。もう大丈夫だから。傍を離れるな」
「……はい」
互いを慈しみ睦み合う二人の姿に、ジルはもはやこの後今日にも二人は番に、なってしまうのではないかと思いこの場を去り難く思った。
しかし、同時にセラフィンがこれまで見たこともないほどに安らいだ表情でヴィオを抱きしめているのを目の当たりにし、心の何処かではほっとしたのも否定できない。アルファにとって最愛の番を見つけることは無上の幸福。そんなことは誰の目から見ても明らかであるのに。
(なのにどうしても手放しであんたに番ができることを祝福できないんだ)
胸に巣食う昏い感情から目を背け、ジルはベラの腕を引っ立てるようにして掴み上げると心の乱れを映したようなやや乱暴な様子でその腕を引いた。
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