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《プロローグ》

◇◇  初めて人の温もりというものを感じた十六歳の冬。  空からはらはらと、舞い踊るように落ちてくる銀華が、東京の街を白く染めていった時だった。 『儂と一緒に来んか?』  そう言って差し出された手は、年齢の割にはシワが少なく綺麗なものだった。とは言っても、正確な年齢は分からない。五十代にも見えるし、六十代にも見える。  ただこの男が纏う空気は、長閑(のど)やかに感じつつも、実際その裏に潜む真っ黒な闇が全く隠れてもいなかった。きっと隠そうともしていないのだろう。  少年は面白そうだとひっそりと笑む。 『俺はオメガだぞ?』  少年がわざと不遜に言い放つと、男は目尻のシワを深くする。 『あぁ、どうりで稀に見る美人だ。国宝級だな。だが、オメガが何の関係がある?』  男はチラリと少年の周囲に倒れている男らに目を向けた。  男たちは少年が倒した。まだまだ十代というあどけなさがある中で、少年は誰もが見惚れてしまう程に美しい顔立ちをしている。  (まなじり)が僅かに上がり、少し気の強そうな印象を受けるが、長い睫毛で縁取られた目の虹彩が、蜂蜜を溶かしたかのような澄んだ琥珀色をしている。そのため、角を取ったかのような柔らかさも見せていた。  鼻筋は綺麗に通っており、唇は女と見紛うほどに赤みを帯びていて、妙に蠱惑的で思わず生唾を飲んでしまう程だ。  そんな見た目から、まさか自分よりも大きな男を六人も倒すなど、誰が想像するだろうか。 『いい腕をしている』  男が少年を称えるが、そこに揶揄は感じられず、恐らく本音なのだろうと少年には伝わった。  少年はオメガという事を抜きにしても、この見た目のせいで(アルファ)らに絡まれることが多かった。  いま倒れている男たちは、少年をレイプしようと、路地裏へと連れ込んだ輩たちだ。しかし、いとも簡単に倒されてしまうことになった。華奢な身体付きだった少年に、男らも容易いと高を括っていたのだろう。それがこうもあっさりと倒されてしまえば、男らの面子(メンツ)も形無しと言えよう。 『俺は目がいいんだよね。動体視力っての? 相手の動きが手に取るように分かるから、攻撃される前に急所を突くんだよ』 『ならほど。ますます気に入った。儂と来い』  〝来んか?〟が〝来い〟になった。いずれにしても少年の中ではもう決まっていた。 『行く』  再び差し出された男の手を、少年は迷いなく取った。  このまま帰ると言っても、少年にとって〝家〟と呼べる場所はない。オメガを腫れ物扱いする職員ばかりの児童養護施設で少年は育ち、人の温もりというものを一度も感じたことがなく過ごしてきた。だからこの時触れた男の手の温もりが、信じるに足ると少年の直感が働いたのだ。  この男がどんな男かも分からないのに。堅気ではないことは明確であるのに、少年には恐れが全くなかった。  オメガというだけで生きにくい社会で、自分を必要としてくれる人間がいる。だから自分も、この時ついて行かなければ良かったと、後悔しないための道を、切り開いていく必要がある。  だがそんな後悔が訪れることはないと、少年の中では妙な確信があった。  手を握り合う男の手と、闇を思わせる漆黒の目だが、真っ直ぐに向けられる眼光には、(いた)く貫禄があったからだ。 ──俺は一生ついていくぜ。  繁華街の路地裏に上がる白い息が二つ。それは男を待つ、黒塗りの高級車へと消えていく。  少年の新たな人生が幕を開けたのだった──。

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