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第1話
「お疲れさんやね、遅くまで」
職場を出たところで声をかけられた。
「こんなとこで何してる?」
「んー、幼馴染みの顔を見に来た?」
「嘘をつけ」
言い捨てて歩き出すと、すぐ隣に並んでくる。
「相変わらず冷たいなぁ。久しぶりやのに」
「先週も会った気がするが?」
週に一度、東京の教室があるとかで毎週顔を見ているのだ。
「そうやね、五日も会われへんなんて長かったなあ」
そう言いながらするりと腕を絡ませようとするから、すっと一歩先に出た。カタカタと追って来た足音がまた横に並ぶ。
「ひどい……。傷つくやん」
「アホか。霞が関の往来で何をする気だ」
「歩きにくいから腕持たしてもらおうとしただけやん?」
「そんな恰好で来るからだ」
「僕、いつもこんなんやけど?」
「だから目立つと言ってるんだ。知人に会ったら面倒だ」
さっきからすれ違う人がもれなく振り返る。
官庁が並び立つこの街で和装の男は大層珍しい上に、その顔がまた端正で、艶々と光を弾く黒髪は肩の先まで伸びている。
一体どんな素性の人間かと、この街を闊歩するスーツ姿の男女からは興味深げな視線が飛ぶ。
「ええやんか。幼馴染みやて言えば」
するりと肩に手が置かれた。爪の先まで手入れが行き届いている。日本舞踊の師範を生業とする男はあくまで優雅に微笑んだ。
「幼馴染みには違いないやろ? まあちょっと親しすぎるかも知れんけど?」
「やめろ、頬を撫でるな。明日には妙な噂が立つ」
それでなくても目立つ容姿をしているのに自覚がないのか。いや、自覚なんかあるに決まっている。これは俺への嫌がらせだ。
ずっと一緒におると誓ったのに、東京へ逃げ出して来た俺への。
「本当に何しに来たんだ?」
「顔が見たくて。会いに来たらあかんかった?」
そんなふうに子供みたいなにっこり笑顔で言われると、後ろめたさがある分、俺の返事は弱気なものになる。
「そうじゃないけど。お前だって忙しいだろうに」
まっすぐに見つめてくる黒い瞳から視線をそらして無機質なビル群を歩く。
すぐに逃げ腰になる俺を追うのはいつもこいつだ。
中三のとき最初に声をかけたのも、キスもその先もすべてこいつが仕掛けてきた。押され過ぎると逃げたくなる俺をよく知っている絶妙な力加減で。
「ホンマに会いたかったら時間は作るよ。僕が追わんとお前はあかんやろ?」
そうだとは言えず黙り込む俺に、優しい口調で誘いかける。
「ほな噂にならんとこに行こ?」
優雅な仕草でタクシーを止めて、艶めいた黒い目で微笑んだ。
「先週末、お見合いしたんやて?」
ソファに押しつけて囁いたら、奴はぎくりと動きを止めた。
「ちょっと目ぇ離したらコレやからなぁ」
優しい手つきでシャツのボタンを外して素肌に触れた。緊張したのかすこし早い鼓動が手のひらに伝わる。
「見合いじゃない。上司の紹介で軽く食事しただけだ」
「ふうん。それで気に入ったら結婚するん?」
「するわけないだろ、知ってるくせに」
「そやな、女はあかんもんな。ほな、なんで会うたん?」
「だまし討ちみたいな? その日のうちに上司には断りを入れた」
「へえ、断ったんや? 何て言うて?」
奴は困った顔で僕を見上げている。
本気で言いたくないなら席を立つはず。
あと一押し、拗ねた口調で囁いた。
「僕には教えてくれへんの?」
そっと耳元に口づける。小さくため息が聞こえた。
「俺は人に興味がないから誰ともつき合う気がない。そう言った」
ムカッとして思わず肩をどついてしまう。つまり、僕も込みで誰ともていうことなんやろ?
「何すんねん!」
懐かしい言葉で奴が突っ込んだ。
本音の時は大阪弁になる。
「俺が女にも男にも興味ないってわかってるやろ、お前は」
「わかってるよ、誰とも馴れ合う気がないんやろ」
そやけど僕とは寝てるくせして、という言葉は飲み込んだ。それを言うのは悔しすぎる。
べつに恋人面をする気はないし束縛する気もないけれど、地味に傷ついた。セフレと承知の上でも、言葉にされるとやっぱりキツイ。
潮時なんかな。
見合いしたと聞いたとき正直そう思った。
別れなあかん時期に来たんやな。
今までもったのが不思議なくらいだ。
黙ってうつむいていると奴の手が伸びて来て、膝の上に乗せられた。指が髪に潜ってくる。
今さら何すんねん。でも口に出せない。
さらさらと髪を梳いて、長い沈黙のあと囁き声が耳に落ちてきた。
「なあ、ほかの奴じゃあかんねん。俺にはお前だけやって」
いつもと違う、真剣なトーンにはっとする。
髪を引かれて顔を上げたら、真っ直ぐな目にぶつかった。
「一生別れる気はないで。いい加減わかれや、そんくらい」
泣きそうな、すこし震える声で奴が言う。
完
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切なくてやさしいお話を書きました。
よろしければぜひご覧くださいm(__)m
2021.12.21
ゆまは なお
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