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第2話

 呼び鈴の音が響く。シャワーを出たばかりの時雨は、服を着る手を止めた。  誰だ? そう考えながらインターホンを見るが、誰も映っていない。ここのカメラは不調だからかえようかとも考えている。正面しか映らないのだ。だから宅配便をボックスに入れるために業者が屈んだ場合は当然みえない。だが、宅配便が届く時刻ではないし、他にカメラの定位置である百七十五センチより低い来訪者の心当たりはない。  一応拳銃を後ろのポケットに入れて、玄関へと立った。2DKのさして広くもない部屋だ。その間も呼び鈴の音は響いている。最悪なことに覗き窓はついていない。外の気配を窺うが、特に危険は感じなかった。  なぜならば、来訪者が扉をノックし始めたからだ。次第にその音が強くなっていく。全く心当たりがない。同僚ならば、先に軍用携帯電話に連絡を寄越すはずだ。 息を潜めたまま、勢いよく時雨は扉を開けた。 「うわ」  するとドアを叩いていた来客者が、無くなった扉に驚いたように前に転びそうになった。慌てて時雨は抱き留めて息を飲んだ。胸に柔らかな髪が触れ、良い香りがする。 「おまっ、いきなりあけるな!」 「棗……?」 「いたんならさっさとあけろ!」  結局あけた方が良かったのか悪かったのか分からないが、それはいつも通りの兄の言動だった。自分の腕の中で顔を真っ赤にして怒っている棗を、時雨は驚いたまま見守る。 「何故ここにいるんだ?」 「それはお前が帰っ……」  棗が言葉を止めた。顔を逸らした棗は、そのまま眉間に皺を刻んで難しい顔をし、俯いた。 「……来たら行けなかったのか?」 「あまり良くはないな」  何せ治安があまり良いとは言えない。だから率直に言った時雨に対して、棗が傷ついたような顔をした。 「じゃあいい。帰る。邪魔をしたな」 「どこに帰るんだ? もう飛行機はないだろう。ホテルを取ってあるのか? どこだ?」 「こ、これから探す」 「とりあえず入れ」 「い、いい。帰る!」  体を離そうとした棗の腕を、時雨は強引に引いて扉を閉めた。 「今からではどこも満室だ。見つけるのは絶望的だからな」  施錠しながらそう言った弟を、困ったように棗が見上げる。昔は、こんなに身長差はなかった。今の時雨は、百八十センチを優に超えている背の高さだ。三十センチ近く身長が違うのかも知れない。  そんな棗の背を押し、時雨は中へと引き返した。全く頭が痛くなってしまう。なにせ棗の服装と言えば、”いつも通り”なのだ。和服なのだ。ただでさえ人目を惹く容姿の兄が、この界隈では目立つ着流し姿のものだからほとほと困ってしまう。棗は手にスーツケースを持っているが、恐らく中身も和服の類だと推測できた。 「座っていてくれ」 「ど、どこに?」 「ベッド以外に客が座る場所がないんだ」  溜息混じりにそう告げて、キッチンへと向かいコンロにヤカンを乗せる。お湯を用意しながら、インスタント珈琲の瓶を見た。恐らく兄は、このようなものを飲んだことはないだろう。完全な箱入りだ。高級な豆からひいてしか飲まない。  時雨が振り返ると、棗が困惑したような顔で、静かにベッドに座ったところだった。両手を膝の上に置いている。白いその手と細い指先を見ていると、華奢すぎて不安になってくる。折れてしまいそうなのだ。 「それで、用件は?」  ベッドサイドに珈琲を置き、時雨は軍部紀要を乱雑に床に置きそこに現れた椅子に座った。不思議そうな顔でカップを一つ受け取った棗は、その言葉に我に返ったように顔を上げる。  聞かれたらなんと答えようか、ずっと思案していた問いだったからだ。 「……その」  口ごもる棗の前で、時雨が静かにカップを傾ける。 「……泰静が、どうしてるか見てこいっていったんだ。だから」  棗は上目遣いにそう言うと、すぐに顔を背けて珈琲を飲んだ。実の弟が相手なのだが、緊張しすぎていて味など分からない。 見守っていた時雨は、小さく頷いた。 「お前が帰ってこないのが悪いんだ……」  ふてくされるような兄の声に、思わず溜息をつく。それからテーブルを見た。 「煙草を吸っても良いか?」 「お前、煙草なんか吸うのか? 家にいた時は吸わなかっただろ?」 「透花院は禁煙だろ。普段はかなり吸う」 「体に悪いぞ」 「そうだな」 「別に吸っても良いけどな。お前の部屋なんだから」  それもそうだなと思い直し、時雨はマルボロを一本銜えた。オイルライターで火をつける。  部屋に紫煙が舞う。吸い込んでいるそのひと時は、沈黙が打ち消されるようで気にならない。だが気まずそうにしている棗の様子に正直時雨は困っていた。  ――棗と唇を重ねたのは、透花院に汀が尋ねてくる前日のことだった。  その日棗は、夜空の白い月を見上げていた。満月に近く、他に星は見えなかった。その月が、兄を攫ってしまいそうに思えて、静かに歩み寄ったのだ。時雨がわざと音を立てて砂利を踏んだ時、振り返った棗は瞳に涙を浮かべていた。手の甲でそれを慌てたようにぬぐって、棗は無理に笑った。嫌味な笑みだったが、作っているのは明らかだった。 「さっさと寝ろ。もう遅いだろ」 「棗。お前こそ寝てないんじゃないのか?」  兄が不調なのではないかと、時雨はずっと感じていた。遺言状の公開の日から、いつものような怒りに彩られた威勢が消えているのだ。何か言いたそうにこちらを見るのは変わらない。以前ならば、そのまま怒鳴っていたものだ。だが、ここのところはいやに静かだ。ついに口も聞きたくないほど嫌われたのか。相続税の件がそれほど屈辱的だったのか。色々と考えていた。 「べ、別にお前に心配されるような――」  時雨が歩み寄った時、棗の体が傾いた。後ろの池に落ちそうになったものだから、慌てて手首を掴み、引き寄せる。 「離せ」 「……具合が悪いのか?」 「そんなことはない。ただ、その……」  ピクンと棗の体が震えた。月明かりに照らし出された棗を純粋に綺麗だと思った。白い首筋と鎖骨から視線が離せない。吸い寄せられるようだった。 「……兎に角離せ」 「ああ」  何を考えているんだ自分は。頭を振り、時雨は棗を離した。きつく目を伏せ、冷静になろうと努力する。だが目を開いた時、そこには潤んだ瞳の棗の顔があった。覗き込む形となり、今度こそ目が離せなくなる。その唇が薄く開いた時、心臓が一度大きく鳴った。キスをしてしまいそうになった。それが怖かった。  自身の思考に動揺し、慌てて時雨は踵を返す。すると棗がギュッと時雨の服を掴んだ。震えていた。限界だった。反射的に振り向き、時雨は棗の唇を奪っていた。息を飲む気配がした時、舌を口腔にねじ込み、棗の歯列を嬲った。逃げる棗の舌を絡め取り強く吸いながら、片腕でその細い腰を抱き、もう一方の手で顎を掴んだ。  暫くの間そうしていた。それから唇を離した時、力が抜けたように棗が倒れ込んできた。半ば無意識にその右耳に唇を寄せた時、我に返った様子の棗に強く胸を押された。 「お前……何するんだよ!」  時雨自身も呆然としていた。自分は今、何をした? 嫌な汗が滴ってくる。 「ああ……悪かった」 「悪かった? あのな、俺達は兄弟だぞ。しかも男同士だ」 「そうだな」 「時雨、お前まさか俺の体が目的で、お金を出したんじゃないだろうな?」 「そんなはずがないだろ」  思わず睨むと、棗が何度か瞬きをした後頷いた。 「俺は寝る」  そう言って兄は足早に歩き出した。しかし去り際に目にした表情は、頬が蒸気し目が潤んでいて――その上嬉しそうにみえた。勿論勘違いかも知れなかったが。それでもどこかで、キスをして欲しそうだったのは棗ではないかと抗議したい気持ちになった。  その翌日には、抱きついて泣かれて引き留められた。抱きしめた兄は、昔は大きく感じたというのに、やはりとても細く小さく思えた。  何故キスをしたのかは、今でも分からない。兄弟愛以外の何かがあるのかと言われても答えは出ない。あるいは答えなど無いのかも知れない。だからその時のことを意識的に閉め出し、考えないようにしていた。無論、その件が理由で透花院に戻ると告げたわけではないし、逆に今、軍から帰らないわけでもない。  気づけば一本目の煙草を吸い終わっていて、珈琲は少し冷めていた。  見れば不安そうに、棗が時折こちらを見ていた。 「着替えはあるのか?」 「え? あ、ああ」 「シャワーは浴びるか」 「浴びたい」  その言葉にクローゼットをあけて、バスタオルを取り出した。放り投げると、受け取った棗が立ち上がった。スーツケースをそのまま引きずってきょろきょろと周囲を見渡している。 「玄関の方だ。右。トイレが左だ」 「お前は入ったのか?」 「ああ」  時雨の答えに、棗は頷いてシャワーへと向かった。残された時雨は、冷蔵庫にミネラルウォーターのペットボトルがあることを確認した。  一方の棗は、自宅以外の風呂に入った経験がほとんど無いため緊張していた。シャンプーはこれだろうか、こちらは……トリートメント? それはなんだと首を傾げる。棗の髪は柔らかく綺麗だったが、棗自身はあまりそういった類に詳しくもなく無頓着だった。何度も考えてやっとシャワーを出すことに成功し、髪と体を洗う。  不思議な気分だった。ここに弟が住んでいる。まるで異世界だ。ここへ来る間のタクシーにも驚いた。そもそも空港からはタクシーがなければ、たどり着くことさえ出来なかっただろう。そのせいで実を言えば、ホテル代もほとんど使い切っていた事は思い出したくもないが。一通り洗い終えてから、バスタオルで体を拭き、寝間着の和服に着替える。棗は洋服というものをほとんど持っていない上に、着たこともなかった。  あがると、時雨が棗にペットボトルを渡した。水は美味しい。 「ベッドで寝てくれ」 「お前はどうするんだ?」 「ソファで寝る」  時雨がそう言って壁際の本で埋もれたソファを指すと、棗が息を飲んだ。 「風邪を引いたらどうするんだ。こっちで寝ろ」 「じゃあ棗がソファで寝るのか?」 「? こんなに大きいんだから、二人で眠れるだろ?」  棗の言葉に、時雨が目を細めた。寝台に座り、棗がペットボトルをおいた時、嘆息しながら時雨が正面に立った。そして軽く棗の肩を押した。驚いてそのまま後ろにのけぞると、時雨が棗の顎に手を添えた。 「お前な。危機感はないのか?」 「え……?」 「無理矢理キスしてきた相手をベッドに誘う神経が分からない。いくら兄弟でもな。このまま俺に組み敷かれたらどうするつもりだ?」 「……」 「分かったら大人しく寝ろ。明日には帰りの手配をしておく」  手を離して時雨が溜息をつくと、棗が狼狽えたような顔をした。それから、俯いて目を潤ませた。頬が朱色に染まっている。その反応に時雨は思わず硬直した。唾液を嚥下する。こんな顔をされたら、勘違いしそうになる。 「そんなつもりじゃなかった」 「分かってる。兄さんにその気がないことくらい」 「――時雨にはその気があるのか?」  恥ずかしそうな小さな声に、時雨の中で何かが音を立てた。プツンと、理性の糸が途切れたような音がしたのだ。時雨はベッドに膝をついた。すると起きあがった棗が慌てたように後ろに下がった。すぐに壁に阻まれた時、そんな兄の体の両脇に、時雨は手をついた。 「どうだろうな」  棗の耳元で囁くように言う。棗は時雨の吐息に体を震わせた。ゾクリと体の奥で何かが蠢いた気がしていた。 「ン」  その時時雨が棗の首筋を甘く噛んだ。鼻を抜ける声を上げた棗は、震える手で時雨の服を掴む。時雨の左手の指先は、棗の鎖骨をなぞっていた。 「棗。今すぐ嫌だと抵抗して逃げろ。そうじゃなければ、何もしないとは言えない」 「あ……」  時雨の指先が触れた箇所が、奇妙な熱を孕んでいた。何かがしみこんでいくように、腰の辺りにその熱は収束していく。それが嫌ではなかった。少し怖いだけだった。自分たちは男同士で兄弟なのだ。けれどそう囁く理性の声は、かき消えるほど小さかった。 「そんな顔をするな。煽ってるのか?」  自分をじっと見ている時雨。己はどんな表情をしているのか、棗には分からない。何か言おうと唇を開いては、何も思いつかなくて閉じる。目が潤み始める。時雨がその時舌打ちした。直後、深く唇が重ねられた。その情熱的なキスに、何も考えられなくなる。 「んッ、ぁ」  唇が離れたのとほぼ同時に、左の乳首を摘まれた。思わず声を上げた時、首筋を舐められる。もう一方の手で帯をほどかれ骨盤のすぐ側の脇腹を撫でられると、背が撓った。体がおかしい。こんな風に声が出るなんて知らなかった。思わずきつく唇を閉じると、時雨が息を飲んだ。 「下着は?」 「ふ、普通和服の時ははかないだろ。だから夜ははいてない」  棗が答えると、唐突に時雨が、棗の陰茎を撫でた。今度こそ嬌声を飲み込み、思わず棗は時雨の双肩に手を置いた。 「少し立ってるな。胸が感じるのか?」 「ち、違」 「へぇ」 「あ、ああッ」  その時時雨が、棗の右乳首をきつく吸った。左手ではもう一方の乳頭をはじく。右手では緩く棗の陰茎を握っていた。舌先がいやらしく動くたびに、腰が熱くなっていく。気づけば陰茎は頭を擡げていた。ただ握られているだけなのに、だ。 「う、ぁ、やめ」  羞恥に駆られて棗が静止すると、顔を上げた時雨が薄く笑った。その笑みに、ゾクリとした。次に時雨は、緩慢に右手を動かした。次第にその動きは速くなり、気づけば棗は先走りの液を漏らしていた。すぐにでも達してしまいそうで、熱が中心に集まっていく。  だがギリギリの所で時雨の手は離れた。不意になくなった刺激に、棗は涙ぐむ。体を反転させられたのはその時だった。驚いてシーツを手でつく。寝間着はすっかり脱げてしまっていた。 「膝をついてくれ」  言われたとおりに膝を折ると、骨盤の所を掴まれた。その感触だけで達してしまいそうだった。それから両手で後ろの双丘を掴まれた。 「え、ああっ、待っ」  その時、秘所に滑った感触がした。熱くて固い。直感的に舌だと分かった。襞を解すように一本ずつ丹念に舐められ、未知の感触に体が震える。 「ッ」  それから一本の指先が入ってきた。 「きついな」  熱い吐息をしながら、棗はそれを聞いていた。時雨がベッドの引き出しをあける。そしてボトルを取り出した。ローションをだらだらと指先に垂らし、再び時雨は指をゆっくりと進める。今度は驚くほどすんなりと入った。 「うあ」  内部から入り口を撫でるように指で刺激されると声が漏れた。それから抽挿が始まり、指が二本に増えた。ぐちゅぐちゅと卑猥な水音が響き、指が体の中で蠢く。最初は冷たかったローションが熱を帯び、全身の神経がそこに集中した気がした。 「!」  そして内部の一点を強めに、そろえた指で刺激された瞬間、棗は目を見開いた。 「あ、あ、嫌だ」  一気に射精感が甦り、ぞくぞくと体が震える。押されるだけで、達してしまいそうになり、太股が震えた。もう膝で立っているのは無理そうだった。 「そこ、そこは駄目だ、うッ、ン」 「兄さんは嘘つきだな」 「――!!」  するともう一方の手で陰茎を掴まれた。時雨の体重が棗の背にかかる。舌で耳の後ろを舐められた時、ぎゅっとシーツを握り、棗は額をベッドに押しつけた。時雨の体のせいで後ろの双丘だけ突き出す形で身動きが取れなくなる。呼吸が苦しい。 「あ、ああ、やッ、うあ」  涙ながらに声を上げた時、指が引き抜かれた。そしてすぐに圧倒的な質量を持つ熱が押し入ってきた。声にならない悲鳴を上げる。衝撃に声が出なかった。ゆっくりと進んできた時雨の陰茎が、棗の中を押し広げていく。全てが入りきった時、棗は熱に思考を絡め取られていた。そのまま時雨は動きを止め、棗の陰茎を擦り始める。 「フ、ぁ……っ、ッ」  逃げようにも時雨の体重と、腰を掴まれているせいでどうにもならない。 「あ、ああっ」  その時、揺さぶるように陰茎を動かされた。その動きは、徐々に速度を増していく。 「うあ……ああっ、うあ、や」  前への刺激も強くなり、再び射精しそうになる。だがやはりギリギリの所で、前への刺激はとまるのだ。熱がどんどん燻っていき、棗は悶えた。その内に、時雨が抽挿を開始した。 「あっ、は、ン、ううッ、あ、ああ」  深く抉られては浅くまで引き抜かれ、そして次には勢いよく貫かれる。こんな感覚を棗は知らなかった。もう果ててしまいたいのに、それが出来ない。 「ひっ……あああ」  先ほど発見された場所を、その時強く突き上げられた。目を見開き声を上げた時、ボロボロと涙が零れた。今度こそ出てしまうと思った。二度突き上げられ、息を詰める。しかし無情にも、再び降りてきた手が、今度は陰茎の根本をきつく握った。 「え、嘘、あ、なんで……っ、うンッ、ああ」  しかし中の動きは意地悪く、感じる場所だけを突き上げる。 「やだ、やだ、あ、駄目だ、やだ」  体がガクガクと震えた。いきそうだった。いきそうで何かがせり上がってくるのに、それが出来なくて、声が出ない。 「あ」  その時、全身が尋常ではない快楽に襲われた。達したのかと思ったのだが、その気配はない。その上、一瞬ではなく、それは今もなお続いていた。 「え?」  困惑して声を上げる。体は震えたままだ。 「あ、あああああああ」  事態を理解し、今度は叫んだ。 「ああ――!!」  前で果てることは許されないまま、中でだけ達してしまったのだ。頭が真っ白になる。気持ちが良い。もう何も考えられなくなり、力の抜けた体を寝台に投げ出す。そうしていたら、繋がったまま抱き起こされた。一気に深くまで入ってきたから怖くなる。  しかしギュッと抱きしめられると、呼吸が落ち着いてきた。そのまま動くでもなく、さわるでもなく、ただ時雨は棗を抱きしめた。 「も、もう出来ないからな」 「そうか。暫くこのままでいさせてくれ」  それくらいは良いかと棗は小さく頷いた。だがそれが間違いだった。五分もそうしていた頃には、体が熱くなり、震え始めた。逃れようにも、気づけばへその下に腕が廻っているから動けない。いつしかぞくぞくと背筋にそって熱が這い上がっていき、全身が汗ばんだ。 「お、おい」 「なんだ?」 「離し――」 「どうして?」 「え」  言葉を探している内に、自身の陰茎が再び立ち上がっていることに棗は気づいた。ただ繋がっているだけだというのに。腰の感覚が無くなっていく。気づけば震えていて、もっと激しく動かしたいという欲望が渦巻き始める。もどかしい。熱い。  めちゃくちゃにされたかった。先ほどのように、激しく中を暴かれたい。しかしそんなことは恥ずかしくて言えない。だがすぐに理性は跳んだ。涙が再び零れる。 「やだぁ、ああっ、やだぁっ、うあああ」 「何もしてないぞ」 「うあああ、あ、あ。う、動いて、あ、ああ」 「もう少し我慢してみろ」 「ふあ、あ、できなっ……あああ!」  そのまま、棗は果てていた。今度はだらだらと陰茎から白液が垂れた。少し跳び、ベッドが濡れる。何もされなかったというのに。自分の体が怖くなった。 「ま、待って……ンっ」  直後、もう無理だと思うのに、片手で左の乳首を後ろから摘まれた。もう一方の手は口の中へと忍び込んできて、舌を嬲る。その刺激さえも気持ちいいのだが、達したばかりの体には辛かった。耳朶を噛まれ、耳の中へと舌が入ってくる。ダイレクトに響いてくる水音にグラグラした。こんなに濃密な性行為などしたことがなかった。  そもそも棗にはほとんど経験など無かった。ずっと家のために働いてきたからだ。快楽を知らなかった体が恥辱に染まっていく。  再び寝台の上に押し倒され、今度は荒々しく中を突かれた。皮膚と皮膚が奏でる音がした。角度を変えられ、太股を持ち上げられる。 「ああ――! う、あああああ」  快楽から泣きじゃくる棗を見て、薄く笑いながら時雨もまた荒く吐息した。激しく腰を動かされ、後頭部をベッドに押しつけて堪える。気づけば無意識に、時雨の首に両手を回していた。すると動きはさらに早まり、もう訳が分からなくなる。  内部に熱を感じた。時雨の精が放たれた瞬間、ほぼ同時に棗も果てた。こんなに何度も達したのも、無論初めてだ。力尽きた棗はぐったりとベッドに体を預ける。それから時雨が陰茎を引き抜いた時、どろりと精液が内部から伝った。  棗は、兎に角気持ち良かったことしか、もう思い出せなかった。  そのまま眠ってしまったらしかった。次ぎに目が覚めると朝で、体は綺麗になっていたし、寝間着もきちんと身につけていた。横を見ると、うつぶせで肘を突き、上半身だけ起こした時雨が、煙草を吸っていた。目があった時、棗は自分でも分かるほど真っ赤になった。 「ね、寝たばこは危ないだろ」 「そうだな」  煙を吐いた時雨は、しかしながら煙草を消すでもなく、灰を落としただけだった。  体を重ねたせいなのか、その仕草すら、妙に格好良く思えた。胸の動悸が激しさを増していく事実に、おろおろと棗は視線を彷徨わせる。 「体は大丈夫か?」 「平気だ、あのくらい。その……」 「熱もなさそうだし、立てれば問題ないな。腰は平気か?」 「平気だって言ってるだろ。それよりお前」 「なんだ?」 「なんでローションなんて持ってたんだよ?」  棗の言葉に、時雨が虚を突かれたような顔をした。 「大体、お前は上手すぎだ。どういう事だ? あんなに手慣れてるなんて」  するとじっと棗を見た後、喉で笑ってから、続いて時雨は吹き出した。 「それは、良かったって事か?」 「な」  確かにそう言う意味になってしまうと気づき、棗は真っ赤のまま泣きそうになった。 「ローションは忘年会で貰った」 「え」 「経験はそれなりにあるけどな」 「そ、そうか」 「良かったんだとすれば、お前が俺のことをそれだけ好きなんだろ」 「……へ?」  最初は首を傾げた棗だったがその言葉をじっくりと理解し、今度こそ涙ぐんだ。そうかもしれない。ここのところ、気がつけば時雨のことばかり考えていた。だが、時雨はどうなのだろう。恐る恐る棗は時雨を見た。 「お前は?」 「気持ち良かったぞ」 「そうじゃなくて、お前も俺のことが好きか?」 「……お前も? 要するに棗は俺のことが好きだと言うことか?」 「っ」  硬直した棗を見て、時雨が優しく笑った。 「ああ、確信した。俺は棗のことが好きだ」  その一言が、尋常ではなく嬉しい。何度も何度も棗は頷く。 「こ、恋人とか、いないんだろうな?」 「いない。いたら抱かない。いや、いるのか?」 「いるのか……?」 「棗は俺の恋人なんじゃないのか?」 「え、あ」  嬉しくなって棗が微笑み返した時、煙草を消して時雨が起きあがった。そして棗の体を抱き寄せると、頬に優しいキスをした。 「時雨、一緒に帰ろう」 「そうだな。ただ、もう少しかかるんだ。だから待っていてくれ」 「そうか……」 「合い鍵を渡しておくから」 「……?」 「ここにいればいいだろ」 「で、でも俺がいたらまずいんじゃないのか?」 「どうして?」 「だって、来ない方が良かったって……」 「危ないからだ。この家からは極力出ないで欲しいのは変わらない」  そう言う意味だったのかと、棗は少し安堵した。  こうして、その後数日の間、二人は一緒に暮らしたのだった。

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