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第37話
冬子が全てを吐き出して一息ついたところで、まるで見ていたかのように舎弟が万葉が呼んでいると呼びにきた。さすがとーとや!と思ったが、それを顔に出さないように必死だった。
ようやく解放されたと冬子と二人で部屋を出ると、神原が待ち構えていて選手交代とばかりに顎で呼ばれた。
万里はさすがに倒れそうだと空笑いをした。
冬子よりも神原のお説教の方が精神的にくるものがある。じわじわとゆっくりと針を刺すように、的確に人が突かれて痛いところを突いてくるからだ。
連れてこられたのは子供部屋ばかりある離れ。ようは万里と由と神原の部屋しかない棟になる。
神原は屋敷を出ているので部屋にはたまにしか帰ってこず、降格と同時に屋敷を出た由も部屋には帰ってきていない。なので、この離れで寝起きしているのは万里くらいだった。
「俺の部屋も、おかんが掃除してくれてるからいつまでも綺麗や」
神原はそう言いながら自分の部屋のドアを開けると、中へ入っていった。8畳ほどの広さの部屋が二つ。子供部屋にしては贅沢な広さは小さい頃からだ。
部屋は出て行ってても帰ってくることも多いので、家財道具などはそのまま残っている。なので部屋は神原の匂いが染み付いていて、どれだけ長いことそこに居たのかを物語っていた。
万里の遊び相手として小学生の頃に父親の博巳に連れてこられた神原は、ほぼこの屋敷で過ごしていた。それをどう思っていたのか、万里には知る由もなかった。
「海里、今回は…」
「まぁ、座れ」
神原は部屋にあるソファに腰掛け万里に促したが、これ、隣に座ったら蹴飛ばされるんじゃない?と思い、ラグの上に腰を下ろした。
それに神原は特に何も言わずに、万里の前のソファに腰を下ろし、足を組んだ。
「お前がアホやるんは百も二百も承知、わかりきっとった」
「え?」
「お前が病院から抜け出すんもな」
「えーっと、どーゆーこと?」
神原は万里を卑下すると、わざとらしく長嘆してみせた。そして眼鏡を外してレンズに汚れがないことを確認して、また掛けた。
「アホの行動はお見通しってことや。まぁ、お前を病院から抜け出さそう言うたんは由やけどな」
「は…?」
え、ちょっと待って、何その衝撃告白。万里は思わず腰を浮かせた。
「お前の行動は由を通して、俺に全部筒抜けや」
「……はぁ!?」
「考えたらわかることやろうが。由がお前にプラスにならんことをさせるわけがない。なんや勝算があったかどうかはともかくとして、一新一家とのパイプを作っておくんはええって思うたんや」
「ちょい、待って…。確かに一新一家に海里が来た時、由に海里と繋がっとったんは聞いたけど…。え!?ほんまに初めっから繋がっとったん!?いや、そもそも病院抜けるんちゅうんもわかっとったとか、エスパーやん!」
「アホの考えくらい誰でも分かるやろうが」
「やて、そんな…」
それはあまりにもアホすぎるのではないだろうか。神原の力を借りずにない知恵を絞り金を集めるのに躍起になり、自分の組での立ち位置やこれからを考えた、人生の中でもなかなか大きな出来事だったのに全て筒抜け。
いや、でもそう言われると合点納得のいくことも多いといえばそうだが、でも…。
「そりゃないわぁ」
「なんや、文句でもあるんか」
「文句というか…」
なんと言うか…。確かに由は万里に従順ではあるが、正直、従順すぎると思ったところもある。由は基本的に万里を好きにさせるが、少しでも危険だと思ったことはさせないのだ。
今回はどう考えても危ない橋だった。身の危険というより、万里の立場だ。なのに由は何も言わなかった。その理由がこれだったのだ。
「お前があのホストに借りを作ったまま、大人くしおるなんて思うてへんかったわ。思うてへんかったけど、今、動くか?」
「思い立ったら吉日的な…」
「殺されたいんか」
ギロリと殺意を向けられ、万里は首を振った。
「すんまへん」
「仁流会周辺できな臭い動きがある。今回の稲峰組の件は別やとは思うけど、それも定かやない。それでオヤジが会長に、由を戻すことを打診してたとこやった。お前には言うてへんかったけどな。ほんならお前の暴走が始まってもうて、挙句、拉致されてもうて俺らは慌てて由を戻す羽目になったわけや」
「え?ほな、まさか…蓮はんも知ってるん?」
「組の内情を俺が話すと思うか?お前やあるまいし」
いや、そうですね。確かにそうですね。というか、これで蓮まで知っていたのであれば、完全に人間不信になる。
「やけど、蓮への手数料は高うついたわ。一新一家へもタダちゅうわけにはいかんから、そっちもいらん金撒く羽目なったしなぁ」
「…え!?」
まさかと万里はスマホを取り出すと、銀行のアプリを立ち上げた。神原はそれを眉を上げてみていたが、万里は残高に震えた。
「え、海里…はん?俺の金…すっからかんですけど」
というか、どうやって抜いたんですか?いや、引き出すのは容易いか。この人、極道だったわと馬鹿みたいなことを思った。
しかし抜きすぎなのではないかと思う。というか、明らかにマイナスになってる。
「あ!まさか、罰金!?」
「手数料ですよ、若頭。これからバリバリ働いてもらわないとねぇ」
神原は良い笑顔を見せて言うが、万里はやはり破門してもらうんだったと心の底から思った。
「で、これからどへんしょう思てんの。稲峰らん居処は分かってんねやろ」
「あなた達を助けるために一新一家が動いたことがまさに青天の霹靂だったようで、現場は大混乱だったようですよ。といっても、あなた方が監禁されていた駐車場は町外れになって、随分と前に閉鎖されていたようです。そんな老朽化した駐車場のシャッターを爆薬で吹き飛ばすんですから、一新一家の狂気の沙汰といったらもう…。いや、どうせなら崩れても良かったかもしれないですね」
本気なのか冗談なのか。神原のことだから本気だろうとなと苦笑いを浮かべた。
「でもそんな派手な動きをしてくれたおかげで、現場に居なかった稲峰達を逃してしまったんですよね。脇が甘いんだか、それよりも優先したいことがあったのか」
神原はスーツのポケットを漁り始めた万里を横目に見て、息を吐いた。一新一家が稲峰に目もくれずに万里の救出に集中したのは、万里の安否が不明だったからだろう。
救出劇の先頭に立ったのは他の誰でもない、あの雷音だ。家業から逃げ出し、夜の闇に隠れて生きてきたとは思えないほど迅速果敢に行動し万里を救出した。
「何よりも優先ですかねぇ、あなたが」
「え?」
万里に首を振って見せて、神原は入り口近くにあるチェストを指差した。万里はそのチェストの上の灰皿を持ってくると、ポケットから取り出した煙草を咥えて火を点けた。
「逃しても居場所分かって見張っててくれたんやから、ええやん。ほんで、稲峰はどこ?」
「あの豚、護衛どもに逃げられて安いホテルの一室で首括ろうとしてました。香港マフィアにもホラ吹いてたみたいですよ。自分は仁流会に繋がりがあるから、仁流会と睨み合ったまま膠着状態の現状を変えてやるってね。ところが一新一家の由良若頭が#龍義__ロォンイー__#会のボスに連絡を取って稲峰のホラをバラした。稲峰からすれば今回あなたを餌に仁流会に入り込めばホラでなくなるはずだったのに、予定外のことが起こりすぎてしまったんですね」
「ざまぁ」
万里は紫煙を吐き出しながら笑う。自分にそこまでの力量があると思ったのか、香港マフィアを丸め込めると本気で思っていたのならめでたい男だ。
「龍魏 社と龍義 会は同じ龍閃 グループですが龍義 会の方が関係性でいえば上になります。稲峰と手を組んでいたのは龍魏 社で龍義 会からすれば弟分が稲峰のような男に上手く使われていることは面白くないでしょう。案の定、すぐに龍魏 社に連絡がいきました。そして稲峰の企みとホラを知った龍魏 社社は大激怒。香港マフィアは日本の極道よりも我慢がきかないようで、すぐに稲峰組を潰しにかかったんです。その事を知った相内会は、早々に稲峰組を破門にして我関せず。完璧に終わった組ですよ」
「よぉ似た名前ばっかりで頭こんがらがってくるわ。やて、どへんして俺を餌に仁流会に入り込もうとしよったんやか」
万里が首を傾げると、神原が右の口の端を上げて笑った。その笑い方、下衆っぽいぞと思いつつも笑われるような事かと唇を尖らした。
「簡単ですよ、明神組若頭が香港マフィアに捕まってるから自分が助け出してやるって言えばね」
「いやいや、そいなこと言うても、俺が喋ったら全部わかることやん。香港マフィアやのうて、稲峰が仕組んだことやて」
「あなたねぇ…。いいですか?稲峰組はヤクばら撒いて私腹を肥やしてきた組ですよ?」
「なんや、ヤク漬けにされるとこやったんか」
危ない危ないと万里は肩を竦めた。顔の傷はともかくとしても、目のことに加えてヤク中なんかになったら冬子に間違いなく殺される。
それこそ、あんたを殺して私も死んでやるっていうやつだ。自分の子を極道に殺された挙句、今度は自分の手で子を殺さすなんてことをさせるわけにはいかない。
「俺もやけど、海里も由もかーかに面倒かけんようにせんと。ほんまに殺されてまうで」
「一番面倒を掛けているのは、三男のあなたという自覚を持って下さいね。ところで、稲峰をどうしようとお考えですか?」
「雑魚はいらん。あのブタだけ生かして」
「始末しないんですか?」
神原が驚いた顔を見せたが、万里は灰皿に煙草を押し付けて手を振った。
「タダで生かすんやないで。仇取らしたるって約束したからな」
「ああ、柴葉ですか?でも、ようやく喋れるようになったくらいで、歩けるような状態ではありませんよ」
「待ったればええやん。豚は肥やしてなんぼやろ。助けてもらえるかもって僅かな希望あったのに、一気に絶望味合わせるんもええやろ」
「あなたのそういう、たまに見せる残酷なとこ好きですよ」
神原はそう言うと、妖艶な笑みを浮かべた。それを見て残酷なのはどっちだと思ったが、特にそれを言うことなく紫煙を吐き出した。
それからは神原の言う通り、万里は馬車馬の如く働かされた。仁流会周辺がきな臭いのは事実で、その排除に朝から晩まで動き回っていた。
そしてその裏では万里の指示の通り、稲峰を拘束はしているものの危害を加えることはしなかった。稲峰は初めこそは安堵していたが、自分の身がこれからどうなるのか分からない状態での生殺しに狂乱し始めていた。
自害する根性があるようには思えないが、もしものことがあっては困ると思っていたとき、柴葉が驚異的なスピードで回復をみせた。
人を生かすのは希望だなと痛切に感じた。稲峰を自分の手で殺せるというのが、柴葉の生きる希望なのだ。だが、それが終わった時が厄介かもしれないなとも思った。
「あんさんの生命力には敬服するわ」
万里はBMW M760Liの後部座席で、隣に座る柴葉を横目で見て笑った。地下駐車場で転がっていた時の弱々しさもなく、目には生気が宿っている。
入院生活のせいで少し筋肉が削げたような気もするが、それでもしっかりとした身体つきは変わらない。
「何から何まで…すまんかった」
突然に謙虚になる柴葉に、万里は吹き出した。
「堪忍してぇな。似合うとらへんで。まぁ、今回のこれはええんよ、害虫を殺すんは俺ら悪党の仕事やしなぁ。あんさんの側近、なんやいうた?」
「五十棲か?五十棲 望海 」
「ああ、そうそう、望海ちゃん。あの子もようやく起きれるようにならはったらしいねぇ」
万里がニッコリと笑うと柴葉は小さく息を漏らした。
「あいつが死んだら、ほんまに俺は自分を許されへん」
「死んでへんし、生きてるし、あんたも生きてる。やから、やるべきことをやろうか」
万里がそう言うと、ハンドルを握っていた由がパッシングした。すると目の前のビルのシャッターが金切り声を上げながら、ゆっくりと上昇していく。
それを見ながら柴葉は高揚した。今、この時のためだけに、あの豚に尽くしてきた。あいつを殺せるのなら、靴の裏だって舐めてやると思った。
その願いが今、叶うのだ。
「明神、この礼は何でもする。死ねって言うなら喜んで死んでやる。本当に、感謝する」
柴葉はそう言うと車を降りた。万里の部下達が柴葉を連れて暗闇へと姿を消す。
さぁ、柴葉を見た稲峰はどういう顔をするだろうか。腰が抜けるくらい驚くだろうが、あの男のことだ、すぐに命乞いをするだろう。
そんな稲峰に柴葉はどういう顔をするのだろうか。万里はその光景を想像しながら、唇を舐めた。
「エロい顔しとるねぇ」
「え?」
「万里も行ったらよかったやん」
「せっかくのデートに部外者が入るんは野暮ってもんやで」
万里はそう言って笑みを零した。
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