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拗れた初恋をしたためる

 初恋は甘酸っぱいが苦しい。  そして実らない。  そんなの知っている。 「……またな」  そう言って部屋を出ようとする男、吉良星(きらぼし)の端正な顔立ちに、小野 満(おの みつる)こと俺はドキッと胸が高鳴った。 「お、おう……」  さっきまであんなに早鐘のように心臓を打ち鳴らしていたのに、理由もなく緊張してしまう。次の約束を匂わせる目の前の男に、やっぱり好きだという気持ちがさらに募る。ああ、やっぱり好き。顔も性格も好き。あっちもこっちも全方位で好きだ。 「……あのさ」  吉良星が立ち止まる。なんだろう、なにか言いたげだ。 「お、お金なら大丈夫だよ。さ、さっきもらった」 「…………いや。そうじゃなくて」 「……うん? トイレか?」 「……いや。なんでもない。また連絡する」  見せかけだけの重厚感溢れるラブホの扉がゆっくりと閉じられる。  俺の初恋の君、吉良星 光(きらぼし ひかる)が部屋を出ていった。会計は入る前に割り勘にして払って、延長もない。きっちり二時間お楽しみしたし他に不満もない。  柔らかな栗色の髪がふわりと揺れていたのを思い出し、ドアが閉じていく音が俺の耳に反響する。  ……おわた。変なこと言ってなきゃいいけど。  俺は大きなベッドにドスンと仰向けになって寝る。くしゃくしゃになったシーツに、ふわふわの羽根布団。さっきまであんなことやこんなことをしたのが噓のように、冷めている。  まあ、別れのキスもないしピロートークもないわけで。  好きな芸能人の顔もそっくりなわけで。  まあ、とにかくふくざつなわけで。  でも、数十年ぶりの初恋の吉良星は超絶カッコイイわけで、今は仕事もできるエリート官僚になっていた。  初恋の男はスーパーいい男に成長していたわけだ。  そして十年ぶりの再会。こじれにこじれて、初恋たった男とどうしてかセフレというワンステージに繰り上がってしまっている。  ……いや、うれしいんだけどさ。  吉良星は、名前のとおり皆の憧れの的だった。キラキラボシのヒカルくん。  そう皆が噂し、皆の光くんは不可侵条約を結ばれ、ファンクラブまで作られた。そのせいか、吉良星の恋人ができたことを聞いたことはない。長身で、容姿も性格もすごぶるよく、成績も優秀でクラスの人気者は皆の初恋でみんなのものだった。神は二物を与えずって言うけど、あれは噓だ。すべてを兼ね備えた奴っているんだなと小学生のときに俺は自覚した。  吉良星は穏やかな性格のせいか自分から目立つタイプでもない。でも周りがほっとかないのでつねに輪の中心にいたのを憶えている。  そんな吉良星が、三十路の俺たちのために同窓会の主催を務めた。俺は届いた案内状に目を丸くした。  同級生のめずらしいよなというメールに激しく頷き、すぐに参加に丸して返信した。皆の「初恋の君」である吉良星だ。初めて開催する同窓会が失敗するわけがなかった。クラスメイトの九割が参加するという、驚異的な出席率を打ち出し、同窓会は五次会までに発展した。  濃いマスカラをしばたたかせたフル装備の女たちに囲まれて、吉良星はニコニコと笑みを絶やさず主催を全うし、みんなの期待に応えた。  隅で煽るように酒を乾す俺。ついにはでろでろに酔っ払い、主催である吉良星に介抱されて、自分がゲイだとカミングアウトをしてしまう。  男が好きなんだけも、だれともつき合えたことがない……。なんてひどいことを初恋の君に口にして、さらにその手の上に吐しゃ物を出してしまった。いまとなってはやらかした自分を殴ってゴミ捨て場に投げたい気分だ。  吉良星はゲロまみれの俺をタクシーに乗せるのを躊躇い、近くに佇むこのホテルまで担いで介抱した。そこからどうしてか、あさイチワンナイトで一発(だった気がする)かまして、やったら帰るというデフォが作り上げられることとなってしまった。  でも、それからだ。  あいつがこのラブホの部屋を予約して、社畜度が深刻な俺の仕事を終わるまで待つというヘンテコなルーチンが続いている。なぜかいつも同じ二〇一号室なんだけど、ダークトーンの内装がとても落ち着いているし、浴室も広くて気に入っているのだろう。  一番うれしいのは部屋の浴室に設置されている岩盤浴だ。岩盤浴に一緒に入って寝ながら同級生のことを話したり、趣味の話をしたりした。そのあとぐっすり寝てしまいなにもせずに部屋をあとにしたのは流石に反省したけど、疲れがよく取た。翌日、ありがとうと連絡したら、「了解」と短い返信がきたけど。    まあ、それ以外のやることはやっているんだけど、……それ以上の精神的な繋がりはなにも進展ないわけで、ひじょーにわびしい。  初恋って結ばれないっていうじゃん?  いや、その前にセフレなわけじゃん?  その先のゴールがないじゃん。  一緒に住む理由もないし、法的な結婚というものもないじゃん。  もちろん出産もない。    初恋は甘酸っぱいが苦しい。  そして実らない。  そんなことは知っている。  何度思っても、そんな答えが現実として見えていて証明されるのがくやしい。  ……そろそろ、やめどきか。  三十路にもなる男どもが、ずるずると続ける関係じゃない。  はあ……と俺は溜め息をついて、ラブホの日記帳に日記をしたためた。 このハッピーエンドホテルというラブホ。ふとしたときに部屋の隅にノートを見つけてしまい、なにを思ったのか日記をつけている自分がいる。吉良星が帰ったら、ちょっと書いて帰宅するのが習慣で楽しみになっていた。  ……この日記とも、おさらばかな。  最後になにを書こうと思い悩み、しばし考えてこのやるせない気持ちをしたためる。文字にするだけで報われるような気がする。そうじゃなきゃ、こんなへんな名前のラブホの日記帳に拗れた初恋の行く果てなんて書けない。 『今日も初恋の君と寝た。とても気持ちよかった。あいつの手、好き。筋張って、かたくて、大きくて優しい手つきで触れてくる。あんな奴だとは思わなかった。好き。愛してる。一緒に暮らしたい。でも終わりにしようと思う。 ノッチ』  これが俺の最後の日記。  ええと他の奴はどうなんだろう……。  名残惜しくなって、数ページをめくる。初めて他の人の日記を覗く。 『やっと逢えた。うれしい。 キラ』 『かれぴっぴとデート! 超よかった~! タマ』 『緊張した。またあいたい。次は仕事を早く終わらせる! ノッチ』 『初めてラブホにきた。もうちょっとで二年記念日だ。うれしい~! バナナ』 『今日もかわいかった。岩盤浴で疲れが取れたみたいだ。よく眠っていた。寝顔がかわいい キラ』 『遠距離でやっと逢えた。幸せ。また明日バイバイかなしい プイプイ』 『久しぶりすぎて我慢できなかった。でも会えてうれしかった。次の水族館デートも楽しみ! ワンワン』 『デートに誘いたいけど、また仕事が……。もういっそのこと転職したい ノッチ』 『今日で最後。絶対最後、でも離れるのかなしい。 スミレ』 『はやく逢いたい。デートに誘ったけど仕事で断られた。しょうがない。 キラ』 『今日は記念日。プレゼントに指輪もらった。うれしい! ハナミ』  ひどい顔の猫や、泣き顔のかわいい女の子が描かれているイラストが目に入る。A4のドット罫ノートはもう半分まで埋まっていた。書いている人物はほとんどが女の子だ。俺のような男はキラぐらいだろう。そういえばこいつの名前、よく見かける。どんな恋愛しているんだろう。そんなこんなの喜怒哀楽の文章が綴られていて、読んでいくうちに人間模様がこの部屋に浮き上がってくる。  離れるのは悲しいよな……と思って、さらにページをめくる。俺の日記の前までたどり着き、はたと目がとまった。 『初恋の人と再会できれうれしいけど、中々うまくいかない。でもかわいい。かわいすぎて、会ったらすぐに抱いてしまう。勘違いして欲しくないけど、まだ付き合おうと言えていない自分が恥ずかしい。どうしよう。……反省しかない。今日こそは付き合おうと決めているのに言えるのだろうか。中学校から好きで、ずっと忘れられなかったのに。頑張って同窓会の主催までしたのに、このままじゃ嫌われてしまう。いつも疲れているから優しくしたいのに、会える時間が少なくて焦ってしまう。でも今日こそ言いたい。数十年ぶりの初恋を実らせたい。頑張れ、自分。 キラ』  えっ……と二度見した。  よくよく眺めると、キラの文字は丁寧に書かれたきれいなものだった。遡っていくと、思い当たることばかりある内容に顔が赤らむ。  こ、これって……。  手に取ったノートに、手汗が滲む。途端、部屋のドアが勢いよく開いた。  吉良星だ。吉良星が戻ってきた。  栗色の柔らかな髪の毛がへたっと額の汗にはりついている。荒い息づかいで、はあはあと肩を上下して部屋に入ってきた。 「き、きらぼし……」 「小野、好きだ。つき合って欲しい!」  拗れに拗れていた初恋は、ずいぶん前に一冊のノートで結ばれていたようだ。

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