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第1話

 空を見上げると、神様が僕を覗き込んでいた。  土を弄る手を止めて、ぺこりと頭を下げる。神様は僕のことなんか基本的にはどうでもよくて、礼儀も何も気にしないけれど、目が合った時にはどうしても、頭を下げて感謝を伝えたかった。  頭を下げた僕の横に、いつものようにご飯が落ちてくる。最近整えた人参の畑が全部潰れてしまったけれど、神様がよし、という顔をしていたので、よし、ということになった。ご飯の腕を掴んで、家の側へと引きずる。育成キットに最初からついているもので、家と呼ぶには少しばかり簡素だけれど、僕の元いた寝床よりは百倍もマシだった。  神様は、さっきも言った通り僕のことなんかどうでもよくて、普段は興味なんてないのだけれど、どういう訳か、僕がご飯を食べるところは熱心に見たがる。  だから僕もなるべく、神様が喜ぶようにご飯を切り分けて、一生懸命火を起こして、ぐつぐつ煮て、沢山食べるようにしている。神様からすると、僕みたいなのが一生懸命ご飯を食べているのは、どうやらかなり楽しい余興のようだった。 「美味いか?」  頷くと、神様は満足そうに頷き返して、空から顔を引いた。空。見上げると、神様の部屋の天井だけが広がっていて、僕はなんだか少し切なくなる。囲まれたケースの壁にはそれらしく美しい景色が描かれているけれど、結局描かれたものでしかないから、見慣れてしまえば閉塞感はただの壁と変わらなかった。 「かみさま……」  寂しくなって、ぽつりと呟く。神様はなんというか、ズボラなので、僕の世話は餌やりしかしない。触れることもないし、あまり言葉も交わさない。それを寂しいと思うのは贅沢で、とんでもないことだけれど、やっぱり寂しかった。拾われた頃は、此処にいられただけで本当に幸せだったのに。  ご飯の不要な部分は、端にある穴に入れるとがりがり削れてペーストになる。お前も入ったら同じことになるから気をつけろよ、と神様が言ってくれたから、僕は穴の近くにいる時は殊更に気をつけて歩くようにしている。  ご飯を片付けて、畑を少し整えてから、灯りが消えたので僕も眠ることにした。神様はいつも規則正しい。ご飯をくれて、僕がちょうど片付け終わる頃に眠るのだ。  神様と同じ時間に眠るのは楽しい。布をかぶって、目を閉じると、寂しさはすぐに消えた。 「────いや、お前、これは流石にないだろ!?」  目を覚ますと、神様が怒られていた。見えないけれどそう思ったのは、神様じゃない声で、怒鳴り声がしたからだ。神様の声はもっと落ち着いていて、無機質で、少し掠れている。  なんだろう、と思って空を見上げると、やっぱり神様じゃない顔が僕を見下ろしていた。神様は目が六つ並んでいて、白くて、口がない。この神様は、別の神様で、口しかなくて、真っ黒だった。 「ない? 寝床も飯も遊び道具もあるだろうが」 「簡易育成キットの寝床は人間が住処に慣れたら正規の製品に変えるようにって説明あったろ! ボロボロじゃねーか!」 「あれで寝れるというから」 「しかも何? 遊び道具って、あの畑? 自給自足補助用品じゃん、遊び道具じゃないじゃん、もっとさあ、パズルとか買ってやれよ」 「楽しいと言っている」 「あとこれオレさあマジでドン引きなんだけどさあ、あのさあ、なんであいつも食ってんのか分かんないんだけどさあ、」  黒い神様は、白い神様に沢山棘を刺しながら、少し上擦った声で言った。 「なんでお前、人間に人間食わせてんの?」  神様が責められている。そう思って、畑の横に転がる首に土を被せた僕に、黒い神様はあーあ、と呟いた。あーあ、気ぃ遣わせちゃってるよ、と。  慌てて首を横に振った僕に、黒い神様は空から覗き込むようにして僕と目を合わせた。 「人間くん、あのね、君は知らないかもしれないけど、人間向けの安全で美味しい食品たっくさんあるから、そんなの食べなくていいんだよ。ていうかオレほんとにショックなんだけど、幼馴染が飼ってる人間に人間食わせてるとか何? お上に相談していい?」 「私が食わせ始めた訳じゃない、拾った時にはもう食ってた」  黒い神様は、なんだか化け物を見るような目で僕を見た。目は無かったけれど、そういう顔をしているのは分かった。 「…………お前これどこで拾ったの?」 「廃棄場」 「……うーわ、法律違反じゃん、犯罪だぞ」 「登録したから正規品扱いだ」 「やだもう、お前もこいつも、やだもう! 馬鹿!」  黒い神様はなんだか妙に幼い声で叫んで、わーっと音高く走って行ってから、戻ってきて、「人間くんこれ食べな!」と四角くて白っぽい何かをくれた。僕の両手で抱えられるくらいの、軽くて柔らかい何かだ。食べな、と言われたものの、神様から渡された訳ではないので迷っていると、「好きにしろ」と言われた。一番困る。俯いて、見上げると、今度は「食べなさい」と言われた。  白い立方体の角をかじる。かりかりでふわふわしていて、口に入れるとぷるんと溶けて、食べたことがないけれど、これが美味しいってことなんだと思った。  かつかつと歯を立てて食べ進めていると、黒い神様がちょっとはしゃいだように僕を指さした。 「ほらー、ほらほらほらー、人間はやっぱりこっちのが好きなんだよ〜〜、ほら見ろ〜、人間に人間食わすな、アホが」 「こいつが食ってたんだ」 「そりゃ廃棄場に住んでるようなのはあぶれたらそれしか食うもんないだろ! 飼ってるんだからしっかりそれくらい、……え、ていうか、この人間名前何?」 「ない」 「ナイって名前じゃなくて無いの方の無い?」 「ないの方のないだ」 「最低! 馬鹿! そんなんだから信仰集まんないんだ! 万年ドベ! ボケカス! えーん、人間可哀想だよ〜〜……う、う、か、かわいそ……マジで……」  黒い神様が泣き声混じりに呟くのを、神様が興味なさそうに見つめている。僕の口は未だかりかりと白い立方体を齧っていた。ふわふわになって、つるんと溶けて、おいしい。 「名前つけてあげなよ。人間も欲しいよね? 名前」 「…………」 「え、嘘、何も言わないんだけど……怖……」 「お前は名が欲しいのか」 「かみさまが、すきなようにしてください」 「ソッコーで答えよった……嫌……しょげる……膝枕して……」  顔を引っ込ませた黒い神様が何やら動く気配がして、神様がそれを三本目の腕で払うのが見えて、がしゃーん、と物凄い音がした。びっくりして飛び上がる僕に、神様はやっぱりあまり興味のない顔をして、静かに呟いた。 「そもそも名をつける意味がわからん」 「かわいいペットに名前をつけない? 正気か? 貴様何を司る神か言ってみろや、どのツラ下げて司ってんじゃ、砂に還れ、ボケ」 「名とは個の区別のためにつけるものだろう。必要がない」 「そりゃそうだけどさ〜、次に飼う子とは区別して覚えてあげなよ、可哀想じゃん」 「次も何も、人間を飼うのは最初で最後だ」  至極当然だという声で口にした神様に、黒い神様はのったりと起き上がってから僕を見下ろし、やや呆れたように、よかったね、と言った。多分、呆れてしまうくらいには嬉しそうな顔をしていたんだと思う。  そうして黒い神様が帰った後は、特に関わりもなく時間が過ぎて、いつもの時間にいつものご飯が降ってきた。僕はいつものように神様に頭を下げて、頑張ってぐつぐつ煮てから、ご飯を食べた。おいしかった。

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