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彼の苦味を

 突然、全ての点が1本の線で繋がった。琢未(たくみ)が俺を……? でもそう考えれば、全て説明がつく。  確かに1年の頃から、琢未に何かと気にされているとは思っていた。大分遅刻して教室に潜り込んだ時も、出席カードの配布はもう終わったと聞いてうなだれていたら、なぜか彼が1枚融通してくれたり。夕立が止むのを待っていたら、自分はこれから部活があるから使えと言って、折り畳み傘を貸してくれたり。部活も違うし、じっくり話したこともないのに、俺について「史也(ふみや)は絶対モテるよ」なんて言っていたと人伝に聞いたことがある。爽やかイケメンのモテモテ野郎が何言ってんだ?と不思議に思ったものだ。3年になったら、いきなり同じゼミになってて驚いた。自然と、一緒に図書館に行って調べたり、課題を仕上げるのに相談したり、ついでに一緒に飯を食ったり、そういうのが増えて来た。琢未はどんな話題でも面白そうに聞いて盛り上げてくれる。好きなアーティストの話をすれば、CD貸してと言うので貸したし、好きな漫画や小説を貸したこともある。何か急に距離が近付いたな、とは思っていた。そこへ来て、昨日からの流れだ。  学食で琢未と飯を食っていたら、同じバスケ部のヤツに声をかけられた。 「あ、史也!! お前、とうとう幸せになるらしいな!!」 ギョッとした。そうか、彼女はそうやって、周りに言ってるのか……。 「いや、そんなんじゃないって。まだ付き合うって決まったワケでもないし。」 「そんな、もったいぶっちゃって!! もう決めちまえよ!! 超上玉じゃねぇか!!」 そいつが去った後、琢未にどういうことかと聞かれる。考えたら、琢未とはそういう話をしたことが一切なかった。モテ男に話すのは気が引けたし、そもそも俺は、成り行きで付き合ってるような感じになったことが数回ある程度で、誰かとちゃんと付き合ったこともなかった。彼女が真面目に考えてくれているとは知らず、俺の態度に傷付いたと言って、一旦は俺から去って行った。それが、ヨリを戻したいと言われただけだ。だから、琢未に詳しく聞かせるような内容でもないと改めて思った。 「まぁ、話したくないなら無理に話さなくていいけどさ。……でも、相手、どんな子?」 「ん~、まぁ確かに綺麗な子なんだけど……、何ていうか、幸せな家庭で愛されて育ったんだなっていう子。」 「ふーん。史也はそういう子が好みなんだ?」 「好みっていうか、そういう子と付き合ったら幸せになれんのかな、と思っただけだよ。」 「付き合うんだ。」 「いや、まだ決めてない。」 「でも、付き合うことになりそうなんでしょ。」 いつもと雰囲気が違う。何か表情が強張ってるし、その後もほとんど喋らない。俺も何を話して良いか分からなくなって、黙々と昼食を終えた。それが、昨日だ。  今日は琢未を見かけないなと思っていたら、他のゼミ生に、多分休みだと聞かされる。 「昨夜、11時過ぎだったかな~。べろんべろんに酔った琢未から電話来てさ。俺はそろそろ寝ようかと思ってたのに、電話口で延々喋るんだよ。でも何言ってんのか全然分かんねーの。呂律も回ってねーし。何があったんだって聞いても、めちゃめちゃショックなことがあったってだけで、それ以上言わねーしさ。寝そうになるから、電話切るぞって言って切っても、またかけてくんだよ。お陰で3時近くまで付き合わされてさ。」 あの琢未が? 何をやってもスマートで、ノリは良いけど常に自制が利いてるっていうのか、バカ騒ぎはしないし、醜態を晒したなんて話も一切聞いたことがない。実際、その場に居た全員が驚いている。 「え~、琢未でもそんなこと、あるんだな。よっぽどショックだったんだろうな。」 「あのモテ男が、まさかの失恋か? そんだけ酔ってても、何があったか言わないって、アヤシイよな。」 「あんな、女の子とっかえひっかえのヤツが、誰かに本気になってたってことか?」 確かに、失恋位しか思い付かない。仮に家族に何かあったんだとしたら、隠す必要もないワケだし、そんな酔い潰れてないで急いで帰省するだろう。  俺なりに少しは心配もして、琢未にメッセージを送ってみた。 『スポーツ飲料とか届けてやるぞ? ゼミの資料もあるし。』 『もうバレてるんだね。体調は大丈夫だから。資料は明日でいいよ。ありがとう。』 割とすぐに返信が来て、取り敢えず悲惨な状態ではなさそうだと分かり、安心する。 『何があったんだ? 俺で良ければ聞くぞ?』 『幸せな人に聞かせる話じゃないよ。じゃ、また明日。』 まだ幸せになんかなってないし、なるかも分からないのに、何拗ねてんだよ……。やっぱり琢未は大真面目に失恋して、でも俺に彼女ができそうなのを知って、実際にはそれで僻んでたのか。何だか可愛らしいな。普段の琢未らしくもないが、こういう面もあると知って、ちょっと嬉しい。じゃぁ、まぁ、今日は放っておいてやるか。そう思って、そのまま帰宅した。  最近ビタミンが足りてない気がして、安売りしていたグレープフルーツを剥いて食べる。俺は昔っからグレープフルーツが好きで、剥くのも得意だった。……あれ? そういえば、琢未に剥いて食べさせた覚えがある。いつだったっけ……? あぁ、そうだ。入学してすぐの、クラスの飲み会だった。道に迷って遅れて行ったら、一番隅の、彼の隣だけが空いていた。彼も遅れて来たのだと言う。既に酔って騒ぎ出した奴らを横目に、名前と出身を聞いた。ミカンの産地を言うので、ミカンジュースの蛇口があるって本当なのかと聞いたら、ひどく驚かれた。急に冗談っぽく、実家には水色と赤とオレンジの印の付いた蛇口があるんだよ、と言い出す。ついでにタオルの産地のことも聞いてみたら、益々驚かれた。普通、温泉とか文豪のこととか聞くでしょ、と言って笑う。一度行ってみたいな、と言ったら、一緒に行って案内してあげるよ、と言われた。デザートにフルーツの盛り合わせが出て来て、イチゴやキウイやパインがとっとと無くなり、皿には皮ごとカットされたグレープフルーツが大量に残った。グレープフルーツだけは実家周辺でも作ってないんだ、それに苦味が好きじゃないし、と言う彼に、薄皮も剥いたらそんなに苦くないぞ、と言って剥いてやった。遠慮するので口に放り込んでやると、ホントだ酸っぱくて美味しい、史也と付き合う女は幸せだな、なんて真顔で言う。お前みたいなイケメンと付き合う女も幸せだろうさ、と言ってやったら、彼は急に表情を強張らせ、吐き捨てるように言った。 「俺なんかと付き合う女は不幸だよ。」 あの時に、どうしてもっと色々なことに気付けなかったんだろうか。今更気付いて、心臓が跳ねる。まさか、俺も……?  取り敢えず、2個分のグレープフルーツを剥き、少し蜂蜜を垂らしてタッパーに詰め、家を出る。今から行ってもいいか? とメッセージを送った。 『だから、明日でいいよ。』 『でも、もう琢未んちの前まで来ちゃってるんだ。』 中でバタバタと音がして、玄関の電気が点いて、ドアが開く。いかにも寝起きの風体だ。 「え、何で……?」 「良かったらこれ、食えよ。グレープフルーツ。ビタミンは二日酔いにも良いから。」 半ば強引に押し付けて、帰ろうとした。 「……史也!! 散らかってるけど、……あがってって。」 そうして、初めて彼の家に入った。意外なほど片付いていた。が、テーブルの上に飲みかけの缶ビールがあった。慌ててそれを流しに持って行き、中身を捨てている。 「吐き気とかは昼には治まったんだけど、頭痛が全然治まんなくて。迎え酒したら、治ったもんだから……。」 「そうだよな、二日酔いには酒が一番効くもんな。」 「俺さぁ、父親が、アル中なんだよ。だから、我を忘れるようなマネは絶対しないって思って生きて来て……。だから、お酒もそんなに飲まないようにしてたんだ。」 「……そっか。」 常に自制が利いていたのも、そういうことだったのか。彼なりに、踏み外さないように気を張って生きて来たんだな。実家から遠く離れた大学に来たのも、そんな親から離れたかったのかもしれない。 「でも、良し悪しは別にして、飲まなきゃいられないって気持ちは、少し理解したよ。」 「そっか……。」 「グレープフルーツ、ありがと。持って来てくれたこともだけど、……覚えててくれて。」 「ごめん、覚えてたワケじゃなくて、さっき急に思い出したんだ。」 「……じゃぁ、昨夜以外で、俺が唯一我を忘れたエピソードも、覚えてないんだろうな。」 「え、俺が知ってることか?」 「うん、それも、史也のせいだったからね。」 そうして彼は、1年目の初夏の、学園祭のビアパの話を始めた。結局ビールかけになってしまうことで有名なイベントで、諸問題あってあの年を最後に終了することが決まっていた。参加者は皆、水着にTシャツという格好で、人によってはゴーグルまで付けていた。 「丁度あの日、高校の時の担任が、修学旅行の引率でこっちに来てたから、夜に会おうって話になっててさ。ほら、学祭でホストクラブやったでしょ、皆でスーツ着て。だから俺、そのまま担任に会いに行くつもりで、少し離れた所からビアパを見てたんだよ。そしたら史也がやって来て、俺にビールかけたの。スーツなのに。」 「え、俺、そんな酷いことしたのか?」 「あーもーやっぱり、史也は覚えてないんだ? そうだよ、スーツにビールかけられた上、一度家に帰ってシャワー浴びて着替えなきゃいけなくなったんだよ。当然、待ち合わせには遅刻だし。しかも史也ってば、いかにも『かけてください』って格好で傍で見てる方が悪い、って言うんだ。そりゃ、我を忘れる位、怒るだろ?」 「え~?! 酷いヤツだな、それ。」 「でしょ? だから史也に殴りかかったんだけど、顔面にビールかけられてさ。そうなるともう泥沼で、他の人にもさんざんかけられて、もう笑うしかなかったよ。そしたら史也が言うんだ。ちゃんと怒れるんだなって。……ホントに覚えてない? まぁ、あの時は史也、先にさんざん飲んで、既に酔ってたもんね。」 「本当に覚えてないんだ、ごめん。でも確かに、今その状況なら俺はやっぱりお前にビールかけると思う。」 「そっか。まぁ、それなら忘れちゃってるのも、許す。」 「そんな簡単に許していいのか? ……だって、お前にとっては大事な思い出なんだろ?」 琢未が俺を凝視する。やっぱりイケメンだよなコイツ、と思う。でも、目だけは妙にクリッとしていて可愛い。彼は一旦深呼吸すると、再度俺を凝視した。その目に、獰猛さが宿る。殴られると覚悟して、俺は目を閉じた。彼が近付く気配がして、ふわっと頬を包まれる。そして――唇に、熱く柔らかいものが触れた。心臓が跳ねる。 「これで、許してあげる。」 俯いて、でも耳まで真っ赤に染めている彼に、益々心臓が跳ねる。こんなの初めてだ。どうしてくれるんだよ? 「俺は許してやらない。」 彼の顎を掬い上げ、口付けた。迎え酒のビールの味がした。その苦味も、俺が奪ってやるんだと思った。

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