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第1話
「俺はトモナリだ、忘れるなよ。」
そう言った美しいあの子を、ずっと覚えている。
四月、周りの環境ががらっと変わる時季。
眠気に耐えながら登校してきた青年、川良絢也は朝のHRで限界を迎え、机に突っ伏して眠っていた。
「一学期始まったばかりだが転校生がいる。」
教室がざわめく。微睡みの中周りの音を聞いていた絢也もそのざわめきで覚醒し、目を擦りながら顔を上げた。
転校生。こんな微妙な時に?
ぼやけていた視界と思考がはっきりしていき、いつの間にか黒板の前まで来ていた転校生をようやっと絢也の脳が認識する。
その後ろ姿に、既視感を覚えた。日本人としては見慣れた黒髪、男にしては少し長めで、後ろで束ねている。
黒板にチョークで緩慢に字を書いているその人物から、絢也は目を離せないでいた。
「藤畑友成です。」
書き終わり、転校生が前を向く。
「…………。」
絢也は一人静かに驚いていた。え、と思わず口から出た声が続かないように口を押さえる。黒板の前でにこやかに立っている人物を目を見開きながら見つめる。
『俺はトモナリだ、忘れるなよ。』
「と、トモ、トモナ…!」
抑えきれず口から言葉が溢れる。うまく喋れない。隣や前の席から怪訝な視線を感じるがそんな場合じゃない。
そんな右往左往な絢也を、友成が静かに微笑んで見ていた。
「と、トモナリ!」
「………やあ。」
休み時間に話しかけようとしても、微妙な時期の転校生に皆興味津々で友成は常に人に囲まれており絢也が入る隙が無かった。果敢に突っ込んでいったが飛ばされて終わりである。悲しい。ようやく話しかける事が出来たのは放課後だ。人気の無い廊下で、ようやっと対峙出来た。
「すぐ来ると思ってたけど存外に遅かったね。」
「いやずっとチャレンジはしてたんだけども。」
「綺麗に飛んでいってたな。」
「わかってたのかよ意地悪。」
悪い悪い、と楽しそうに笑う友成は、あの頃よりずっと大きくなっていたけど面影がしっかり残っていた。
「良く覚えてたな、あんな小さい頃の事。」
「お、おぼえ、覚えてるに決まってる!」
涙でにじむ視界の中突然現れて、怖い顔をしつつも母親の所に案内してくれた恩人を忘れるわけない。
絢也が小学一年生の時、両親に連れられてとある山奥にある田舎のお祭りに行った事がある。その旅行は忘れられない記憶の一つだ。
絢也は迷子になった。好奇心旺盛で多感な時期、両親が少し目を離した隙に絢也は山の奥に入り込んでしまい、帰ろうと大泣きしながら動き回った。そこに現れて助けてくれた綺麗な子が、友成である。
何故あんな山奥に一人でいたのか、どうして帰り道がわかったのか、不可解な事もあったがそれが気にならないほど絢也は友成に恩を感じていた。
「じゃあアレは覚えてるかい?」
「アレ?」
「君、泣きながら森を彷徨っていた時さ、」
友成が絢也の両肩を強くつかむ。目を見開き、顔も触れるばかりに近づける。それに少し照れながら怖がる絢也に対し、
「何か、壊さなかった?」
まるで罪人を咎めるように言葉を口にした。
「…そう、言えば…」
記憶が甦る。泣きながら出口は何処と走り回っていたあの時。正直あまりの狂乱にその時自分が何をして何にぶつかってしまったのか、はっきりしない。しかし、何か引っ掛かる。何だ…?
「……覚えてるみたいだね。ならいいか。」
友成は絢也の両肩から手をぱっと離した。じん、と肩が痺れている。それ程に友成は強く掴んでいた。それに少しだけ、恐怖した。
「これから改めてよろしくな、それじゃあ。」
にこ、と怖く笑った友成は固まっている絢也に背を向ける。
「あ…トモナリ、何か困ってる事あったら言えよ!トモナリは大恩人だ、何だってやってやるさ!」
その背に向かって、届くように、響くように、絢也は大声で言う。
「出た川良の『何か困った事ある?』。」
「絶対言ってると思った~。」
「うおおお前らいつから!!」
近くの教室から絢也とよく絡む友人達が顔を覗かせていた。何だがピリッとした空気で会話している絢也達が気になり、動くに動けなかった教室から盗み聞きしていたらしい。
「考えておくよ、絢也。」
友成は、それだけ告げて友人達に囲まれている絢也に背を向けて去っていった。
絢也はことあるごとに友成に構った。どこか壁一枚隔てたような態度の友成ともっと仲良くなりたく、そして何も頼ってこない友成になんとしても頼まれ事をされる為に。友成を不良から助けたり、困っている事があったら積極的に助けた。
流石に毎日は無理だが時々一緒に下校するようにもなった。
「君、一緒に帰ると必ずこの道通ってお祈りしてくけど何かあるのか。」
ここの神社に。
絢也が一方的に話すだけだった何度目かの帰り道。ようやっと話しかけてきてくれた友成に、絢也は嬉しさを隠せない。
本人に言うには恥ずかしい事情に照れながら答える。
「笑うなよ?神様に友成と会えた事への感謝をしてるんだよ。」
「は?」
思わず取り繕うのも忘れて本気で驚いた友成に、絢也は余計に恥ずかしくなる。赤くなる顔に友成は怪訝な顔をする。
ごほん、とわざとらしく咳払いした絢也は、この際だ全部言ってしまえと自分を叱咤し、友成の顔をちゃんと見る。
「俺あの時ホントに危なかったんだ。後で聞いたらすぐ近くに急流の川とか崖があってそこに落ちてたかもしれないし、熊とかに襲われてたかもしれない。」
友成は静かに聞いている。
「だから今生きてるのは当たり前じゃないんだ。助けてくれた綺麗な子…トモナリと会わせてくれてありがとなって。」
絢也の言ってる事は真実だ。嘘なんか言っていない。友成にはわかる。
「だからその…本当にありがとうなって、友成にも伝えたいし、恩を返したいというかなんというかですね。」
「帰る。」
「えっ……」
「帰る。じゃあな。」
呆気にとられている絢也を置いて、友成はその場を走り去った。
「……なんだよ、良い奴じゃん。」
友成は一人、早足で道を行く。歩きながら頭の中は先程の…いやこれまでの絢也とのやり取りが次々と繰り返し浮かんでいた。
今日まで何度も助けられ、優しい面、自分に大恩を感じておりそれを返そうとしている面を目にしてしまった。
壊された大事な物の復讐が目的だったのに。友成は、自分が絆されてしまってきているのがわかった。燃えるような復讐心が揺らいで消えそうな程に。
「そういや絢也、お前彼女とは最近どうなんだ?全然見かけないけど。」
「は?」
「ちょ、おい長谷川…!」
休み時間。教室で絢也の友人も交えて三人で歓談していた時だった。それを友成が知ったのは。
彼女。かのじょ、彼女。
「…彼女がいたのか。君。」
「えっ、あ、そうだけど違うというか…!」
絢也の顔は青い。どうやら真実らしい。
何故だろうか、友成はそれに怖い程の衝撃を受けていた。
(あれだけ俺に構っておいて心に決めた人がもう居た、だと?)
友成は慌てる絢也の目を見る。目が合う。頭を覗かせてもらおう。
友成の目に、絢也の彼女の姿が映し出される。
(こいつか。)
姿と簡単な情報を得、友成は立ち上がった。
「あ、おいどこ行くんだ友成!」
学校を開かれた正門から堂々と走って抜け出す。
友成は絢也の彼女の元へと走っていた。
読み取った情報によると少し離れた別の学校の生徒らしい。
何で俺はこんな事をしている?何故ショックを受けている?
自分の行動に疑問がつきないが、抑えきれない衝動と激しい悲しみが自分の中で暴れているのはわかった。
そうだ元は復讐が目的だったんだ、彼女を襲おう。そうすればあいつは悲しんで、絶望する。
友成には瞬時に移動する、なんて離れ業は出来ないので近くまで走り、公共交通機関も利用し、彼女がいる学校向かう。着いたのは放課後にあたる時間だ。
下校する生徒で、正門前は賑わっている。読み取った情報によると彼女は帰宅部らしい。あまり友達とも遊ばずにほぼまっすぐ帰っているのが常らしく、なのでここにいれば必ず遭遇する。
彼女が通るであろう道の死角に身を潜める。これで待ち伏せして、…殺そう。
俺と同じように、大事なものを失って悲しめばいい。
これで友成の大願は成就される。される筈だ。
来た。あの女だ。
サイドテールでうつむき加減で歩いている。顔はよく見えないが、目に見えて落ち込んでいるように見える。
いやそれがどうした。今から死にゆくものの感情などどうでもいい。
友成は手に力を込める。衝撃波でも何でもいい、何かで吹き飛ばしてしまえ。ぼんやりとした光が、何かを掴むように開かれた右手に集中する。
その光が強く輝き出す。後はこれをあの女にぶつけるだけだ。
しかし、手を振りかぶった時、絢也の悲しい顔が頭をよぎる。このままいけば、取り返しのつかない事をして絢也に、一生恨まれるかもしれない。
手が、止まった。
そこへ、
「友成!!」
後ろから何かが抱きついてきた。元から止めようとしていた力が、その衝撃で拡散する。
追い付かない思考と、立ち去っていくあの女の背、そして腹に回った腕と背中にぴたりとくっついている誰かの体、頭の処理が追い付かない。
「…………………、…………。」
この温かさは、…あの日握った手と同じだ。
「絢、也。」
「…良かった、何にも無かったんだな。」
友成が顔を後ろに向けると、心底安心している絢也が抱きついているのがわかった。
「聞いてくれ友成。」
体を離してお互いに向き直る。絢也が友成の両肩を掴んだ。
「俺は、お前の事、ホントに好きだ!死んでたかもしれない時に助けてくれた、俺のヒーローだ!初恋だったんだ、他の人を好きになってもずっとお前が心の中にいたんだ。」
絢也の顔が赤い。必死になって本音を告白する絢也に、いたたまれない気持ちになって顔を伏せる。
「だから、お前が俺を許せないと言うなら俺に何したっていい。でも、頼むから…他の人には手を出さないでくれ、誰かに夢中なトモナリなんて見たくない。」
その言葉に、友成は思わず伏せていた顔を上げる。
「…は?ちょっと待て、てっきり自己犠牲かと思ったら最後何だ?」
「こ、言葉のままの意味だ!俺以外見ないでくれ!俺だけにしろ!」
「き、君さあ…。」
あまりに真っ直ぐな好意に、友成の顔は赤くなった。そしてその言葉に、嬉しさを感じた。
そうだ、嬉しいんだ。
きっかけは復讐だったけど、何だ、ずっと夢中だったのは自分も同じじゃないか。人間となんてずっと関わってこなかったのに。この10年、君の事ばっかりだったよ。
こんな歪んだ執着…なんて歪な初恋だ。
「そうだよ認めるよ、独占したいんだ、友成を!」
「いや君彼女いるのに俺に独占欲っておかしくないか。」
「由紀ちゃんとなら、もう別れてる!友成と再会してわりとすぐに…。」
「嘘ついても無駄、俺嘘見抜けるし…………ってうわホントだ。」
だからあの彼女はどこか悲しげだったのか、と友成は思い至る。
人としてなかなかに酷い事をしてしまった自覚が絢也にはある。しかし、友成と再会して、ずっと抱いていた友成への想いが溢れてしまい、そんな状態で別の相手と付き合っている状況はおかしいと思ったのだ。
それを友成も見抜いている。自分を選んでくれた事に後ろ暗い嬉しさも感じて。
場所を移した。偶然見つけた寂れた公園のブランコに腰かける。
「一つ、言ってなかった事がある。」
「…何?」
友成は、言い淀む。
わかってくれるのか、恐れられるのではないか、冗談だと思われてしまうかもしれない。
「俺は、人間じゃない。…昔は、多分人間だったと思うけど、…もう化け物みたいなものだ。」
絢也の目が見開く。
「この姿だって君に合わせて同年代の少年に化けてるだけだ。」
なんなら、初めて会った時の子供の姿になってみせようか。
乾いた笑い顔で告げる友成の肩に、絢也が手を伸ばして置く。何もない事のように絢也は微笑んだ。
「ちょっと、びっくりしたけど、なんとなくそうじゃないかなって思ってた。」
「怖くないのか。」
今度は友成が驚く番だった。絢也がブランコから立ち上がり、友成の前へ移動し、手を伸ばす。
「うん、不思議と。それでも好きだとしか思えない。」
伸ばした手を背中に回して絢也は友成を抱き締める。
「これからよろしくな、俺の初恋。」
「その、因みに俺が壊しちゃった大事なものというのは…?」
「人間だった時から持ってた御守りみたいなものだ。」
「すみませんでした…!」
「もう怒ってない。…君は、復讐するには綺麗すぎる。御守りの代わりに君に一緒にいて欲しい。」
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