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幼い頃、幼い恋

「おれ、にんじん嫌い」  最初はそんな言葉だったと思う。  給食のカレーの、大きく切ったそれを、先割れスプーンに載せて弄ぶ彼と、一瞬目が合って。 「おれも嫌い」  本当はそんなに嫌いでもなかったけれどそう言った。  給食の時間になると向かい合わせる隣席の彼が、同志を見つけたというように、ふと嬉しそうに目を細める。  それが始まりだった。  サッカーよりもバスケが好き。  国語よりも算数が好き。  田村先生よりも吉岡先生が好き。  にんじんと、怖い話と、教室掃除が嫌い。  同じものが好きで、同じものが嫌いで、いつでも一緒にいるのが楽しかった。  同じであることが、気の合う友としていつまでも一緒にいられる方法だと思った。 「おれ、二組の坂本が好き」  あるとき彼がそんなことを言った。すこし顔を赤らめて。  サカモト? と聞き返す。長い髪をいつも二つに結った、前から四番目の席の子だ、と彼が言った。 「ああ、サカモト。おれもサカモトが好き」  いつものようにそう言うと、彼は大きな目をまん丸にして、それから少し、困ったように肩を落とした。 「そっかぁ。おまえも好きなんだ」  彼はしばらく、黙って隣で膝を抱えていた。  どうしてそんな複雑そうな顔をするのか、そのときはよくわからなかった。  同じ学校に行って、同じ制服で、同じバスケ部で。  朝は彼の家の前で待ち合わせて、帰りは一緒に寄り道をして。  似たような成績、似たような体格、女の子から告白されるのも似たような頻度――。  けれどいつからか、互いの関わり方が変わってきていた。 「おまえ今日五組の前田に告られたろ」  なぜか目を合わせずに聞いてくる彼に、うん、と頷く。 「付き合うの?」 「付き合わない」 「ほんとに?」 「ほんとに」  おまえが前田と付き合うなら付き合うけど、と思ったけれどさすがに言わない。思春期に入って、それがどれだけ支離滅裂なことかぐらいはわかっていた。 「そうか、付き合わないのか」  なんだかほっとしたように見える彼に、問うた。 「おまえ前田が好きなの?」 「え? いいや?」 「ふーん」  それからも何度か、おまえを誰それが好きだとか、おまえはどうなのかとか、こちらは彼に問わないようなことを聞かれた。  だんだん彼と自分が “同じ” でなくなってきていることに、おれはまだ気づいていなかった。  終わりの日は、快晴だった。  進路調査票を渡された帰り道で、どこへ行こうか、なんて話しながら二人で歩いた。 「おまえはどこに行きたいの」  問われて、答えに窮する。彼と同じところ、くらいにしか考えていなかったからだ。 「…バスケが強いとこかな」  悩んだ末に適当に言ったそれに、彼はほんのすこし、唇を噛んだ。 「おれは、高校行ったらバスケはやらない」  聞かされた初耳の彼の心づもりに、おれは驚いて、彼を振り返った。 「じゃあ、」  おれもやらない、と言おうとした。もとより彼が好きだから始めたバスケだ、彼がやらないのなら自分だけ続けるメリットもない。  しかしそう言おうとした声を遮って、彼がおれの腕を強く掴んだ。 「おれは」  その指が、小さく震えていた。 「おまえが好きだよ」  そのときの彼の表情を、おれは一生忘れないと思う。 「…おまえは?」  おまえは、と彼が問う。  彼と同じ、ではない、おれの気持ちを聞くために。  彼が好むものを好みたかった。けれど彼がおれを好きだと言う時、おれはどうしたらいいのだろう。  おれも。  そう言えば、今までと同じように彼と同じ言葉を返したことになるけれど、もう彼の言葉とおれの言葉の持つ意味は同じではない。  初めて、おれと彼が別々のものを好むようになるということ。  そしておれは初めて、自分と彼が別々の存在であることを知った。  おまえは、と彼が問う。  おれも、と言えばよかった。  言えばよかったのだ。  答えられず、悲しくて、おれはすこし泣いた。  ごめんと、彼は言って笑った。  その日から、おれと彼は別々になった。  それが終わりだった。  あれから何年も経って、あの頃のことを思い出す。  いつ考えても、やっぱりあの時、おれも好きだと言っておけばよかったと思う。そう言ったとしても、絶対にそれは嘘にはならなかったと今は思う。  彼と “同じ” でありたいというところから成長することのなかったあの頃のおれの気持ちは、彼の気持ちに応えるにはあまりに幼すぎたけれど。  それでも、いつまでも一緒にいたいと願ったことは、それも確かに、恋だった。 <END>

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