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人はそれを、恋と言ふ
それまで『彼』に抱いていた感情は、『とにかくウザい』だった。
「よ~賢人 !また一人でこんなとこいんの?寂しくね?」
そのいかにも人懐っこい、まぁ世間一般では恐らく『可愛い』とされる笑顔は、とてもアラサーには見えなかった。
確か噂で27歳ー俺よりちょうど10歳年上だったかーと聞いた。
しかし外見だけなら、高校生と混じっていても馴染むくらい若々しい。
加えてスタイルも良く、女生徒達が騒ぐのも頷ける。
相馬 祐希 。
やたら俺にちょっかいかけてくる、変な高校教師。
担任でもない癖に、鬱陶 しいことこの上ない。
「……どうして俺なんか構うんですか。担任でもないのに」
目線を合わすこともなく、ひたすら真っ青な空を眺めながら、淡々と返す。
祐希は慣れた手付きで煙草に火をつけ、こちらと同じように床に寝そべった。
「俺、賢人のこと好きだからさー一緒に居たいっつーか」
「セクハラで訴えますよ。あと呼び捨て止めて下さい。そんで煙草も止めて下さい」
「ケチー。芹沢 って何か言いにくいじゃん。あ!好きってそういう好きじゃねぇからな!?俺はエロい女教師に憧れて教師になったんだからな!?」
「はいはい、分かってますって。……ったく、本当にこれが教師かよ……」
これ見よがしに嘆息 するも、当人は呑気に笑っている。
俺はチラリと一瞥 し、再び青空を見つめる。
お坊ちゃん、お嬢様が集うこのゴージャスな高校は、屋上だって広々としていて、景色も居心地も良い。
授業をサボるのには最適の場だ。
こいつさえ居なければ。
「やっぱ景色のいいとこで吸う煙草は違うなーあ、お前は駄目だぞ。肌は荒れるし声はかれるし、せっかくのイケメンが台無しになるからな」
「はぁ」
アラサーとは到底思えぬ、赤ちゃんを彷彿 させるツルツルの肌に、何処までも届きそうな程溌剌 とした声の持ち主が、何を言うか。
しかし反論するのも面倒なので、黙っておく。
ーどうしてこうなったんだろ。
ふと回想に耽 る。
俺、こと芹沢 賢人17歳。
産まれてこの方、こんな風に接してくる人間は、今まで一人もいなかった。
とある金持ちの愛人の子として誕生し、母を幼い頃に亡くして、これ幸いにと実子が出来なかった父と本妻の元に引き取られて。
やはりと言うべきか、表面上は美談でも、実際は本妻から酷い嫌がらせを受け、人間不信に陥 っていた。
家庭以外でも寄ってくるのは、金や容姿目当ての者ばかり。
教師ですらこちらに気を使い、本音をぶつけてこない。
これなら初めから誰ともつるまない方がいい。
そう分かってから、一匹狼を貫いてきた。
なのに。
「賢人は綺麗な顔してっから、モテるだろー?誰かと付き合えよ~楽しいぜ~」
「興味ないんで」
「は!?まさか、おま……勃 たな」
「殴るぞ」
無論、恋などしたことがない。
というか、他人に関心を持ったことがない。
だから性欲がどういうものかすら、分からないのだ。
言い寄ってくる異性はごまんといるが、どんなに可愛い子でも魅力を感じなかった。
おかげでこのスペックで(自分で言うな)、高校二年の今でも童貞 である。
このまま人生を終えるのかもな。
なんて厭世的 な思考をぶっ潰してくるのが、祐希であった。
「じゃあさ、卒業したら一緒にガールズバー行こうぜ!いいとこ知ってっから。まずはそこで女の子に慣れて~」
……いやマジで、本当にこんなんが教師でいいのか。
学内で唯一喋るのがこいつなんて、悲しすぎる。
俺は仰々 しく肩をすくめ、すっくと立ち上がった。
「行きません興味ありません不愉快ですさようなら」
「ちょ、おい~待てよ~」
足早に去ろうとするこちらの後ろを、祐希は子犬の如く慌てついてくる。
ほんの少し、ほんの少しだけ、可愛いなと思ったのは内緒だ。
下校時刻を過ぎ、すっかり閑散 とした校内にて。
俺は忘れ物を取りに、自分の教室へと向かった。
するとまだ誰かいるのか、何やら会話が聞こえてくる。
夕暮れの朱色がバックを覆う、神秘的な景色にはそぐわない、下世話な声だ。
「クソッ~みずきちゃん、可愛いのに~!フラれちまった!」
「いや、あんだけ胸見せてアピールしといて、それはないよな」
「そうそう。ありゃ清純派ぶったビッチだぜ」
「ギャハハッ違いねー!」
我が校には珍しいタイプの、いわゆる『不良』と呼ばれる部類の男子生徒達だった。
三人程で談笑している。
内容は一切微笑ましくなく、不快で仕方のないものだが……。
中に入れば、確実に何かしら絡んでくるだろう。
もう忘れ物は諦めて、帰ってしまおうか。
そう思い、踵 を返したところに。
「それがさ、相馬のことが好きなんだって。あいつ、異様に人気あってムカつくよな~」
ドクン。
祐希の名前が出てきた途端、全身が硬直した。
全く、何でこんなタイミングで。
しかもどうやら、不穏 な流れになりそうな気配がする。
いやでも、俺には関係ない、あんな鬱陶しい、デリカシーのない奴、……。
と自身に言い聞かすも、つい動向を窺 ってしまう。
男子達はこちらの存在など露知らず、
「だよな、あいつちょっと顔が良くて人気あるからって、調子乗ってね?」
「他のセンコーはビビって近付いてこねぇけど、やたら説教してくるし」
「チャラチャラしてる割には、女子生徒がどんなにアピっても、絶対なびかないらしいぜ」
「うわっ!いい先生アピールかよ!それとも……ホモ?」
「あ、あり得る~!」
おいおい、それは飛躍 し過ぎだろ!
俺はギュッと拳を握り締め、室内に飛び込みそうになるのを、必死に堪えた。
面倒事に巻き込まれたくない。
今まで目立たぬよう、細心 の注意を払ってきたのが、水の泡になる。
そう思うのに。
なのに。
あの無邪気な笑顔が、どうしても脳裏に纏 わりついて。
更に男子達は、とんでもない計画を練り始めた。
「相馬の奴さ、こらしめてやらね?」
「おお、いいね~どんな感じで?」
「裸にしてボコボコにして、ムービーで撮んの」
「最高!それいいじゃん!てかいっそホモなら、何かエロいことやるのも有りじゃね?」
「あ、それならマニアに高く売れそう。あいつ可愛い顔してるし」
「それで脅しても、いい小遣い稼ぎになるよな~」
嫌でも頭の中で、その光景を思い描いてしまった。
祐希が身ぐるみを剥 がされ、泣き叫んでも聞き入れて貰えず、綺麗な肌を無惨に傷つけられて、そして、そしてー。
……やめろ。
やめろ、やめろ、やめろ!!!
気付けば俺は、勢いよく室内に飛び込んでいた。
後のことは余程興奮していたのか、あまりよく覚えていない。
ただ男子達の悲鳴と、眼前で飛び散る鮮血 だけが、記憶に刻まれていた。
「いやいや、呑気に記憶喪失してる場合じゃないからな?すっげー大変だったんだからな!?」
祐希が眉間 に皺 を寄せてなじるのを、俺はしかし、ひたすら目線を逸らしていた。
あんたの為だったんですよ。
あんた、襲われるかもしれなかったんですよ。
なんて言えない。
何となく、彼の傷つく顔を見たくなかった。
「仕方ないじゃないですか。何か、ムカつくこと言われて、自然と体が動いたっつーか、いつの間にかボコボコにしてたっつーか」
「いつの間にかって……」
こちらの雑な言い訳に、祐希はますます皺を深める。
どれだけ呆れられても、事実を伝える気にはなれない。
俺はぼんやりと、真横に流れる川を眺めた。
既に日は落ち、昼間は燦然 と輝いていた水面も、今は真っ黒で不気味な存在と化している。
ーあれから男子達を相手に大乱闘になり、残っていた数人の教師ーその中に祐希もいたー に止められるまで、前後不覚になる程殴り合っていた。
1対3ではあったが、意外と腕っぷしが強かったのか、俺は幸いかすり傷で済み、向こうの方が重傷を負った。
だが彼らも真相を打ち明けれる訳がなく、ここは穏便に喧嘩両成敗 ということで、お互い不問に付 す流れとなった。
大物の息子である俺を、これ以上怒らせたくなかったのだろう。
念の為全員で病院に行き、その帰り道。
俺の親は迎えに来なかったので、こうして祐希が送ってくれている。
月光に照らされる彼の横顔は、普段の能天気さが薄れ、何処か儚 げで美しかった。
すると。
「ま、よっぽどのことがあったんだろ。お前は理由もなく人を殴るなんてしないからな」
「……は?」
知った風な口をきかれて、カチンとくる。
庇ってくれているのに、無性に腹が立つ。
俺の何を知ってると言うんだ。
ほんの一年とちょっと、時折話すくらいの関係の癖に。
俺は珍しく色めき立った。
「そんなの分かる訳ないじゃないですか」
「分かるよ」
「何をそんな……担任でもない癖に、ちょっと一緒に居るだけなのに!」
祐希が冷静なのがまた、苛立ちを増長 させる。
駄々っ子みたいな口調が恥ずかしかったが、どうにも抑えられなかった。
対して彼はゆっくりと目を細め、慈愛 に満ちた眼差しを向け、
「俺には分かる。賢人はいい奴だ。だから好きなんだよ。……あ、変な意味じゃなくてな!」
その表情はまさに、麗 しい聖母そのものだった。
次の瞬間。
ドキン!!!
胸が、高鳴った。
心臓が壊れたんじゃないかと思った。
何だ。
何なんだ、これは。
祐希に触れたい。
抱き締めたい。
こんな衝動に駆られるのは初めてで。
脳ミソが上手く処理してくれない。
それでも怪しまれないように、必死に声を振り絞る。
「……変な人ですね」
「ははっ。ま、否定はしねーけど。人を見る目はあるんだぜ!だから自信持て」
「意味わかんねー……」
悪態 を吐くのは、言うまでもなく照れ隠しだ。
そうしないと見透かされそうで、怖かった。
自分でもまだよく理解出来ない、説明し難い感情を。
……この溢れ出る想いは。
この、感じたことのない気持ちはー。
人はそれを、恋と言う
FIN
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