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初恋が実るまで
(けど、創の初恋が俺ってのはさすがに嘘だと思うんだけどな……)
うんうんと唸っている俺の耳に、好奇心旺盛な声色が届く。
「追いがげねでいいのが? 行っちまうぞぉ」
総入れ歯の爺ちゃんの訛りにつられそうになるが、しっかりと標準語で返した。
「爺ちゃんの初恋の人って誰だったか覚えてる?」
「初恋 ~? 婆ちゃんだな」
「へぇー。お見合いだよね? それまで恋愛しなかったんだ? ちなみに俺は、幼稚園の先生」
優しくて綺麗なお姉さんって感じで、すぐ好きになった。
二度目の恋は小学校に入学してすぐ、同じ登校班だった三つ年上のミカちゃん。これまた優しくて、フランス人形みたいに綺麗で可愛い子だった。
「んなもんは、初恋 とは言えねぇべ」
「そう? 初めて好きになった人だよ? 創は前に彼女だっていたのに、なんで初恋は俺だなんて言ったんだろ」
「おめ、話聞いでたか? あいづはさっき、『本当の』初恋 はお前 さんだって言っでだぞ」
確かに言っていたけど。
本当のってどういう意味だろうか。
考えても何も思い浮かばない俺の横で、爺ちゃんが笑う。
「婆ちゃんがずっどオレの初恋 の人。自分はどうなっでもいいがら幸せになっでほしい、自分よりも大事だど思っだ人は婆ちゃんだけだ」
「自分より大事……」
「そ。見返りも何も要らねぇから、ただいてぐれるだけでいいの。今だにずっど、ここにいる」
爺ちゃんは皺だらけの細い手で自分の華奢 な胸をドンと叩いた。
アバラ折れちゃうんじゃないのと心配になったけど、爺ちゃんの一途さに感銘を受けた。
爺ちゃんは十数年前に奥さんを亡くしてからずっと一人だ。
奥さんは駄菓子屋の店主で、ここらへんに住む俺たち世代はみんな世話になった。
ふくよかな体で座布団の上に正座してニコニコと受け答えをしていた奥さんは、爺ちゃんにさえも病気のことを最後まで隠していたのだという。
遺品整理をしている時に、『心配かけたくなかったから言えませんでした。ごめんなさい』と書かれた日記が出てきたらしい。
奥さんも、爺ちゃんのことをたくさん愛していた。
「爺ちゃんは、婆ちゃんと恋ができて良かったと思う?」
答えは分かりきっているのに、ついそんなことを尋ねてしまう。
遠くに視線をやると、田んぼのあぜ道をゆらゆらと歩く創の姿が見える。
背の高い建物が何も無い田舎 町にうんざりした日もあったけど、見通しの良いこの光景に今は心から感謝したくなった。
「今はオレの話より、お前 さんの話だぁ」
「だよね。爺ちゃん、悪いけど荷物見てて」
邪魔なのでコートも剥いで、創の背中を追った。
創はバス停のベンチに座った。スマホで時刻を確認すれば、次のバスが来るまでにまだ余裕があることが分かる。
ゆっくり歩いても創には十分追いつくけれど、この気持ちをすぐにでも伝えたくて、走るのをやめなかった。
緊張と興奮を入り交じらせながら追想する。
初めて会話をした時。ベッドから不安げに俺を見上げる創の姿。
どこまでも続く青空のように澄んだ瞳に見つめられた瞬間、よく知らない相手で、しかも同性なのにドキドキとした。
どんな表情をしてくれるのかが気になって『いい加減、千歳って呼べば』と提案した時。
花が咲いたように微笑んで見せてくれて、純粋に『可愛い奴だな』と胸があたたかくなった。
彼女とはどこまでいったんだよ、とふざけた調子で尋ねた時の、ぴんと張り詰めた危うい空気感。
迷惑だ、というニュアンスが含まれていた、随分と険を含んだ『別に』という尖った声。
創には心を開いて欲しかった。
創の全てを知っておきたかった。
彼女のどんなところが好きなのか俺には教えたくないのかと、胸の奥がざわついた。
今だったら分かる。あれは独占欲が引き起こした嫉妬心なのだ。
これから俺たちはずっと一緒にいるのだと、信じて疑わなかった。だから同居するのは必然だと思っていた。
長い恋のはじまりは、創とはじめて話した日。
今日から俺たちは友達だ、と手を繋いだ瞬間からだ。
創にずっと、笑っていて欲しい。
創が笑ってくれるのなら、俺は嬉しい。
人生でそう思えた相手は、きっとはじめて。
創は紛れもなく、俺の初恋の相手である。
「創」
顔をはね上げた創はポロポロと大粒の涙を流していた。
俺のさっきの素っ頓狂な反応に傷付き、我慢できなかったのだろう。
お前はずっと、見えないところでそうやって泣いていたのだろうか。中学の時も、俺への恋心に気付いた時も。
創には幸せになって欲しい。
これからはもう、そんな哀しい思いはさせたくない。
自分よりも、創が大事。
泣き顔が笑顔になるその瞬間を思い描きながら、初恋の生まれた日のように創の掌を柔らかく包み込んだ。
「好きになってくれてありがとう。俺も、創が好きだ」
END*
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