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骨の咲く声
私が声を上げればめきめきと、音を立て、生あるものは骨になった。
これは呪いだ。
私がこの世界の主として名指しされてから、数百年、呪いは飽きることなく私を苛む。
六つの世界と一つの冥界の主たるものは、皆何かしらの呪いを受けるときいた。
曰く、火のように燃える身体を持ち、火山に住む者。
曰く、全てを宝石に変える歌声を持ち、輝く迷宮に住む者。
全ては知らない。現世の知識を与えてくれた行商人は、うっかり私が洩らしたねぎらいの一言で、物言わぬ骨の木になってしまった。
長く声を出していなかった為、忘れていた。
まるで自分が、普通に生きる人間の一人であるように錯覚していた。
軽率だった。珍しく、私を恐れずに声をかけてくれた老人だったというのに。取り立てて友好的と言う程でも無かったが、糾弾されることも、石を投げられることも無かった。町の人間に、私の隠れ家の事を告げ口することも無かった。
もったいないことをした。そう、嘆いても悔いても、骨の木はただそこに佇むばかりで肉と魂を取り戻すことはない。
人が迷い込む度に、『悪しき魔王はまだ生きていた』と騒ぎになる。その度に私は住居を変えねばならなかったし、討伐に来た人間を追いかえす為に、何人かを骨にせねばならなかった。
たった一言、なんでもいい。
私が声をかければ、生きものの皮膚がほろりと崩れ、骨が育つ。めきめきと、指の先から骨は伸び、枝分かれし、ほろりと崩れる皮膚と肉だったものは土となり、そして骨の木が残るのだ。
まだ人間だった頃、私はひどく世界を恨んでいた。ひどく人間を恨んでいた。ひどく運命を恨んでいた。
世界が不平等だという事を受け入れることができず、ただただ憎むだけの日々を消化していた。
故に世界の敵である魔王に選ばれたのだろう。世界を象徴する存在になったことに、また、人間の命を意のままに奪う力を得たことに、最初の百年、私の心は歓喜で溢れた。
骨の森を作り、それを材に城を作り上げた。魔術を覚え、骨の人形に命を吹き込んだ。骨人形たちはよく働いた。討伐に来た人間を殺し、埋める仕事は、骨人形たちがすべてこなした。私は、玉座前までたどり着いた残りの数人を片付けるだけで良い。
今も、人間は好きではない。ただ、時がたつにつれ徐々に感情が薄れて行った。
憎しみも、喜びも。哀しみも、満足感も。
時は全てを解決すると聞き及んだが、まさにその通りだ。時間というものは恐ろしい。全てを虚ろに、そして鈍感にする。
飽きるという感覚ではない。ただ、感情が、色褪せた。
希薄な心しか持ち合わせなくなった私は、何度目かの討伐の人間が押し寄せた際に、討たれた振りをして姿を消した。本当に討たれてしまえば良かったものを、どうしてか、死ぬ気にはなれなかった。
討たれること以外では尽きぬ運命の命を、投げ出してしまえば楽だろう。そう思う度に、耳元に、何年前に聴いたかも虚ろな柔らかい声が響くのだ。
『絶対に、戻ってきます。絶対に、あなたを一人にはしません。絶対に、最後まで、ずっと一緒に居ます。だから、ぼくが帰ってくるまで、絶対に、討たれないで。死なないで。投げ出さないで。生きていて』
初めて私の手を握ったその人間は、息も感じそうな程近づき、私の目をしっかりと見据えたまま、第二の呪いをかけたのだ。
顔も虚ろな程、昔の記憶だ。
なぜ彼が私の城を訪れたのかも覚えていない。何度目かの討伐隊の一員だったのか、それとも迷い込んだ旅人だったのか。覚えているのは骨の木の中、私の声が出るよりも早く近づき、手を握り、彼が放った声の柔らかさだ。
もう、骨にするのは嫌なのに、すべてを投げ出してしまいたいのに。生きていてと、彼が記憶の奥から囁く。
私が生きていれば、どんなに気を付けていても何かしらを骨にする。昨日も、せき込んだ音で部屋の隅でネズミが骨になった。可哀想だとは思わない。ただ、虚しい。
小さな骨の木は、行商人の木の根元に植えた。
骨になった木は養分などを必要としない。いつまでも、壊すまでただ白く佇む。
二つの骨の木を前に、私は膝をついて頭を垂れた。
可哀想だとは、思わない。謝ったところで、生は帰ってくるものでもない。世界は不平等だということは重々承知している。これも、彼らの不平等な終わり方だった。虚しい。ただ、虚しい。
生きてと、響く声は日に日に薄くなる。時間というものは、何に対しても等しく効果を発揮するらしい。私の感情を静かに殺していった時間は、彼の言葉の呪いも同時に殺していく。
次に誰かが訪れた時、私は討たれるかもしれない。
討たれても良いかもしれない。そうすれば、骨の呪いも、生の呪いも、とけてなくなる。
そう、思ったのに。
「こんにちは」
背中から朗らかに掛けられた声の柔らかさに、私は思わず振り返った。
とっさに出そうになった声と息を、慌てて飲み込み、口を押さえる。少しでも、息を洩らしてはいけない。少しでも、声を漏らしてはいけない。そんな事をしてしまえば、骨が咲く。
――……何年ぶりかに現れた、呪いの人に、骨が咲いてしまう。
「探しました、前のお城がすっかり農地になっていて。人間って強いですよね。あれだけ魔物だ呪いだって騒いでたのに、骨の養分が、農作物を豊かにしたんですって。それは人間の骨ですよねって、喉まで出かかったけど。ここまで、結構時間かかっちゃって、もう、居なくなっていたらどうしようかと思いました」
ふわりとした声と同様に、その容姿も、表情も、驚くほど柔らかかった。
私が黒だとすれば、彼は間違いなく、白だろう。透き通るような白い肌に、柔らかい髪の毛がかかり、風が吹くとふわりと揺れる。ふわりふわり、足取りも、柔らかく。気がつけば、また目の前に居る。
そんなに近くに来てはいけない。
私が一言、声を出してしまうだけで。君は、骨の木になってしまう。
めきめきと骨が伸び、首の後ろを背骨が貫き、空に手を伸ばす様に枝が別れ、そして、土と骨になる。灰色の土と、白い骨になってしまう。
恐れおののき、一歩下がったのは私だ。
それなのに、彼はまた一歩近づいてしまう。
「覚えていますか、骨の城の魔王さま。ぼくはね、魔王さまに恋をしたんです。なんて奇麗で、なんて寂しい顔をなさるのだろう。この人が、ぼくの為に笑ってくれたらいいのに、って。そう思ったからこれは恋です。たぶん、これは初恋です。だから貴方と一緒にこの世界の終わりまで、ゆっくりと生きられるように、ぼくは一回死にました」
彼が、柔らかい笑顔で、言葉で、私を追い詰める。
何を言っているのかわからない。人の言葉を聞くのは何年振りかわからない。少し、理解能力が衰えてきているのかもしれない。もしくは、白い彼が少し、おかしいのかもしれない。
あの時と同じように、彼は私の手を握る。あの時と同じように、彼の手は暖かい。見上げてくる視線は、変わらず柔らかく笑う。
「冥界の死霊術師に会って来ました。ぼくはあなたほど奇麗な人じゃないけれど、でも、年老いる前にせめて時間を止めたかったので、無理を言って後払いで術をかけていただきました。百年、術師の下働きと仕事の手伝いをして、その後はずっとあなたを探していました。骨の城の魔王はもう討たれたよと、聞いた時は停まった心臓が腐ってしまうかと思った」
でも、あなたが居た場所には白い骨の木が数本、残っているんです。
そう言って、一段と甘く彼は笑った。
「骨の木を辿って、ぼくはあなたを見つけることができました。あなたがぼくのことを好きかなんて知らないけれど、でも、一人きりよりは少しは楽しいんじゃないかな、って思います。一緒に居てくれませんか。ぼくは……ええと、少し恩着せがましいかもしれないけれど、あなたのために、死にました。だからもう、生きている人間じゃありません。生あるものではありません。あなたの魔法のような言葉は、死者には届かない筈だから。――……これでやっと、あなたの声を聴ける」
そう言って、私の頬を挟みこむ両の掌の暖かさに、何故か私の瞳からは涙がほろりと零れ落ちた。
それを見て、驚いたのは、私だけではないらしい。
少し慌てた彼は、言葉を探して手を戻そうとしたが、私の両の手がそれを許しはしなかった。
暖かい手を上から握り、何百年ぶりかわからない暖かい感情に涙した。私の怒りの記憶も、嘆きの記憶も、全て時間が殺してしまったけれども、新しく生まれる感情までは時間には干渉されないということを、思い出す。
骨にはならない。
私が、声を掛けようと、歌おうと、彼は骨にはならず、ただ、柔らかい人のまま笑う事が出来る。この、奇跡と、彼の思いに、感謝の言葉も見つからない。
後々私は、命を無駄にしてと呆れるだろう。おしつけがましい愛に、破天荒な行動力に、小言を洩らすだろう。けれども今はそれよりも先に伝えるべきことがあった。
私はきみの顔すら忘れていたけれど。
「――……きみが来るのを、待っていた」
壊れぬ様に抱きしめると、腕の中の身体は骨になること無く柔らかなまま、ああすてきなこえだと、笑った。
骨咲く魔王と一人の死なない馬鹿者の、百年かけた初恋だった。
終
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