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頭痛の話

今にも、雲がのしかかって来そうだ。 自分にとって梅雨の季節は、雨じゃないものの印象が強い。 "それ"の苦痛から少しでも逃れようと、目的地へ向けて足を運んでいた。 いつもお世話になっている階段下は静かで、暗くて、少し埃っぽい。 構わず腰を下ろし、壁に背を預けた。 「はぁ…痛い…」 こめかみ周辺が、内側から痛みを発している。 天気が荒れる前などは、こうした頭痛に襲われることが多い。 しかし対処法は限られている。 頭痛薬を飲んだら、あとは効くまで待つしかない。 刺激となる光や騒音のない、一人で安静に過ごせる場所で。 人が多く集まる大学という施設でも、人通りの少ない階段の下は、安息地となってくれた。 「ふぅ…」 体の力を抜いて、なるべくリラックスする。 視線は適当に、でもあまり下は向かずに。 そうして、取り留めもなく思いに耽る。 つらいこと、がんばったこと。 怒り、悲しみ、さみしさ、惨めさを感じた出来事。 たまに嬉しいこと…。 意識が痛みに流されてしまわぬよう、気をつけながら。 すると、抑えつけられていた感情が、そろそろと顔を出す。 それらをさらに引き出すため、思考に深く埋没する。 じわ… 涙には痛み止めの効果があると言われている。 それを知ってからは、薬が効くまでのつなぎとして、「泣く」ようにしている。 最初はうまくできなかったが、今ではずいぶん上達したと思う。 コツは、自分の感情を肯定してあげること。 そうして感情とじっくり向き合えば、号泣とまではいかなくても、泣くことができた。 …じわぁ……ぽろっ………じわ… ふと、 近くで足音が聞こえた。 「?…」 ここは古い校舎で、積極的には使われていない。 この階段下はその中でも、空き部屋が多い区画にある。 自分以外に、こんな辺鄙な所に来る人間などいるだろうかと、音のした方に目を向ける。 3メートルほど先。 こちらを、喰い入るように見つめる 男がいた。 眼鏡のせいか、冷たさを感じる顔立ち。 そこに重たげに伸びた髪がかかっている。 首には、白っぽいくすんだ色のヘッドホンがかかっていた。 自分と同じ、学生だと思う。 しかし、自分が男の存在に気づいたにも関わらず、こちらを凝視し続けている様は、少し異様だった。 ―え、なんで、なに…?  これ、どうしたらいいんだ?  なにか変な事とかしてたっけ?  あ。 自分が泣いていたことに思い至った時、 ぽろり、 と涙が一粒こぼれた。 ゆらり、男が動く。 え。 こっちに来る。近づいてくる。 ずっと、 こちらを見たまま。 男が、目の前に来た。 虚ろな眼と視線が絡まる。 男の手が伸びてくる。 その手は― 頬をなぞっていた雫を、そっと掬いとった。 「あ。…大丈夫?」 「~っ!?!、  えっ、あっ、だ、大丈夫ですっ …」 ―あ、危なかった… あやうく叫び声を上げてしまうところだった。 近づいてきた男が、この世の者ではない者か、情緒不安定な不審者かと思ってしまった。 実際は親切な人だっただけようだ。盛大に冷や汗をかいた自分が恥ずかしい…。 「あ、えっと…、頭痛いのを和らげようと、泣いてただけで…、  あの…お、お構いなく…」 ―と、とりあえず大人しく立ち去ろう。痛いから動きたくはないが、さすがに人がいるところで泣くのはちょっと…。 と判断したのだが、何故か男に退去を阻まれた。 それどころか、彼は隣に腰を下ろし、 ふわっ 「?!」 こちらの頭を撫でてきた。 え、 な、なんで? この人、何がしたいんだ?? ふわっ ……あ…でも…頭がなんか、…やわらかくなって、 …気持ちいい。 「俺、小さい時、熱出して頭痛くなった時はこうやって、母親に頭を撫でてもらったんだ。」 静かな声で告げられた思い出から、彼の意図を察した。 ―そっか、こういう和らげ方もあるんだ… ぽろっ……ぽろ… でも。 痛い時に、誰かに助けを求めるなんて、自分には無理だ。 臆病な自分は、"痛い"と口に出すことすら、 もう、 できない… …ぽろ…ぽろ。ぽろ、ぽろっぽろ 「! っごめん、嫌だった?もうやめたほうがいい?」 急にかけられた声に何事かと思えば、自分の目から出る水量が、だいぶ増していることに気づいた。 男が不安そうに、様子を伺っている。 「あ、ち、違うんです。こんな風に、えっと…慰めてもらったことが無くて…、  たぶん…嬉しいんだと思います。」 本当は、嬉しいだけじゃない。 羨ましさとか、悲しさとか…その他、諸々。 胸が詰まるような感覚がこみ上がってくる。 今まで蓋をしていた感情が呼び起こされ、奔流となってあふれかえっていた。 ―撫でてもらうのって、すごいなぁ。  まあ、これが最初で最後だろうけど…  だから、いいかな。 「あの、できたら…  もう少し、撫でいてもらっても、いいですか?」 自分と彼はそのまま静かに過ごし、いつの間にか二人とも寝ていた。 先に目が覚めた自分は、持っていた付箋にお礼の言葉を書いた。 そして、それだけを残して立ち去った。 「はぁ…痛い…」 今日は雨が降っている。 また、いつもの階段下に来ていた。 この前は貴重な体験をさせてもらった。 これからは、あの日の感触を思い返して、「鎮痛泣き」に使わせてもらおう。 さあ、痛みはちょっと端に追いやって、自分の思考にダイブして… 「…ああ、いたいた。」 重たげに伸びた髪。 白っぽいくすんだ色のヘッドホン。 ―どうして。 連絡先はおろか、名前すら互いに知らない。 あの後、大学内で会うこともなかった。 それなのに。 あの時、 頭を撫でてくれた彼が、目の前に立っていた。 「今日は頭痛くなってそうな気がして来てみたけど…、  よかった。」 そう言って彼は、なぜか。 本当にうれしそうに、 笑った。

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