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語る男と書く男
こんにちはぁー、と、手を振っていたのはバケモノみたいな図体で、砂糖菓子みたいに笑う男だった。
手が長い。やたらと長い。座っているからわからないが、きっと立ったら見上げるくらいにでかいんだろう。その割に手首も首も胴体も細くて、なんていうか、海外アニメのモンスターみたいだ、と思う。
男は笑う。顔を傾げてにぱっと笑う。
赤に近い……ええと、何ていうんだろうあの色は。文字を扱う仕事をしているくせに、こういう時に語彙力が発揮されない。グーグルに甘やかされすぎている事を反省しつつ、後々検索したところチェリーピンクってやつが近かった。
甘い茶色みたいな色の髪を、適当に伸ばした感じ。無造作というよりは、適当に自分で切ったらこうなった、みたいな感じ。
室内なのにサングラスをしていて、薄いレンズの向こう側で薄い色をした瞳がらんらんと輝く。
以上を総合して、初対面の俺はコイツのことをバケモノだ、と認識した。
……人違いか? と固まった俺は悪くないだろ。
どう見ても周囲の情景から浮きまくっているコイツが俺の待ち人であるはずがない。
そう思いたい気持ちが強すぎるし、シンプルにあの席に座りたくない。
しかしながら残念なことに、平日昼前のファミレスはスッカスカで、周りの人間は見渡す限り見事に主婦ばかりだ。
待ち合わせの人物に関する事前情報は少なかったけれど、性別くらいは一応確認している。ていうかぶっちゃけ性別は割と大事な情報だからだ。
しぶしぶ、なるべく視線を上げないようにソファーに座る俺に対し、バケモノめいた男は相変わらずからからと笑った。
「わーごめんなさーいこんな微妙な時間に指定しちゃってー。他の日、ちょっと、時間取れなくてー……えーと? なんだっけ、カマ……カマヤ? さん?」
「……鎌屋平良」
「そうそう。それ。カマヤタイラさん。ごめんね、おれ、モノを覚える気があんまりなくって」
そこは普通『物覚えが悪くって』じゃないのか……?
と訝しんだ俺の感性はきっと間違っていないし、実際にやっぱりコイツの方がおかしいとすぐにわかることになるが、この時の俺はそんな些細な違和感なんか気にしている余裕はなかった。
何と言っても三か月ぶりのきちんとした外出だ。ちょっとコンビニとか、ドラッグストアとか、そういう奴じゃない。きちんと着替えて髪をまあ不潔じゃない程度に軽く結わえて、深呼吸を三回繰り返して靴を履いた外出だ。緊張と吐き気で他人の言葉尻どころの話じゃない。
外は怖い。とにかく怖い。家は家で別の問題があるとはいえ、やっぱり外なんか出るもんじゃねーよと実感する。
怖いから視線が落ちる。なるべくなら何も見たくない。穏便に当たり前のように帰路につきたい。
そう思うからさっさと用事を済ませよう、と些か焦りながらも、俺はどうにか口を開いた。
「あー……、勿部ナガルさん、すよね」
「うん。はーい、そうです。てか吉津ちゃんから聞いてたけど、本当に『見えてる彼女』の原作者さんー?」
「……まあ、一応……」
急に自作の映画版タイトルを出されて、思わず声を潜めてしまった。
一部ファンの間ではなかったコトにされているし、正直俺もキャラクター以外別ものじゃんと思いながら見たし、なんなら原作タイトルは『三軒隣の怖い家』なんだけど……まあ、それでも映画化作品原作小説! の冠はわかりやすいネームバリューだよな。うん。と素直に思う。
大衆向け作品には目もくれず、細々とホラー作品を書いてきた。正直著作のタイトルを五つ並べても、ほとんどの人が聞いたこともないと首を捻る筈だ。
そんな弱小ホラー作家の作品でも多少は売れてしまったのだから、メディア化って奴はすごい。
今や鎌屋平良を紹介する時のうたい文句が『見えてる彼女の原作者』になってしまっている。
他に、ビッグタイトルもないからしゃーないんだけどさ。そもそも他人に紹介されるような場にはほとんど足を運ばないので、世界でどんな風に評価されていようが呼ばれていようが、まあ、どうでもいいような気もする。
最低限の仕事があればいい。家から出ず、俺でも稼げる仕事である、ということが重要だ。なるべくなら他人との接触も控えたい。その条件を満たしているのが作家だった、というだけだ。
鎌屋平良は、どんな用件でも家から一歩も出てこない。
それは歴代編集が鎌屋平良を語る際、第一に挙げる特徴だろう。現編集者の吉津さんも、先生は本当にお家が好きですね、と控えめに笑っていたことを思い出す。
その吉津さんが、首を傾げながら手土産を差し出したのは一週間前のことだ。
『平良先生って、まだ同居人募集してます?』
この問いかけに、シュークリーム食えねーんだけどどうやって断ったらいいんだググりたい、と思っていた俺はシュークリームなんざ一瞬で忘れる程歓喜した。歓喜しすぎて動揺してシュークリームの箱落っことして二人でぎゃーぎゃー叫んでしまったがまあその話はどうでもいい。大事なのは同居人の下りだ。
俺が家から出ない事と同じ程度に、俺が常に誰かと同居している事は周知の事実だった。
家から出ない俺は、編集者と会わなくてはいけない場合は彼らを自宅に招く。するとまあ、同居している人間の存在は容易にばれる。至極当たり前のことだ。
同居人は、できることなら女性がいい。けれど彼女たちは――ええとなんていうか、不都合が多いから、このところは仕方なく男でも我慢していた。
男が嫌いってわけじゃない。つか俺はゲイだから、むしろ逆だ。恋愛対象はすべて男で、そんで俺は馬鹿で人として未熟だから、手近な同居人に勝手に惚れて、勝手に辛くなるのが嫌なだけだ。
吉津さんが声をかけてくれた時、人生何人目かもう数えるのもおっくうになった同居人が実家に帰ってから、一か月経過していた。一日だってひとりで過ごしたくないっていうのに、よくぞ一か月も我慢できたと思う。俺は褒められていい。酒飲んで良い。という気持ちで毎日肝臓を傷めつけているせいで多少正気を失えていたのかもしれない。
もう誰でもいい、とにかくそこに存在してくれたらいい、と出会い系アプリに手を出そうか迷っていた程だった。
しかしながらシュークリームを落っことしてまで聞き出した詳細は、正直大歓迎とは言い難いものだった。
合コンで出会った男が、なんでも俺の同居人募集にひどく食いついてきたという。
二十三歳、男。しかも名前が勿部ナガル。
どう考えても偽名だろ、と思って軽くググると、ユーチューブの動画が何個かヒットした。
どうも件の男は、ネットで動画を上げている――しかも、怪談動画を上げているユーチューバーらしい。
ますます具合が悪くなりそうな情報だった。
けど、正直選好みなんてしていられない状況だ。
つか合コンでなんで俺の話してんの? と思わなくもないが……いやでも吉津さん新人だし、担当作家で映像化とかそういうわかりやすい奴をしてるの、俺くらいだったのかもしれない。
そしたらこういう仕事したんです~なんて、話題の端に上がることも、あー……なくはないか。うん。そう思うことにする。一体どんなことを言われたのか、あんまり考えたくはない。俺はまあ根暗で陰気で、大体の人間から初対面で一歩引かれる自信くらいはあるからだ。
男とは言え、十歳近く下なら俺もまあ変な勘違いしたり、向こうもゲイはちょっと、とか言わないだろ世代的に。多様性大好きだろ若者。知らんけど。たぶん。
そう自分を励ましてどうにか玄関を出てなるはやでファミレスに来たっていうのにサングラスの奥で、物部ナガルはにぱっと笑う。
口がでかいから、そんでかぱーっと開くから、やっぱりバケモノじみている。
全体的にパーツはイケメンだし俳優かアイドルかモデルみたいだっつのに、とにかく、表情がなんつーか、おかしい。
砂糖菓子みたいに甘い顔なのに、ぶっ壊れたオモチャみたいに笑うんだ。
「タイラさんって、怖い話専門? の作家さん?」
ぶっこわれたオモチャが首を傾げると、ガクン、と音がしそうで怖い。一挙一動が妙に派手で、不安になるくらい不気味だ。なんかこう……人間の動きってそんなだった? なんか違くない? みたいな気持ちになるのはなんでだろう。
「……はあ、まあ。分類的にはホラー小説を書いてますけど、それが何か」
「あれだねー。おれね、怪談チャンネルやってんだけどー……あ、ユーチューブでね? でね、まあ同業者みたいな奴らとたまにつるむけど、みーんなユーレイとか見たことないって言うんだよね。好きとか嫌いとかはともかく、実際には霊感とかないんだってさ。でも、ホラー作家って霊感あんだね!」
「…………は?」
「タイラさん、見える系の人でしょ? だってさっきから、断固右側見ないよねぇ」
男は――勿部ナガルは笑う。かぱ、と開いた口で、壊れたオモチャみたいに笑う。
首を傾げる。ガクン、と傾げる。ふわり、と甘い色をした髪が鎖骨に触れる。
俺の右側で俺の顔を覗き込んでいる女の口の間から、蛆虫のようなものが溢れて零れる。
俺は、瞬きも、できない。息が止まっていないのが、不思議なくらい胸が苦しい。心臓が、痛い。
「あと一瞬トイレの方も見たね? 奥の席の天井もちらっと見た。わかるよー、あは、ああいうの、どうしても目につくよねぇ。でもおれよりタイラさんのほうが目はいいのかなー。ごめんね、ドリンクバーの前のやつはおれ、わかんないや。何がいるの?」
息を飲む。喉がからからに乾いていて、口の中もぱさぱさで舌が張り付く。ちらり、と流した視線の先にいたものを、口にするべきか悩んだのは一瞬だ。
「…………左足引き摺ってる子供みたいな身長のばーさん」
「あ、それ普通にイヤなやつだー見えなくてよかった」
けらけら、笑う顔に悪意がないのが不思議で心底ぞっとする。
俺は昔からこういう体質で、家庭環境もまあまあクソで、見た目も性格もそこそこ陰気だ。虐めてください、と全身でアピールしているようなもんだろう。
虐められる方が悪い、とは言わないが、すべて完璧な人間よりはどこか欠損している人間の方が付け入られる隙は多いに違いない。勿論それなりにいじめられたし、悪意の的になることが多い人生だった。
だから俺は、悪意には人一倍敏感だ。
笑顔でこちらを当て擦るような言葉にはすぐ反応してしまうし、被害妄想かよって程他人の言動を分析してしまう。
それなのに、勿部ナガルからは一切の悪意を感じない。
言葉の表面にナイフが見えているのに、それが悪いと思っていない。危害を与える気なんてさらさらない。そういう顔で、ナガルは笑う。
「正直賭けだったんだけど、吉津ちゃんのこと信じて正解だったっていうか、おれの勘信じて正解だったなぁ。タイラさん、いいね。そんなに見えてるのに、そんなに怖いのに、どうしようもなくなってるのに、誰にも助けてって言えてないんだね。あと、不思議ー。みんななんでか、タイラさんに寄ってくるねぇ。ほんと最高」
「…………おまえ、何……」
「におい、すごくなってきたねぇ。やっぱいっぱい集まると見えるだけじゃなくなってくるよね。ねえ、この店ねーこの辺だと結構有名な心霊スポットなんだよ」
笑う男はスッとテーブルの隅のナプキンを手に取る。
サッと折って紙を皿にすると、食卓塩をその上にさらさらと振る。
「別に何があったってわけじゃない。病院だったわけでもないし、自殺者が出ているわけでもないし、そこの交差点で事故が多発しているわけでもない。でも、出るの。山ほど出るの。一番有名なのは天井に張り付いているミイラみたいなヤツ。かさかさ、ゴキブリみたいに四つん這いで移動するんだって」
今度はナプキンの上の塩を指でつまんで形を整えていく。
……盛り塩を作ってる? のか?
……食卓塩で効果あんのか? と訝しんだ俺の内心はお見通しらしく、見ててねーと笑う。
「次に有名なのが、中央の席にいる腐った女。なんでも上司との不倫の末死んだって話でさ、よく男と会ってたこのファミレスにずっと居座ってるんだって。……まあ、誰かが考えた適当な噂だよね。だってその人、結構なおばあちゃんだもんね?」
長い指が塩を掴む。何事かを呟く。勿部ナガルはその塩を、俺の右側に投げつけた。
……幽霊が消えるときのイメージは、ゆっくりと透明になっていくとか、じわじわ溶けるとか、そういうモノだった。実際何個か見たホラー映画でもそうだったし、自作の小説でもそういう表現を無意識に使っていた。
けれど実際は、もっとずっとあっけない。
あまりにもあっさりと、そこにあったものは急に消えた。それだけだ。
俺の右隣にはもう何もいない。腐ったようなニオイもしない。
「…………うっそだろ」
食卓塩で除霊ってできんのかよ。ていうかこれ、除霊だよな? 除霊だろ? てことは、勿部ナガルって奴は、もしかして。
「飯の足しにしよーと思って怪談ユーチューブ始めたらさぁ、飯のタネより稼いじゃっててもうどっちが本業かわっかんないんだけどさー。タイラさん、あのね、おれね、たぶんあなたがめっちゃ求めてた『霊能者』って奴だよ」
霊能者。
同居人に応募してきた男が霊能者?
なんだそれ。なんだそれ。……なんだ、その奇跡。
あまりのことに、あまりの歓喜に俺は一瞬どころか結構長々とテンションがおかしくなり、外出の緊張とともにいつもの疑り深い性格すらも忘れてしまった。
だってこれで、どうにかできる。
俺の家を。あの女を。……ママを、どうにかできるかもしれないんだから。
「ま、とりあえずタイラさんのお家いこっかー。おれ、床があれば寝れるけど、一緒に住むなら配信できる環境と部屋がないと困るんだよねぇ。内見してもいいんでしょ?」
「え。あ、そりゃ、勿論――」
「タイラさん、おれのことコワイ?」
「……は? 急に、何……」
「怖がっていいよ? ていうか怖がってほしいなぁ。おれ、他人から感謝されたり好かれたりするの、キライなんだよね。だからあんまり積極的に除霊ってしないんだけど。……でもなんか、タイラさん、なんでかなぁ。なんかグッとくるんだよねー? なんだろうこれ、性癖?」
「はぁ? 俺が、……冗談、」
「おれ、嘘つかないし冗談きらい。だからえーと、うん。……タイラさん、おれのことできれば嫌いになってね? おれ、タイラさんに一番嫌われたいなぁ」
かぱ、と開いた口が紡ぐ言葉を、どんな顔して聴いていたのかよく覚えていない。
ただ、身体ごと後ろに引いてしまったのをバッチリみられ、すこぶる嬉しそうに笑われたことは覚えていた。
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