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Be happy!!

 日本人としては、皆同じ制服を着て同じ授業を受けるという学校生活を経験してみたくて、ハイスクールの1年目を終えると同時に、両親と離れ俺だけ日本に戻ることにした。丁度、帰国子女の受け入れ実績の多い高校が近くにあって、2学期から2年生に編入した。海外で培ったコミュニケーション力は非常に役に立ったし、国語以外の勉強ではさして困ることもなかった。ただ、家に帰ると祖父母がやたらと干渉して来る。世代も大分違う上、海外生活が皆無なので、俺とは考え方が全く合わなかった。しかも祖父母に悪気はない。今から部活に入るのも気が退ける。そうか、アルバイトすればいいんだ!! 日本文化を広く学びたいとか適当な理由を付けて、とにかく家と学校以外にも居場所を作ろうと思った。せっかくの語学力だ。俺は国際空港の地下にあるドーナツショップに応募し、週4日、夕方から22時まで働くことになった。  衣替えも終わり、長袖の学生服に馴染んだ頃、バイトでも研修期間が終わって独り立ちだと言われた。仕事内容は大して難しくもないし、客の大半を占める日本人は、ちゃんと順番を守り周りに気を遣ってくれるので、海外で頻発しそうなトラブルもほとんど起きない。土日は多くの観光客で賑わうが、平日の空港はビジネスマンが多く、事務的な対話が多く、非常にやりやすかった。それも21時近くなると大分閑散としてくる。今日はあと1時間。  そんな時、航空会社のつなぎ服を着た客が来た。上半身は濃いグレーのつなぎを脱いで、腰のところで赤い両袖を縛り付けている。長袖の白いTシャツ越しにも分かる、華奢だけど筋肉質な体。そこはかとなく漂うエンジンオイルの臭い。整備士らしい整備士だな、と思った。確かに2週間の研修期間中に、地上係員とかCAの接客はしていた。それは想定内だったけれど、何せここはドーナツショップだ。いい歳した男性の整備士が来るとは、予想だにしていなかった。顔を見る。歳はまだ20代前半か。っていうか、この人、めちゃめちゃキレイじゃん!! 端正、としか言いようのない顔。ぱっと見には目立たない、主張の少ない顔だけど、見れば見るほどその整い方に見惚れてしまう。しかも、気品があるというか、凛としたというか、欧米にはなかなか居ないタイプの美形で、漆黒の髪と瞳がその奥ゆかしい美しさを際立たせている。つい見とれてしまう。でも、それではいけない、仕事だ。 「いらっしゃいませ。店内でお召し上がりでしょうか。ご注文はお決まりですか。」 「ホットコーヒーと…、あとこの、10月限定の、マロンクリームドーナツを1つ…。」 コーヒーだけ飲みに来たのかと思ったら、マロンクリーム…女子高生でもあるまいし。しかも恥ずかしがっちゃって…耳まで赤くしてるし。  他に客も居なかったから、ついその人を目で追ってしまった。店の隅の席に座り、コーヒーを一口飲む。そしてドーナツを手に取ると…子供みたい、満面の笑みだ。そんなにドーナツ嬉しいのかな…。  かわいい…。  思わずそう口から漏れて、はっとした。 「すみませーん、excuse me!!」 たどたどしい日本語と流暢な英語が聞こえて、アジア人の客が来ていることに気付く。 「May I help you?」 得意の英語でメニューの説明をすると、ドーナツを10個選び、持ち帰ると言う。ドーナツを詰めてカウンターに置き、合計金額を示した。すると、目の前の客は財布を出すこともなく、その箱をひょいと持って走り出した。 「えっ…、ちょっ…、ど、泥棒です!!」 取り敢えずそう叫んでから、店長の方に振り向く。その途中で、上半身白・下半身グレーの人影が走り出したのが見えた。信じられない。海外じゃぁこんな時、返って被害に遭うことも多いから追いかけたりなんかしない。しかも、自分のことでもないのに…何なんだろう、あの人!! 俺はむしろ、その整備士が心配になって、走り出した。彼は前方を物凄いスピードで走って行く。そして見事追いつき、犯人にタックルをかました。俺は息も切れ切れだったけど、どうにか追い付いて、 「ありがとうございます!! 万引き犯、捕まえてくれて!!」 とわざと大声で言った。何が起きたのか分からない周囲の人達も、俺の声を聞いて拍手しだす。その騒ぎで、警備員も駆けつけた。そのまま空港内の交番に連れて行かれ、事情聴取を受けた。ようやく開放された時には22時を回っていて、店長から、もう帰っていいよ、お疲れ様、と言われた。つなぎ服の人には店長が丁寧に御礼を述べていて、店先に余っていたドーナツの詰め合わせと、本当はドーナツを沢山買わないと貰えない割引券を10枚以上、渡していた。 「あの、本当にありがとうございました。」 「いや、たまたま目撃しちまったからさ。俺、ああいうの、許せない方で。」 「ん~、でも特に外国人の場合は、返って危険なことも多いので、次からはこういうこと、控えていただいた方が…。」 「えっ…?! あぁ、そうか、そうだよな…。返ってゴメン。」 素直にシュンとなる彼が、とてつもなく可愛い。 「あ、いえ、俺は単に、あなたが心配になってしまっただけで。今日は本当に助かりました。その割引券使って、またいらしてください。今度はゆっくり寛ぎに。」 「じゃ、じゃぁな。」 肩を落としてトボトボと歩いて行く後ろ姿に、なぜかキュンと来てしまう。 「あ、あの!!」 彼が振り向いて、不思議そうな顔をする。 「めちゃめちゃカッコ良かったです!!」 途端に驚いた顔をして、でも次の瞬間にはふっと笑顔になった。 「そ、そっか。じゃ、またな!!」 無邪気に手を振ってくれる。可愛いな、と改めて思った。  それから1週間ほど経って、やっぱり21時頃だった。あの人が来てくれた。コーヒーと、普通のドーナツを注文したから、店長に確認して、サービスでマロンクリームドーナツを付けてあげた。 「店長が、御礼にサービスしてくれるそうです。」 「え、だってあの時にドーナツ沢山もらったし、俺は当然のことしただけなのに、そんな、悪いだろう? そのマロンクリームの分も払うよ。」 「内緒ですけど、これはあと1時間で廃棄されるものだから、もらってください。それに、あの時のドーナツもそうです。廃棄直前の、ただ同然のものです。だから、悪いとか思わずにもらってください。」 「そ、そうか? 悪いな…。」 正直というか誠実というか実直というか、日本人の鏡のような人だな、と改めて思う。会計を済ませると彼は、レジから見える所じゃなくて、死角の方に座ってしまった。観察できなくてつまんないな…。じゃぁ、ゴミの片付けとかテーブル拭きにでも行くか。丁度客足も途絶えてるし。  台布巾とお替わり用のコーヒーポットを持って、あの人のそばに行く。さりげなくゴミ箱の中を見たり、他のテーブルを拭いたりする。 「まだ高校生だろ?」 あの人が声をかけてくれる。 「はい、高校2年です。」 「遅くまで働いて、偉いなぁ。」 「まぁ、あまり家にも居たくないですし、それに、英語が常に聞こえるの、ちょっと安心するんで…。」 「あぁ、この前も、随分流暢に英語話すんだなって思ったんだよ。海外、長いのか?」 「えぇ、夏までNYに居ました。」 「じゃぁ、いずれまた海外に?」 「いえ、ちゃんと日本人になりたいと思って帰って来たんです。ずっと海外に居ると、アイデンティティが分からなくなるからって。俺は、教養程度の日本文学も日本史も知らないし、何より日本の文化が分からないので。」 「まぁ、大した文化でもないけどな。」 「いえ!! 自分のことでもないのに万引き犯追いかけるとか…、海外じゃ有り得ないんで。」 「おいおい、だから悪かったって言っただろ?」 「あ、いや、そういう意味ではなくて!! 日本って凄いって思ったんです。義のためなら死ねるっていうのが、実感として分かりました。」 「そんな、簡単に殺すなよ。」 申し訳なさそうにシュンとしたかと思えば、屈託なく笑う。表情のクルクル変わる様がまた可愛らしくて、俺も思わず笑ってしまう。すると、会話が途切れたと思ったのか、他の客が声をかけて来た。さっきカウンターで俺が英語を喋れることに安心した外国人が、ホテルへの行き方を尋ねて来たのだ。英語にゲルマン系の訛りがある、体格の良い男性だった。問題は、俺が東京の地理にさして詳しくないってことだ。自分のスマホで調べつつ、つなぎ服の人をちらっと見る。顔の前で手を横に振りつつ、「俺も東京の地理、イマイチ分かんねぇんだよ」とヒソヒソ言う。仕方なく一旦店長に聞きに行き、戻って詳しく説明していると、なぜか話題はあらぬ方に進んだ。ここは何時に終わるんだ? 何なら君が案内してよ。ついでに一杯どうだい?と。こういうのは身に覚えがあった。NYでもなぜか、繁華街で声をかけられるのは男が多かったし、確かにこの人もゲイっぽい雰囲気がある。「真っ直ぐ家に帰らなきゃならないんです」と言っても、「1杯だけだから」と食い下がる。どうしよう…、そもそも、ここがもうすぐ閉店なのはすぐバレる。閉店後に待ち伏せされるのが一番困る。すると、つなぎ服の人がすっとやって来て、背後から俺の両肩を掴んだ。 「He is mine.」 えっ…、何? 「Really? You must be kidding!!」 ゲルマン系が疑いの目を向ける。そりゃぁそうだ、さっき会話してた時も、そんな雰囲気は感じられなかっただろう。すると、つなぎ服の人は、俺の耳元で「悪いな」と小声で囁き、俺の前方に顔を伸ばして、…唇を重ねて来た。 「Wow!! I see, I see. Be happy!!」 ゲルマン系が荷物をまとめて去って行く。俺は全身が固まってしまって、身動きできずにいた。おかしい。キスなんて今まで、男とも女とも、幾らでもして来たじゃないか…!! どうしてこんなに、唇が熱いんだ…?! 「アイツ、居なくなったぞ。ごめんな、いきなりキスして。でもアイツ、俺が見るに、なかなか手強そうだったからさ。」 彼は彼で、真っ赤な顔して、照れを隠すように早口で言う。 「あ、はい、俺も…あの人はちょっと執着系っていうか、ちょっとヤバそうな感じがしたんで、ありがとうございます。」 「本当にごめんな。ファーストキスだったか。」 「あ、いえ…、キスは、それなりに。」 「まぁな、お前、結構モテそうだもんな。それに、そっか、欧米じゃ挨拶替わりだもんな。でも、ああいうゲイの男は気を付けた方がいいぞ。お前、NYでそれなりに危機対応は鍛えられてるんだろうけどさ。」 あれ? そう言えば、この人は何ですぐ分かったんだろう? 自分のことばかり考えてて、うっかりしていた。 「あ、あの、もしかして…、あなたも、こういう目に、遭ったことが…?」 「え? あ、あぁ、まぁな。俺も何つーか、…男に声かけられやすくて。」 確かに言われてみれば、この人も、そういう雰囲気がある。だから、回避策とはいえ男の俺にもキスしちゃうんだ。え、じゃぁ、まさかの見込みアリ?! 「と、ところで、東京にあまり詳しくないって…?」 「あぁ、俺、春に地方の大学出て東京に来たばっかでさ。最初のうちなんて仕事で必死で、やっと最近だよ、休日に少し出かけられるようになったの。それまでは休みっていうと、ぐったり疲れてて、洗濯するのがせいぜいだったから。」 「もし良かったら…、今度、お休みの日に出かけるの、付いて行ってもいいですか? 俺も東京を知りたいんで。」 「へ? まぁ、いいけど…。ってか、いいのか? 俺なんかと。」 だって、キスは幾らでもして来たけど、こんなになったのは初めてなんだ。 「あの、と、取り敢えず、お名前と連絡先を教えてください。」 顔が火照る。手が震える。でもそんな自分への戸惑い以上に、彼も顔を赤く染めていることに喜んでしまう。日本に帰って来て良かった、としみじみ思った。

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