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初恋から始めよう

「おやすみ、クリス」 「ああ、おやすみ……」  葬儀屋の新人研修で教育係だったジェームズとバディになって、四ヶ月。俺たちは、互いの家に泊まるほど親密になっていた。と言っても、ジェームズのうちは散らかっていたから、主には俺の部屋だが。  ジェームズは、寝る時はいつも下着一枚だ。逞しい胸板や上腕筋に脈拍を早くしているのは、俺だけだろうか。何故って、セミダブルのベッドで密着して眠るから。  朝起きた時に、抱き締められてるなんてこともあった。だからだと思う。俺がジェームズを、意識するようになったのは。  今日も起きたら、ジェームズの腕の中だった。うなじに回された長い指が、俺のブラウンの後れ毛で遊んでる。 「ジェ、ジェームズ……?」  俺は思わず問いかける。起きているような気がして。低く唸ったあと、ジェームズは極薄く瞼を開けて、五秒ほど間近に見つめ合ってからまた目を閉じた。規則正しい寝息。  その度に俺はガッカリする。ジェームズは……条件反射で、隣に寝ている俺を抱き締めているだけなんだ。  ジェームズが、パーティの花形なのは知っていた。きっと毎回、こんな朝を迎えているんだろう。  俺は騒ぐ心臓をおさえながら、そっと指を伸ばして少しカサついたジェームズの唇に触れる。自分がジェームズに惹かれているなんていうのは、もう嫌というほど思い知っていた。     *    *    * 「クリス! 今日の夜、空いてるか?」  同僚のジョゼフの明るい声が、寝不足気味の頭にキーンと響く。パーティの誘いだな。今まで一度も行ったことがなかったけど、ふとある考えが思い浮かんだ。 「パーティか?」 「そうだ。今日、ど~してもひとり足りなくて」  散々断ってきたから、ダメ元での最後の手段なんだろう。ジョゼフの笑顔は、苦笑に近いものだった。 「……行っても良い」 「エッ!?」  今度は俺が苦笑する番だった。誘っておいて、その驚きようは何なんだ。 「い、良いのか?」 「うん。ジェームズも行くだろう?」 「ああ。でも、ジェームズの真似はしない方がいいぞ」 「知っている。必ず『お持ち帰り』するって」 「うん。クリスって、ジェームズを買い被ってる感じだから、そういうとこ見たくないのかな、って思ってたんだけど」  そう思いながら俺を誘うって、ジョゼフの頭の中はどうなっているんだか。人数合わせのことしか考えていないのだろうか。 「ただし俺、参加するだけだから、無理に女の子をあてがおうとしないでくれよ」 「了解!」     *    *    *  そうして、今に至る。 「クリス……?」 「ジェームズ。ジョゼフに頼まれたので、人数合わせですよ。今は仕事が忙しいから、女の子に興味ないですし」  思わず言い訳がましく言ってしまったのは、何だかジェームズの表情が傷付いていたから。簡単な自己紹介のあと、パーティは始まった。  でもよく喋るのはジョゼフたちで、ジェームズはただ呑んで食べるだけ。それでもその一挙手一投足に、熱い視線が注がれた。 「ジェームズ、彼女作らない主義って聞きましたけど~、どんな女の子がタイプなんですか?」  女の子の一人が口を開くと、みんなキャアキャアとはしゃぐ。これ……ひょっとしなくても、全員ジェームズ狙い? ジェームズはウイスキーを煽ってから、気だるそうに答えた。 「そうだな……髪型は、ショートボブが好きだな」 「ブロンド? ブルネット?」 「ブルネット。色白で、程よく筋肉がついてて、笑顔が可愛い奴がいい」  条件から漏れた女の子たちが、残念のため息を上げる。だけど偶然か必然か、受付嬢だと言った女の子が、その条件に当てはまっていた。 「え、え……?」  その子は顔を真っ赤にしてる。周りがまた、賑やかに冷やかした。 「あと」  ジェームズが付け加える。 「ひとの死を悼んで涙を流せるような、優しい奴」  ん? その話って。ま、まさか、俺……なわけ、ないよな。ドギマギするのを誤魔化そうと、椅子の座面に手の平を当てて座り直そうと身じろいだら、テーブルの下で素早くその手を握られた。指を絡めて、しっかりと。え……え!? 「すまねぇ。悪酔いした。クリスに送って貰って帰るわ。頼めるか、クリス?」 「は……」 「クリス?」 「はぃっ……」  キツく握られていた手の平がスッと開放されて、ジェームズは立ち上がった。ふらつくのを、俺が慌てて支える。よく考えればジェームズはザルだから、これはオスカーものの演技なんだと思った。     *    *    * 「悪りぃな。クリス」  シャワーからあがったジェームズは、やっぱり下着一枚にバスタオルをブロンドの頭に乗せただけだ。いつもと変わらない風景だが、鼓動がうるさい。ジェームズに聞こえるんじゃないかと、逞しい裸体から目を逸らした。  俺はもう先にシャワーを浴びて、パジャマに着替えてベッドの縁に座ってた。 「クリス」 「はい」 「気付いてるだろ」 「な、何を……?」 「俺の好み」  ハッ。そうだった。ジェームズのタイプって……。クールが売りの俺だったが、このときばかりは顔色を赤くしたり青くしたりしながら、まくし立てた。 「わ、悪い冗談ですよ、ジェームズ。流石に俺のことだと分かりますが、あんなに具体的に言わなくたって! 俺、恋愛経験皆無なんですから、からかうのやめてください」  笑い飛ばされるかと思ったら、不思議な沈黙がシンとおりた。 「……冗談じゃねぇ……って言ったら?」 「え……?」  俺の鼓動は、どんどん速くなる。 「俺はお前も知ってる通り、パーティで好きでもない女を食い散らかすような男だ。何でかって言うと、俺は若い頃、事故でフィアンセを亡くしたんだ。俺が愛してるのは死んだアイツだけで、他の女は誰だろうがへのへのもへじだった」  聞いたこともない、真摯な声で紡がれる。 「だけど……お前が初仕事で泣いた時、俺の中で何かが変わった。俺の中で憎悪の対象だった『死』に、悲しみを向けるお前を見て。クリス……俺がお前のプライベートパートナーになれるなんて思いもしなかったから、変わらずにパーティ三昧してた。だけど、お前がパーティに来て……誰かに盗られる可能性があることに気付いて、気が変わった。誰かに盗られるくらいなら、憎まれてもいいから、今すぐにでもお前をモノにしちまいたい」  ただ黙って言葉を噛み締めることしか出来ない俺の後頭部に手を回し、ジェームズは顔を近付けてきた。反射的に目を瞑ると、その瞼の上に柔らかい感触が弾けた。 「クリス……愛してる」 「ジェームズ……」 「すまねぇ、泣くほど嫌か?」 「えっ」  俺は慌てて頬を拭った。確かにそこは、濡れていた。 「ち、ちが……これは……嬉しく、て」 「嬉しい?」  あっと思って口を覆ったけど、発された言葉をなかったことには出来ない。 「クリス。クリスまさかお前も……」  いつもみたいに、長い指が後れ毛を乱す。嗚呼。ジェームズ、やっぱり起きてたんだな。そんな気持ちを抱えたまま。 「俺も……ジェームズを見ると動悸がして、抱き締められると切なくなって、自分が女だったらいいのにと思ってました。俺も……好き、です」  消え入りそうに呟いたが、ここからは声を大にする。 「でも!」 「でも?」 「その……俺、キスもしたことないから……ゆっくり、進みたいです。ちゃんと恋愛して、手を繋いで、抱き締めて……それから、キスしたいです。ダメですか……?」  くつりと、喉が鳴った。ジェームズが笑ったんだ。 「分かった。両想いなら、何も急ぐことはねぇ。何から、話そうか」  ジェームズの大きな手の平が、俺の髪をゆるゆると撫でる。 「くすぐったい」 「ああ、悪りぃ」 「あ、そうじゃなくて……やめなくて、いいです」 「何だ。蛇の生殺しだな」  見たこともない柔らかさで微笑んで、ジェームズは俺の髪を撫でる。横になって朝まで語ることになるお喋りの口火を切ったのは、ジェームズだった。子どもの頃の夢を、内緒話でもするように、吐息でそっと話してくれた。 End.

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