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新しい出会いに愛憎
晴れ渡る青空。それをバックに咲き乱れる薄紅色の桜はなんと美しいことか。
ゆったりと舞い落ちる花びらは、可憐な乙女が優雅に舞うよう。
──そんな、うっとりと魅入ってしまう桜の道を、慌ただしく駆け抜ける者がいた。
真新しい制服に、スクールバックを片手に息を切らせ、落ちた花びらを撒き散らせながら、門を潜っていく。
いかにも今日入学する中学生の風貌である彼──石谷は、誰もいない中庭を通り過ぎ、玄関に向かおうとしていた。
彼が何故、大事な日であるのに遅刻したかというと、単に寝坊である。
彼自身は明日は入学式であるから、それに備えて早めに寝たのだが、思っていたよりもぐっすりと寝てしまった上に、親が一日間違えて今日が入学式だと思っていなかったらしく、起こしてもらえなかった。
なんということか。新しい門出から恥をかきたくない。
玄関前の階段数段をすっ飛ばそうとした時。
真上の桜の木から大量に花びらが落ちていく。
風が吹いているわけでもないのに、何故。
この時、思わず立ち止まり、見上げたのが悪かった。
「やべぇ! やべぇやべぇ!」
木から落ちていく男子生徒の姿を捉えた。
何で、木に? と疑問に思いながら、石谷にのしかかった瞬間まで、スローモーションのように見えた。
重みを感じた時には既に遅く、同時に骨の悲鳴が聞こえた。
あ。これは終わった。
仰向けとなり、すぐさまその男子生徒は石谷の上から降り、慌てた様子でこちらに何か言っていたようだが、男子生徒の背後に映った桜を見ていた。
「……綺麗、だなぁ……」
現実逃避をせざるを得ないぐらい、今の現状を理解したくはなかった。
それからというもの、男子生徒が呼びに行ったらしく、数人の先生らに支えながら、そのまま病院に行き、そして目の前の現実を受け入れるしかなかった。
全治一ヶ月。
その時、声を掛けられるまでの間、固まっていた。
入学式早々そんなことになるだなんて。
それからは、安静な生活を余儀なくされた。
あの時石谷にぶつかったのは、同じクラスとなる、山中秀というやつらしい。
そう教えられた日から、日を経つごとに恨みつらみが募っていく。
治ったら、一発殴ってやる。
薄紅色から新緑に染まった木を見上げて、ため息を吐いた。
一ヶ月は意外とあっという間に過ぎ、骨折もきちんと治ったものの、学校生活の空白の時間があると思うと、虚しさを覚えた。
あの時、寝坊をしなければこんなことには。
今頃、新しい生活に緊張と期待を胸に抱きながらも、楽しいことがあっただろう。それを奪ったアイツが許せない。
小学校からの友人と談笑しながらも、思い出しては密かに腹を立たせていた。
その友人とは幸い、中学でも同じクラスとなり、石谷の席を教えてもらったのだが。
「優の席、あそこなんだけどさ……」
友人が指差した先を見やった時、思わず「は?」という言葉が漏れた。
何故か、勝手に人の席に座っているやつがいる。
その周りにいる複数の男子の会話から、石谷の席に座っているのは、あの怪我させた張本人の山中であった。
そいつと周りのやつらはバカ騒ぎをしている始末。
なんなんだ、コイツは。
腹が煮えくり返っていた。
「ちょ、優!?」
隣で制止する友人を尻目に、石谷は自身の席までわざと足音を立てながら行くと、その周りにいた男子らは、「なんだ?」と言いながら、石谷のことを見ていた。
石谷の席に座っていた山中も例に漏れず、ポカーンとした顔で見上げていた。
「あ、もしかして、石谷クン? 骨折治ったんだな! いやー、あの時は申し訳ないことをした! 俺もあの時遅刻して、最短ルートで教室に行こうとしていたんだけどさ、滑って落ちちゃって、やべー! と思っていたら!たまたま石谷クンがいて──」
「──二度と、」
「……へ?」
教室に響かんばかりに机を叩いた。
「二度と、話しかけんな」
ようやく学校に来れたとしても、全くいいことがない。
なんなんだ、アイツは。非常識にもほどがある。どうでもいいことで巻き添えくらって、あっちは何とも無さそうなのに、こちらは大怪我を負った。しかも、謝罪がとてつもなく軽すぎる。もう何もかも腹が立って仕方ない。
時間が解決してくれると思ったが、全くそうなるわけがなく、さらに石谷を怒りを募らせることになる。
それは、授業中のことであった。
ことある事に山中が注意されるからだ。
席が離れているため、少しでもやつのことを忘れられるかと思っていたが、ひとときも忘れられず、かえって山中の存在を刻むこととなった。
数日経ったある日のこと。
次の授業が体育であったが、意外と心配性な親により、その日は見学することとなった。
仕方ない。一応は従って大人しく見学をすることにするか。
どうやって暇を潰そうか──とは、ならなかった。
「なぁ! 伊藤さんって、可愛くね? 優の席から近いよな? 話すきっかけ作ってくんね? あ、優って呼んでもいい? 俺のことは秀って呼んでくれてもいいんだぜ。でさ、『優』と『秀』って合わせたら『優秀』ってなんの、面白くね? ダチが発見した時はマジ笑ったわ! ま、俺、全然優秀じゃないけどな!」
同じように制服を着ていた山中は、一気に捲し立てた後、一人で大笑いしていた挙げ句、「体育館中笑うな!」と先生に怒鳴られていた。
山中も体操服を忘れて、見学をしていた。
日頃の行いからコイツが大人しくしているわけがないが、誰にでも構わず話しかけてくるとは。
深い深いため息を吐いた。
どうにかこうにか距離を取り、なるべく心を無にして、ただ真っ直ぐ、クラスの人達がしていることを見よう。そうしよう。
心を無、心を無、隣を気にしたら負けと念じ、一方的に話してくる山中のことを無視し続けていた。
その時。
まるで腹を思いきり殴られたような声と、ボールの弾む音、クラスの人達が騒いでいる声が同時に聞こえ、思わず隣を見やると、鼻血を出し、倒れている山中の姿があった。
「は? え、お前、何してんの?」
石谷がそばに行くや否や、クラスの数人も駆け寄り、「やばっ! 山中がしんだぞー!」「鼻血出したぐらいだろ! 保健室に連れて行けー!」「悪いけど、石谷が連れて行ってくれないか?」と頼まれた。
短く返事をすると、肩を担いで保健室へと行った。
「いやぁ〜、まさか顔面直撃するとは! 西島、バスケのセンスあるんじゃね?」
「ないだろ」
「ツッコミのセンスあるな!」と言う山中の鼻に、「口にも栓してやろうか」と丸めたガーゼを思いきり入れる。
保健室の扉に掛けられたプレートに、『病院に付き添い』と書かれていたことにより、勝手に入り、仕方なしに山中の治療をしていた。
黙っていたのもさっき倒れた時ぐらいで、担いだ瞬間、また一人で喋りだしていた。
鼻血を出しながら、よくまあ、喋れるな。
「ちょ、やめて! 一生、頭から飴ちゃん出す人みたいな声になるぅ!」
「そこまで鼻声みたいな声にはならんだろ」
一生なんて、大袈裟なと呆れた石谷は過剰な反応をしている山中のことを無視し、その背後の窓を見やった。
今の季節らしい、新緑に染まり、その合間から木漏れ日が差していた。
この木も恐らく、桜の木であったのだろう。先月は見る暇もなく青々しい色合いに染まってしまったのが、本当に残念でならない。
「あ、そういや、優に見せたいものがあるんだわ」
「勝手に名前呼びすんなよ·····って、スマホ持ってくんの、校則違反だろ」
「これ、見てくれよ!」
「話聞いてねーな、·····って」
こちらに携帯端末の画面を向けてきた時、自然と黙り込む形になった。
画面にはアルバムアプリだろう、縦横に3枚ずつ並んだ写真。それらが、どこもかしこも先月見たかったものが華やかに写し撮られていた。
一応、断りを入れて、タップで1枚ずつアップさせたのをスワイプさせていく。
地面に舞い散った花びら、一輪をアップさせたもの、空をバックに大まかに全体を撮ったものと、様々な桜を撮っていた。
どれもこれも見惚れてしまうほど美しい。
1枚ずつじっくりと見て、スワイプさせていったが、ある写真で指が止まった。
「·····なんなんだ、この写真は」
「何って、あ、それは」
あの時、山中が桜の木の上で撮ったものだろう。石谷が全力で走っている姿を上から撮っている写真であった。
何故。いや、いつの間に撮っていた。
「そうそう! これ! これを見せたかったんだよ! 上からの構図を撮ろうした時にたまたま撮れてさー。優がめちゃくちゃブレてんだよ! これがめっちゃ面白くてさ! どんだけ速いんだよって! 小学校の頃、陸上部やってた?」
「はー·····なるほど、な·····。まあ、たしかに笑えてるかもな」
「だろー?」
特に桜の木に登るなんで、どアホ過ぎるんだろ、と怒ろうとしていたはずなのに、口から出た言葉に驚いていた。
それに、飽きるぐらい山中のバカみたいに笑う顔なんて見てきたというのに、屈託のない笑顔を、それを至近距離で見た時には、心臓が跳ね返った。
この、気持ちは──。
「おーい? 優ー? 突然ぼけーっとしてどうしたんだよ?」
「·····っ、な、なんでもねーよっ!」
言いながら、八つ当たりのように山中に携帯端末を押し付けた。
慌てふためく山中を見ないうちに、その場を走り去っていった。
その日の放課後だった。
部活動見学をし、教室に物を取りに行った時のこと。
教室に入った時、ふいに窓の方に目を向けると、机に突っ伏している人を見かけた。
あの席は、山中だ。
気づけばその方へ足を向けていた石谷は、ゆっくりと歩を進める。
ドキドキと心臓の音が耳まで聞こえてくるようで、うるさい。
山中は窓側に顔を向けたまま、言葉にもなってない寝言を言って、ヨダレを垂らしていた。
「何をやってんだが」
何故、山中はここで寝ているかと小さく笑う。
夕暮れに照らされた、腹の立っていた相手の横顔。それが、何とも表現し難い、魅入られてしまうもので。
保健室の時から、おかしい。
殴りたいほど、憎んでいた。
そうだ。山中に会って、まず最初に一発殴りたいと思っていたのだ。それなのに、今この気持ちは、そうじゃない。
唇にすれば分かるだろうか。
唇に──。
「ん·····? あれ? 俺、いつの間に·····、おろ? 優、いたのか。ん? なんか、顔赤くね?」
「·····夕暮れ時だから、そう見えるじゃないのか」
「あ、そうだな。そうかもな!」
歯を見せて笑う彼のことを直視出来ず、夕日を見て誤魔化していた。
そんな時、廊下側から友人に呼ばれたことにより、挨拶をそこそこに、バック片手に友人の元に駆け出した。
「あれ? 優、顔赤くね?」
「·····夕暮れのせいだろ」
さっきより素っ気なく返事をし、そっぽを向く。
この気持ちを気づいてはならない。きっと、勘違いなのだから。
けれども。隣にいることは許してあげよう。
一緒に大騒ぎをして、笑い合ったその時に、勘違いではなかったと、本当だったと、ようやく自分の気持ちに素直になれるかもしれない。
多分、きっと。
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