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出来そこないと、羽

例えば、薬局で患者に薬を処方するために国家資格が必要なように、例えば美味しくて可愛いケーキを作るためにパリで修行が必要なように、クリスマスに奇跡を起こすためにもそれなりの資格と修行が必要だった。 俺――つまりサンタクロースのなりそこないは、修行と称して既に五年以上もこの人間界日本東京新宿区の安アパートで暮らしている。 むさくるしい、人間で言えば三十過ぎの男の貧乏一人暮らしといえば、楽しみなど自然と酒に煙草にパチンコと決まってくる。最早奇跡なんてもの、こっちが起こして欲しいくらいに生活は荒んでいた。 「だいたい隣人を愛せよ、っていう課題が悪くねえか?愛するどころか、ここじゃ隣人の顔すら見たことないぞ」 「馬鹿ですね。隣人とはそういう意味ではありません。ちゃんと聖書は読みましたか?そんなだから……ちょっと、酒臭い顔を近づけないでください」 やけに口の悪い、無表情で整った顔の天使に、俺はわざと息を吐きつけた。嫌がって、羽をばたつかせるのが面白い。 俺がこいつを拾ってから、もう一ヶ月が経とうとしている。十一月の寒空の下、羽をボロボロにしたまま公園のベンチで遠巻きにされているのを見つけて以来、そのままだ。普段は天界で、愛など恋など運命などとやっている頭のめでたい神の使い。地上に這いつくばっているのは妙だった。 「……ですからね、隣人というのは人類全てを表すわけで、例え相手が敵であっても、」 「わかったから、食ったもん片付けろ。ああほら、こぼしたの拭けって」 「うるさいですね。まだ話の途中です」 天使は天使のくせにジャンクフードが好きらしい。カップラーメンの汁をすすって、ポテチを食い散らかす。渋々片付けを始める天使を尻目に、俺は座卓を寄せて布団を敷き始める。その傍らに所在なさげに天使が立った。 「もう寝るんですか?」 「明日はバイト、早出だからな」 「大変ですね、ポンコツサンタは」 布団はちゃんと、二組みある。居候に敷いてやるほど、俺は天使に甘くない。 「寒いですね。隙間風とか。さすがボロアパートです」 「嫌なら、さっさと神様のところに帰るんだな」 こいつがどうして飛べなくなったのか、俺は知らないし、知りたいとも思わない。充分な栄養を摂って白い羽には艶がある。なのにこいつは、身体が重いのだと言って何日経っても飛び立とうとしない。 俺は黙って電気を消す。 「……一緒に寝ても、いいですか?」 返事の代わりに俺は布団の半分を空けてやる。狭いので羽ごと天使に腕を回して、抱きしめるようにして暖を取る。サラサラの金髪が胸のあたりに収まった。 「あなたはサンタの屑ですけど、羽を休めるのにはちょうどいいです。こうしていると、心が暖かくなってきて……。これはなんでしょうか」 「……さあな。いいから寝ろよ。ポンコツ天使」 すぐに、小鳥の囀りのような寝息が聞こえてきた。 帰らなきゃいいのに――一瞬でもそう思った罰だろうか。次の日の夕方、帰宅するとそこには出会った時よりも酷い姿の天使が座卓の前に正座していた。 「……どうして、」 「もう飛べると思ったんですが、まだみたいでしたね」 「窓から飛んだのか?」 「窓から落ちました――え、ちょっと」 「ごめん」――靴を脱ぎ捨てて、俺は天使を抱きしめた。折れそうなほど細い身体は硬直して、傷ついた羽はばたついた。 「ごめん、俺が悪かった」 「何であなたが謝るんですか?訳が分からないですよ」 「それでも、ごめん」 少しの間、沈黙した。それでも俺は、天使を離さなかった。 「……恋人がいたんですが、振られましてね。それですっかり飛べなくなって落ちてきたんです」 「恋人?天使なのに?」 「はい。まあ、正確には恋人ではなくただのセフレだったんですが……。愛と性欲を見間違うとは、天使失格です」 「どれくらいの間好きだった?」 「ざっと百年です」 「どうして俺に話したんだ?」 「わかりません」 「どうしたら、お前はまた飛べる?」 その質問に天使は少し考えてから答えた。 「愛を……くれれば、もしかしたら」 「ホワイトクリスマスですね。飛び立つのには少々寒いですが、天使と雪で絵になるのでまあいいでしょう」 蜜月はあっという間にすぎた。身体が重いというのは言葉通りの意味だったらしく、今では羽のように天使は軽くなってしまった。抱き止めようにも、ふわりと腕から逃げ出してしまうだろう。 「雪が入ってくるから、さっさと行けよ」 「わかってますよ、別れの挨拶くらいしたらどうですか。寂しいでしょう、仲間のサンタは聖夜の奇跡を起こすのに忙しいというのに、あなたときたら一人ぼっちで――」 「いいから。じゃあな」 天使の減らず口を最後まで聞かずに、俺は窓枠に立つ肩をポンと押した。重力に逆らい、落ちてくる雪とは反対方向に天使は飛び立って行った。真っ白な羽と金色の髪が月の光に反射する。 天使が小さく手を振った。 これは多分、俺の人生最初で最後のサンタらしい仕事だ。沢山の人間に愛を振りまく天使を救うなんて、聖夜の奇跡以外にありえるわけがない。俺はゆっくりと、天使の見えなくなった空に煙草の煙をくゆらせた。 「……それなら俺は、一生ポンコツの成そこないでいいよ」 春がきて、夏が来て、秋が過ぎまた冬がやって来た。俺は、相変わらずサンタの成そこないのまま人間界日本東京新宿区の安アパートに住んでいる。酒を飲み、煙草を吸い、独り言が増え、パチンコで一喜一憂するだけの日々。 奇跡というクリスマスプレゼントを配る気など毛頭なければ、最早奇跡を欲しいとすら思わない。それよりも今は、今夜の寒波を乗り切るための暖かいストーブが欲しかった。長年騙しだまししてきた物が、たった今黒い煙を吐いて寿命を迎えたのだ。 「ったく……。早いが、もう寝るしかねえなあ」 「――もう寝るんですか?」 振り向いた。一瞬驚いて、息が止まる。 「お、おまえ、どうして、」 そして気が付く。 「クリスマスは恋人と過ごすものだって、あなた知ってますか――?」

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