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千の言葉より、強く抱き締めて
岸は、毎年律儀にクリスマスカードやニューイヤーカードを手渡してくれていた。いつからだろう。在り来たりで優等生然としていた文面が、長い年月を共に過ごす内、家族に向けるような情愛を伴ったものに変わっていったのは。
初めは、それが嬉しかった。職場の雰囲気が良くなって、仕事もやりやすくなる。そんな風に思っていた。
だが、今年のクリスマスカードには、こんな風に書いてあった。
『メリークリスマス、親愛なる福山さん。貴方と一緒にいると、日常の全てが輝いて見えるんだ。いつもありがとう』
紛れもなく親友に贈った言葉に違いないが、俺はそのカードを開いて、気付いてしまった。俺の、岸に対する気持ちを。
女に不自由したことのない俺が、生まれて初めて『恋』という淡い心地を知ったのが、同性の岸だなんて。
俺は、ギクシャクとカードを閉じ、やや素っ気なく岸に言った。
「サンキュ、岸。でも俺、面倒臭くて毎年カード返してねぇんだから、もういちいち俺宛てには書かなくて良いぞ」
「良いです、返事なんて。ただ僕が、日ごろから思ってる感謝の気持ちを、直接福山さんに伝えたいだけですから」
日ごろから思ってる? その言葉に心臓が跳ね上がった。『初恋』の動悸をおさめる術を知らず、俺は不自然に背を向けた。
「そういうのが、面倒臭せぇんだ。ニューイヤーカードは要らねぇからな」
「えっ……」
背後で岸の、哀しげなため息が聞こえた。胸が痛い。気まぐれを装って、俺はヒラヒラと片手の平を肩越しに振りながら立ち去った。
「気楽に行こうぜ」
* * *
それが、クリスマスの出来事。それから数日、俺は岸を避けがちになっていた。同僚が居る場では普段通りに振舞ったが、極力二人きりにならないようにした。
何故かって? 決まってる。モラリストの岸に、プレイボーイの俺が告白した所で、軽蔑されるのがオチだからだ。もっと悪ければ、気持ち悪いと人事課に異動を願い出るかもしれない。
岸が近くに来るたびに鼓動を早める自分の心臓が恨めしくて、拳でひとつ、軽く胸を打った。
「福山さん、どうしたんですか?」
背中からわいた声に、ギクリと俺は身を竦めた。このタイミングで、寄ってくるんじゃねぇ!
「あ~、食い過ぎかな。胸やけがしてよ」
「でも今、心臓……」
「医務室行って寝てくるわ。報告書頼んだぞ、岸」
駄目だ……。あれ以来、まともに会話していない。
俺は外れの医務室に向かい、勤務医不在のそこで、惰眠を貪る事にした。眠ってしまえば、どんなにイイ女を抱いた後でも、翌朝にはもう忘れていた。この気持ちも、そうだったら良い。眠りに落ちる寸前、微かに残った意識の中で、俺はそんな風に願った。
「……くやまさん。福山さん」
夢にまで見るか。視界いっぱいに岸の、端正な貌が近付いてくる。実際にこんなに近付いたことはない。まるで誘うように顔を覗き込まれ、俺はもう、理性のたがを外して、その桜色にチラつく唇にキスをした。
「岸……!」
自分の寝言で目が覚めると、ドッドッと身体中が脈打っていた。夢でキスしてこのザマか……。まるでチェリーだ。
軽く自嘲を零し、もう真っ暗になった景色を窓に認め、俺はひとり家に帰った。クリスマスから、軽薄に寄ってくる女たちに手を出していない。
俺は、他者を懐の内に入れたことがなかった。すなわち、『愛』を知らない。女を抱くことで束の間、孤独の埋め合わせをし、それで良いとさえ思い始めていた。そんな罪作りな行いをしてきた罰のように、突然やってきた『初恋』の壁は高かった。
昼間散々寝たはずなのに、何処かショートしているのか、また泥のように眠って俺は出勤した。そろそろ、不自然に避けているのを、岸が気付き始める頃合いだった。
* * *
「おはようございます、福山さん」
「お、おう。岸か」
長年一緒に仕事をして、もう背を向けていたって気配で互いが分かるほど、俺たちは一体化していた。岸以外の誰が、真っ先に自分に声をかけてくるというのか。
「今日の忘年会、福山さん何時まで居ます?」
だがそんな俺の自問は窺えない風に、岸は笑顔で尋ねてきた。夢に見た桜色がチラつく……。
「ああ、忘年会か。そうだな。思いっきり呑みてぇ気分だから、帰らねぇかもな」
一緒に帰ろうなどと切り出される前に、口実を作ってしまう。
「そうですか。でも福山さん、幾ら強いからって、呑み過ぎないでくださいよ!」
いつものように苦笑されて、何故だか俺は安心していた。この想いがバレることを、俺は恐れて岸を今まで避けていたのだ。上手く誤魔化しきれていることに安堵して、俺もいつものように返した。
「あ~、分かった分かった」
「返事は一回ですよ!」
「ハイハイ」
「福山さん!」
そう、こんな風に気の置けない友人のままが、一番幸せなんだ。そうやってまた俺は、孤独に蓋をして生きていく。やっと見付けた微かな光が眩しくて。これ以上近寄ったら、太陽に焼かれたイカロスのように、失速してしまう。
岸は、まさに『嗜む』程度に酒を呑むと、挨拶をして帰っていった。いつもの、優等生らしい岸だ。そんな岸を見送った後、俺は忠告も無視して強い酒を浴びるように呑んだ。言葉通り、帰るつもりは最初からない。
らしくなく、ひとしきり悪友と騒いだ後、いつの間にか奴が庶務課の新人の腰に腕を回し、『お持ち帰り』していくのを見る。悪友は、チラリと振り返って俺に小さくVサインをし、帰っていった。
アイツも女に節操がないが、俺みたいに孤独を抱えてる訳じゃない。そう思うと、何だか空しくなって、俺は人影もまばらになり始めた総務課を出た。医務室に直行し、布団に潜り込む。眠って忘れてしまうのが、一番だ。
真夜中から早朝まで、酒が効いてぐっすりと眠った。本来なら始業過ぎまで眠っていてもおかしくなかったが、不意に覚醒した。魂が震えて。二日酔いもなく雲が晴れたようにスッキリと目覚め、俺はベッドの上にザッと半身を起こした。
「……岸……!」
目が覚めたのは、まさに、魂が共鳴したからに他ならなかった。ベッド脇に、岸がそっと立っていた。ただ驚くばかりの俺に対し、岸はいつものように微笑む。
「おはようございます、福山さん。やっぱり帰らなかったんですね。呑み過ぎてませんか?」
ばつが悪く、俺は布団から抜け出ると、俯いて靴を履きながら不明瞭に言った。
「おう、幾ら呑んだって、二日酔いにならなきゃ良いだろ……」
「駄目です、福山さんの身体が心配なんです!」
「ハイハイ」
いつものように返して、うやむやにしてしまうつもりだった。俯き気味のまま、立ち上がって前を塞ぐ岸を押し退けようとする。だが岸は、頑として退こうとはしなかった。
「福山さん、これ」
と、俺の手に二つ折りにされた小奇麗な色のカードを押し付ける。
あれだけ要らねぇって言ったのに。これ以上岸を拒絶して、傷つけない為の予防線を張った気になっていた。また鼓動がいうことをきかなくなる。
「だから、要らねぇって言っただろ」
「お返しなんて要らないんです、僕の気持ちです」
その『気持ち』ってのが、俺には甘い毒なんだ。気付かない内に身体中を侵食して、何もかもを一瞬にして壊してしまう極上の毒薬。
「……分かった」
俺はそれを手中に収めると、寝癖のついた後ろ髪を更にかき乱しながら、大きくひとつため息をついた。
「後で読む」
「今、読んでください」
「は? いつだって良いだろ」
「今読まなきゃ、意味がないんです」
視線を上げると、岸の真剣な眼差しと目が合って、『何故だ』という問いも発せなかった。カードの表には、『A HAPPY NEW YEAR』の七色。問題は、中身だった。
蓋をしたはずの孤独が騒ぎ出したが、この数日で幾らか耐性がついた分、理性は保てるだろう。己を落ち着かせるように深く深く深呼吸をした後、俺はカードを開いた。そこには、シンプルにたった一行の言葉が、岸らしい綺麗な文字で躍っていた。
「…………岸、これ……」
「カードのお返しは要らない。言葉も。貴方は夢だと思ったみたいだけど、キスしてくれたのは、僕なんだ」
俺はニューイヤーカードを取り落とすと、早急に岸の華奢な身体を腕に閉じ込めた。細くしなやかな腰に両腕を絡ませ力を加えると、軽々と岸のつま先が地を離れてしまう。
「ちょっ……福山さ……」
「苦情は聞かねぇ。こういうことだろ」
照れて僅かに空 を蹴る岸のつま先の下に、カードが落ちていた。そこには、たった一行の光が躍っていた。
『千の言葉より、強く抱き締めて』
End.
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