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小さな宝物─おもい─を片手に
『しおんにぃ、いやだぁ、いかないで』
悲痛な声を上げて、小さな手で『しおんにぃ』の服を必死になって掴む。
その『弟』の行動に、『しおんにぃ』は非常に困った顔を浮かべていた。
ふと、『しおんにぃ』は何か思いついた顔で、『弟』の手を優しく包み込んだ
『だったら、あかと。まえにいっしょにつくったストラップをこうかんしよ』
『うん·····?』
よく分かってない『弟』は、小さな首を傾げながらも、小さな手でも片手で収まるぐらいの何かの欠片のような朱いストラップと、『しおんにぃ』の紫色のストラップを交換した。
『しおんにぃ』は大事そうにそれをそっと握りしめると、笑いかけた。
『どんなにはなれていても、わすれないよ。ずっと。ずっと·····──』
廊下の窓に寄りかかり、携帯端末に付けているストラップを見つめていた。
光に当てると、鮮やかな紫がより鮮明に見え、朝田の心を穏やかにしてくれた。
このストラップの持ち主は片手で数えれるぐらいの年齢の時に、生き別れた兄のものだった。
この色合いのような名前と、穏やかで優しく、朝田の大好きな自慢の兄だった。
それと、ほんの少しの動き一つ一つが優雅で、自分の言葉では表現出来ない、とにかく高鳴っていたことは憶えていた。
今でも何故、そうなっていたのかは分かってはいないけれども。
「しおんにぃ··········」
今頃どこで何をしているのだろう。
会いたい。
「あーかーとっ!」
廊下に響くぐらいの声量と共に肩に手を回された。
突然のことに肩を大きく震わせていたが、手に持っていた物はしっかりと握っていたので、落ちずに済んだ。
小さく息を吐いたのち、「まぁた、見てんの?」と問われた。
「まあな」
「どんだけ、その人一筋なん?」
「だって、兄ちゃんだし」
「その兄ちゃんが、初恋?」
「初恋·····? いや、憧れだろ。だって、兄弟なんだぜ。恋っていうよりも、こうなりたいとか尊敬の眼差しってやつよ。俺ってさ、昔から落ち着かなかったから、親によーく怒られたわけ。んだけど、しおんにぃは、きちんと座ってじーっとしていてさ、大人に言われる前にちゃんとやっていて、怒られたことなんて見たことがないんだわ。あと──」
「あーはいはい。もう何十回も聞いたから、充分に知ってまーす」
適当に終わらそうとする友人が朝田の肩から離れ、窓の縁に肘を置いて、廊下側に顔を向けていた。
その態度に負けじと、朝田は聞いてなくとも『しおんにぃ』との思い出を、ストラップを見つめながら語り始めた。
それにこうしていたら、もしかしたら、『しおんにぃ』に会えるかもしれないと思って。
──と、少しばかり時間が経った頃、「オイ! オイって!」と肩を強く叩かれたことにより、顔をしかめた。
「いってーな、なんなんだよ」
「お前、アレを見ろっ!」
何故か興奮気味の友人に、面倒くさそうに必死になって指差す先を見た。
移動教室なのだろう。教材を片手に、もう片方は誰かに電話をしている最中であった。
なんら不思議な光景ではない。──朝田以外であれば。
携帯端末に何か付けているらしい、それが揺れているものだから、気になって凝視した。
何かの欠片のようなもの。そうそれは、朝田が手にしているストラップのようなデザインで、色は朝田の名前と同じ、朱色。
「しおんにぃ·····」
手先が器用ではなかった朝田が作った、『しおんにぃ』の揃いの物。
「しおんにぃ·····」
それを別れる前に、互いのことを忘れないようにと交換した、大切で、唯一の『しおんにぃ』との繋がり。
「しおんにぃ·····!」
相手に近づけば近づくほど、歩く速度が速まり、最後には駆け出していた。
その勢いのまま、『しおんにぃ』の背中に飛びつく。
「しおんにぃ!!」
「おわっ!」
相手は倒れそうな勢いで前のめりになりながらも、何とか踏ん張った様子でいたが、今の朝田にはそのことには一切気にしてなかった。
「しおんにぃ! しおんにぃ! 会いたかった! 会いたかったよ!」
背中にグリグリと頬擦りをする。
互いにあの頃と、特に見た目がだいぶ変わってしまったが、あの頃と同じ匂いがする。
絶対に絶対に、『しおんにぃ』だ!
そう確信ついていた。
「ちょ、いきなりなんだ。あ、ごめん。なんかいきなり抱きつかれたんだわ。また後でかけ直す」
頭上から、低く、けれども、透き通る声が降り注いだ。
「あのさ。誰だが知らないが、離れてくれないか?」
「誰だなんて見なくても分かるじゃん! 俺、いつもしおんにぃに、こうやってしてきたじゃん!」
「·····知らねーよ」
ついさっき聞いてきた時よりも低く、まるで地を這うような声音に、そして、こちらに向ける顔があの頃の優しい笑みはなく、露骨に嫌そうな顔をし、舌打ちをしてくる。
確かにあの匂いは、しかも携帯端末に付けている物は『しおんにぃ』にあげた物のはずなのに。
目の前にいる人は、誰。
何も言えなくなり、固まっている朝田に追い打ちをかけるようにこう言い放った。
「俺に、兄弟なんていないが?」
「朱音 ー? 元気だせよ」
机に顔を埋めている朝田に友人は声を掛けていた。
「しおんにぃがあんな顔、絶対にしない·····てか、なんで嘘を吐くんだよ。俺には優しい兄ちゃんがいたし·····」
友人の声掛けには返事をせず、代わりに在りし日のことを思い馳せていた。
どうしたら『しおんにぃ』のことを怒らせることが出来るのか、それがきっかけでさっきのように突然後ろから、抱きついたことがあった。
『しおんにぃ』は驚きはしたものの、軽く注意されたぐらいで怒りはしなかった。
それが何だか面白くなくて幾度なくしてきたものだ。
場合によっては危ないことなのに、よくしてきたものだと笑いながらも、すぐにため息を零す。
十年近く会ってないうちに何かあったのだろうか。
あるとしたら──。
「もしかして、宇宙人に記憶操作されたのかな?!! そうだとしたら、俺のこと憶えていないのも当たり前か!!」
顔をバッと上げ、叫ぶ。
「いきなりなんだよ、あっぶねーな」と文句言う友人に、「俺、明日から忙しくなるわ!」と言った。
「しおんにぃ! 俺が必ず! 思い出させてやるからな!」
椅子から立ち上がり、拳を作り、声高らかに宣言する朝田の傍ら、授業中に騒いだことにより、先生にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。
その宣言通り、朝田は『しおんにぃ』に会う度に、昔の思い出を話し始めた。一方的に。
最初は鬱陶しそうにしていた『しおんにぃ』であったが、何をしても勝手に話す朝田のことを撒けないと思ったのか、いない者として振る舞い、そして、足が速くなっていた。
朝田も負けじと足を速めるものの、すぐに『しおんにぃ』は消えてしまった。
今がその時であり、息を切らし、廊下を歩く生徒達を見ていた。
上履きの色から三年生だと分かっていたので、三年生の階に行った。
「あ、もしかして、君があの新倉を追っかけ回している子?」
『しおんにぃ』のクラスを探していると、廊下にいた先輩に声を掛けられた。
新倉? 俺と名字が違くないか?
「あ、ハイ。そうですけど·····」
「いっつも面白いことをしているから、つい見ちゃってるんだよね。多分、この時間は屋上に行ってると思う。あいつ、一人でいたがるからな」
「ありがとうございます!」
その足で屋上へと駆け出していてく。
小窓から見えた『しおんにぃ』の姿に、嬉しさのあまり、扉を思いきり開ける。
びゅうっとひと風が吹いた。
その風に乗せて、聞き慣れていた旋律が過ぎ去った。
少し遠い位置で、『しおんにぃ』がヴァイオリンを弾いていた。
あの時と変わらずの優しい手つきで、優雅に弾く様は、家の一室の窓際で一生懸命弾いていた、あどけなかった頃の『しおんにぃ』の姿と重なった。
またこうしてそのような姿が見られるだなんて。だが、ヴァイオリンを弾くということは。
「しおんにぃがヴァイオリンを弾いている時って、見惚れるけど、大体は何か悩んでいる時だったよな。あの時は、どこかに行ってしまう前だった」
弾き終わったのと同時に声を掛けると、一瞬動きが止まり、こちらを見やる。
本人は睨みつけているようだが、朝田の目には、どこか悲しみに堪えているように見えた。
「しおんにぃ、どうしてそんな顔──」
「そう呼ぶな」
「っ!」
大股で近づいてきたかと思うと、朝田の胸元を掴んだ。
柔らかい印象を受ける下がった目尻が吊り上がり、一目見て非常に怒っていることが分かった。
生まれて初めて見る『しおんにぃ』のその表情に、完全に怖気づいてしまった。
「俺らはただの幼馴染みで、俺が年上でお前が年下で、加えて小さい頃の曖昧な記憶で、俺のことを血の繋がった兄弟だと思っているんだろう?」
「·····だ、だって、同じ『音』の字を使っているし、ずっと一緒にいたし·····」
「それは、俺の両親の仕事の関係で、しばらく朝田家に預けられていたからだ。同じ字なのは、たまたまだ」
だから、俺らは兄弟ではない、と言う『しおんにぃ』の言葉に、大切にしていた記憶が、ガラスのように砕け散った。
別れてひと時も忘れずにいた『兄』は、自分の何もかも思い違いで、この十年間は無意味な時を歩んでいた。
あんなにも再開を望んでいたのに、いなかった間のことを嬉々として話そうと思っていたのに。
忘れてしまえば良かった。
涙で視界が滲みそうになり、この場から離れたいと思ったが、『しおんにぃ』に襟元を掴まれているせいで動けずにいた。
と、不意に『しおんにぃ』が顔を俯かせ、肩を震わせていることに気づいた。
何が、いきなり。
「し、しおんにぃ·····?」
困惑した声を上げると。
「·····あー、もう、ダメ·····。僕、これ以上、耐えられない」
「·····え·····?」
襟元を掴んでいた手が解かれたかと思うと、今度は両手で背中に手を回された。
しかも、強く。
さらに戸惑っていると、ぽつりと言った。
「·····朱音 が昔、僕のことを怒らせようとして、色々といたずらをしようとしてたよね? 親の仕事の関係で、朱音と離れちゃった時から、朱音に僕が怒るとこうなるんだぞ! って、見せてみたくて。けど、思っていたよりも怖がらせちゃったみたいで、本当、悪いことをしちゃったね」
ごめんね、ごめんねと、話している最中に泣き出した『しおんにぃ』が、朝田の頭を撫でていた。
ああ、この感じ懐かしい。
全てのことを、本当の意味が分かった朝田は、昔と変わらぬ『しおんにぃ』の優しさに触れて、膝からもろとも崩れ落ちる。
「朱音っ!?」
「本当に、本当に良かったぁ〜!」
朝田も『しおんにぃ』の背中に手を回し、再開の喜びを噛み締めるかのようにぎゅうぎゅうに抱きしめた。
『しおんにぃ』は、驚きで泣き止んだものの、慈しむ手は止めなかった。
「再開したならば、コレをしないと」
「そうだね」
ほぼ同時に二人が取り出した、携帯端末に付けているストラップ。
それを、朝田は丸みの凹凸がある方を、『しおんにぃ』はとんがりのある凹凸の方を互いに合わせる。
すると、完全にはまったわけではないが、どことなくハートの形に見える。
「心はずっと一緒って意味で作ったんだよな」
「そう。これのおかげでずっと、朱音の再開を待ち望んでいた」
「俺も、ずーーーっと『しおんにぃ』に会えるのを待ってた!」
「朱音。『しおんにぃ』って呼ばないで」
これでもかと満面の笑みを向けると、苦笑気味の『しおんにぃ』が言う。
さっきのことを思い出してしまい、人知れず震えている朝田の手を、まるで恋人がする繋ぎ方をする。
「·····こういうことだって、やれば分かるかな? だから、紫音って呼んで」
少し頬を赤らめる『しおんにぃ』·····もとい紫音に、しばらく固まっていたが、空に響かんばかりに声にならない声を叫んだ朝田であった。
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