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中学生

 英雄(ひでお)くんと話さなくなって、もうどれくらい経つのだろう。声を聞くこともほとんどなくなってしまった。英雄くんが僕の人生に残したものは、大きな傷のようになってしまった。いつの日か治るのかもしれないけれど、今はまだ、痛い。  いつからか遠く離れてしまった英雄くんは、もう僕を助けたあの日のことなんて覚えていないのだろうか。僕と一緒に過ごしたあの時間を、失くしてしまったのだろうか。僕は今でも大切にしているのに。  机の中からボロボロになった箱を取り出す。幼い頃から気に入った写真を入れている、大切な宝箱だ。運動会や宿泊学習、修学旅行や学芸会の写真に混じって、僕と英雄くんのツーショットが出てくる。これは小学三年生のときのものだ。母が遊園地に連れて行ってくれたのを覚えている。そこで見たヒーローショーの内容だって、全部覚えているんだ。英雄くんと一緒にある記憶は、全部宝物だから。  ぽと、と、ひとしずく落ちる。写真にできた水たまりはすぐに、スーッと重力に従って床に消えた。  あんなに幸せだった。当時だって、今だって、僕は英雄くんが好きだ。大好きなんだ。どうしてこんなに遠くに、離れてしまったのだろう。  教室の隅っこ、一番後ろの窓際。英雄くんはいつも外を見ている。外に何があるのか、僕にはわからない。たぶん僕とは全く別の景色を見ているんだ。だから、僕は英雄くんの視界に入ることができない。  ふと、英雄くんがこっちを向いた。目が合う。英雄くんはハッと目を見開いて、すぐに顔を逸らした。僕の微笑んだままの顔は、どこへ向けたら良いのだろう。  そんな日常に耐えられなくて、僕は行動することに決めた。英雄くんが僕のことを嫌いになったのなら仕方ない。僕は思い出に浸りながら、傷が癒えるのをゆっくり待つことにする。でも、そうじゃないなら。何か僕と一緒にいられない理由があるなら――いや、そんなものは、ないだろうな。 「ねえ、英雄くん」  放課後、人気(ひとけ)の少なくなった廊下で、僕は英雄くんの袖を掴んだ。 「どうして僕らは、こうなったのかな」  頬がゆっくり濡れていくのがわかる。泣きはらした目はヒリヒリと痛む。顔を見ることができない。どんな感情を浮かべているんだろう。迷惑かな、嫌かな。でも、それでもいい。僕はもう覚悟を決めたんだ。 「……ごめん、俺が悪かった」  英雄くんは震える僕の手を握ってくれた。それから引っ張るようにして、別の教室に移動した。旧校舎の、もう使われていない音楽室。  廊下を幾度か確認した後にパタンとドアを閉めて、英雄くんは短くため息を吐いた。それから窓を開けて、新鮮な空気を肺に吸い込んだ。 「――好きだからだよ」  酷く静かな空間に、英雄くんの声が並んだ。僕は何も理解できなくて、そのまま上靴のつま先を見つめていた。何て言ったんだろう。 「俺はさ、太田(おおた)が好きなんだ」  顔を上げると、窓の前に設置されているポールに触れながら悲しそうに微笑む英雄くんがいた。 「あのとき助けたのは助けるべきだと思ったからで、でもそれで太田が俺に懐いて。最初は友だちができたぞ、やった、くらいにしか思ってなかったんだ」  風が英雄くんの少し長すぎる髪をなびかせた。儚い横顔が僕の胸を締め付ける。 「太田、ずっと俺から離れないし、俺のことヒーローだとか勘違いしてるし。でもさ、途中からわかんなくなったんだよ、俺は本当にこれでいいのか、このままただの親友止まりでいいのか、って」  外からは少年団が活動を始めた音が聞こえてくる。僕らの時間だけが止まってしまったみたいだった。 「俺は太田のことを独り占めしたくなった。それが好きっていう感情だって気付くまでは、そんなにかからなかった。あ、これがみんなが言ってる恋ってやつなんだ、ってすぐわかった。そうか、俺は太田が好きなんだって」  英雄くんは視線を落とした。 「だからいつだって太田と一緒にいたし、ずっと遊んでた。……けど怖くもなった。太田にこの気持ち知られたらどうなるんだろうって。普通じゃないってことには気付いてたし、だったら太田には嫌われるんじゃないかなって。ヒーローだと思ってたやつがこんなやつだったなんて、太田は嫌だろうなって」  その先には、何かあるのだろうか。 「それに、嫉妬してる自分が嫌にもなった。太田はさ、いじめてくるのはいつも男子だからって女子といることが多かっただろ。それで仲良くしてるの見て、太田は俺のなのに、って思うんだよ。女子といようが男子といようが、俺はそいつらに嫉妬してたんだ。嫌になっちゃうよな」  ガシガシと無造作に頭をかいて、それから僕の方を向いた。英雄くんは震えていた。今にも泣いてしまいそうに、顔を歪めていた。 「だから、だからさ――」  何を言うよりも先に、身体が動いていた。気付いたら僕の腕の中に英雄くんがいた。胸に英雄くんの鼓動を感じた。 「僕も英雄くんが好きだよ。今までもこれからもずっと、ずうっと好きなんだよ」  背中に腕が回されるのを感じる。温かい。何年も失くしたままだった体温が、ゆっくりと戻ってくる。 「そっか……こんなに、簡単だったのか」  涙に濡れた英雄くんの声が、肩から僕の身体に広がっていく。  もう二度と離れたくなんてない。ずっと隣に、ずっとそばにいてくれるように、力いっぱい抱き締めた。

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