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ゴーストクリスタルのインクルージョン

 ばあちゃんが死んだ、悲しくもなく涙も出なかった。  だって、側にいるって言ってたから…  ばあちゃんみたいな人のことは、この土地では独特の呼び方があって、世間で流通している呼称を当て嵌めるなら霊媒師だ。いつも家にいて、ばあちゃんを頼ってくる人の相談に対して助言を行なっていた。それは僕も含めてだ。  僕は幼い頃から普通の人には見えない存在が見えて、それらの区別できなかった。例えば僕がある時、同じ年くらいの知らない子と複数人で遊んで家に帰ると、玄関に仁王立ちのばあちゃんがいて『こっちへきなさい』と連れて行かれる。連れて行かれる部屋は決まって来客時に助言を行う通称『お祓い部屋』で、僕は1人で遊んでいたんだと説明される。それが死んでいる人で、生きていない人だと…それは普通の人には見えていないんだというのを常々教わった。  物心ついた頃から、の区別がつかなかった僕にとって、そんなことはしょっちゅうで、対処のできない僕に、ばあちゃんはいつも『目を合わせたらいけないよ』『無視しなさい』というのを言われ続けてきた。そんな僕をばあちゃんは小学校に上がった頃から来客時に同席させてくれるようになった。時折、僕もばあちゃんのそれを手伝うことはあった。でも、僕はおばあちゃんのようになりたいとは微塵も思わなかった。  ばあちゃんは1日ずっと家にいて、タバコを吸って、テレビを見て、お茶を飲んで過ごして、来客の折に対応する、そんな生活をしていた。だから、ほとんど家にいたし、むしろ家から出られなかったんじゃないかと思う。ばあちゃんを頼りにやってくる人は多く、時折来訪して助言を行うこともあった。  僕は、そんなばあちゃんみたいな窮屈な人生を送りたくはなかった。だから、ばあちゃんと一緒にいた孫の僕が存在しない人と話しているのを見た他人が感心して『立派なお婆様の跡を継いでね』などと言われても、そうなりたいとは思わなかった。でも、ばあちゃんのことは嫌いじゃない。 「おい!ババア!ここか!?あぁ?わかってるつーの!何回も聞いた!」  急に部屋の扉が殴打のように激しく揺れる。  声は若く、聞き覚えはない。 「おい!開けろ!開けろって!中にいるんだろ!」  連動して激しくドアノブも動く。  ばあちゃんは、生前『あたしが死んでも 貴方の側にはいるからね』と言っていた。それを聞いた時に『縁起でもない』とか『そんな事言うなよ』と悲観的にとらえたわけではなく、むしろ『ばあちゃんならあり得るな』と思うだけで、特別アイテムをゲットしたような無敵な安心感のようなものはなかった。  実際に、ばあちゃんがみるみる弱っていって、病院に運ばれて臨終を迎えて、怒涛のようにお葬式が終わって。ばあちゃんのいない日常が始まると思った瞬間、急に雪山に素っ裸で放り出された時のような絶望感に気づいてしまった。  ――――――もしも、幽霊に取り憑かれたらどうしよう…  そう思ったら急に身体中を寒気とともに恐怖が襲ってきて、学校へいこうとしていた僕は部屋から出られなくなってしまった。不審に思った母親が部屋に様子を見にきて『体調が悪い』と嘘をついた。母親は『じゃあ、今日は寝てなさい』ってことにしてくれて、学校を休ませてくれた。  僕の両親は、声が聞こえたり姿を見たりすることができない人で、不思議な体験は普通の人より多いが、僕や ばあちゃんほど敏感なわけじゃない。だから、尚更家族にさえ心を閉ざしてしまった。 「…おい…なんも反応ねぇぞ?寝てんじゃねぇのか??」    その声は、独り言のようで、誰かに話しているようでもあった。  窓から誰か覗いて急に目線があったらどうしようという思いからカーテンが開けられず、携帯電話の電波に乗って届く思念にすら慄いて電源を落とした。もちろん、テレビさえ見れなくなった。  真っ暗な部屋で、布団の中から出られなくなった僕は誰にも相談できずに部屋の中に引き篭もった。母親が心配して、病院へ連れて行こうとするのを頑なに断った。  ああ、もう僕は一生この部屋から出られずに死んでいくんだ。どん底から抜けられず、目を閉じて耳を塞いで、ひたすら恐怖に体が冷えて布団から出られなかった。時間感覚もなくなり、暗い部屋で闇に溶けそうになった。   「あ、あの…」  か細い女性の声…それは母親だった。 「ああ、スンマセン。気にしないでください」  ぎこちなく聞こえる敬語で、静かに母親に話しかけた後、盛大に舌打ちをした。 「あぁあ!?そんなことしたら悪ぃだろ!人ん家だぞ!」  返事はない。けれど何かと話しているようではある。  また舌打ちをする。それと同時にドアを激しく叩く。 「おい!聞こえてんだろ!開けろ!おい!」  語気を強めて、何度も激しくドアを叩く。  しかし、ピタリと動きを止めて男はいう。 「…いねぇんじゃねぇのか?」  誰に話しかけているのかわからない投げられた問いに母親が間を入れずに頷く。 「いえ、中にいます。鍵がかかっていますから」   冷静で涼やかな母親の声を聞いた後、男はいう。 「あぁ?!ババアん家?…でも…いや、だから、だめだろ…は?だからぁー…」  一向に開かない扉に焦れたか、それとも母親に何か指示をされたのかわからないが、男は何度も舌打ちをした。 「あぁあーっ!!わあったよ!どうなっても知らねーぞ!」  ドア越しだというのに一際大きく聞こえた後、早鐘のように聞こえていた音は無くなった。  僕は、改めて布団を被り直した。乱暴なドアを叩く音も、荒々しい声も不思議と怖い感じはしなかった。  呆れて帰ったのかと思った次の瞬間。ドーン!という凄まじい音とともにドアがまっすぐ部屋の真ん中にバーン!と倒れた。 「どこだ?あぁ?布団の中??」  布団をかぶっている僕は、音に驚いたが、どうにかする間もない勢いでズカズカと入ってきた男に布団をひっぺがされる。 「おいっ!てめぇ!聞こえてんだろうが!」  僕は膝を抱えて蹲る(うずくま)ように横向きに寝ていた顔をあげた。 「…」  真っ暗な部屋、蝶番の破壊されたドアを踏み越えた男が逆光になっていて、目が眩んでよく見えなかった。 「おいっ こっちこい!」 「わっ!」  男は、僕の胸ぐらを勢いよく掴んで、部屋の外へ連れ出した。  息をつまらせ、引きずられるように部屋から廊下へ、廊下から玄関、玄関から外へ…  ズンズンと男のペースで進んでいって、自分の靴も履かずに、玄関の扉を開けて外に出た。そして、門扉から目の前の道へ出て、突き放すように僕から手を離した。 「おらっ!」 「痛っ」  男は靴下を履いているものの、僕は素足で何も履いていない。  地面に突き飛ばされて、倒れた拍子に僕は顔をしかめた。 「おめぇ…」  男は僕を見下ろしていたが、さっと身軽に屈んで目線を合わせる。 「ババアに似てねぇな」 「え?」  眉間にシワを寄せた男は、切れ長の瞳で真っ直ぐに僕を見た。眉毛は些か薄くて短め。  ツーブロックの髪を背後で丸めて束ねて、耳にはたくさんピアスが開いていた。ニキビがいくつかあるが、それを差し引いても彼の顔は華があった。モテるだろうと僕は思った。 「っていうか、全然好みなんだけど…」 「はい?」  男は、独り言をブツブツいいながら、睨んでいないのに睨んでいるように見える強い眼差しで、僕のことを見つめた後、勢いよく振り向いた。 「あん!?うっせぇ!人がゲイビ見てるところにアンタ現れてただろ!空気読めよな!クソババア!…あぁあ?!んだと、コラ!?」  青筋を滾らせた彼は声を荒げて、後ろを見上げて眉間に濃いシワを寄せていた。 「てめぇの言う通りにしたんだから、もう文句ねぇだろ!」 「…」  何を言っているんだろう…  僕は茫然と彼を見つめた。視線に気づいたのか、話が終わったのか、彼は親指で今まで見上げていた方向を指差して言う。 「お前のバアサンが『あんたは一人じゃない』だってよ」 「…」  僕は男を見つめた。 「あと『ちゃんと見てごらん』って言ってっけど?」  男はチラリと視線だけを上げた。  ――――――ちゃん と 見て ごらん…  その言葉に導かれるように僕は目を閉じた。恐怖のあまり、自分の中のスイッチを切っていた。スイッチというのは、霊を見るスイッチのことで、生前ばあちゃんからアドバイスをされて身に付けた習慣だった。  それは自分の中の匙加減でオンとオフが可能で、いつでもそれを押すことができる。意識の問題かもしれないが、そのスイッチをオンにすると霊が見えてオフにすると見えない。仕組みは、うまく言葉では説明できない感覚的なものだ。  僕は、ばあちゃんがいないという不安から、スイッチをオフにしていた。そして、聞こえもしない見えもしない暗闇で蹲っていたのだ。まるで黒い箱の中に入るように…  僕がスイッチを入れて目を開けると彼の後ろには、ばあちゃんがいた。腹部から上部にかけて宙に浮くような姿をしてキラキラした光を纏っていた。 「ば…あちゃん…」  僕が呟くとばあちゃんは穏やかに頷いていた。 「死んでまでババアに心配させてんじゃねぇ、側にいるっつってたんだろ? こんなすげぇ ババアがついてて何が怖ぇんだよ?」  口こそ悪いが彼の言葉は力強かった。  男の言葉に何度か頷いたばあちゃんはスッと消えてしまった。 「あ!」  久しぶりのばあちゃんを見ることができた嬉しさ。いなくなってしまった悲しさ。今まで自分の側にいたのに気づかなかった愚かさ。けれど、約束を守ってくれるという安心感。そんな入り乱れた感情のやり場がなく茫然と空を見つめた。 「…」 「…あのさ」  僕は彼に視線を移した。 「あんたも見えんだろ?」 「…」  おそらく彼は全てを知っている。だから躊躇わずに僕は頷いた。  僕は、自分とばあちゃん以外で見える人…世間的にいうならに、出会うのは初めてだった。生前ばあちゃんの霊媒師友達みたいな人に会ったことがなかった。たぶん、いたんだろうけど、ばあちゃんから紹介されたことはなかった。 「…外に出るのが怖ぇなら、俺がついててやるよ」 「え?」  彼は僕から視線をそらした。そして両膝を地面について、手を腰や肘などソワソワと彷徨わせた。何かとても言いづらそうだった。 「ババアが常に側にいるってわけじゃねぇって感覚、アンタわかんだろ?だから俺が守ってやるよ…」  彼はゴニョゴニョと口を尖らせた。  チラチラと僕のことを見ながら多めに瞬きを繰り返していた。 「あー違ぇ。いや、違わねぇ…なんつうかな…ババアの代わりっつーか…それも違ぇな。…だから、一緒にいてやるっつーか…側にいてやるっつーか、面倒見てやるっつーか?…気持ち分かるつーか…その…なんつうかな…うまくいえねぇけど…」  ばあちゃんは側にいる。けれど、それはずっとじゃない。  その感覚を知っていることに、僕はとても安堵した。同時に一人じゃないというばあちゃんの言葉がストンと今、心の奥に落ちた気がした。今だったら、スターを手に入れて敵を蹴散らすような無敵状態だと思うことができる。 「ありがとう」 「…」  言葉は乱暴だし、部屋のドアは破壊されたし、引きずられて道路に突き飛ばされたし。普段から地味目な僕なんかとは交わらないような人だと思う。  けれど、ばあちゃんが連れてきたってことは、この人は悪い人じゃない。だからきっと、ドア越しの時から、この人には恐怖を感じなかったんだと思う。 「よろしくお願いします」  人間にも善人や悪人がいるように霊も同じだと、ばあちゃんはいつもどちらに対しても平等に接していた。穏やかな気持ちと1人じゃないという安心感から自然に口角が上がって笑みが溢れる。 「…」  男は、僕の笑みを見た瞬間、顔を赤た。 「こちらこそ…よ、よろしく」    それが『夜露死苦』と聞こえてしまう不思議に僕はまた頬を緩めた。  ー結ー

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