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第1話
十五歳年上のフォトグラファー、マツウラタダアキと付き合い始めて一年が過ぎた頃。
一緒に住むことになった。
服とレコードと本、ゴツいマグカップと少しの食器。そんなものをカバンやスーツケースに詰めて、彼の部屋に転がり込んだ。誰かと一緒に住むなんて、大学の頃に彼氏と半同棲していたとき以来。もっとも、その男には二股をかけられていて、恋人だと思っていたのはおれだけだった。今じゃお笑いぐさだけれど、当時おれは街中で男からも女からも声をかけられることが多く、中でも「すらりとしていてキレイな顔立ちをしてるね。読者モデルやってみない?」みたいに怪しいスカウトに声をかけられたことが何度となくあった。
ある層には「美少年」ともてはやされながら、自分の好きな人からは本気の愛情を注いでもらえない。そのモヤモヤをどうにかしたくて、当時は毎晩のように飲み歩いては男を漁っていた。酔っ払って、たいして複雑でもないアパートの鍵を開けるのすら手間取って。シャワーを浴びることもしないまま敷きっぱなしの布団にダイブして、世界の終わりかと思うような頭痛で次の朝目が覚める。
こんな世界、いつなくなったっていい──そんな日々を過ごしていた男が十年後、好きになった男から「どうせ俺たちずっと一緒なんだから、ウチに来ればいいだろ?」なんて言葉をかけられるとは。
夜中に苦い珈琲を淹れ、いつ終わるともしれない原稿に向かっているときも、隣の部屋にタダアキが居る。それだけで妙にホッとするような居心地の良さを感じている。
ベテランの域に達しつつある写真家と、同じ事務所に所属する一介のもの書き──おれのことです、川崎健太郎って言います。もうすぐ三十五歳──のカップル。公私混同も甚だしいって? これが、そうでもないんだよ。
インタビュアーとカメラマンって、同じ現場に入ることはあっても必ずしも一緒に行動するとは限らない。例えば昨日の仕事も、おれは部屋でパソコンを広げて、画面の向こうにいるミュージシャンに新しい曲についてだとか、最近はどんなことに興味あるの? なんてあれこれ質問を投げかける。やがてインタビューは終わり、画面の向こうにいる人々と手を振って別れ、その後おれは引き続きパソコンの前でインタビューをまとめる作業に取り掛かる。ヘアメイクやスタイリスト、マネージャーや編集者、フォトグラファーが一堂に会しての撮影は別の日に都内の別の場所で決行。そんなふうに、最近はオンラインとオフラインの両方を取り入れたやり方が定着しつつある。
三歩あるけばフォトグラファーにぶつかるといわれるぐらい、有名無名を問わず世の中には写真を撮る人がゴマンといる。もちろん、おれみたいなもの書きも。ただ、仕事がない日は一日中部屋で本を読んだり映画を観ているおれと違って、タダアキは仕事のない日でもカメラを手にふらりと出かけ、公園や街角で見知らぬ人にレンズを向けたり何かしら撮っている。
夏でも冬でも年中浅黒い肌にくっきりとした眉、口の周りをぐるっと囲む髭は顎のほうまでしっかり育ってきている。体格もいい。ただでさえそんなビジュアルなのに、その上サングラスをするとタダアキの顔は面積の半分近くが黒に染まる。そんな見た目に怯むことなく連絡先を教えてくれる被写体に、彼は撮影した写真をいちいち送っていると知った時は驚いた。
「ウォーミングアップ的にパシャパシャ撮ってるんじゃねぇの?」
「まあね。そうであってもイイ感じに撮れてたら、なあ? その人に見てもらいたい気もするじゃん?」
そう言って、完全に俺の自己満足だけどね、と付け加えた。
彼の好きな写真家のビル・カニンガムは八十歳を超えてもニューヨークの街角でファッションスナップを撮り続けていたという。その真似をしたいだけなんだとタダアキはよく話している。
出会った頃の彼は、「女性を綺麗に撮る写真家」とよく言われていたけれど、最近ではその評価がちょっと変わってきていて、この間なんて事務所のサイトで公開しているポートフォリオを見て気に入ったから仕事を依頼したいと、海外のメディアから打診があったとボス(ちなみに女。女社長)が騒いでいた。そこには、こんなことが書かれていたらしい。『タダアキの写真には、その人が内に持っている輝きが表れているようだ』と。
思わず頷いてしまった。
実はおれも、タダアキに宣材写真を撮ってもらったとき、それに近いことを感じた。
それまでフリーランスでいい加減に仕事をしていたおれは、タダアキとほぼ同じタイミングで今のボスに拾ってもらい、事務所に籍を置くことになった。
「あんたの営業用に、事務所のサイトに載せるポートレイトを撮るわよ」とボスに言われたときは、「タレントでもないただのもの書きの写真が必要なのか?」って疑問が湧いた。ボスに言わせると、「書く才能があって、さらに見た目もいいヤツが自分のする話に『ウンウン。それで?』って食いついてくる。それを嫌がる人間はそういない」らしい。三十を過ぎてちょっと年季入ってきはじめたけど、少しは自惚れてもいいわよと言うボスに乗せられ、「川崎くんは、いつも通り自然にしてるときの顔がいちばんいいんじゃないかな」なんてタダアキの甘い言葉に溶かされ、おれはそのときカメラの前に立った。今から三年、いやもう四年前になるのか。あの頃はまだ「川崎くん」なんて呼ばれてたんだなあ。
思い出すのもクソ恥ずかしいけど、最初の顔合わせの宴席で、すでにおれはタダアキに絡みまくっていた。業界内では名の通ったフォトグラファーだったから彼の撮る写真は見ていたし、逢うのは初めてだったけど濃い顔立ちも好みで、限りなく一目惚れに近かった。タダアキはその頃、前の奥さんと別れたばかりで、それを知って余計にヒートアップしたおれは飲みの席で絡んだ勢いで彼のマンション──今一緒に住んでいるあの2LDKのマンション──に押しかけるなんてことまでヤラカシていた。
押しかけたところで別に何もなかったけど、その後きっちり大人の対応というか、公私の線をちゃんと引いて接してきていた彼に内心面白くない気持ちもあったりして。
宣材写真の撮影中、レンズ越しだとわかっていてもそっちを見るのがどうにも落ち着かなくて、そのたびに「目線だけくれ」と言われちょっとふざけたようにかぶりを振ったりすると、ファインダーを通して彼がじっとこっちを見ているのが目に留まる。……見つめられている、その事実だけで体のあちこちが熱くなる。
事務所近くの喫茶店の二階にあるハウススタジオで、別にこれといったポーズを要求されているわけでもないのに、シャッター音がするたびに身につけているものをひとつひとつ剥がされていくような、自分という人間の奥の方、底の方まで暴かれていくような気分になっていく。写真って、撮られる方もかなりエネルギーが要るんだななんて、そのとき初めて身をもって知った。きっと、撮る方も同じだ。自分の内面の輝きなんてものはわからない。けど、タダアキに撮られること、暴かれることが怖いような、でももっと剥がされてしまっても構わないような。そんな気持ちが自分の中で渦を巻いていた。
しばらくして、タダアキの仕事部屋の作業デスクに一葉の写真が無造作に貼られているのを見つけた。今では見慣れた彼のベッドで、無防備な姿のままでまどろむ男のモノクローム写真。そこに写っているのは紛れもなくおれだった。初めて彼のベッドで彼と寝たあと、そのまま眠りに落ちたおれをとらえた一枚だと、後になって教えてくれた。「ケンタローに無許可でヌード撮っちゃった」と笑いながら、ポツリと「これは宝物の一枚だ」とこぼした。
タダアキと旅行へ行く計画が持ち上がったのは、去年の夏。一緒に仕事で入った夏フェスの現場の帰り道、『イタリアでもハワイでもいいから、どっか旅行しようぜ』みたいなことを口走ったときに、タダアキが『ハワイは前の奥さんと行ったきりだ』といきなり爆弾を落としやがった。いやいや爆弾だなんて、タダアキはただハワイに前の奥さんと行ったという事実を言ったに過ぎない。過ぎないけど、このままだとこの男はハワイってワードが出るたびに昔の女を思い出すんじゃないのかとおれが邪推し、別れた女なんかじゃなく「健太郎と行ったハワイ」にせねばなるまいと密かにハワイ行きを計画し始めたのだ。
そんな矢先、世界は音も色も一斉になくしてしまったような状態になった。
パンデミックだなんだって世界中が混乱し、旅行どころじゃなくなった。仕事でもダメージを食らったのはたしか。けれど、人間の営み以上に長い長い地球や星の歴史に思いを馳せてみると、一年や二年の沈黙は「一瞬」と言い切ったって構わないんじゃないかっておれは思っている。巻き返せる。巻き戻すんじゃなくて。
そんなこともあったからか、ある日タダアキが唐突に「ハワイはハワイでも、日本のハワイもあるぞ」と、鳥取県羽合町(すでに合併し湯梨浜町になってはいるが)へ行くかと、本気とも冗談ともつかない提案をしてきた。おいおい、おれの密かな計画を冗談にするなよ! と思いながら、二人して夜な夜なちびりちびり飲みつつ調べてみると鳥取の隣、本州最西端の山口県にいくつもの観光ポイントがあることがわかった。映画のロケ地になった場所や、「死ぬまでに行きたい世界の絶景」と呼ばれるポイントまで。これは行かなきゃだろ、なんて真夜中テンションで盛り上がり、ハワイも羽合町もさておいて、おれ達は山口へ向かうべく休暇を取ることにした。
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