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【第七話】自分のSubを盗られたくない場合にもグレアが出る事を俺は知らない。
「ライナ先輩。改めて名乗るが、グレイグ・バルティミアという。宜しく頼む」
「宜しくお願いします。ライナ・アンドラーデです」
全然宜しくしたくはないが、そんな事を言える空気ではない。俺はそもそもゲーム知識で知っていたが、グレイグがDomなのは明らかだ。何せ、グレアが漏れ出している。ビクビクしてしまいそうになったが、俺は引きつった愛想笑いを貫いた。
なんだろうな?
俺一人だけ敵対派閥であるから、警戒しているのだろうか? あり得る。
グレイグはじっと俺を見て、嫌そうに両眼を細くし、それから顔を背け、最後にテーブルの上の書類を見た。
「俺と先輩の班は、主としてロイ殿下の班の補佐をする事になる」
「承知しました」
「……俺の方が年下なのだから、別段敬語である必要は無いが?」
「……」
反応に困る事を言われた。別派閥とはいえ、公爵家の次男を相手にタメ語なんて用いたら、俺は学園で完全に孤立するだろう……。イジメかな?
「これから二人で活動する以上、俺は親睦を深めるべきだと考えている」
「……」
な、なるほど? グレイグの距離の詰め方は、敬語の有無で決定されるのか? 段々表情筋が辛くなってきたので、俺はそれとなく笑顔を薄めていく事に決める。そもそも余計な事を喋らないようにして生きている俺だ。最近、ヘラヘラ笑ってご機嫌取りをする事にもちょっと慣れてはきたが、得意ではない。
「あの、グレイグ様……」
「グレイグと呼んでくれ。呼び捨てで構わない」
「……それは、ちょっと」
断る事にした。絶対にここで、『YES』と答えたら、今後の学園生活がまずい奴だ。
「呼んでくれ」
「ですから、それはちょっと……」
「呼ぶように」
「っ」
その時、不意にグレイグの声音に何かがこもった気がした。ふわりと、俺の耳にその言葉が入った時、奇妙な心地良さがあった。なんだ、これは? 近いものを挙げるならば、それこそ――……【命令 】だ。と、考えて気づいた。明らかに、軽く命令されたのだと、俺は理解した。するとドクンと俺の胸が高く啼いた。今まで、こういう会話調の命令など受けた事が無かったのだが、俺の全身が『従ってしまいたい』と叫んでいる。そして、褒められて、もっと甘く命令されたい……――が、それはまずい。戻ってきた理性さんが、俺の胸中で絶叫した。絶対に従ってはダメだ。グレイグを呼び捨てで呼んだなんて露見したら、俺は非常に目立つ事になり、みんなに遠巻きにされてしまう……!
「呼べ」
「!」
しかしドきっぱりと繰り返された瞬間、再び俺の理性さんは失踪した。
「……グレイグ」
「それで良い」
「!!」
するとグレイグが微笑した。両頬を持ち上げ、俺を見て笑顔になった。その上、≪良い≫だと……? ほ、褒められた? 俺は気づくと感動と嬉しさで、震えていた。笑顔で誰かに褒められたの等、人生で初めての体験である。明確に≪good≫と言われたわけでも何でもなかったが、あんまりにも嬉しくて、俺の胸が満ちた。
「もっとも、ひと目があるというのは理解している。人前では強制しない」
「……」
続いた声に、俺は安どしながら何度も大きく頷いた。既に怖いグレアが漏れ出している気配もないし、【命令】のような気配もない。冷静になれ、俺。俺は非公表だし、今のやり取りだけならば、多分Subだとは露見していないだろう。単に、爵位に対する畏怖だと思われたような気がする。段々冷静さを取り戻した俺は、そこから仕切りなおすように作業案を俺に提示し始めたグレイグを見ていた。本当に眺めていただけだ。随分と綺麗な金髪だなぁとか、紫色の瞳が麗しいなぁ、だとか。眼福である。あみだくじは不公平だが、ある意味では幸せなひと時に導いてくれた。
こうして、その日から、俺はグレイグと二人であったり、他の人々とであったりと、打ち合わせをした。初日以後は、一度もグレイグからグレアは感じなかった。常に垂れ流しているアドバズル卿を見慣れているからなのか、怖くないDomという存在が少し不可思議でもあった。兄上もいまだに俺は怖い時があるしな……。
さて、本日も午後から打ち合わせなので、俺は昼食を急ぐ事に決めて、早めに学食へと向かった。基本的に俺は一人で食べている。この日もそうで、ボロネーゼの載ったトレーを受け取り、一人掛けようの席を探した。位置は派閥ごとに大体分かれている。本日の俺の位置は、保守である公爵派との境界線に近い丸テーブルだった。俺は派閥内でも力が弱い立ち位置なので、皆が近づきたくないライバル派閥との境界付近で食事をとる事になるのは決して珍しくはない。
珍しかったのは、そんな俺に歩み寄ってくる学生がいた事だった。顔をあげると、俺の派閥のトップであるユングレール侯爵家の長男である――後の攻略対象の兄である、ヴェルガ先輩が立っていた。俺の二つ年上で、兄上の同級生だ。ヴェルガ先輩は、複数のSubを徒弟にしているので、その集団が近づいてきた形だ。
「やぁ、ライナ」
「ご無沙汰しております」
下半身がユルユルだと評判で、ゲーム設定でもそうで、まぁいうなればチャラ男であるヴェルガ先輩は、泣きぼくろのある目を流すようにして俺へと向けた。
「今日も可愛いね」
反応に困るお世辞を言われた。この人物は、挨拶どころか呼吸をするように、『可愛い』と、ダイナミクスも無関係に言い放つ。俺はこの人以外に、可愛いと言われた事は、スコット先輩にしか無い。スコット先輩は、会う度に俺に刺繍をしたハンカチをくれるのだが、最近部屋にたまりにたまっている。
「ライナがSubかSwitchなら、いつでも俺は徒弟にしてあげたんだけどなぁ」
ニコニコしているヴェルガ先輩は、時々こういう事を言う。ちなみに俺にとっての、王太子に次ぐ護衛対象はこの人物であり、先輩本人もそれを知っている。俺がSubだという事も、ヴェルガ先輩はご存知だ。なのに、『こういう事』を言うのは、俺が非公表であるのを踏まえて、周囲には『Domなのかな?』と誤解させる役をしている為らしい。一応、モブとはいえ戦力がある俺が、他の誰かに目を付けられるのを阻止するためのようだ。男爵家次男のSubなんて基本的に見向きもされないので、逆に目立つ気がして俺は怖いのだが、反論なんてできる訳もない。反応に困りながら、俺は引きつった顔で笑うしかない。いつもの事である。
だが――いつもとは違う事が起きた。
その瞬間、ゾクリと強いグレアが溢れ返った。息が凍ったようになり、俺は目を見開く。俺のテーブルに、冷たい水が入ったコップが音を立てておかれたのは、その時だった。
「ライナ先輩が困っているようだが?」
見れば、非常に冷たい目をして笑っているグレイグの姿があった。グレアを放っているのもグレイグであるし、水を持ってきたのも彼だ。ぎこちなくそちらを見ていると、ヴェルガ先輩が後退った気配がした。今度はそちらに顔を向けると、完全に顔を引きつらせている。
「気づかなかったよ、ごめんね」
「い、いえ……」
俺は声を絞り出した。
「ライナ先輩、班の作業の件で少し相談がある。ここで話をさせてもらっても構わないか?」
「へ? ひゃ、は、へ、は、は、はい……!」
俺は思いっきり舌を噛んだ。グレイグは俺が同意したのを見てから、険しい眼差しをヴェルガ先輩へと向けた。
「申し訳ないが、少しお借りしても構いませんか?」
「あ、ああ。勿論だよ……じゃあ、僕はこれで」
ヴェルガ先輩は完全に気圧されて、颯爽と立ち去った。食堂中が静まり返ってしまった。え? 今のグレイグのは、何グレアだ? 怒っているのは分かったが、まさか俺がからまれていると思って助けてくれたのか? いい子だな! って、そうじゃない! 俺は自分の派閥のトップと話していただけだし、ライバル派閥の人間に助けられるというのは謎過ぎる。
「勝手に話すから、気にせず食べながら聞いてくれ」
「……」
こうして俺は、体を硬くしながらパスタを口に運んだ。
味がしなかった……。
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