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第2話
僕は有休を七日間みっちり取っていて、その間 、律と片時も離れずに過ごした。
律は「完璧な律」だった。僕が望んだ恋人像そのままに。
「柊夜は肌が⽩いから、淡い⾊が似あうよ 」
⼿を繋いで⼀緒にショッピングモールを歩き、服を選んでくれた。
「ねえ、律、上⼿くできるかな」
「きっと⼤丈夫。柊夜は⼿先が器⽤だっただろう? さ、つけてみて 」
コンタクトレンズに挑戦してみたいと⾔ったら、眼科に付いてきてくれて、練習するのを隣で励ましてくれた。
看護師さんにくすくす笑われたけれど、「素敵な彼氏さんですね。とっても仲良し」って⾔われて、誇らしい気分になれた。
それから、美容院にも付いてきてくれたから、流⾏りのシースルーマッシュヘアにして、⾊も少し明るく変えてみた。
律はもちろん褒めてくれたけど 「そのままの柊夜でも素敵なんだよ? 癖のない綺麗な⿊髪も、同じ⾊の⿊い瞳も、みんな好きだからね 」って、あとで額にキスをしてくれた。
それから、それから。
カップルシートで映画も見たし、水族館にも動物園にも行ったんだ。
突然の雨が降れば律が上着を傘代わりにしてくれて、二人でくっついて建物まで走った。
律が作ってくれたオムライスやハンバーグは美味しかったし、二人で焼いたお好み焼きも、とても美味しかった。
夜眠るときにはいつもくっついて。僕が言わなくても額に、鼻筋に、そして、唇にキスを落としてくれた。
律はセクサロイドタイプではないからキスまでだったけれど、それは僕が望んだこと──それ以上進んだら、僕は「この律」にも初恋を捧げてしまうから。
そう、彼は契約が終わればデータが消えて、去ってしまうヒューマノイドなんだから……。
幸せな日々であればあるほど、律がヒューマノイドであること、残りの時間が減って行くことが心を苦しめる。最後の二日、僕は笑えなくなっていた。
「柊夜、どうした? 体調が悪い? なにか気になることがある? それとも俺がなにか気に障ることをした?」
プログラミングされている律は「別れの時」が来るのを知らない。あくまでも今は「人間の梁川律で岩崎柊夜の恋人」なのだ。
「ううん。違うんだ。今が幸せすぎて怖いんだ。いつか無くなってしまうかもしれないこの時間が、律を失ってしまうかもしれないことが……怖いんだ」
嘘だ。わかっていてヒューマノイドをレンタルしたんだ。期限のある夢だと、これを最後に律を忘れるんだと、ちゃんと納得していた。
なのに、涙が溢れて止まらない。
胸の真ん中が痛くて切なくて、息が上手くできない。
鼻の奥も目の奥も、頭の中も溶けてしまいそうなくらいに熱くて、爆発してしまいそう。
「柊夜、どうしてそんなふうに思うんだ。俺はずっと柊夜といるよ」
ベッドの上で膝をかかえる僕の隣に腰掛け、そっと肩を抱き締めてくれる。
「ねえ、柊夜。⾼校で、初めて会ったときを覚えてる? 騒がしい教室の隅で柊夜だけが席について、クラスメートが机にぶつかって落としたペン⼊れに気付いた。それは俺のもので、俺が⼿を伸ばす前に柊夜が拾ってくれた。あのとき、俺がありがとうと⾔うと、柊夜は顔を⾚くして⼿を離して…… 」
どうして今、そんな話をするんだろう。やっぱりヒューマノイドだから、「ずっと⼀緒にいるよ」と⾔ったあとの⾔葉の選択が⾒つからず、インプットした過去の話を出力して場を繋げているのか……。
でも、それでもいいや。律との⼤切な思い出を、律の声で語ってくれるなら、それだけで
⼼が落ち着く。
僕は膝に顔を付けたまま、喉をひくひくと震わせながらも答えた。
「ぅ……結局僕は、ペン⼊れをまた落としてしまったね 」
「でも、またそれを⼀緒に拾ってくれた 」
律が⾃分の頭を僕の頭にこちん、とくっつけた。
「……律はさ、⼈付き合いが苦⼿なのに、いつも他⼈を気遣っていたのを知ってる。皆が避ける係を率先して黙々とやったり、密かに⼈を⼿助けしたり。俺はいつも⾒ていたよ。そして、そんな柊夜からいつしか⽬が離せなくなって、俺だけが柊夜をわかってる気になっていた」
「律……? 」
そんなことはインプットしていない。 もしかしたら、さっきからバグってる? 利⽤終了が近いから、情報が交錯し始めているのか……。
顔を上げて律を⾒ると、僕をじっと⾒つめていた。彼は律の情報が⼊ってから後は瞬きもするし⽬も潤ませる。まるで⼈間そのもの──律そのものの、薄茶⾊のその瞳で。
「だから……だから俺は柊夜に告⽩したんだ。受けてくれたとき、⾶び上がるほど嬉しかった。俺が初めて好きになった⼈が俺を好きになってくれた……あれからずっと、俺には柊夜だけ。これからもずっと柊夜だけを愛してる。どこにも⾏かない……! 」
「うん……そうだよ。律。そうだったね 」
バグが治ったようだ。律は僕がインプットした通りの情報を正確に連ね、場を繋いだ。
それは、僕が作ったいつわりの情報だった。本当は律から告⽩なんかされていない。律に彼⼥ができた事実は隠し、「こうだったらよかった」という何度も夢に⾒た妄想をインプットしたんだ。
だからそれは、僕が⾔わせていること……。
虚しい。いつわりでも、初恋が叶うならいいと思ってた。たとえ泡沫でも、律と恋ができたら思いを昇華できると思ってた。
「柊夜、泣くな。いや、泣いてもいい。でも、俺のことは信じて? ずっとそばにいるから」
「うん、うん……!」
僕は頷く。泣きながら、⿐⽔を垂らしながら、頭を縦に振る。だって、否定してもあと二日⽇、僕が君のピアスを外すまで、君はそう⾔い続けるのだから。
だから、せめて。
「愛してるよ、好きだよ、って⾔って。何回も何回も、僕が眠るまで⾔って 」
「愛してる。好きだよ。これからもずっと柊夜を愛してる……」
そして二日後。
僕は律の腕に抱かれながら「Contract cancellation 」を告げてピアスを外した。
律は閉じていた瞼を開けると、僕から腕を下ろし「ご利用ありがとうございました」と言って部屋を出ていった。
──今度こそ、本当にさようなら、僕の初恋……。
日常に戻った僕は変わらない日々を……いや少しだけ変わった。S8型653番が選んでくれた服を着て、コンタクトレンズをして街に出ればなんとなく明るい気分になれた。
髪⾊の根元は少し⿊くなってきたけれど、次の美容院の予約も⾃分でできた。今までは理髪店だったから予約ひとつにも緊張するかと思ったけど、律の⾔い⽅を真似ればスムーズだった。
だから、初恋は現実でも夢でも泡沫 のように消えてしまったけれど、次は本当の恋をしてみようって思えて。
僕にも恋ができるかもしれないと思えて。
そう思えるから、あの七⽇間は、きっと無駄じゃなかった。
「おにーさん、素敵な装いだね」
「え?」
街を歩いている時に、突然に背後から声。でも、この声は。
「……律……?」
嘘。誰? 本当に律? ……どっちの?
「そりゃそうか。それ、俺が選んだ服だもんな。似合ってて当たり前」
「……??」
「律」はもたれていたガードレール代わりの柵から離れて僕に近づき、腕を引いて抱き寄せた。
なに? え? 意味がわからない。ヒューマノイドの律? ……だとしても、契約はもう終了している。
「俺、ヒューマノイドじゃないよ。最初から」
「ええ??」
まだ意味不明。律はただぽかんとしているだけの僕の頬を包んで話す。
──自分はバイオヒューマノイドレンタル会社FJ社の社長であること。
登録された僕の名を見て自分の写真をお薦めヒューマノイド一覧に紛れ込ませたこと。
僕が律を選べば可能性があると思ったこと……実は律も僕を好きで、初恋を引きずっていたこと。過去、女の子と付き合うふりをして僕の反応を窺っていたことまで!
「思いも寄らない想像情報も聞けたけど、俺が発した言葉は全て真実だよ」
「なら、どうして……」
初めから⾔ってくれなかったの、って⾔いたいのに、涙が出て⾔葉にならない。律には伝わったらしく、表情を緩めた。
「仕事は全うしなきゃかっこ悪いだろ?」
「馬鹿。回りくどいよ」
「うん。ほんと馬鹿。高校の時からかっこつけだったから、随分遠回りしたよな。でももうこれからは」
律の柔らかい唇が僕の唇に降りてくる。
不思議だ。ヒューマノイドだと信じ込んでいた時よりも、キスが熱く感じる。
「ヒューマノイドのふりするの、凄く辛かった。もっと気持ちを伝えたかったし、もっと柊夜に触れたかった。なぁ、俺達、遠回りはしたけどあの七日間は凄く濃厚で、互いを深く知れたよな。だからさ」
言いながら、律がポケットから出したのは銀色のケース。情報インプットピアス? と思ったら、中にはペアリング。
「言葉は全て真実だと言っただろ? 結婚しよう、柊夜」
「律……!」
嘘みたい。泡沫 が弾けたら、初恋の続きがやって来て、永遠になった。
なにもかもがサプライズ。僕は律の⾸に腕を回して⾶びついた。
⼤声で叫びたい。
ねぇ、律が好きだよ。出会った頃からずっと、僕は間違いなく律に初恋を捧げているんだよって!
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