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前編
六時五〇分――
昨日まではなんでもない朝だった。
六時五〇分にバス停に到着。バスが来る間ベンチに座り、途中で買ったコーヒーを飲みバスを待つ。
ほぼ同時刻、高校球児らしい学生が目の前を通り過ぎ、
「おはようございます」
と挨拶をされる。
自分も、
「おはよう」
と返す。
そして、通り過ぎて行く彼の背中を見送り、六時五十七分のバスに乗る。
半年前、津島薫 がこの街に越してきてからの朝の日常だ。
近所の高校生であろう彼は、お世辞にも愛想がいいとは言えないが、それでも行き交う人たちに必ず挨拶をする。側から見ていても気分が良く、憂鬱な朝がとても気持ちよく感じる。
彼から初めて挨拶されたのは半年前の夏で、その頃に比べると随分と髪が伸びている。日に日に伸びる髪を見て、薫は勝手に時間の経つ早さを実感していた。
彼を初めて見た時は、見事な坊主頭だと思った。体はおそらく標準より大きめで、そのくせ頭が小さく形も良い為、坊主頭ですら似合っていた。時期的に大きな大会もない為、髪を伸ばすのが許可されているのかもしれない。
彼に対する印象はその程度だった。
だが、それは昨日までの日常。
今朝、いつものようにバス停に行くと、その高校生が自分を待っていた。
そして、
『好きです。あなたを好きになりました』
そう突然告げられたのだ。
照れるわけでもなく、彼は真っ直ぐに気持ちをぶつけてきた。
当然、薫は驚いた。
「君は、所謂ゲイ……? なの?」
「分かりません。今まで野球一筋できて、こんな想いを抱いたのは初めてで……けど、あなたを好きになったという事は、そうなのかもしれません」
(それは僕が、初恋……って事?)
そう考えると薫の心臓が大きく跳ねた。
揶揄 われいるのかも、そう思うも彼から向けられる真っ直ぐな眼差しと真剣な表情。彼なりに、精一杯気持ちを伝えようとしているのが伝わってくる。
薫はゲイだ。そういう意味で薫は、彼の気持ちを受け入れる事はできる。元々、彼には好印象を持っているし、あの告白が本当ならば、素直に嬉しいと思う気持ちもある。
だが、ゲイとして生きる事がどれだけ大変なのか、彼は分かっていないのだ。
その前に高校生という時点で、無理な話だが――
薫は「友達なら」と告げると、彼はあまり納得していない様子で渋々ではあったが、承諾してくれた。
そして更に彼は、
「バスが来るまでの七分間を俺にください」
と言ってきたのだ。
「あなたを知りたいし、俺の事も知って欲しい」
彼の想いは、勘違いかもしれない。思春期の多感な時期で、憧れと恋愛感情の区別がついていないのではないかと思った。一緒に過ごせばその気持ちに気付くかもしれない。そう考えが過 ぎると、短い時間でも互いを知れば、思い過ごしだと気付くかもしれない。そんな思いもあり、薫は了承したのだった。
それから、薫が会社が休みの土日以外、彼は六時五〇分にバス停に現れ、薫と並んでベンチに座り、互いの事を色々と話した。だが、薫は自分がゲイである事は告げる気はなかった。
彼は、 八谷大輔 と言った。S学院野球部のエースだという彼は、今まで野球一筋できて、恋愛には興味が湧かなかった事、あったとしても気になる女の子がいたくらいだという。気になる子が女の子だったという事を考えると、大輔の自分への想いは恋愛感情ではないかもしれないとも思い少し悲しくもなり、大輔の未来を考えると、そうであって欲しいと願ってしまう。
彼は、誠実でとても真面目な素直な少年だった。恐れる事なく真っ直ぐに自分に想いをぶつけてくるその真っ直ぐな信念は羨ましくもあり、若さ故、だとも思う。
同性愛者として生きていくのは、大輔が想像するよりもずっと過酷で辛いものだ。薫自身、それを身を以て知っている。
前職は、ゲイがばれた事によって退職せざるを得なくなった。当時付き合っていた恋人が同僚であり、その同僚が薫の知らないところで女性と婚約をしていた。その恋人は、自分と薫が付き合っていた事が会社に知れる事を恐れ、薫がゲイだという噂を広めたのだ。そんな噂が広がり、それ以上会社にいられるほどの精神力を、薫は持ち合わせていなかった。
それを思い出すと、悔しくてならない。なぜ、ゲイである事で会社を辞めなくてはならないのか、なぜ罪悪感を感じて生きていかねばならないのか。
今現在も、その罪悪感は拭えずゲイである自分を好きになる事はできなかった。
だが、何も知らない大輔はそんな自分を好きだと言う。
ヘテロとして振る舞おうとしても、彼の真っ直ぐにぶつけてくる感情に薫はどう対処していいのか分からない。
まともに話したことのない相手の何を以てして好きだと言うのか、それが疑問で彼に尋ねてみた。
「初めて見た時から、綺麗な人だと思ってました。特に自分に挨拶を返してくれる時の笑顔がすごく素敵で……」
照れからなのか寒さからなのか、珍しく彼は頬を染めてそう言った。
こんなにもウジウジと悩んで生きている大人だと知っても、大輔はそれでも好きだと言ってくれるのだろうか。そう思うと複雑な気持ちだった。
それでも大輔と会う朝が、薫にとって楽しみになっていた。
すぐに終わるだろうと思っていた大輔との朝の七分間は、思いのほか続き、すでに二ヶ月が経とうとしていた。
決して口数は多くなく、高校生らしからぬ落ち着きが妙に大人っぽく、制服を着ていなければ高校生に見えないのではないかと思う。それでも、時折見せる、年相応の高校生らしい表情が薫は好きだった。普段落ち着いている大輔とのギャップを見ると、とても愛おしいと思う。
そして、日に日に大輔に惹かれている自分がいた。
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