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第1話

「このクラスで完璧に一言一句間違えず暗唱できていたのは、俺と有島だけだった」  沢村の落ち着いた声が低く響いて、ぼくは顔が熱くなった。  そこはスルーしてくれよ。ぼくをフォローしてくれるのは嬉しいけど、クラスの意志は宮澤さんが校内暗唱大会のクラス選出に決まってるんだからさ。  投票は一人一票ずつ。黒板にはぼくの苗字の下に一票。根暗眼鏡のぼくに、自分で一票投じた疑惑が……。  ぼくは沢村に入れた。変声期を迎え少しハスキーな低い声がとてもよかったからだ。もちろん一言一句間違えていないし。 「宮澤さんは助詞の間違いが三箇所、単語の言い間違いも三箇所あった。まず朗読ではなく暗唱だ。人気投票なら他でやるべきだ」  ざわざわと教室が騒がしくなる。ぼくの隣りの席の宮澤さんは面白そうに笑っている。 「私の朗読一言一句聞いてくれてたんだ」 「宮澤さんだけじゃなく、みんなの分もノートにつけてある」 「「「おーー」」」  さすが変人沢村様。  ここで沢村いじめの対象にならないのは中学二年にして180センチオーバのスタイルと頭がいいだけでなく顔面偏差値の高さからだろう。聞けば空手もやってるらしいので、触らぬ沢村様に祟りなしだな。  女子人気も高いし、やっかみ半分。男子の間では変人沢村様と呼ばれている。 「じゃあさ。沢村くん的には誰が良かった?」  宮澤さんが可愛らしい笑顔で沢村に訊く。 「有島だ」  いやーーーー。  ぼくは机のに突っ伏した。  ゴツンとおでこで机を鳴らしてしまう。  教室が爆笑に包まれた。 「だって。おーい有島くん」  つんつん宮澤さんが腕をつついてくる 「ぼ、ぼくは宮澤さんがいいと思います」 「沢村くん振られたね」 「別にそれは構わない。審査方法がおかしいと……」  なんだか沢村の顔がこわばっている気がする。 「決まったかー。はーい。宮澤ねー」  教室の引き戸が開いて担任の西岡がのっそり顔をだし、黒板を見て、ノートに名前を書き込んでいる。 「もう一限始まるから、用意しろ〜。教科書忘れたから取ってくる」  ニシちゃん神。  ぼくはこのときほど面倒くさがりの担任に感謝したことはなかった。 「たすかったー」 「ふふふ。有島くんに押し付けられると思ったのに」 「ないないない。ほんとない」  不服な奴がひとり、ぼくを睨んでいる。沢村様だ。  ぼくは知らないふりをした。その鋭く、どこか熱い視線を。  それからだろうか。沢村様の視線をぼくは感じるようになった。  授業を受けているとき、ちらっと斜め後ろを見てみると、切長の黒い眼と合った。すっとそらされて前をむく。  なんか切ない。  そんなに悪いことをしただろうか。どちらかというと、目立たなくていいところで目立って、あわやクラス代表にされそうになったのはぼくの方だ。  自分に一票入ったとき、本当はすこし嬉しかった。緊張しながらも一言一句間違えず、完璧に言えた喜びを共有できた人がこのクラスにいたんだと思えた。  ひとりでも、ぼくを見ていてくれた。自分で票を入れただろと揶揄かわれても、そのひとりだけは認めてくれた。それだけで良かったのに……  その後の沢村様の行動を思い出して、耳まで熱くなった。 ーーやりすぎなんだよ……  せっかく褒めてくれたのに……やっぱ嫌われたよな。 「有島くん、ちょっといい?」  宮澤さんは、昼休みに屋上へとつづく階段の踊り場に僕を呼びだした。 「沢村くんが好きなの」  なぜぼくにそんな告白をするんだ? 告白をする相手が違うだろ。 「どうしたら、いいかな」  ぼくは今、人生初めての恋愛相談を持ちかけられている。  早く逃げたい。ていうか女子と二人きりとかどうしたらいいのかわからない。  愛らしい大きな瞳を潤ませ、艶やかな前髪を払う。肩に流れた黒髪がどこか艶いていた。  リップで濡れたぽてっとした唇が圧倒的な優位を示しながらぼくに告げた。 「私、沢村くんが好きなの」  黙っていたせいで二度その言葉をぼくは聞いた。  どうしろっていうんだ、この根暗眼鏡なこのぼくに。 「宮澤さん。ぼくに言ってもしかたないよ」  そう、沢村様とぼくはクラスメイト以外のなんでもない。 「ちょっと女子には相談しづらくて……」  なんで! 女子の会話の恋バナ案件の最たるものじゃないか。なんか、嫌な予感がするのに。何がヤバいのか分からない。 「沢村くんに認められた有島くんに意見が聞きたいの」 「暗唱大会のアドバイスをもらえばどうかな?」 「それいい。ありがとっ。瑠璃が沢村くんのことが好きだって公言してて、何も言えない雰囲気なんだよね。他の子困らせたくなくて。また相談していいかな?」  いやいやぼくだって……こまるよ…  ん? なんでぼくが困るんだ? 「こういう話、苦手でごめん……」  他に適任いるだろ? そうだろ? 「そうか……残念。聞いてくれてありがとうっ」  なんかこういうのは、青春パワーキラキラしてて、ぼくには無理すぎる。  初恋すらまだなのに、ぼくにわかるかってーの。  早く教室に帰って弁当食べないと食いっぱぐれる。スマホをみると昼休みの半分が過ぎていた。  教室に戻るとみんなの視線が刺さった。特に沢村。  なになになに。  見られすぎて、緊張状態になったぼくは急いで状況を確認しようとした。 「フラれたか?」  お調子者の村木がそう声をかけてきた。  クラスで人気の宮澤さんを分不相応にも呼び出し、フラれたか? と揶揄っているんですね。  察し!! 「いや、ちがって……その…あの」 「皆まで言うな」  ばんばんと背中を叩くお調子者め。  フラれたんじゃないわ!  ああ、沢村様の目線が痛ましげじゃないか。少しは認めてもらえたのにやっぱり、ぼくはぼくだよな。 「相談にのってもらってただけだから」  美しき宮澤さんが否定してくれる。  でも場の空気はもう、ぼくがフラれた感じになってて、もうぼくには否定する気力さえ残されていなかった。  授業が終わり、帰ろうとしたら沢村様に呼び止められた。 「ごめん、急いでるから」  嘘だ。部活もないしなんの用事もない。いたたまれないのだ。恥ずかしいのだ。どうしていいかわからなくて、なぜか恥ずかしいのだ。  がしっと手首をつかまれる 「じゃあ、いっしょに帰ろう」  なんだこの展開は。押しの弱いぼくは、逃げればいいのに、手際よく帰り支度をする沢村様を大人しく待っている。 「なんか、すまない。こういうの苦手で。俺の方が不平等だったかもしれないから……」 「な、なんで」 「恋愛感情が絡むとどうしても……冷静な判断がつかないと解ったからな」  沢村様は当てつけでぼくを褒めて下さっていたと?  ぼくはそれにほいほい喜んで。  あーあ。ぼくの純情をかえせ! ただのあてつけにされただけなんじゃないか。 「有島の思いを邪魔しようとか、そういうつもりは全くなかった。ただ」 「もう、いいよ」  ぼくは早足で沢村様を振り切った。いや、本気で追われれば、背が高くて足が長いのは沢村だから、追いつかれないわけない。なのできっと離れたのは沢村様だ。  ああ、なんだろうこのイライラする感じは。  つらい、苦しい。  嫌いにならないで。その先にある気持ちに気づきたくない。  こんなのは……恋じゃない!  は!!! 嫌すぎる  ぼくは恥ずかしいくらい走って、少し泣いているのを隠した。心が壊れそうなのを走って息が切れるせいにした。  なんて馬鹿げてて、恥ずかしくて、情けなくて、胸が痛いんだろうか。  初恋というものは結ばれないものらしい。  相手はハイスペック変人沢村様。初めて認めてくれた詐欺してくれた人。  それでまんまと、ほいほい、好きになったぼくはここにいますよ?  誰がこの恋バナを聞いてくれるんでしょうか。  頬杖をついた先には和気藹々と談笑する、揃って当て馬にしてくれたお二人がおられます。  とてもお似合いで苦しいです。そして、校長以外楽しんでいないこの暗唱大会の実行委員を押し付けられたぼくは、やっぱり教室の隅っこにいる根暗な眼鏡なんだと思い知らされます。  そして、気遣うように見つめる沢村様の視線。  ああ、もういいですから。  心が痛むんですよね。憐れんでくれてるんですよね。  注意散漫になった根暗眼鏡はいろいろ失敗して、沢村様がフォローしてくださるんですよ。  こけそうになったぼくを支えてくれる沢村様はいい匂いがしました。  宮澤さんが睨んでいますよ。根暗眼鏡なんかほっとかないと。  雑用をこなしながら、宮澤さんの側にいることで宮澤さんを教える沢村様とも一緒にいられる。素敵な片思い生活を送れるモブ耐性がついてきたようです。くだらない暗唱大会も青春を彩るスパイスですよね。  実行委員になって気づきましたが、意外と生徒たちはこの暗唱大会を楽しんでいるようです。選出されたのは、やっぱり暗唱選考ではなくて、そのクラスの人気者が選ばれています。  この甘酸っぱい片思いを、間違えましたしょっぱい片思いを共有してくれる生徒(モブ)も一人や二人いるかもしれません。  それでなくても、クラスみんなで応援して、盛り上がりますよね。  優勝は三年生のイケメン生徒会長久住さんでした。  舞台の後片付けはモブのお仕事です。  でも大変早く片付くとおもわれます。なぜならハイスペック変人沢村様が手伝ってくれているから……掃除も論理的にキッチリ、ぼくをはじめモブたちを指示して、テキパキとすすんでおります……宮澤さんも一緒に。  これが終われば二人が仲良く話すところを間近で見なくてもすむ。そして今まで通り教室の角にいる根暗眼鏡モブに戻るんだ。  あーなんか消えたい。  ふと沢村様をみたら、目があった。なんか最後かなとおもったら、目が離せなくて、ぼくはやらかしました。モップを足に引っかけてすっころんだ。 「大丈夫か!」  沢村が走ってきてくれる。ぼくは少し微笑んだのかもしれない。宮澤さんが冷たい声でぼくにだけ言いました。 「有島くんて、あざといよね」  ぼくはその場にうずくまりました。いろいろ痛くて仕方ありません。  計算じゃないんですと叫びたくてしかたありません。  片付けと掃除が終わると二人は肩をならべて帰っていった。実行委員は最後に労いのお言葉を担当の先生から頂いて、教室に帰った。教室の戸をあけると、ああ、欲を出していたバチが当たったんだと思う光景が目の前にあった。抱き合う二人と鬱陶しいほど綺麗な夕陽だった。 「あ」  なんて間抜けな声だろう。宮澤さんはぼくを睨んで教室を飛び出した。  ぼくと沢村が二人教室に残された。  ぼくは逃げるの一手しか残されていないのに、机の脚に足を引っ掛けて転んだ……はずだった。  ぼくは沢村に抱きとめられていた。  沢村様イケメンすぎますよ。 「ごめん…ありがとう」  逃げようとしたら、捕まえられて引き戻された。 「有島は宮澤さんのことが好きなんだろ」  いいえ、沢村様がすきです。 「宮澤さんと沢村さ、くんは付き合って……」 「俺は有島が好きなんだ。近くにいると、抱きしめたくなる…好きなんだ」  あはっ。どうしようぼくは途轍もなく浮かれている。 「聞いているか? 俺は、有島が、好きなんだ」  黙っていたらもっと好きと言ってくれるだろうか。  沢村の両腕が背中にまわされて、ぼくは彼の胸に身をゆだねた。  制服の厚い生地に織り込まれた沢村の匂いに息が止まりそうになった。  好きすぎて……。  鬱陶しかった夕焼けが、一瞬で鮮やかな景色になる。 「……うん」  ぼくも大好きだ。その言葉をはっきり言葉に出せない。だからぼくは必死で沢村の胸にしがみついた。  沢村の腕の力がさらに強くなる。  もう、死んだ……幸せで。 「……苦しい」  好きすぎて。 「すまない」  沢村の腕が緩んで、ぼくは少し残念だった。けれど、やっと沢村にはっきりとこの初めての恋を告げることができた。 「沢村様が好きだ」 「様?」  ぼくは沢村のいい笑顔を見ながら、何度も心の中で好きだと繰り返していた。  

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