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メロンソーダの夢
今から夢の話をするね。
少し前学校から帰ったら父さんに大事な話があるって言われてさ。
親からの大事な話って大体何言われるのかは察しがつくじゃん。でも気がついてないふりして「なに?」って聞いたら、お前ももうすぐ卒業だしな、って前置きの後に「母さんのことなんだけど」って言われて。
あーやっぱりかって。
母さん、俺が小学校に上がる時ぐらいに死んじゃってるんだけど。え、これはガチ。病気だよ。元々身体が弱かったって。俺を産むときも大変だったってよく聞かされてた。でも父さんからは「母さんがいなくなった本当の理由を教えてやる」って言われて、咄嗟に色々考えちゃって。もしかしたら俺を産んだことがきっかけで母さんが身体壊しちゃったんじゃないか、とかさ。
で、父さん缶ビール一本をぐいっと飲み干して言ったんだ。
「お前の母ちゃん、人魚なんだよね」
俺「は?」って言ったんだけど父さんめっちゃマジな顔しててさ。
昔釣りにハマってた時期があったらしくて。父さんハマったらとことん追求する性格だから。こないだもラーメン作りにハマっちゃって、給食作るでっかい鍋みたいなの買ってきて豚とか鳥の骨1週間ぐらい煮込んで、麺も粉からこだわってどっかから仕入れてさ、もうその時期の晩御飯はずっとラーメンの試作品ばっかりだったね。まぁラーメン好きだからいいんだけどさ。あ、でね。その釣りにハマってから釣竿とか餌とかこだわってとうとう船の免許まで取っちゃって。船舶免許ってやつ。それで知り合いに船借りて沖で一人で釣りしてたんだって。
そしたら母さんが釣れたんだって。
俺もう一回「は?」って言って。
結局なんで急に父さんがこの話をし始めたかっていうと、俺は人間と人魚のハーフだからそのうち海の中で呼吸ができるようになると。
エラ呼吸なのかな…、それは聞いてなかったけど。
だから海でも地上でもどちらでも暮らせる。でも海で呼吸ができるようになると地上にいる時に息苦しくなる。逆に海で暮らし始めるとだんだん地上のことを忘れちゃうんだって。
母さんは純粋な人魚だったから、魔法の力で人間に擬態して生活してたけどやっぱり息苦しさは感じてて、耐えられなくなって海に戻って行っちゃったんだって。だから母さんは生きてる。だけどもう俺たちのことは忘れてるだろう。
お前はどうする? って言われてさ。急にどうするって言われてもさ、俺わけわかんなくて家飛び出して行ったんだよね。
どこにって? もちろん海だよ。
海に着く頃にはもうすっかり夜だったんだけど、夜の海ってすげー怖いんだ。
海が青いのって空の青さを反射しているかららしいんだけど、夜の空って黒いから当然海も黒くて、何も見えないのに波の音は聞こえてとにかくすごく怖かったんだ。だけどちょっとだけ好奇心もあって。この中にはどんな世界があるんだろうって。
でも入らなかった。まぁ勇気がなかったんだよね。
それからほぼ毎日、海に行っては波が浜辺に消えていく様子を眺めて。たまに膝くらいまで入ってみて、やっぱりやめて、を繰り返して。
で、ある時膝くらいまで海に浸かってる時に強い波に足が取られて転んだんだ。急に全身水に入ったもんだからパニクっちゃって、ほとんど膝くらいしかない浅瀬なのに溺れてさ。で、気がついたんだ。
水の中でも息ができてるって。
なんて言うのかな。口を開けたらもちろん水が入ってくるんだけど入ってくる感覚がなくて、ほんと空気と変わんない。ただ呼吸してる感じ。
それからどんどん潜って。水深5メートルぐらいのところまでいっても歩けて。あ、俺泳げないから海底を歩いてたんだけど。浮力で勝手に体が浮いちゃうとかもなくて。水温もちょうど良くて、見上げたら水面に太陽の光が当たっててすげー綺麗でさ。
案外海での暮らしも悪くないなーと思えてきて。
でもまぁそこから急に海で暮らすってのも違うからとりあえずその日は家に帰ったの。
で次の日起きて学校とかいくじゃん。いつも通りっていうか、普通なんだけどすごい居心地悪く感じて。なんか周りの人間が別の生き物に思えて、みんな前からこんな感じだっけって。
みんなからすれば俺が別の生き物なんだけど。
この時父さんが言ってた母さんの息苦しさっていうのがわかった気がしたんだ。呼吸的な意味で息がしづらいんじゃなくてもっと精神的に息苦しい感じだったんだって。
海に入った方が絶対楽だし、生きやすいと思う。
それに俺が人間と人魚のハーフってみんなが知ったらどんなふうに思われるかもわからないし。だけど、父さんのことも、学校のみんなのことも、お前のことも忘れちゃうのは嫌だなと思って。
そっから海に行かなくなったんだ。なんとなく苦しいけど、でも地上で暮らすのだってそれなりに幸せだろって思って。
でもたまに思うんだ。俺は海で暮らした方がもっと幸せなんじゃないかなって。
っていう夢を見たんだけど。
お前ならどうする? どっちが幸せだと思う?
「お前病んでんの?」
和田の言い分ももっともだなと思いながら、俺はすっかり冷めたしなしなのフライドポテトを口に運ぶ。
放課後、俺たちは週に2回程度ここファミリーレストラン「ジョスリア」にくる。しかしいつ来てもファミリーどころか俺たち以外に客はほとんどおらず、俺たちが高校入学した頃からそろそろ潰れるだろうと噂されながらも、気がつけば俺たちも卒業を迎えようとしている。
そして今日もまたいつものようにおかわり自由のドリンクバーと大盛りフライドポテトで時間をつぶしていた。
少し冷めたココアを飲み「で、どうなの?」と聞くと和田は「どっちか選ばんといけんのか?」と腕を組みながら目を閉じ、んーと唸りはじめる。俺はまた一口フライドポテトを食す。ココアで甘くなった口にしょっぱいポテトがちょうど良い。和田は赤いストローに口をつけ一気に身体に悪そうな緑色の液体を飲み干す。
和田はいつも決まってメロンソーダだ。空のグラスを持ち、立ち上がる和田は小さな声でまだ唸っていた。
和田の言うように病んではいないが、悩んでいることはある。そしてそれは和田にも関係のあることだ。関係があると言うか、和田のせい、と言うか。
夢は現実世界での出来事や悩みを反映する。
実際に父さんは凝り性だし、母さんはいない。最近感じる学校での違和感もそうだ。当然だが母さんは人魚じゃないし俺はただの人間だ。だけど夢で感じたみんなと俺が別の生き物ように感じる居心地の悪さだけは現実で感じていたそのものだった。
気がつけば俺の肌には鈍く光る鱗があってみんなに気づかれないようにトイレにこもってせっせと剥ぎ取る。痛くても、血が出ても、鱗を剥がせば昔のように人間の皮膚が出てくると信じて無我夢中になって剥ぎ取る。そんな夢を見たこともある。
でも和田といるときはそんな思いはしなかった。
しなかった、というよりは忘れてしまう感覚に近い。和田を前にするといろんなネガティブな感情を忘れてしまう。この感覚はなんなのだろう。だから和田にこの話をしてみたんだけど。
和田ならどちらを選ぶだろう。
「海だろ」
和田は席に戻ってくると開口一番そう言った。
「息苦しいと思いながら生きるのはしんどいやろ」
机の上にメロンソーダがなみなみに注がれたコップが置かれる。無数の泡がコップの外へと消えていく。
「で、俺が毎日海の中潜ってお前に地上のことを教えたら、お前地上のこと忘れんし大丈夫じゃない?」
和田はそう言ってかけらのような小さなフライドポテトを数個摘んで口に放り投げた。言葉の意味が理解できずに和田を見ていると「もしかしたら」程度の答えが思いついた。
「いや、和田が俺だったらどっちを選ぶ?って意味で聞いたんやけど」
和田はえぇ、と言いまた唸り始めた。
「毎日潜るのは現実的に無理やろ」と言うと「人間と人魚のハーフが現実語んなよ」と怒られてしまった。可笑しくて笑っていたけどじわじわと心が温まるのを感じた。和田は俺が海に行っても毎日会いにくるのか。そうか。
俺は空になったコップを置いて立ち上がる。
ドリンクバーで新しいグラスを手に少しだけ氷を入れてサーバーにセットする。上から3番目のボタンを押すとグラスには氷の隙間を這うようにメロンソーダが満ちていく。そうかそうか。席に戻り座る前に未だにあーでもない、こーでもないと首を捻っている和田の姿を見下ろして、俺は溢れそうになった言葉を緑の液体で流し込んだ。
その日の夜。また夢を見た。
しかしそこはすでに水中だった。海かとも思ったがあたりは澄みきった綺麗な緑色であちこちから気泡が絶え間無く溢れゆらゆらと空へと昇っている。気泡の行く末を目で追っていると空に浮かぶ人影が見え俺はすぐに手を伸ばした。その人影も俺に気づいて体を上下逆さまに反転させると大きく空を蹴って潜ってくる。
あと少し、もう少し。
伸ばした手が彼の手を掴むと俺は昼間言えなかった言葉を思い出した。
お前を好きになってよかったよ。
言葉はただ泡となって俺たちの間を昇っていった。
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