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はじめて見たときから何となく既視感を感じていた。閉じられた目元、すっとした鼻筋。
「彼を知っているかもしれない」と口を滑らせた私に老医師はこれ幸いと男を私に押しつけた。
医師はこの地を離れて息子たちと暮らしたいのだと言う。怪我人の面倒なんて見れないと断ったが、しばらくは付き合ってやるからと言い負かされてしまった。
私の他にも中央から人が送り込まれ、復興が進んでいく。この地で全滅したのは第二王子が率いる部隊だったそうだ。生存者なしの書類に私も署名した。
私の実家は外観が残っていたので、どうにか人が住めるよう直してから男と共に移り住んだ。
男はまだ目覚めない。
けれど彼が青嵐殿下であろうことは薄々気付いていた。髭を剃ってやったらあまりに男前で目眩がした。だからだろうか、彼の正体は老医師にも誰にも告げなかった。
彼と出会って三ヶ月ほど経ったある晩。
隣に潜り込んで彼の美しい顔を飽きもせず眺めていた私は、ゆっくりと彼の瞳が開かれる夢のような瞬間を目の当たりにした。
「誰……?」
掠れきって音にならない声に慌てて水を含んだ布で唇を濡らしてやる。
「私は暘谷と言います。ご自身のことはお分かりになりますか?」
「だれ……?」
ぼんやりとした美しい瞳がまた閉ざされてしまう。
「オレは、誰?」
強く息を飲んだ。そして私は魔が差した。
***
「う、う、う…っ、ごめんなざい、申し訳ございまぜん…っ!謝ってゆるされることじゃ、ないって、わかってます…っ!うぐっ、う、うううっ」
子供のようにびゃあびゃあ泣いて謝る私の周りには翠雨陛下、宰相、その他たくさんの偉い方々。そして私の後ろ、というより尻の下には、慣れ親しんだ野分こと青嵐殿下が。
「暘谷はさあ、オレのことを助けてくれたんだよ。でも最初にオレが目覚めたときに記憶が混濁してたから、先回って色々考えてくれたんだよな」
次に目を開いた青嵐殿下がぽつりと「野分…」と呟いたから、私は「そうです、あなたの名前は野分です!」と強く言い放った。
あれ、そう言えばあのとき青嵐殿下はちょっと変な顔をしてた。寝たきりでわかりにくかったけど。もしかして記憶がなくなってなんかいなかった…?
涙でびしょびしょの顔で振り返ると、青嵐殿下はにこりと笑う。
「野分ってさあ、オレの愛馬ね」
「ひょわああああ!」
「はは。かわいいなあ」
後ろからぎゅうぎゅう抱き締めて私の肩に顎を乗せた青嵐殿下が楽しげに笑う。ううっ、重たくて潰れそうです…。
「兄上!兄上はそれでいいんですか!暘谷は国の英雄であるあなたを何年も隠していたんですよ!」
翠雨陛下が叫ぶ。オレはいたたまれなくて視線を落として、またじわりと涙が浮かんだ。
「あーあー泣かされてかわいそうになあ、暘谷」
「ん、せいらんさま…」
ぺろぺろと目尻を舐められて色のついた吐息が落ちる。誰かが「んん!」と咳払いをした。
「暘谷がオレを見つけたときには翠雨はもう国王になっていたし、オレの足も、ほら」
ひょいと青嵐殿下が左足を浮かせてみせて、周囲の空気が張りつめる。
「すでにこうだった。そもそもオレは目が覚めるまで数ヶ月かかっていたし、目覚めても衰弱していてすぐには動けなかった。それにあれだ。戦場で敗けるというのは思ったよりも心に負担があってな、情けないことにいまだにオレは夜に魘されることがあるらしい」
張りつめた空気が今度はどんよりとする。
「オレをずっと支えてくれたのは暘谷だ。文官の仕事もちゃんとしていただろう?地方の筆頭文官から宰相補佐まで成り上がった。そしてオレを王都まで連れてきてくれた。だからこうしてお前たちと再会できたんだ、何を咎めることがある?」
私が宰相補佐になれたのも青嵐殿下がいたからだ。
世間話に紛れて世相の行方を訊かれて、代わりに彼の知識を与えられて……まったく、記憶がなくなってなんかいないじゃないか!
「ですが、それは結果的にそうなっただけであって…」
翠雨陛下は苦々しい顔で青嵐殿下を見下ろしている。わかる、わかるよ。家族を失って、天涯孤独になったときの喪心といったらない。例え療養中でも兄が生きていると知ればどれだけの救いになったことか。
「翠雨陛下、本当に申し訳ございませんでした」
深く頭を下げるとぽたぽたと涙が落ちた。
「はあ、もういいよ。兄上がいいと言っている以上どう罰しろというんだ」
翠雨陛下は大きく息を吐いて「それで」と続けた。
「青嵐兄上は今後どうされるおつもりで?」
「それな、オレは暘谷専用の椅子になるよ」
「「「はあ!?」」」
これには部屋中から驚愕の声が上がった。もちろん私も含まれている。
「青嵐様、何を仰って……?」
「だってよお、いまさらオレが生きてましたとか言ってももう王は翠雨な訳だし、混乱の元だろ?隣国だってまた何を言い出すかわからない。それにオレのこの足じゃあ、騎士として前線に立つこともままならない。だったら暘谷専用の椅子として存在した方がいいだろ?喋る椅子だぞ、すごいだろう」
「恐れながら青嵐殿下、王家の血統については…」
「あー椅子じゃなかったら馬でもいいぞ。暘谷の種馬。野分と呼んでくれ」
言うや否や下から強く突き上げられて、「あっうんん!」と高い声が漏れる。くず折れた私を抱き止めてにやりと笑う青嵐殿下。
「これじゃあいままでと一緒だなあ。ああそうだ、翠雨」
弟を呼んだ彼は艶かしい手つきで私を撫でた。思わずかあっと顔が熱くなる。
「暘谷もう処女じゃないんだ、悪いな」
「ちょっとなんてこと言ってるんですかあああ!」
***
それからの青嵐殿下は、自身にぴったりの義足を得て翠雨陛下の相談役兼宰相補佐の専用椅子として堂々と城を闊歩した。そして時々、義足とは思えない動きで敵を凪払うのだとか。
田舎上がりの堅物と有名だった宰相補佐は童貞だったが処女ではなく、椅子にいたずらされる度に涙目で真っ赤になって、毎回それを見せつけられた奔放な王はすっかり節度を守るようになったとか。
なお騒音騒動の件は、抜き打ち視察により飼育崩壊寸前の犬の多頭飼いが発見されたのだが、残念ながら城内ではあまり知られていない事実である――。
おわり
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